コンテンツへスキップ

日記帳|2001年2月

2月8日(木)

 土場ゼミ入門編「環境倫理とリベラリズム」の最終回があった。受講者にとっては、全体的に消化不良で終了した感じだっただろう。しかし、僕としてはゼミを運営する側としてかなり発言する機会があり、そのことを通じて自分の考えを深めることができて有益だった。ゼミでは、西表島における土地改良問題について、現在の自分のアプローチを披瀝した。まだまだ考えが不十分だが、僕の基本的なスタンスは表現したつもりだ。
 研究室を出て駅で電車を待っているとき、受講生の一人(中国の留学生)から、「松村さんの考えはとても面白いと思いました」と言われた。僕の考えに反応してくれる人がいたのは嬉しかった。そのために学問をやっているようなものだから。
 夜は、神奈川森林エネルギー工房の2001年度総会があった。木質バイオマスエネルギーをめぐる動きは、全国的に活発化している。そんななかで、僕らはどこに行こうとしているのか。少し不安になった。

2月9日(金)

 ルーティンとして、お昼にアリスセンターに行った。毎週金曜日は、神奈川森林エネルギー工房の「事務局の日」だから、事務局員たる僕はなるべく参加するよう心がけている。とはいえ、昨晩もメンバーには会っているので、正直、行くのをよそうかとも思った。横浜・関内は自宅から遠いから、面倒くさいと思うときもあるさ。それでも、行ってしまうのは何故なんだろう。責任感?まさか。
 午後はほとんど何もせず、お茶を飲んだり、お菓子を食べたり。「もっと・もっと・もーっと神奈川!」の編集作業が終わったので、仕事がないのだ。仕事をもらったとしても、長期不在することが多いので、責任持って担えないだろうし。
 夕方、伊勢佐木町に最近できたカレー博物館に足を運んだ。オープン間もないためか、けっこう混んでいて、行列ができている店が多かった。僕は待たずに食べたかったので、数少ない行列ができていない店「エチオピア」に入った。大盛りを注文すると、ちょっとびっくり。かなりの大盛りだ。腹をすかせておいて良かった。大盛りを頼んでおいて、残すと格好悪いから。

2月10日(土)

 世の中は三連休。僕は年中連休のようなものだから、どうでもよいけど。この連休は、日本の竹ファンクラブ・代表の平石さんから空けておくように言われていたので、3日間まるまる空けていたが、結局、明日しか活動がないらしく拍子抜けだ。11日(祝)には用事が入ったが、今日は何もすることがないので、本を読むことにした。
 8日(木)の発表用レジュメを書いていて気づいたのは、自分の考えがフーコーに似ているということ。やはり、フーコーはきちんと読まないといけない。というわけで、フーコーを読んでいたが、ベッドで読んでいたので、つい眠気に誘われて、全然ページがすすまない。気が付けば夜。まあ、こんなぐうたらな日があってもよいでしょう。

2月11日(日)

 今日は、日本の竹ファンクラブの会員5名で、千葉県大多喜町に取材に行った。まず、朝8時20分に横浜市営地下鉄・中川駅近くで待ち合わせ。いつも9時くらいまで寝ている僕としては、少しばかりつらい待ち合わせ時間だ。それでも、最初は7時に待ち合わせの予定だったのだから、それに比べればだいぶ楽ちん。
 車に乗り込み、アクアラインを通って行くと、あっという間に千葉県上陸。それから、ゴルフ場開発で滅茶苦茶にされている里山を横目で見ながら大多喜町に着く。今日の取材先は2件の民宿。1つは観光タケノコ園をやっている民宿、もう1つは竹炭をつくっている民宿。詳細なレポートを書くのは手間なので省略。でも、お話をうかがった2人が、ともに精力的に活躍されている人だったので、取材としては大成功。
 帰りは渋滞に巻き込まれた。さすがに、長時間、後部座席に3人で座ると疲れる。きっと、両脇にいた2人も同じ感想を抱いたに違いない。

2月12日(月・祝)

 かつて芝居をやっていたときの仲間が、恒例の日舞の会を開くというので出かけた。今年で、6年目(だったか?)であるが、1年目にささやかな会として始まったことを知っている僕は、会が徐々に大きくなっていることを実感し、感慨深かった。おそらく最初は、立ち方が10人程度だったように記憶しているが、今回は30人以上も。また観客の数も約200人が集まり、ずいぶん立派な会になってきた。
 この会には、むかし芝居を一緒につくった連中がけっこう集まっていた。久しぶりの再会を素直に楽しんだ。
 夜は、その連中と飲んだ。途中からは、住吉さんが来た。彼は4月から伊豆大島の高校にに赴任するとのことだ。最近、八重山を調査地にしているため、離島にとても関心がある。伊豆大島ならば近いので、遊びに行くよ。

2月13日(火)

 来週22日は卒論の発表会だ。それに備えて、本番を想定した練習をするというので立ち会った。発表会で、卒論生に与えられている時間は8分。そのなかで発表しようというのだから無理がある。どうでもいいや。でも、卒業したいならば、そつなくやって卒業した方がよい。
 その後、土場先生から呼び出される。投稿論文を書くように言われた。そうなんだよな。早く修論をまとめないと。それと、8日(木)に発表したレジュメを論文の形にするよう勧められた。秋頃までに仕上げることを目標にしよう。
 お袋からメイルが届いていた。グリーティング・カードを贈ったとのこと。パソコンを始めたばかりの彼女は、日々上達していく様子を僕に伝えてくれる。きっと、カードを贈れるようになったことが嬉しくてメイルしてきたに違いない。でも、届いていない。今頃はサイバー空間をさまよっているのか。

2月14日(水)

 今日は煮干しの日。それなのに(それだから?)、事務の城所さんからチョコレートをもらった。
 夜、実家に寄り、夕食を御馳走になった。食事をしながら、NHKの「クローズアップ現代」を見て、いささかショックを受けた。今日のテーマは、建設解体廃棄物の問題。僕が最も驚いたのは、解体材を分別して木くずを回収しても、それを引き取る業者が無いという事実だった。従来、木くずはチップ化され、ボイラーの燃料として利用されていたが、近年、そうしたボイラーが相次いで重油用に転換され、現在では引き取り手がなく、無料で引き取ってもらっているとのことだった。僕たち神奈川森林エネルギー工房では、重油用ボイラーを木質燃料(チップ、ペレット等)用ボイラーに転換していくことをすすめているのに、それとはまったく逆の動きが進行していたのだ。
 その後の「ためしてがってん」も、環境問題を扱っていて面白かった。ダイオキシンって、やっぱり神経質にならないといけないのかねえ。

2月15日(木)

 昨日、東大東文研・松井研究室の太田さんから、八重山調査報告の初稿を送ってもらったので、今日から校正にとりかかった。サモアに出発する日までに大急ぎで書いたものだから、後から読むと日本語として変なところが多い。ちまちまと直していこう。
 夜、卒論生の田端君から相談を受けた。卒論のテーマは劇場。彼は芝居をやっているので、昔やっていた僕のところに来たのだろう。けれども、僕はあまり言うことがないのだよ。自分が卒論生だった頃は芝居に熱中していたので、論文もいい加減きわまるものだった。だから、頑張ってなんとか論文の形をつけようと苦心している人をみると、それだけいろいろ考えているならばいいんじゃないの、と思ってしまう。

2月16日(金)

 金曜日は、神奈川森林エネルギー工房の「事務局の日」。それだけではなく、今日は、アリスセンターが発行しているメイル・マガジン「らびっとにゅうず」についての打ち合わせもあった。今後、アリスセンターとどのように関わっていくべきなのか。考えないといけないんだよなあ。
 午後、川嶋さんから、次回のメイル用「らびっとにゅうず」を編集するよう言われた。この仕事は、どこでもできる仕事なので僕には好都合だ。八重山にいてもできるし。アリスセンターに来ても、なんとなくぶらぶらしている僕を気遣っての配慮であろう。好意的に解釈し過ぎか。仕事の押しつけではないよね。
 夜、町田市立図書館に寄る。良い図書館ではあるが、8時まで開いている曜日が火・土だけでは少なすぎる。夕方5時までしか開いていないと、利用したくても利用できない。
 深夜、メイルとチェックすると、嬉しいメイルが数通届いていた。事務的なメイルが多いなかで、受け取って嬉しいメイルが一日に3通もあれば、その日が良い日だと思える。それから、神奈川森林エネルギー工房のHPに、総会資料をアップ。けっこう加工するのに時間がかかってしまい、夜更かししてしまった。

2月17日(土)

 朝、起きられず、気づけば昼に。風呂に入って、食事を摂って、あわてて恩田の谷戸に向かった。今日は、ホトケドジョウを復元するためのビオトープをつくる作業日だったのだ。到着したのが1時半。参加者は少な目で、6名が来ていた。すでに帰った人が多かったようだ。穴を掘ってビニールシートを敷き、その上に池をつくるのだが、着いたときは、シートを敷くためにみんなせっせと穴を掘っていた。遅れて行ったので、少しでも力になろうと、無駄口をたたくことなく穴掘りに専念。4時頃になって、シートを敷き、上から土を被せたところで終了。来週、続きをすることになる。
 土木工事は、自分の労働がそのまま形となって現れるので面白い。来月から八重山に行くので、工事の途中までしか関われないが、どんな姿となるのか楽しみだ。
 夜、2月8日から今日までの日記をまとめてつけた。明日からは、毎日書くことにしよう。とりあえず、決意を表明しておく。

2月18日(日)

 起床しても、まだ迷っていた。どちらに行こうか。東工大で昨日から開催されている第1回日本評価学会か、戸塚の横浜女性フォーラムでやるアディクション・セミナーか。結局、後者に参加することにした。昨年、行こうと思っていたのに用事があって行けなかったからだ。評価学会にはアリスセンターの土屋さんが参加すると言っていたので、後で報告を聞けばよいでしょう。
 自助グループには、かなり前から関心があったけれど、実際に話を聞いたことがなかったので、今回が初体験。会場に到着して、さっそく各種依存症の本人や家族の体験が語られている大ホールに直行した。酒、薬、ギャンブルなどの依存症、摂食障害、児童虐待、アダルト・チルドレン、同性愛など、いろいろな自助グループの人たちの話を聞いた。初めての経験だったが、全然違和感なく、その世界に入ることができた。自助グループで目指されていることは、僕が目指していることでもあるから、このことは当然かもしれない。
 今年で12回を数えるアディクション・セミナーであるが、今回のメッセージ分を引用しておこう。ちょっと面白かったから。「人はひとりで生きてはいけないといわれる。みんないろんな人とかかわりをもって生きてきた。どんなかかわりでも『評価』を余儀なくされている・・・」。
 評価学会が行なわれ、学術的な議論が活発にされたであろうその日に、一方では、「評価」の網の目にひっかかって苦しんだ/でいる人たちが、自分の体験を、ときには感極まって涙をこぼしながらも話す。今後、僕らの住む社会は、ますます評価社会になっていくだろう。それにともなって、評価しない、されない関係が大切にされていくに違いない。

2月19日(月)

 今日はけっこう暖かかった。花粉前線も速度を上げて、北上していることだろう。例年であれば、これからの2ヶ月はつらい日々が続くことになる。花粉症であると、寒さがやわらぎ春を迎えようというこの時期を、暗い気持ちで迎えないといけない。しかし、今年は3月8日から八重山へと脱出するので、重症にならないうちに花粉から逃れられるのではないかと期待している。
 昼の1時半から、木質バイオマス利用研究会・国土緑化推進機構主催の公開シンポジウム「木質バイオマスのエネルギー利用を考える会」に参加した。参加者は、平日の昼間だというのに300名以上。当然のことながら、背広を着たおじさんが多い。それを見て、改めて思った。やはり、僕たちのような市民活動は必要だと。林業関係者が、林業の再生のために木質バイオマスのエネルギー利用を考えているうちは駄目だ。いくら地球温暖化の防止を唱えても、それは権益の保護としか見えない。公益性を主張するならば、国民的な合意形成を図っていくことが不可欠なはずである。そのためには、背広を着たおじさんだけが集まるような会合を開いていてはいけないだろう。プロセスを大切にしないといけない。今は、そういう時代である。
 夜、大学4年生で修士への進学を希望していた友だちからメイルが届いた。試験の出来が悪くて落ち込んでいたけど、見事合格。おめでとう!僕は受かると思っていたけどね。

2月20日(火)

 最近、夜寝る時間が遅くなっている。昨晩は5時まで起きていた。このため、起きたのは11時。研究室には1時過ぎに着いた。今日は短い一日だった。
 明日と明後日は、卒論の発表会がある。そのため、卒論生は最後の仕上げに余念がない。きっと、徹夜して仕上げる人もいるのだろう。大変だとは思うが、すすんでは手伝おうとしない。事情の分からない僕がしゃしゃり出ても、お節介だろうから。
 空気のような日だったが、唯一行なったのは、八重山調査報告の校正作業。しかし、僕は自分の原稿を読むのが苦手だ。書いてあることは分かっているから、読んでいて飽きてしまう。実際、作業中にかなり眠くなった。自分に向かって、眠くなるような原稿を書くな、と言いたくなる。
 深夜、帰宅してから讃岐うどんをすする。ここのところ毎日だ。最近の僕の体は、うどんが5割、納豆ご飯が2割、牛丼と中華定食が1割ずつ。それに、ココア(サモア産!)、紅茶、ほうじ茶、コーヒーなどで出来上がっているように思う。もう少し、いろいろなものを食べるべきだと思います、はい。

2月21日(水)

 悪い夢を見た。海外旅行に行くのだろう、本当は成田空港に行くべきなのに、なぜか秩父に来てしまった。急いで空港に向かうが、パスポートを忘れた。それどころか、荷物を何一つ持っていない。荷物を取りに家に帰り、空港に戻ろうとするが、道路が沼地のようになっていて、なかなか前進することができない。1つ違いの弟・正直と中学・高校時代の友だちが、なぜか空港にいて、係員に出発時刻を遅らせるよう言ってくれている。でも、雨で道路はさらに底なし沼のようになって・・・。
 何かに追われるように時を過ごすのは嫌だ。しかし、緊張感なく過ごしていると、ろくなことがない。僕は、よくそういう経験をする。どこか抜けているのだ。今日もそんなことがあった。昼間、キャッシュカードを取りに銀行へ行かなければならなかったのだが、印鑑を持っていき忘れてわざわざ家に戻る羽目になった。また、横浜方面に用事があったので、町田からJRのトクトクキップという往復切符を買ったのに、帰りの切符をどこかになくしてしまった。単に注意力散漫と言われればそれまでだが、時間に余裕があるために、どこかぼーっとしてしまうのだと思う。また、あまり社会的に重要な仕事をやっていないので、間抜けでいられるのだと思う。
 夜は、神奈川森林エネルギー工房の運営委員会があった。今日は集まりが悪く、出席者は4名のみ。打ち合わせ終了後、食事をしながら議論した。当たり前だが、1人で食べるよりは、おおぜいで食べる方が楽しい。少しお酒が入っていたので、自分の市民活動に対するスタンスを語った。つまり、自分は世の中を変えたいという気持ちはさらさらなく、逆に、世の中が自分を変えようとすることに対して抵抗するために活動しているのだ、と。

2月22日(木)

 昨日・今日と、卒論の発表会があった。矢野・土場研究室には、6名の卒論生がいる。僕はどの発表も聞かなかったが、みんな無事に発表を済ませたようだ。とりあえず、お疲れさま。
 お昼前から研究室内で宴が始まった。3時に面会の約束があったので、アルコールも飲まず、約束の時間までずっと後輩と喋った。3時になって、環境コンサルタントに興味があるという学部3年生と会った。浪人・留年していないとすると21歳の人だ。10歳も年が離れていることに、いささかショックを感じる。なるべく、その人のポテンシャルを損ねないよう注意しながら、僕の仕事の経験などを話した。時間にして1時間半ほど話をしたのだろうか、最後になって、その人の出身が和歌山であることを知った。話し終わったとき、僕はまだ行ったことがないその地に、行ってみたいと思った。山で炭焼きをやっているんじゃないかなあ。
 夜、卒論生らと4人で飲みに行った。しばらくして、矢野先生らが加わり6人になった。けっこう酔っぱらっていたため、いつの間にやら周りに乗せられて、研究室改革に着手することを宣言してしまった。社会学の研究室であるのに、社会性が無さ過ぎるという問題を解消しようという試みだ。宣言した手前、後に引き下がることはできない。皆様、ぜひご支援を。

2月23日(金)

 当初の予定では、東大で西表島を調査している学生の卒論発表を聞く予定だったが、昼からアリスセンターに行く用事があったのでとりやめた。しかし、どのような卒論に仕上がったか興味はある。時間のあるときに聞きに行くことにしよう。
 昼からアリスセンターに行き、メイル・マガジン「らびっとにゅうず」の編集作業を行なった。初めての経験だったが、前任者の川嶋さんのやり方をそのまま踏襲しただけ。少し独創性を織り交ぜたかったが。
 3時頃から事務局スタッフ会議に参加した。これまで、僕はずっと一アルバイトとして、2年間アリスセンターに関わらせてもらってきたが、今回、初めてスタッフ会議に参加することになった。会議では、情報戦略について、個人的な意見を言わせてもらった。しかし、理想像を実現するために、自分が働けるのか。学術的な調査研究をしながら、NP0スタッフとしても責任を持って仕事することができるのか、少し不安である。
 一昨日・昨日は、1日1食のみの食事となってしまっていた。今日は、そういう食生活を避けようと思っていたが、駄目だった。このため、夕食はできるだけ多く食べたいと思い、豚カツ屋に行った。ライスとキャベツのおかわり自由が魅力だったからだ。ご飯3杯、キャベツ2人前を食べ、メリットを十分に生かせたと思う。
 明日は、恩田の谷戸に行って、池づくりを行なう予定だが、雨が降るかもしれない。先週の作業が楽しかったから、雨が降らないとよいのだけれど。

2月24日(土)

 予報どおり、今日は一日雨だった。恩田の谷戸での作業は中止となった。後からメイルが入り、今日行なう予定だった作業は、3月3日に実施することになった。
 こういう日は、普段積み残している仕事をするに限る。そう思い、部屋を簡単に掃除するとともに、恩田の谷戸ファンクラブの会計の仕事に取りかかった。昨年度から会計役を引き継いだが、まだ帳簿上で混乱している部分があり、気になっていたので、時間のあるときにきちんと整理することにしたのだ。2、3人のメンバーと電話でやり取りをするなかで、問題点が明らかになったのですっきりした。万事がいいかげんで、事務的な仕事がとても苦手な僕にとって、会計の仕事はよい勉強の機会になる。でも、劇作家の北村想の言うとおり、「いいかげんは、いい加減」なんだよなあ。
 会計の仕事のほかに、デジカメで撮影した写真の整理も行なった。その写真のなかには、一昨日、研究室で卒論発表会を終え、先生と学生とで記念撮影した写真もあった。写真のなかには僕もいた。とても馴染んでいるように見える。そういえば、今週の月曜日にあったシンポジウムの懇親会で、そのとき初めて会った三重大学の4年生に年齢を明かすと、「23、4かと思ってましたよ」という応えがあった。もし本当にそう見えるならば、馴染むのは当然か。

2月25日(日)

 早朝、恩田の谷戸ファンクラブの入会案内・申込書を作成した。これは、僕がサモアに行っている間に、いつの間にか作る羽目になった仕事だった。依頼されてからだいぶ日数が経過してしまった。反省。
 朝の10時に恩田の谷戸に出かけた。チョウゲンボウが出るという話を聞いていたので、プロミナ(単眼鏡)を久しぶりに持ち出したが、あいにく見ることができなかった。会社を辞めて以来、プロミナの出番はめっきり減ってしまった。去年、20世紀最後の月食を見るときには、天体望遠鏡の代わりとして活躍したが。
 夕方、日本の竹ファンクラブの平石さんから電話があった。3月3日あるいは4日に予定しているヒアリング調査の段取りをよろしく頼むという内容だった。これも、すでに依頼されてからだいぶ日にちが経ってしまっている。反省。今日は反省しきりだ。それにしても、僕の家にかかってくる電話は、まるで仕事用だ。頼まれたり、促されたり、怒られたり。最近、受話器がとても重く感じる。
 サモアからメイルが届いた。旅行中に撮った写真を、ホームステイ先に送ったところ、fiafia(サモア語でhappyの意)だという。あなたが嬉しいと、僕も嬉しい。

2月26日(月)

 昨日平石さんから催促された件を片付けるため、朝起きるなり、HPの検索を始める。次の週末には、静岡県で竹にかんする取材をすることになっているので、「静岡」「タケノコ」「竹炭」「竹細工」などを組み合わせて入れてみた。たくさん出てきたが、静岡市の西隣にある岡部町でタケノコ生産と竹炭づくりが盛んであることがわかった。そこで、早速、役場に電話してみると、竹炭の研究会、タケノコ掘りとタケノコ料理が楽しめる民宿、タケノコの生産組合などを案内してくれた。日帰り取材なので、そのうちの2件にアポを取った。ついでに、今週末が締め切りとなっている原稿で、去年12月に鹿児島県宮之城町に行った竹の取材記事を仕上げた。これで、日本の竹ファンクラブ関係の仕事は一段落。
 昼間、久しぶりに風呂に入った。冬でもずっとシャワーで済ませていたが、最近、いろいろと失敗が多く、なんとなく気が焦っていたので、ゆっくりしようと1時間くらい湯船に浸かった。嫌なこと、悪いことなどは何でも水に流してしまおう。やはり、ただ風呂に入るために風呂に入るのは良い。ふと、積雪地の温泉に行きたくなった。八重山から帰ってきてからだと、もう雪を見ながら温泉に浸かることはできない。行くなら八重山に行く前だが無理だろう。
 夕方、実家から届けてもらったマリンスポーツグッズを確認してみた。これは、もう10年以上も昔、まだ大学1年生だったときに買ったものだ。スノーケリングの3点セットやウェットスーツ、ライフジャケットなどがあった。当時は、洞窟の中にある深い湖を探検したいと考え、海洋調査探検部に入っていた。その後、芝居に傾倒するようになって、スキューバダイビングは諦めてしまい、グッズ一式は実家の押入にずっと眠っていた。とりあえず、マスクを顔にはめてみた。まだまだ使えそうだ。スノーケリングとフィンも問題なさそう。早速、3月の八重山で使うことにしよう。

2月27日(火)

 明け方、八重山調査報告(初稿)の校正を終えて、松井研究室にメイルで送った。終えてみて、あらためて校正作業が、アバウトな性格の僕に向いていないことがわかった。
 2時からは、かながわ県民活動サポートセンターに行き、アリスセンターの理事会に出席した。6時過ぎまで約4時間、ほとんど何も発言することなく各人の意見を聞いていたが、理事会での議論のされ方が僕の感覚と全く合わないことがよくわかった。たとえば、アリスセンターの理念は市民社会の自立を目指すことにあるといい、そのためにどのような事業に着手すべきかが議論されたりしたわけだが、そうした議論のすすめ方は、窒息しそうな気分にさせられた。「アリスは~すべき」という発言は多かったが、「アリスにかかわっている僕/私は~したい」という言葉はほとんど聞けなかった。「~すべき」として、他人に仕事を押しつけるのは、とても苦手だ。
 理事会を途中で抜け出て、7時に研究室に着いた。今晩は、留学生の沈さんが餃子パーティーを開いてくれる日だったのだ。沈さんの指導を受けながら、みんなで餃子を200個くらい作り、水餃子にして食べる。何もタレをつけなくても、程良い味が付いており美味い。沈さん、どうも有り難う。
 その後、パーティーは、今後の研究室について話す場と化し、12時近くまで議論した。とりあえず、研究室内のコミュニケーションを円滑化するために、ティータイムを設けることで合意できた。しかし、もっと面白い仕掛けを考えたい。

2月28日(水)

 今日は珍しく、昼食をとる場所を決めていた。午後に藤沢で用事があったので、六会日大前から歩いて10分のところにあるほうとう屋「へっころ谷」に行くことにしていたのだ。ここは、僕が編集に関わった「もっと・もっと・もーっと神奈川!」に載っているお店で、アリスセンターの土屋さんが書いた紹介記事を読んで、行きたいと思っていたのである。
 いざ、お店に入ってみると、なるほど雰囲気がある。椅子に座って、「肉入りほうとう定食」を注文した。注文を受けてから出てくるまでに多少時間がかかるので、その間は店内に置いてあるチラシなどを見て過ごした。さて、いよいよほうとうの登場だ。きちんとしたものを使って料理していることが伝わってくる折り目正しさを感じる。味の方はといえば、うーん、美味しい。こういうお店が家の近くにあるといいなあ。こういうお店はデザートも美味しいに違いないと、定食を食べ終わってからお汁粉を注文した。これもいける。このとき、お店の人から声を掛けられ、それをきっかけに、会話が始まった。僕は、自分が「もっと~」の編集委員であったことを話すと、そういうことなら早く言ってくれればと、甘酒をサービスしてくれた。そして、「もっと~」の完成記念パーティーに来ていたこと、そこで司会をしていた僕と出会っていたことなどの話で盛り上がった。藤沢方面に来ることは少ないが、気に入ったので、時間があったら食べに行こうと心に決めた。
 2時に藤沢で待ち合わせ。八重山の小浜島をフィールドにしているお茶大生が卒論を仕上げたので、それについて報告してもらったほか、島内のインフォーマントについての有益な情報をもらった。同じ島をフィールドにしているので、話をすると面白い。人によって捉え方に違いがあることがよくわかる。また、そういう人が近くにいることは、僕にとってとても心強い。そんなことを感じながら、4時間くらい話をしてしまった。昨晩も長時間議論したことを思うと、「あんたも好きね」と自分に言いたくなる。

TOP(日々の表現)雑記日記(2001/2/8-2003/8/25)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です