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日記帳|2002年11月

11月1日(金)

 昨晩から、眼鏡がなくて困っている。サッカー観戦しようと思って、テレビを点けようとしたときに、眼鏡が無いことに気がついた。どこに行ってしまったのか。今日も昼頃に時間をかけて捜したけれど見つからない。
 2時過ぎに研究室へ。カモちゃんに、メガネを紛失した話をすると、安いメガネ屋を紹介された。メガネスーパーの新ブランドで「Hatch」というヤツだ。ネットで調べてみると、町田にもあることが判明。早速、今晩買いに行こうと決める。
 文献を読んだりして時間を潰していると5時過ぎになる。そろそろメガネを買いに帰ろうかと思っていると、丸ちゃんが、「松村さんは、今晩の夕食の準備をされましたか?」と尋ねてくる。特に決めていないと答えると、「これから鍋をやろうかと考えているんですが・・・」と言うので、後輩には優しくありたいと願っている僕は、鍋パーティーに参加することにした。さらに、丸ちゃんから、「松村さんは、何鍋がいいですか?」と意見を求められたので、先月食べて美味しかった「きりたんぽ鍋」と答えると、きりたんぽ鍋に決定。研究室の中で僕は、権力者になっているのかもしれない。
 もちろん、きりたんぽは買ってくるのではなく、米から作ることにする。炊飯器がないので、パックで販売されている白飯を購入。ほかに、鶏肉、牛蒡、人参、白滝などの具も買ってきて、いよいよ準備に取りかかる。今日の参加者は、丸ちゃん、イコマロ、柴田くんと僕、さらに、できあがった頃、池ポンが加わって5人となった。8時頃、きりたんぽ鍋は完成。遅くまで仕事をしていた矢野先生にも差し入れして、5人で「いただきます」。完璧な出来ではなかったけれど、5人の平均点は80点以上だったので合格点と言えよう。
 きりたんぽ鍋を食べ終わると、ひまわりの種をつまみながら、男だけのまったりトーク。11時過ぎに、この輪から抜けて、12時半に帰宅。

11月2日(土)

 8時に起きたものの、ベッドに入りながら新聞を読んだり、本を読んだり、うとうとしたり、うだうだしていると11時過ぎになる。これではいけないとベッドから出て、PCを起動。事務的なメイルを2通書く。午後から外出しようと、ゆっくりと風呂に入っていると電話が鳴った。石けんで泡まみれになったまま、風呂から出て電話に出ると、友だちからだった。これから町田へ買い物に出掛けるところだけれど、会わないかという電話だった。ちょうどメガネを買いに行こうと思っていたので、二つ返事でOKする。
 1時半、町田駅で友だちと待ち合わせ、まず、Hatchにメガネを買いに行く。けっこう迷った挙げ句、店の中では一番高い9,000円のメガネを購入。友だちはハンズへ行き、お兄さんの誕生日祝いにプレゼントを購入。2人の買い物が済むと、3時半という中途半端な時間だったので、隣り駅の玉川学園前まで電車に乗り、友だちを自宅に招き入れることにした。といっても、なんの準備もしていなかったので、お茶を飲むなどして5時半まで過ごす。
 5時半、友だちを駅まで送り、帰り道、スーパー三和で買い物してから帰宅。夕食は鶏鍋。昨日食べた、きりたんぽ鍋と同じように、醤油味で食べてみたところ、予想以上においしくできた。お腹いっぱいになって8時にベッドで一休み。・・・のつもりが、就寝。

11月3日(日)

 よく寝た。およそ13時間眠った。これだけ睡眠をとると、起きたときに、体の痛さを覚えるものだ。だから、今朝の目覚めは、快適ではなかった。ただ、長い時間眠ればよいというものではない。
 起きると、空は快晴だった。まさに、布団を干すには絶好の日和。9時から布団を干し、洗濯機を2回まわし、朝食を作り、部屋を掃除し、シャワーを浴びる。1時半、布団を回収するとすぐに外出。町田へ買い物に出掛ける。
 まずは、ブック・オフへ行き、古本を3冊購入。次に、ライオンズの優勝割引セール中の西友へ行き、日用品を買ったほか、リブロでは本を1冊、さらにレコファンではCDを3枚購入。玉川学園に戻ってからは、オダキューOXとスーパー三和と100円ショップダイソーで、それぞれ小さな買い物をした。
 5時過ぎに帰宅すると、すぐに買ってきたCDを聴く。まずは、アノラックの代表格=ザ・ヴァセリンズの全曲集。ネオアコ/ギター・ポップ/アノラックに、ただただ夢中になっていた10代後半を思い出すなあ。次は、ロジャー・ニコルズとポール・ウィリアムスというA&Mの伝説的ソングライティング・チームによるデモ・テープをCD化したもの。サバービア/ソフト・ロックに、心を奪われていた20代前半を思い出すなあ。こんな風に感慨にふけりながら、夕食の準備を整える。今夜のおかずは、水餃子だ。例によって、NORAの隣りにある点心屋さんで買ってきたものだ。これでお腹を満たし、夜11時からは小笠原が特集されていたテレビ「宇宙船地球号」を見るなどしてから就寝。今日は、正しく休日を過ごせた気がする。 

11月4日(月)

 8時に起床。今日は、NORAのスタッフから、横浜市旭区にある川井緑地保全地区でのイベントに誘われていたが、行かなかった。大学の図書館から本を数冊借りており、明日がその返却期限である。しかし、あいにく明日は用事が入っており、大学へ行くことができないため、今日中に返す必要があった。このため、イベントには参加せず、大学へ行くことにしたのだった。
 9時半頃、家を出る。武蔵小杉のユニクロでセーターを1着購入し、自由が丘の大戸屋で朝昼兼用の食事をとり、また妻家房ではコーン茶を買って、11時半、研究室に到着。行きの電車の中で、大塚柳太郎ほか『人類生態学』を読了。網羅的なため、読み応えがない。現在、地球規模で深刻な問題となっている人口問題と環境問題に多くのページを割いているが、ありふれた記述に終わっている。期待して読んだだけに、残念。また、研究室に着いてからは、『科学』7月号を読む。この号の特集は、「エコツーリズムの展望」で、山下普司、石森秀三、伊藤秀三、池田光穂、北尾邦伸、下村彰男など、この分野では名の知られている学者が短文を寄せている。しかし、ほとんど得るところがなかった。
 寂しい読後感のまま、借用資料のコピーを始める。全部で200枚を越えたので、かなり時間を食った。4時過ぎ、借りていた図書をすべて返却。4時半、研究室を出て、横浜へ向かう。
 5時半、友だちの部屋へ到着。夕食におでんを囲み、昨夜の「アーセナル×フルハム」をビデオ観戦するなどして、秋の夜を過ごす。

11月5日(火)

 8時に起床。朝食は玄米フレーク。ゆっくりと朝風呂に入ってから、両親にメイルを書いたり、神奈川森林エネルギー工房としてのメイルも数通書く。
 12時半、外出。JR横浜線、中央線を使って、藤野町に向かう。高尾駅のホームで電車の待ち合わせをしているとき、県科学技術振興課の下元さんと吉田さん、ソフエネの佐藤さんと合流。2時に藤野駅到着。ここでは、日本総研の藤原さんと合流。5人で藤野町役場の山口さんを訪ねる。すぐに、山口さんの運転する車に乗って、篠原地区へ。ここで、説明役をお願いしている地元の方をお待ちする。
 篠原地区は、来年3月に小学校が廃校となるのをきっかけに、地元の人びとが、里山交流センター「篠原自然学校」を設立しようと検討しているところである。2時45分、地元の方を代表して、この篠原地区に住む加藤さんと、レクスタに加盟しているエコロの石井がお出でになった。さっそく、文楽の舞台としても利用されている大石神社についてご説明いただき、次に、小学校の適正配置計画によって廃校となる篠原小学校へと案内される。小学校の跡地利用として、今後は、宿泊研修施設として改修し、それを地元NPOが運営するといった大きな計画についてお話しいただく。また、藤野町には、ギフチョウの生息地が県内で唯一残されており、その保全運動をおこなっていることや、現在は朽ちて使用されていない水車を復活させたいというお話もうかがった。
 篠原小学校を去ると、古くなって使えなくなった水車、および、日大の糸長先生が代表となっているパーマカルチャー・センター・ジャパンを歩いてまわる。さらに、車に乗って、現在も自給用の炭を作るために使われている共同炭窯、木工・陶芸・ガラス細工などを楽しめる県立藤野芸術の家、環境教育として栽培しているひまわりの畑を見学して、4時半頃、藤野町役場に戻る。そして、すぐに会議室へ通され、企画課長の中村さんも加わり、9人で打合せが始まる。
 今年度、県は新エネルギービジョンを策定しており、僕はその市民WGのメンバーとして参画している。ビジョン策定後、これを具現化する候補地として、現在、藤野町の名前が挙がっている。そこで、地元・藤野町の意向に沿った形で、どのように新エネルギーを導入してゆくかについて、意見を交わしたのだった。まとめとして下元さんが、今後も引き続き、それぞれが意見を出し合い、一つの企画書を作ってゆくことことを提案し、全員がそれを承諾し、6時過ぎに打合せは終了した。
 6時20分頃、藤野駅を出て、7時半頃、町田駅に到着。高原書店へ行き、古本を2冊購入。帰宅して、夕飯として水餃子を食べる。食後、読みかけていた山田秀三『関東地名物語―谷(ヤ)谷戸(ヤト)谷津(ヤツ)谷地(ヤチ)の研究』を読了。これによると、東京はヤ、神奈川から埼玉はヤト、千葉から茨城はヤツかヤチ、栃木や群馬はカイトやガイトが多い。興味深いのは、この原則に外れるところ。1つは、茨城にある夜刀(やと)神社。この周囲はヤツばかりで、ヤトと呼ばれる地名がないのに、なぜか神社の地名はヤトである。もう1つは鎌倉。周囲はヤトばかりなのに、鎌倉の地名はヤツである。この2つは大きな謎であるが、この書は地名分布を明らかにするだけで、何も答えてくれない。誰か、教えてくれませんか。

11月6日(水)

 8時に起き、風呂に入ってから仕事に取りかかる。昨日は休み明けだったので、多くのメイルが舞い込んでいた。昨日のうちに応えられなかった分について、1つひとつ対応する。午前中だけで、メイルを10通近くも書かざるをえなかった。また、11/16-17の「水源環境」シンポジウムでイタリア製のペレットストーブを展示するため、輸入業者と連絡を取るなどしていたら、お昼過ぎになってしまった。
 12時半、自宅を出て大学へ。ほんの少しだけ研究室に寄ってから、2時、自由が丘駅に到着。待ち合わせしていたマリちゃんは、すでに改札口に来ていた。駅前のコンビニで、研究室から持ってきた文献をコピーしてあげてから、「St.Chirstopher Garden」という、白い一軒家で英国風のアフタヌーン・ティーを楽しめる、いかにも自由が丘らしい喫茶店へ行く。ここで、スコーン・セットを食べながら、小浜島をテーマにロング・トーク。数ヶ月に1度のマリちゃんとのトークは、お互いに何か結論を得るために話すわけではないので、まとまりのない話になってしまう。しかし、同じフィールドを別の視点から見ている研究者の意見を聞くことは、自分の視野を広げるのに役立つし、また、瑣末なことも含めていろいろと情報を交換できるので、この時間はとても有意義だ。
 5時半、店を出る。駅に向かう道すがら、互いにプライベートについて話を始めたら止まらなくなって、駅に着いてからも、改札口の前で立ち話を続ける。6時頃、2人で東横線に乗り、武蔵小杉駅で別れる。今日はお袋の誕生日なので、プレゼントを渡すために経堂の家を訪ねようかと思って電話してみるが、不在。登戸駅に着いたとき、再び電話するが、まだ不在。そのまま、自宅に戻ることにする。
 スーパー三和で買い物してから帰宅。あらためてお袋に電話すると、夕方は友人と食事に出掛けて留守にしていたという。お袋にはお袋の世界があるようで。もちろん、息子としては、お袋に自分の世界があることが嬉しいのである。
 お袋がやっている障害者介助の仕事について、最近の状況をつぶさに聞いて、電話を切る。その後、夕食にチャンチャン焼きを作り、友だちと電話してから就寝。 

11月7日(木)

 朝食は、ビーフシチューパスタ。いつぞや作ったビーフシチューを解凍して、パスタと絡めると実に美味い。食後、メイルマガジン「らびっとにゅうず」の編集・発行に時間を充てる。
 昼過ぎ、自宅を出て大学へ。1時半、研究室に到着。大学生協へ行き、注文しておいた図書を購入。最近、少し手元にお金があるからといって、本ばかり買っている。しかし、本を置く場所が、すでになくなっている。
 研究室で、中島成久『屋久島の環境民俗学』を読了。僕は、会社員時代、屋久島の西部林道拡幅計画の環境アセスメントに携わっていたので、興味を持って読んでみたのだ。雑誌に掲載した文章をまとめたものなので、環境民俗学としては深みがないが、これから屋久島を社会学的視点から調査研究しようとするならば、読んでおくべき本だと思う。屋久島の環境史には関心があるけれど、多くの研究者が入っているようなので、学問的には面白くなさそう。
 8時頃、研究室を出て、9時過ぎに帰宅。久しぶりに、キーマカレーを作ってみた。最近、かなり寒くなってきたので、カレーを食べると体が暖まると思ったのに、食後は逆に体が冷えるような感じだ。汗をかくからだろうか。それとも、カレーに大量に入れるトマトが体を冷やすのだろうか。いずれにせよ、冬にカレーを食べても、意外に体は暖まらないようだ。
 深夜、西表に駐在している前田くんからメイルが入った。東大の大地くんと3人で始めた西表島にかかわる研究者ネットワークのメイリング・リスト「iriomonet」が立ち上がったという。西表島を訪れるフィールドワーカーに向けたガイドラインを作ろうなどと計画しているが、これからどんな活動が展開できるだろうか。 

11月8日(金)

 10時頃に起きる。朝食は、昨夜の残りのキーマカレー。食べ終わっても、まだ2食分残ったので、冷凍保存しておく。どんよりとした天気で、午後から雨が降るという天気予報だったので、外出する気持ちになれず、自宅で過ごすことにする。
 家にいると、どうしても市民活動に時間を割くことになりやすい。電話とFAXそれにPCと、自分が思い通りに使える連絡ツールが手元にあるので、仕事がはかどるからだ。今日も、午後は活動に時間をかけた。水源環境シンポで出版物の委託販売をすることにしたので、県税務課、NORA、それに販売をお願いするマルモ出版と連絡調整して片を付けた。しかし、活動の時間を増やすと、研究のための時間は減るばかりで・・・。
 夕食は、一昨日と同じくチャンチャン焼き。僕は、食事にバリエイションを求めないようで、何かに凝ると、そればかり食べる習性があるようだ。夜、新田孝彦『倫理学の視座』を読む。「いかに行為すべきか」という根源的な問いから出発し、絶対的価値を希求するという説き方は、倫理学の初学者にも取っつきやすいが、最終的には腑に落ちないまま終わってしまった。功利主義が問題を抱えていることは分かるが、それを上手く超えることはできないのか。

11月9日(土)

 天気予報によれば、今日はよく晴れるとのことだったので、布団を干し、洗濯機を回す。しかし、昼頃には太陽が雲に隠れてしまったので、結果的には、布団を干すのにあまり良い天気ではなかった。午前中、布団を干ししまうと、外出しても、しまう時間に帰ってこないといけないので、今日も家の中で過ごすことにする。
 2時過ぎ、布団をしまい、3時からは「アントラーズ×ガンバ」をテレビ観戦。いつもなんとなく応援しているアントラーズが2-0で快勝。5時過ぎ、夕食の準備を整えるため、スーパーへ買い物に行く。7時頃、夕食。食後は、友だちと電話するなどして過ごす。不活発な、そして、休日らしい1日であった。

11月10日(日)

 6時半、起床。7時20分、家を出て、小田原方面に向かう。8時半、新松田駅到着。すでに、待ち合わせていた清水さんがいらっしゃった。簡単にあいさつを済ませて、すぐに車で吾妻山緑地まで乗せてもらう。
 今日は、NORAのスタッフとしてやって来た。NORAが県との協働事業のフィールドとしている大井吾妻山緑地で、地元のまちづくり市民団体「コミュニティ研究会」がヤマブキの植樹をおこなうというので、イベントに参加することになったのだ。
 9時に苗木が届き、集まった5人で、緑地内の小径と休憩広場に1本ずつ植えてゆく。植樹する場所には目印となる木を立ててあり、その近くには水を入れた大きなバケツを置いてあったので、1時間もしないうちに約30本のヤマブキを植え終わった。
 植樹作業が終わると、清水さんの「スイセン友の会」のイベントに参加する。この会は、大井町の町おこしを実践するために15年ほど前に設立した「コミュニティ研究会」から派生した団体だ。花となっているスイセンを、まちいっぱいに咲かせようとしており、僕が訪ねた場所では、農家から借りた土地にスイセンを約50種植えていた。隣接する開成町は、アジサイによる町おこしが成功しているので、それに大井町の人びとも大いに刺激を受けているのだろう。
 10時半、スイセンの手入れ作業も終了。その後、「コミュニティ研究会」と「スイセン友の会」のメンバー(多くは重複している)が集まって、ちょっとした慰労会があった。これにも参加して、簡単な軽食をいただく。
 11時半、ビールを飲んで運転できなくなった清水さんに代わり、ほかの研究会のメンバーに新松田駅まで送っていただく。1時半、友だちの部屋を訪ねる。WOWWOWでロバート・デ・ニーロ特集をやっていたので、それをだらだらと見る。夕食に寄せ鍋を囲んだ後、11時半まで過ごす。終電で帰宅。

11月11日(月)

 日付に1が4つ続く日。1年に1回しかないので、意味もなく嬉しい。
 午前中、ビジネスライクなメイルを10通近くまとめて書く。12時前に家を出て、1時過ぎに東京都庁に到着。第一庁舎北42Fの特別会議室に向かう。今日の午後は、ペレットクラブ準備会の会合なのだ。
 1時半、第2回事業者懇談会が開始。参加者は、ペレット生産者(葛巻、須崎、大阪府森林組合、西川地域木質資源活用センター)、ストーブ輸入業者(河西、新栄トレーディング、森のエネルギー研究所、大丸コーポレーション)、国産燃焼機器業者(中西鉄工、山本製作所、サンポット、オリンピア工業、タカハシキカン、ヨシミネ、トモエテクノ)、関係省庁(林野庁、NEDO、環境省)、それに世話役、事務局というメンバーだった。ペレット生産者のツツイ、アグリパワー、ストーブ輸入業者のオリバートレード、国産燃焼機器業者の丸山鐵工所、二光エンジニアリングが欠席されたが、ペレットに関係しているステイクホルダーが一同に会するこの懇談会の意義は大きい。
 今回の会合の中心テーマは、ペレット燃料の品質規格・規準だった。とりあえず、標準化に向けた方向性が示されたが、具体的な項目・数値に関しては、次回以降に検討してゆくことになった。また、ペレットクラブ準備会では、国内で流通しているペレットストーブをウェブ上で一覧できるようにするプロジェクトをすすめており、これへの協力をお願いしたものの、業者の反応はいま一つだった。
 4時半に懇談会は終了。5時からは、事務局会議が開かれた。ここでは、今後の会の方向性について、いつもどおり議論された。現在、ペレットクラブ準備会の方向性は、ペレット関連業界拡大の支援に比重がかけられており、比喩的に言ってしまえば、硬い方向に進んでいるように感じられる。そのあたりが、個人的に違和感を覚えるところなのかもしれない。
 7時半、事務局会議は終了。事務局メンバー同志の飲み会には参加せず、新宿駅から急行電車に乗らず、各駅停車に乗って帰る。電車の中で、アマルティア・セン『不平等の再検討』を読了。講義録をまとめたものなので、分かりやすい。有名な潜在能力(capability)アプローチについて理解するには、恰好の本だろう。

11月12日(火)

 8時、起床。午前中は、朝食をとり、風呂に入り、少しの事務作業をこなしていると、いつの間にやら終わってしまう。12時に家を出て、1時過ぎ、横浜駅に到着。キンコースに寄って、週末に使うパネルを作るため、用意した原稿をA2とB2サイズにカラーコピーをとるようお願いする。続けて、駅前の横浜銀行へ行き、神奈川森林エネルギー工房のキャッシュカードを受け取る。
 2時、NORAに到着。土屋さん、吉武さん、浅羽さん、十文字さん、前田くんとともに、NORAの今後のついて打合せ。この度、新治市民の森の一部が都市公園となることになり、その基本計画のうちの管理運営計画などをNORAが受託したので、主としてこの業務について、意見を出し合った。新治に関しては、もっとも愛着を感じていると思われる吉武さんが、あまり元気がなかったのが気になった。いずれにせよ、NORAの状況を見ていると、ばたばたと忙しそうなので、巻き込まれないようにしないといけない。個人的には、神奈川森林エネルギー工房だけでも、持て余しているのだから。
 6時前、打合せは終了。湘南台経由で戻り、買い物してから、8時頃、帰宅する。家に戻り、羽山信一『野生動物問題』を読み終える。羽山先生とは、週末のシンポジウムでご一緒するので、どのような意見をお持ちなのか、予め知っておくために読んだのだった。森林の遷移によって、そこに生育できる野生動物の個体数が減少することなど、これまで気にしていなかった視点を得ることができた。

11月13日(水)

 午前中、神奈川森林エネルギー工房の広報用パワーポイント・ファイルを作る。今週末に開催される「清里ミーティング2002」で、斎藤さんがスライドプレゼンテーションを行なうことになっているので、そのときに使うものを準備したのだ。今年5月、藤沢市・遠藤で催した出前サロンのときに用意したプレゼンテーション用ファイルをもとに、これを加工して別ヴァージョンを作ってみた。ゼロから作ったわけではなかったものの、完成させるまでに午前中いっぱいかかってしまう。
 12時半に自宅を出て、1時にかながわ県民活動サポートセンターへ。2週間に1度のアルバイトである。今日は、2件の相談者があった。1件目は、お金持ちのお年寄りからの相談。清里の駅のそばに広い土地を持っているので、これを自然体験用のフィールドとして活用するNPOはないかというものだった。もう1件は、中年の男性からの相談で、ハイキングを主催している側の事故対策に関するものだった。休日に自然を楽しむ軽いハイキングでも、事故が起こることもありうる。主催者側として、一応、ボランティア保険に加入しているものの、事故に遭う前の予防策、あるいは事故発生直後の対処としては、どのようなことが考えられるかという相談だった。環境情報コーディネーターのところにやって来る人びとは、予期せぬ相談を持ちかけてくるので面白い。
 6時に仕事が終わり、キンコースに寄って、昨日注文したカラーコピーの完成品を受け取る。7時、荷物を取りにNORAへ行く。まだ、吉武さんと前田くんが残業していた。8時頃、吉武さんは帰るが、その後、仕事帰りの森末さん、山田さんがやって来て、30代の男女にとってのハッピーライフについて語る。10時半、NORAを後にして、12時頃に帰宅。自宅に帰ってきて、どこかにLANカードとマウスを置き忘れてきたことに気付く。おそらく、NORAかサポートセンターに置いてきたのだろう。明日、取りに行かねば。
 LANカードがないので、仕方なくダイヤルアップでインターネットに接続してみる。すでにADSL接続に慣れてしまったので、ダイヤルアップはとても遅く感じる。最近、スローライフ、スローフードなど、スローが流行っているが、僕はせっかちなので、スローなネット環境は、性に合わない。まあ、今晩だけならば、スローライフも我慢できるが。

11月14日(木)

 7時半、起床。今日は10時から、クリーンエネルギー活用検討委員会市民WGがあるという予定になっているので、いつもより早起きしたのだ。打合せ場所はかながわ県民活動サポートセンターと記憶していたが、ひょっとしたら神奈川県庁だったかもしれないと不安になり、8時半、確認のために座長の佐藤さんへ電話してみる。すると、会場について尋ねるまでもなく、打合せそのものが延期されたと知らされる。まさに出掛けようとする矢先だったので、佐藤さんの答えに拍子抜けした。と同時に、もし確認せずにサポートセンターに行っていたら無駄足となっただけに、連絡体制の悪さに呆れる。
 昨日、どこかに置き忘れたLANカードとマウスを早く回収せねばと思い、NORAの前田くんに電話して、事務所にないかどうか調べてもらうことにする。10時過ぎ、その前田くんから電話が入り、NORAにはないことを確認。ならば、サポセンに置き忘れたのだと確信し、電話してみると、たしかにあった。
 11時頃、自宅を出て、12時過ぎにかながわ県民活動サポートセンターへ。11階へ行き、鈴木さんから忘れ物を受け取る。午後は、2時から県庁で打合せがあるので、それまで2時間ほど余裕がある。そこで、これまでじっくり見て回ったことがないワールドポータースで時間を潰すことにする。
 12時半過ぎ、桜木町駅に到着。ワールドポータースへ直進し、まずは、6Fのヨーロピアンはウス&ガーデンでカナダ製ペレットストーブを見る。これは、新栄トレーディングが扱っているエンヴァイロ社のストーブである。次に、横浜舶来館1Fに入っているユーロキッチンに行き、イタリア製のペレットストーブを見る。これは、河西さんが取り扱っているテルモロッシのストーブだ。このように、ワールドポータースは、カナダ製とイタリア製の2種類のペレットストーブを見ることができるという意味で、木質バイオマスにおけるホットスポットでもあるのだ。
 1時半、赤レンガ倉庫で軽食をつまみ、そこから歩いて県庁へ。2時、県庁本庁舎の土地水資源対策課を訪ね、県職の渡辺さん、春山さん、それに緑のダム・北相模の石村さんと4人で、今週土曜日のシンポジウムにおけるフロア討論について、進め方の最終的な確認を行なう。打合せは30分程度で終了。その後、県庁と関内駅の間にあるドトールに寄って、石村さんと1時間ほど雑談。石村さんと別れてからは、本屋・古本屋に寄り道しながら、伊勢佐木町を散歩し、その勢いで桜木町駅まで歩く。そこから東横線に乗って、大学へ向かう。
 6時前、研究室に到着。机の上には、育英会から届けられた封書が置いてあった。開封すると、奨学金の返済方法を記した書類が入っていた。読み始めると気が滅入りそうなので、中身をほとんど読まずに片付ける。
 しばらくしてから、丸ちゃんが研究室にやって来た。週末に日本社会学会で発表することになっている丸ちゃんは、その原稿づくりを進める上で、困っている点があるという。そこで、その問題を一緒に考えてみた。ああだこうだ言いながら2人で考えてゆくと、こんがらがっていた糸が解けて、なんとか問題を解決する道筋をつけることができた。だから、考えることは楽しいのだ。
 9時頃、研究室を出る。武蔵小杉の東急ストアで買い物してから帰宅。夕食は、グラノーラ・フルーツ&ナッツ。Vマークのやつが美味しい。ちなみに、Vマーク商品とは、私鉄系スーパー8社によって共同設立された八社会によって開発されたもので、個人的な経験から判断すると、安くて質の良いものが多いようだ。

11月15日(金)

 一日中、ほとんど寝ていた。今週は月曜日から木曜日まで、いろいろと打合せがあって気疲れした。しかも、明日・明後日は、シンポジウムが控えている。今日ぐらいは思いっきり休んでしまえと思い、ベッドの中で中村太士『流域一貫』を読んだだけで、ほとんど何もしなかった。ちなみに、中村太士先生とは、明日のフロア討論でご一緒することになっている。
 最近、自然科学者の書いた本を読むと、たいてい食い足りないような気分になる。それは、現代社会における科学の位置づけ方が気に入らないからだ。社会の中で科学をきちんと使いこなすために、サイエンス・リテラシーのようなものを、僕らはもっと身に付けるべきだと思う。個人的には、環境政策における保全生態学の位置づけを、時間をとって考えてみたい。

11月16日(土)

 今日・明日は、神奈川県が主催する「かながわ発『水源環境』シンポジウム」がある。神奈川森林エネルギー工房としては、展示・ボードセッションに参加するほか、フロア討論では、僕がコーディネーターを務めることになっている。
 昨晩は日付が変わる前に寝たので、今朝は5時半に起床。風呂に入り、朝食をとり、8時に家を出る。9時過ぎ、石川町駅に到着。シンポジウムの会場となる「かながわ労働プラザ」に到着。
 展示・ボードセッションの会場に着くと、すでに隣のブースでは、自然の問屋の平野さんがせっせと展示物をレイアウトされていた。僕らのブースは、自然エネルギー推進市民フォーラム(REPP)と協力してパネル展示するほか、河西からはイタリア製テルモロッシ社のペレットストーブを展示することにしている。
 9時半になり、今日から2日間お世話になるREPPの戸崎さんがいらっしゃったのでご挨拶する。非常に明るく気さくな方だったので、楽しくやれそうな気がした。10時過ぎ、河西さんが息子さんを連れてお見えになった。運んでいただいたストーブは、重量が200kgを超えるものなので、僕と戸崎さんも一緒になって4人で搬入した。イベントなどで展示するならば、せめて100kg程度の重さじゃないと、手軽に扱えないというのが正直な感想だ。
 11時、午後のパネルディスカッション・フロア討論にかかわるパネリスト・コーディネーターが集まり、最終の打合せ。分科会全体をコーディネートする千葉大の倉坂先生、分科会のパネリストであるアサザ基金の飯島さん、アサヒビールの秋葉さんなどと名刺交換してから、フロア討論の進め方について協議する。昼食をとりながら、コメンテーターをお願いしている日本獣医畜産大の羽山先生と北大の中村先生、コーディネーター役の緑のダム北相模の石村さんと僕、さらに事務局の土地水資源対策課の渡辺さんで意見を交換した。
 1時半、パネルディスカッションが始まる。飯島さん、秋葉さん、さらにグランドワーク三島の渡辺さんがそれぞれ30分ほど事例報告された。アサザ基金とグランドワーク三島の活動には、市民活動のポテンシャルの高さを見せつけられた。3時過ぎにパネルディスカッションは終了。会場のレイアウトを変えて、3時半からフロア討論が始まる。僕は、「社会全体で支える森林・流域管理」というテーマで議論するフロアで、石村さんとともにコーディネーター役を務めた。参加者は50名ほどで、ほかのフロアよりも人数が多く、また参加者の発言も盛んだったので、進行役としては楽だった。羽山先生と中村先生も、フロアでの議論を踏まえて的確にコメントしてくださったので、全体的にまとまりのある討論ができたように思う。ただし、今回はコーディネーターという役回りだったので、神奈川森林エネルギー工房の代表として発言する時間が少なく、あまり木質バイオマスエネルギーについて話せなかったが、少々心残りだった。
 5時半、フロア討論は終了。6時からレセプションが始まる。背広を着た堅苦しいおじさんばかりだ。日大の糸長先生が参加されていたので、今月30日に開かれるシンポジウムについて軽食をつまみながら打合せ。また、『もっともっともーっと神奈川!』を一緒に作った中小企業センターの石田さんも参加されていたので、互いに近況報告するなどした。
 7時、レセプションは終了。会場を近くのホテルに移し、明日のシンポジウム・アピール文作成に向けて、フロア討論の内容を倉坂先生に伝える。8時半、打合せは終了。9時過ぎ、横浜の友だちの家を訪ねる。すでにゲストが2人来ていたので、4人で少しお喋りする。10時半、ゲストの2人は帰る。疲れていたのだろう、家に帰る余力がなく、泊まらせてもらうことに。

11月17日(日)

 7時過ぎ、起床。8時半頃、いったん帰宅し、シャワーを浴びて9時過ぎに自宅を出る。10時半、昨日と同じく石川町にあるかながわ労働プラザに到着。すでに、戸崎さんはいらっしゃっていた。昨日よりも、参加者が少なかったので、ときどき、キリンビールのクイズに挑戦したり、三菱重工業の人からバイオマス循環のための木炭生産のビジョンを説明していただいたり、自分も参加者になった気分で楽しむ。
 12時半、税務課の浅場さんの号令とともに、展示は終了。パネルとチラシを回収してから、出版物の販売コーナーに行く。販売を依託していたマルモ出版から、神奈川森林エネルギー工房発行3部作の販売状況を伺う。1日半で19冊の売上。まあ、良しとしよう。売れ残った冊子を回収して、NORAへ。
 2時頃、NORAに到着。パネル、チラシ、冊子を所定の位置に置いて、すぐに出る。蒔田駅前の弁当屋で昼食をとってから横浜へ。喫茶店で時間を潰し、4時半過ぎ、友だちの部屋を訪ねる。先日、再放送していたサイモン&ガーファンクルのセントラル・パークでのコンサートを見たり、夕食にはキムチ鍋を食べたり。帰宅するのが面倒になったので、今日も家に帰らず。

11月18日(月)

 9時半、帰宅。朝食はトースト。一昨日、シンポジウムの会場で買った藤野町特産の柚子マーマレードを塗ってみた。美味しい。
 朝から十分に食事をとったものの、体が冷えて仕方がない。日なたぼっこを兼ねて、太陽の光が射し込むところで本を読んでいたら、いつの間にか、うたた寝してしまう。でも、目覚めると体が温まっていた。読んでいたのは、小泉良幸『リベラルな共同体』。ドゥオーキンの解説書として読んでみたところ、多少、役に立つ部分があった。これを読了後、突然に本を買いたいという欲求が高まり、ウェブサイト「日本の古本屋」を通じて、古本4冊を発注した。
 夕方、スーパー三和へ買い物に行くが、相変わらず、買いたいものがほとんどない。美味しいものを続けて食べる傾向のある僕は、昨日食べたキムチ鍋を今晩も食べるべく、ニラ、モヤシなどを購入した。だから、今晩もキムチ鍋。昨日と異なるのは、試しにペースト状のゴマを入れてみたところ。ちょっとマイルドになって、タンタン麺のスープのようになる。これは、なかなかイケますぞ。
 深夜、ニュースで、フェイエノールト・小野の芸術的なシュートに感激。やはり、良質なサッカーは美しい。古本屋から届いたメイルに返事を出したり、なんだかんだと時間を浪費し、5時に就寝。

11月19日(火)

 9時過ぎ、起床。週末のシンポジウムの結果を、メイリングリストを通じて報告するなどしていると午前中はおしまい。1時過ぎ、大学へ向かう。2時半、研究室に到着。明後日、大学院のゼミで発表することになっているので、その準備をするためにやってきたのだが、特に研究室でなければやれないことはないので、テキストとなっている立岩真也『私的所有論』を読んで時を過ごす。
 研究室に来るたびに、何か閉塞感のようなものに襲われる。これは、いつも思うことである。そこで今日は、この閉塞感はどこから来るのかと自問自答してみた。自宅の学習環境と比較して分かったのだが、端的に言ってしまうと、研究室における空間は物理的に狭い。これが理由であるようだ。自宅の学習環境と比較すると狭苦しいから、息苦しいのだ。だから、ときどき丸ちゃんやカモちゃんと喋ったり、からかったりしてストレスを発散している(うーん、こうやって自分からのちょっかいを、正当化しても良いのだろうか)。
 8時前に研究室を出て、三和で買い物してから帰宅。外出時に不携帯だった携帯電話をチェックすると、NORAの前田くんから着信があった。何か用事だろうかと思って電話すると、風邪をこじらせて肺炎にかかったのだという。明日の環境情報コーディネーターのアルバイトは前田くんの担当だったので、これを代われないかというのが電話の用件だったのだが、忙しいことを理由に断った。あいにく明日は、明後日の発表にむけて準備しないといけないのだ。前田くん、くれぐれもお大事に。

11月20日(水)

 9時過ぎ、起床。11時、大学へ行くために家を出るが、駅に着いたときに財布を忘れたことに気づき、いったん戻らざるをえない羽目に。部屋に戻ると、昨日、定期券が切れたこともあり、外出しようという気持ちが失せる。というわけで、明日の発表に向けて、自宅でレジュメ作りを始める。まだ、A4で4ページくらいの分量を書こうと思っているのに、まだ半ページも書けていない。これは、徹夜で作業することになりそうだ。そこで、夕寝して夜に備えることにした。
 4時にベッドに入り、7時まで寝る。起きてから、サッカー「日本×アルゼンチン」をテレビ観戦。なにしろ、高原が良かった。また、小笠原も頑張っていた。が、結果は0-2で完敗。アルゼンチンには、それほどチャンスがあったわけでもなかったのに、きっちりと決めるところはさすがだ。
 10時過ぎに家を出て、11時半、研究室に到着。それから朝まで、レジュメ作りに励む。いつも、行き当たりばったりで、切羽詰まらないとやらない、この性格は直らないものだろうか。

11月21日(木)

 7時半過ぎ、レジュメ案が完成。さすがに疲れたので、研究室に置いてあるベッドで1時間ほど横になる。9時頃、起床。レジュメ案を一部修正して、12時にレジュメは完成。ふー。錦に行き、日替わり定食=麻婆茄子定食を食べる。
 1時20分、大学院のゼミがスタート。最初に、土場先生からイントロダクションがあり、3時から僕の発表。先生からは、30分ほどの発表を期待されていたようだが、そんなことは聞いていなかったので、約15分で発表を終える。それから、討論があり、ゼミは4時半に終了。ふー。とりあえず、終わった。
 ゼミ終了後、丸ちゃんからリンゴをもらう。これが、実に美味しい。サンキュー、丸ちゃん。その後、セツさんとカモちゃんとお喋り。「は」と「が」の使い分け方など、日本語学習の難しさについてトーク。
 7時頃、研究室を出て、8時半頃、帰宅。服を着たままベッドに倒れ込み、そのままの体勢でぼーっとテレビを見る。9時過ぎからは、NHK「にんげんドキュメント」。今日は、ノーベル化学賞をとった島津製作所の田中耕一さんの特集だった。自分を産んで間もなく母親を亡くしている田中さんが、エンジニアとして人の生命を救いたいと思うようになったというストーリーは、テレビ用にデフォルメされているだろうが、心を打たれるものがあった。僕のようなひねくれ者からすると、田中さんはナイーヴなエンジニアに見えてしまうが、それは羨望でもある。ある意味で僕も、まだ、ナイーヴに生きられればと願っているのかも。
 11時過ぎ、テレビ朝日「銭形金太郎」を見る。最近、ちょっと気に入って見ている番組だ。内容は、貧乏暮らしをしている素人が2人ずつ出てきて、その暮らしぶりがレポーターによって紹介され、そのどちらかに10万円を渡すというもの。この番組の面白さは、司会のネプチューンや、10万円をどちらに渡すかを決めるゲストなどにあるのではなく、貧乏素人の暮らしぶりにある。これを見ると、「必要は発明の母」という諺を思い出す。貧乏なので必要に迫られて、いろいろと工夫している。僕のお気に入りは、貧乏&アートな暮らしだ。クーラーの絵を描いて暑さをしのいだり、廃品を回収して生活必需品をこしらえたり。でも僕自身は、まずいものは食べたくないし、近くに本がないと落ち着かないから、ある程度はお金が要るだろうなあ。

11月22日(金)

 10時起床。ここ1週間は、なんとなくばたばたしていたので、ここに日記を書く余裕もなかった。だから、まとめて書くことにする。これだけでも、2時間ほどかかってしまう。日記を書くのも、意外に時間がかかるのだ。原稿用紙換算で12枚ほど書いているのだから、これくらいかかるのは仕方ないか。
 古本屋への振込を済ませに郵便局へ行ったのと、買い物に出掛けたとき以外は家に居た。返事を書かないでためていたメイルにリプライしたり、NORAのスタッフと電話連絡したり、夕食は少し時間をかけてポトフみたいな煮込み料理を作ったり。夕食後は、メイルマガジン「らびっとにゅうず」を編集・発行。3時、就寝。

11月23日(土)

 10時起床。朝食をとり、朝風呂に入り、12時過ぎに外出。今日は2時から、中川西地区センターで、日本の竹ファンクラブの打合せがある。しかし、それまでに少しだけ時間的があったので、横浜市営地下鉄・センター北駅で降り、横浜市立歴史博物館へ行く。
 横浜市北部の民俗に関心があることもあり、一度は訪ねてみたいと思っていたので、ちょうど良い機会だった。ただし、ゆっくり館内を回れるほど余裕がなかったので、急ぎ足でざっとながめる。渋沢敬三の企画展「くらしを集めるくらしを探る/Attic Museum 屋根裏の博物館─実業家渋沢敬三が育てた民(たみ)の学問」を見てから、常設展示を見る。細かいところまでこだわって見ていられなかったので、ミュージアムショップで常設展示案内と過去の企画展示図録などを購入した。
 2時過ぎ、中川西地区センターに到着。出席者は、いつもより少な目で7名。代表の平石さんのほか、河野さん、廣内さん、出口さん、平塚さん、藤田さんと僕。おもに、竹林の里親制度と竹の学校構想について話し合った。最近、日本の竹ファンクラブにかける時間が少なく、関わり方が希薄になっているので、スタッフ会議に出ても、今ひとつ当事者意識を持って発言することができない。
 4時半、打合せ終了後、出口さんから相談事を持ちかけられたが、答えられず。5時、あざみ野駅へ。ここからバスで10分くらいのところに住んでいる親父を訪ねようかと思い、電話を掛けてみるが不在。寄り道せずに帰ることに決める。が、途中、町田駅で降り、薩摩黒豚拉麺「からいもん」に寄って、からいもんラーメンを食べる。
 実は最近、町田を通るたびに、このラーメン屋のことが気になっていたのだ。というのは、およそ1ヶ月前、混雑した南武線に乗っているとき、飲んできたと思われるサラリーマン風の男が一緒にいた上司と思しき男性に対し、「からいもんラーメン」がいかに美味しいかを力説していたからである。それ以来、僕の頭に「からいもんラーメン」という言葉がインプットされ、気になっていたのである。
 さて、味はというと、美味しいけれど、大騒ぎするほどのものではないというのが印象である。たぶん、2度と食べることはないだろう。
 帰宅し、8時からベッドで仮眠。12時頃に目覚め、友だちと電話。2時から「フルハム×リバプール」を後半40分頃まで見て、フルハムの勝利が確定的になったところで就寝。

11月24日(日)

 午前中から、スー・ビートン『エコツーリズム教本』を読む。ほとんど得るところがなかった。副題に「先進国オーストラリアに学ぶ実践ガイド」とあるように、エコツーリズムに実践的に関わる人が読むべき本であろう。
 2時過ぎに家を出て、町田で買い物をしてから、4時過ぎに友だちの家へ行く。最近は、市民活動に時間を奪われがちだった生活を改め、プライベートの時間も充実させようと努めている。そうしないと、息苦しくなるし、潤いがなくなるのだ。プライベートの中身については、創造に、もとい、想像にお任せします。

11月25日(月)

 8時起床。11時半、自宅を出て、クリーニング屋に洗濯物を預けてから、大学へ向かう。1時過ぎ、研究室へ。八重山のツーリズムに関する論文を、書き始める。来週末までに、とりあえずの原稿を仕上げなければいけない。しかし、今週は論文作成に充てられる時間をほとんど取ることはできない。いつもどおりのやっつけ仕事になってしまいそうだ。最近、ほとんどの仕事が泥縄だ。これじゃ、人から評価されるわけもない。何かを間違えているのだろうが、どこがいけないのだろうか。
 7時過ぎ、研究室を出る。帰り道の途中、武蔵小杉の東急ストアで買い物。マルサンの豆乳とグラノーラを購入。9時過ぎ、帰宅。何気なく点けたテレビで、日本の小型沿岸捕鯨を取り扱った番組が放映されていたので、そのまま最後まで見る。これは、面白い番組だった。純粋な好奇心から、クジラの解体現場を見てみたい、ハリハリ鍋を食べてみたいと思った。小型沿岸捕鯨に関して興味をひかれる問題は、日本沿岸のミンククジラが増加して、餌となっているサンマ、ニシンなどの漁獲高が減っていることを理由に、日本政府がこれの商業捕鯨を再開するよう求めているということである。捕鯨問題は、環境と文化を考える上でもユニークなので、時間を作って、じっくり考えてみたい。
 10時から夕飯の用意。今日は、タマネギ、ニンジン、ジャガイモ、ソーセージを牛乳で煮込んでみた。コトコト煮込んでいたが、沸騰させて牛乳が分離してしまった。見た目は呉汁みたい。味は悪くないけど、やはり小麦粉を入れて、ホワイトソース仕立てにした方が良かったみたい。

11月26日(火)

 8時過ぎに起きて、11時半に研究室へ。それから夕方までは、ひたすら校正作業。今日も、研究室のゼミには出席できない。
 先週の土曜日、今月刊行される予定の『開発と環境の文化学』(榕樹書林)に収める論文「竹富島と小浜島の比較環境史」第2校が返ってきた。編集作業をお願いしている国書サービスの割田さんに、今日中に校正して郵送すると約束したので、意地でもやらねばならない。送られてきた2校には、割田さんから丁寧なコメントを付けていただいたので、それをもとにして校正する。今さら記述内容を変えるわけではなく、字句を統一するなどの細かいことだけなので、あまり時間がかからないと思っていたが、大間違い。休みを取る余裕もなく、4時半までひたすら校正。そして5時前、郵便局に駆け込み、約束どおりに送付する。しかし、郵便局員によれば、最終の集配が終わったので、結果的には、明日の朝に郵送するのと同じになるという。そうと知っていれば、もう少しゆっくり作業できたのに・・・。
 6時半、研究室を出て渋谷駅へ向かう。7時、待ち合わせしていたエコデザイナーの中川さんとともに、駅ビルの中にある喫茶店へ。中川さんには、神奈川森林エネルギー工房の活動内容を象徴的に表現する絵を描くように依頼している。今晩は、そのイメージのすり合わせのために会合をもった。およそ2時間半、夕食もとらず、まじめにトークする。
 10時前、喫茶店を出て井の頭線に乗る。下北沢駅で中川さんと別れると、ここで途中下車し、少しばかり散歩。12歳から27歳まで、ずっとこの駅を経由して通学・通勤していたので、シモキタは僕がもっとも好きな街なのだ。ここ5年ほどは、疎遠になってしまったものの、相変わらず親近感がわく街である。散歩ついでに、インド・パキスタン料理店、というかカレー食べ放題のお店「2×2=8」(こう書いて「ににんがよん」と読むらしい)で夕食をとる。
 11時半頃、帰宅。西表島に駐在している立大の前田くんからメイルが届いていた。彼が雑誌『国立公園』に書いたエコツーリズムのレポートが、関係者の間で波紋を呼んでいるとのこと。早く読んで感想を伝えないと。

11月27日(水)

 今日は、2週間に1度のアルバイトの日である。当初、この仕事を引き受けたときは、時間的な制約が少ないという印象だったけれども、ここ数ヶ月は精神的なゆとりがまったくないので、アルバイトに入るのが億劫である。
 9時過ぎから午前中いっぱいかけて、今晩のバイオマスサロンに向けて準備する。忙しいときには、レジュメを作ったり、資料を用意するのも、大きな手間に感じられる。
 1時、かながわ県民活動サポートセンターへ。朝から食事をとる暇もなかったので、仕事を始める直前にアイスモナカを食べてから、環境情報コーディナーターの仕事を始める。今日は、ハーブ好きの女性がボランティアをやりたいという相談があった。ガーデニング、ドライフラワー、ハーブなどの視点から自然環境に目を向ける人もいる。こういう人が、野外で実践的な活動をおこなうとき、生物多様性という視点と、どのように折り合いをつけてゆけばよいのだろうか。1つの大きな問題となる可能性があるだろう。
 6時、アルバイト終了。7時、神奈川森林エネルギー工房のバイオマスサロン(運営委員会)を始める。出席者は、土屋さん、斎藤さん、佐々木さん、辻本さん、前田くん、それに僕。最近1ヶ月間の活動報告のほか、次年度の事業計画について話し合った。木質バイオマスエネルギーをすすめる活動をおこなっていて思うことは、この分野には広大なフロンティアがあるにもかかわらず、そこを前進してゆくには力が不足しているということ。ここで真剣に事業を展開するならば、たくさん勉強しなければいけないことがある。しかし、そのために時間をかけられるほど、経済的なゆとりはないなあ。
 9時半、サロン終了。辻本さんと共に「横浜家」でラーメンを食べ、10時半過ぎに横浜駅を出る。11時半頃、帰宅。

11月28日(木)

 8時、起床。朝風呂に入ってから、土曜日のシンポジウムで配布する報告用レジュメを作り始めるが、途中で投げ出す。12時過ぎ、大学へ。
 一昨日、研究室に来たとき、日本育英会奨学金の継続希望を申請するよう警告をもらったので、大岡山キャンパスにある厚生課に行き、必要な手続きをとる。研究室がある緑が丘キャンパスから大岡山キャンパスへ自転車で移動するあいだ、真っ黄色に色づいたイチョウ並木の美しさに目を奪われた。東工大にあるイチョウの中には、だいぶ葉を落として、寒そうに木肌をさらしているものもあるが、ここのイチョウ並木は美しく黄色に染まり、通り過ぎる者の気持ちを晴れやかにさせる。人通りが少ないので、喧噪にとらわれず、黄色のシャワーを体一杯に受け取ることができる。どこからやって来たのか、趣味の良さそうなおばさんがイーゼルを立てて水彩画を楽しんだりしている。なんとも羨ましく、また、小憎たらしい。
 3時、土場ゼミ「現代社会とリベラリズム-私的所有と自己決定」に出席する。今日は、丸ちゃんが発表する当番であり、10枚を超えるレジュメを作ってきていたのに、議論がつっかえてしまい、予定の半分も終わらなかった。いやー、重苦しい雰囲気で3時間も議論すると疲れるわい。
 ゼミ終了後、土場先生と今後の研究方針について打合せ。とにかく、論文を書いて雑誌に投稿するよう言われた。それは、よ~くわかっているのだけれど・・・。なんで、そのために時間を作れないのだろうか。プライオリティの付け方が間違えているのだと思う。
 6時半過ぎ、研究室を出て、7時過ぎ、かながわ県民活動サポートセンターへ。今晩は、ストップ温暖化ネットワークの打合せ。来月14日に予定されているイベント「ストップ温暖化のつどい」について協議した。この打合せも、かなり暗い雰囲気の中でおこなわれたので、時間は短かったのに、ひどく疲れた。
 9時、打合せは終了。横浜駅の地下街にある中華料理店で夕飯を食べるが、美味しくない。11時過ぎ、帰宅。
 メイルを確認すると、西表にいる前田くんから、物議を醸しているという『国立公園』の記事が届いていた。読むと、たしかに西表島のエコツーリズムに対して批判的なことが書かれている。しかし、すでに僕も同じようなことを書いたり、言ったりしているし、雑誌『ソトコト』にも批判的な記事が掲載されたこともあるから、今さら何が問題となっているのだろうと思った。とりあえず、前田くんには、これまでどおり、事実を書いてほしい。
 今日は、全体的に鉛色だった。昼間に見たイチョウの黄色だけが、バックの青空に映えて、鮮やかだった。

11月29日(金)

 朝起きてすぐに、明日のシンポジウムに向けて発表用レジュメを完成させ、日大の糸長先生にメイルで送る。しかし、まだやるべきことがある。明日は、パワーポイントを使用するので、そのためのファイルを用意して、CDに焼かなければいけないのだ。自宅ではCDに焼くことができないので、大学へ行くことにする。1時半、研究室に到着。
 ところが、研究室にあるPCは使い慣れていないので、簡単な作業を済ますのにも、えらく時間が掛かってしまう。とてもいらいらするので、家に戻って慣れた環境でファイルをつくることにする。そこで、糸長先生に電話して、CDではなくノートPCを持参することを告げて、了承を得る。結局、時間だけが経過して、何も進まなかった。
 9時前、自宅に戻るが、すぐには作業に取りかかれない。今日の午後を無駄にしたので、心の切り換えができないのだ。夕食をとってからベッドに横になったりしていると、12時過ぎになる。日付が変わって、やっとやる気が出てくる。2時、パワポ完成。うーん、はかどらなかった。

11月30日(土)

 11時過ぎ、自宅を出て、小田急線を江ノ島方面に下る。六会日大駅で降り、12時、日大湘南キャンパス(生物資源科学部)の正門へ。すぐに、糸長先生がお出でになって、今日のシンポジウムの会場がある大きなビルに案内される。そのビルの入口で、デンマーク「風のがっこう」主宰ステファン・スズキを紹介され、ご挨拶する。
 ここの日大湘南キャンパスに来たのは3年ぶりである。前は、林学会のセミナーに参加するために来たのだった。しかし、キャンパスの様子は一変していた。東工大と比べるまでもなく、豪華な建物が並ぶキャンパスとなっていた。やはり、日大はお金持ちだ。僕は、国立大学に合計9年間居るわけだけど、もしこういうキャンパス内で生活していたら、人生も変わっていたと思う。それくらい、学習環境が違い過ぎる。
 地下の学食に案内され、そこで昼食をとる。今朝は、野菜鍋を食べてきたので、軽くミートソーススパを食べる。手早く昼食を済ませると、次はシンポジウムを主催する生物資源科学部の学部長などと挨拶。このとき、糸長先生らが最近出した本と講師謝金をいただく。昨日、糸長先生と電話したときには、謝金は出せないと聞いていたので、予定外の収入に頬が緩む。少しの間、学部長らと懇談すると1時近くになったので、シンポジウムの会場となる大講堂へ案内される。500人を収容できる講堂に、集まった人は100名くらいだった。
 1時過ぎ、いよいよ国際公開シンポジウム「持続型社会構築のための自然エネルギー」スタート。総合司会を務める河野先生の挨拶のあと、1時間半ほど、ステファン・スズキさんによる基調講演があった。10分程度の休憩をはさみ、3時頃からパネルディスカッションへ。司会は糸長先生で、パネリストは、ステファン・スズキさんと、バイオマスに詳しい木谷先生、それに僕であった。進行形式は、木谷先生と僕が10分ほど話をしてから、フロアからの質問にパネリストが次々と答え、最後にまとめるというもの。総合討論の時間がなかったけれど、自分としては、短い時間の中で言いたいことを言えたように思う。
 4時過ぎにパネルディスカッションは終了。プレゼンに使ったノートPCを片付けていると、若い男性が数人近付いてきた。皆、僕の発言のどこかに触発されてくれたようだ。「これからも頑張って下さい」、「期待しています」などと、声を掛けてくれる。
 振り返れば、先月の学会セミナー、2週間前の水源環境シンポ、それに今日と、人前で話すことが続いていた。そのたびに、今日のように嬉しい反応があった。心を込めて話をすると、やはり何か通じるものがあるようだ。この世も捨てたもんじゃない。
 シンポジウムが終わると、糸長先生の案内で、キャンパス内にある生物環境科学研究センターを見学。見に行ったときは、ストローベイルハウスをつくるワークショップが、ちょうど終わるところだった。学生と近所の方など、およそ30名ほどが集まっており、活気があった。いわゆる市民参加型のワークショップという手法には、創造性を生み出す大きなポテンシャルを秘めているように思う。
 5時頃、キャンパスを出て、中央林間駅そばのサイゼリアで夕食。シンポジウムでの疲れがあったので、少量のアルコールを嗜む。7時過ぎ、待ち合わせをしていた佐藤さんがいらっしゃった。9時頃まで、藤野町における新エネルギー導入の打ち合わせ。早急に、木質バイオマスエネルギーの導入提案書を書くように求められる。  9時半、自宅に戻る。論文「竹富島と小浜島の比較環境史」の3校が返ってきたので、すぐに校正しなければいけないのだが、今日は電池切れなので、明日やることにしよう。

TOP(日々の表現)雑記日記(2001/2/8-2003/8/25)

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