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『里山復権』

11月は自宅の引っ越しがあり、学園祭などの秋のイベントがいくつもありと、せわしなくなることは予想されていました。
しかし、まさか、大学の同じ学科で働くかけがえのない2人の先生(新妻昭夫先生、荒井英子先生)が、相次いでお亡くなりになるとは・・・。
時間的な忙しさとともに、気持ちの整理がつかない混乱状態のなかで、生活しているという感覚のないまま時が過ぎ去っていきました。

新妻先生とは専門分野が近いこともあり、研究のこと、職場のことなどについて、よく話し合いました。
今回のコラムでは取り上げる余裕がありませんが、近いうちに、新妻先生の著作を取り上げて、ご紹介するつもりです。
2人の尊敬すべき先生のご冥福をお祈り申しあげます。

さて、今回、取り上げたのは2010年10月に刊行された本です。
名古屋でCOP10が開催されるタイミングを見計らって出したのでしょう。ちょうど、『環境社会学研究』という学会誌に、里山に関する研究動向をまとめた直後だったので、そこに書いた内容が十分であったかどうか確認する意味もあって、この新刊を読んでみました。

まず、書名に『里山復権』とあります。
かなり思い切ったタイトルですが、研究者の間では、1990年代前半から、「里山の復権」「里山ルネッサンス」という言葉が使われていました。
それは、このコラムの初回に取り上げた守山弘『自然を守るとはどういうことか』(→ 書評)が火を付けた里山を再評価する動きを指す言葉でした。
その後、この動きは、生物多様性の観点から、里山の重要性に注目していた研究者や、里山保全を進める住民運動・市民活動とも共鳴しながら広がり、2000年代には多くの行政も後押しするようになりました。
つまり、上からも下からも里山復権が主張され、そのための施策も講じられるようになったのです。

こうした研究動向・社会動向を踏まえると、このタイトル自体に対する驚きはないのですが、それを踏まえて出版社あるいは編者たちが、あえて「里山復権」という言葉を用いたとすると、ようやく、この言葉がリアルに感じられる時代になったということかもしれません。
すなわち、里山のことを本当に大事な資源だと捉えて、これを再評価・再活用すべきだと社会に理解される時代となったのでしょう。

1990年代から本格的に始まった里山への再評価は、当初、都市近郊を中心に展開されていました。
それが、次第に地方へも広がっていき、今ではむしろ主役の座は農山村が奪っています。
この運動の重心が変化していくにつれて、当初はリベラル系の環境運動として目されていた里山復権の動きは、地域環境(景観)を守る保守的な運動をも巻き込むかたちで広がってきました。言わば、里山復権は、上からも下からも、右からも左からも支持されるようになったのです。
いやむしろ、そうした方向性を超えて大同団結しなければならないほど、里山は、というよりも、未利用の里山資源を抱える地方は、大きな課題を抱えていると見るべきでしょう。

この本は、2部構成となっており、第1部の「里山の再生と復権に向けて」は総論的な話といくつかの事例紹介で、第2部の「能登半島の人づくりと地域再興」は、能登半島の突端=奥能登で実践されている里山再生・地域再生の取り組みが紹介されています。
特に、金沢大学が廃校を借りて研究と地域交流の拠点を持ち、「能登里山マイスター」という人材を養成していること、そして、このプログラムがどのような効果を上げているのかが描かれています。
金沢大学は、里山ビジネスの可能性を示しながら、里山の資源を活用する人材を育成しており、実際に、本気になって取り組んでいることが現れているようです。

ここで活躍しているのは、博士号を取得しても定職に就けない若手研究者(いわゆるオーバードクター)であり、また、能登の資源を掘り起こし、地域のために動いている人たちです。
かつての私ならば、こうした人びとの活躍している様子を読むと、力と勇気をもらえて、さらに前に進もうという気持ちになったものですが、最近は、少し違う感覚を抱いてしまいます。
それは、光が当たっているところには、必ず陰もあるだろうと考えてしまうからです。

この本には、その陰の部分がきちんと描かれていないように感じます。
今日の里山は経済的な価値を失って、多くは放棄されているわけですが、そこに向かって、それほど思慮することもなく、若者をたきつけているようにも感じてしまうのです。
そして、その若者が失敗したときのことまで、どれほど考慮されているのかと考えてしまうのです。

10年近く前、私が沖縄で調査をしているときのことですが、ある研究者(Aさんとしておきます)と島人と3人で泡盛を飲んでいると、その島人がAさんを怒鳴りつけたことがありました。Aさんは、私が調査をしている島で、調査のかたわら島おこしのようなことをやっており、島人に新しい事業を勧めていたのですが、そのことを厳しく非難し始めたのです。
すなわち、Aさんが持ってきた話に島人が乗って、借金をしてまで何か新しい事業を始めるということだったようですが、もし事業に失敗したら責任を取るのかと、島人はAさんに詰め寄ったのです。

3人とも酔っていたので、それほど気に留めるべきではないのかもしれませんが、私は、ときどき、このときのシーンを思い出します。
そして、私はそんなに財産を持っていないので、むやみに誰かをたきつけたり、そそのかしたりしたりしないよう、気をつけているつもりです。
やはり、人に勧めるならば、勧めたなりの責任を、リスクとして背負う必要があると思ってしまいます。

里山には魅力がたくさん眠っています。
それを掘り起こし、仕事にしていくのは、NORAがやりたいことで、やるべきことです。
それを、ほかの誰かにやってもらうのではなく自分でやること。
奥能登の実践記録を読んで、あらためて私がやるべきことを再確認できました。

中村浩二・嘉田良平編(2010)『里山復権―能登からの発信』創森社.

よこはま里山研究所のコラム
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