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『短歌は記憶する』

この本は私の弟が最近出した短歌評論集です。

これまで、このコラムでは、本や映像を紹介するという体裁をとりながらも、内容について踏み込むことは少なく、私と著者とのかかわりをたどることで、
人が人に出会い、学ぶことについて考えてきました。
しかし、いろいろな意味で、もっとも大きな影響を受け、また受け続けているのは弟だと思います。
この本は、里山とはまったく関係ありませんが、最近私が考えていることと重なることの多かったので、今回取り上げることにしました。

私と弟は1つ違いの年子であり、また幼稚園、小学校、中高、大学と、同じところに通いました。大学では、浪人した私と現役合格した弟が同学年になり、同時に入学し、同時に卒業しました。
このように大学までは同じルートをたどったのですが、その間、私は一貫して弟のことを、まったく性格や趣味などが異なる他者として見ていました。
もっとも違いが顕著だったのは得意科目で、私は物理と数学が好きな典型的な理系で、弟は本の虫で歴史が好きな典型的な文系でした。
すでに、その違いは小学校の頃から現れていましたが、高校生の頃には、苦手分野における弟の能力に圧倒されていました。私にその能力の一部でもあれば・・・と思ったことは何度もありました。
しかし、性格的には合わないことが多く、一緒に住んでいると許せないと思うこともしばしばでした。
特に私が中高生の頃は、家族全体がぎくしゃくしていたこともあり、一つ屋根の下に住むことの苦痛を感じることもよくありました。

弟との関係が良い方向に進み始めたのは、大学に入ってからです。
入学後、さまざまな同期生や先輩などと出会い、家庭内の小さな悩みから解放されていきました。
それとともに弟に対する感情も、反感よりも共感の方が次第に強くなりました。

同期だったので、弟とほぼ同じタイミングで、所属する部・サークル等を、所属する研究室を、そして卒業後の進路を考えます。
もちろん、まったく異なる選択をしたのですが、その1つひとつを何となく共感しながら過ごしていました。
きっと、弟も同様だったように思います。私が芝居に入れ込んでいたときに、もっとも多くチケットを購入して、友だちを連れて見に来てくれたのは弟でしたから。

大学3年の後半、進路を考える時期となりました。
私は、ようやく芝居が面白くなってきたところだったので、これをしばらく続けたいと思い、仕事帰りに稽古場に寄れる会社に就職しました。
その頃、弟に進路を尋ねてみると、進学も就職もしないと答えます。
その答えを、私は当然のこととして捉えました。
子どもの頃から読書好きである一方で社会性に欠ける部分があったので、私も含めて周囲は、弟は絶対に会社勤めができない、小説家にでもなったらよいだろうと考えていました。
大学4年間、弟は体育会系の部活に打ち込み、かつての文学少年の面影が感じられないほど快活で社交的になり、ひょっとしたらサラリーマンになるのではないかと思ったこともありましたが、それは表面的なことであったようです。
予想通り、我が道を行くことにしたのです。

弟は「いろいろな町に住んでみたい」と、フリーターをしながら、岡山、金沢、函館、福島、大分と各地を転々と移り住んでいました。
その間、函館に住んでいたとき、この地にゆかりのある啄木の歌集を読んだことがきっかけで短歌を作りはじめたと、第一歌集『駅へ』(ながらみ書房、2001年)の「あとがき」に書かれています。
この歌集には、「就職しない、定住しない、結婚しない」と心に決め、地方都市に1-2年住んでは引っ越すことを繰り返すうちに、短歌と出会い、人と出会い、「3ない」をやめて結婚し、京都に定住するまでの間に、詠まれた歌が収められています。
その後、第2歌集『やさしい鮫』(ながらみ書房、2006年)を出し、2010年に『短歌は記憶する』が出ました。
『現代短歌最前線新響十人』(北溟社、2007年)『現代の歌人140』(新書館、2009年)などでも、一部の歌を読むことができます)

大学卒業後、私と弟はまったく異なる方角へ向かいましたが、ずっと何かを共有してきたように思います。
そして、時が経ち、現在の立ち位置を確認すると、かなり近い地点から似たようなことを考え、同じような問題に取り組んでいるような気がするのです。
『短歌は記憶する』を読んで、そうした思いをますます強く持ちました。
「あとがき」を、以下に引用します。

短歌は時代を記憶する。人々の記憶をなまなましく封じ込めている。だから、短歌を読むことによって、時代の持つ雰囲気がまざまざと甦ってくるのだ。
その中には、歴史書や年表には残されていないものも多く含まれている。
・・・<略>
現在では何の新鮮味もないことが、当時はすごく斬新なことであったり、今では悪いとされていることが、その時代では普通のことであったりする。
だから、かつての短歌作品を現在の価値観に基づいて裁断するように読んだり、短歌を進化論的に捉えたりするのではなくて、その作品の生まれた時代性を十分に考慮しながら読んでいくことが大切になる。それは、現在の短歌に対して謙虚になることでもあるだろう。

まったくその通り。
最近の私は、この「短歌」を「研究成果」と置き換えて論文を書いたり、「人びとの語り」や「資料」に置き換えて作品をつくったりしています。
また、弟は歌人ですから、言葉に対するこだわりが強いのはもちろんですが、それとともに、言葉を受けとめる側への問題関心、人びとの言葉を生かそうとする価値観、時代とともに変わる場所への興味と不安、変わらない場所から時代を読み解く見方などは、私のそれと非常に近しいものを感じます。
私の場合、それを学問の中で取り組んでみたり、NORAの活動の中で実践しようと試みているのであって、弟の場合は、それが短歌を詠み、短歌を読むことであるのだろうと想像しています。

弟とは普段ほとんど話をしませんが、それぞれの分野で言葉を発し、実践を見せることで、伝わってくるものがあり、会話が成立しています。
あまり器用ではない私たちにとっては、こうした会話が心地よい刺激になっているのだと思います。

松村正直(2010)『短歌は記憶する』六花書林.
よこはま里山研究所のコラム

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