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『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』

3.11東日本大震災から80日ほど経ちましたが、地震・津波による被害は甚大だったため、復興には長い時間を要するしょうし、福島第一原発の事故は収束する気配がありません。
こうした状況において、今回のコラムでは、原発関連図書の中から、大学の同僚・武田徹さんの著作を取り上げることにしました。

今でこそ、私はもっぱら里山をテーマに考えたり動いたりしていますが、学部学生の頃は地球環境問題に関心があり、高校生の頃はおもに原子力発電所について考えていたように思います。
時代の流れに応じて問題関心を変えてきたというより、むしろ周囲の状況に流されてきたと言った方がいいでしょう。

広い意味で環境問題に強い関心を持ったきっかけは、1986年のチェルノブイリ原発の事故でした。
事故後に急速に盛り上がった反原発運動に、私も無関心ではいられませんでした。
高校時代は、家とも学校とも距離感が合わず、ただ、なんとなく生きていたので、「東京に原発を!」「原発を即廃止すべし!」というスローガンは、当時の私に使命感を与えてくれたように思います。

その頃、私が特に惹かれていた3人は、故・高木仁三郎、村上陽一郎、山本義隆でした。
生粋の理系少年だったのですが、科学を批判的に見たり、批判したりする文章をよく読んでいました。
この中でも、広瀬隆とともに反原発の急先鋒だった高木仁三郎の著作には、特に強い共感を持って読んでいました。
普通に出版されている本では飽きたらず、高木が設立した原子力資料情報室に入会し、ときどき配布される会報や小冊子にも目を通していました。

しかし、大学に入る頃になると、1992年の地球サミットに向けて地球環境問題がメディアで多く取り上げられるようになり、チェルノブイリ以降に盛り上がった反原発運動は、徐々に勢いを失っていたように思います。
私も、地球環境問題への関心を強める一方で、脱原発に向けて動かない社会にいら立ちながら、反原発の運動からは遠ざかっていきました。
ただし、地球温暖化、オゾン層破壊、酸性雨など地球環境問題の深刻な実態を知っても、その絶望的な状況に対して何ができるのか、何から取り組めばよいのかわかりませんでした。
そこで、就職を考えるときには、具体的にイメージできる地域レベルの環境問題に携わろうと思うようになりました。

入社してわかったことは、私の関心が、環境それ自体を守ることではないということでした。
動植物を1年中調査している同僚たちは、心の底から動物や植物が大好きで、とにかく現場に出て働きたいというタイプでした。
そういう同僚と比較すると、私には動植物への愛情が決定的に欠けていました。
彼(女)らと自分を比較しながら発見したことは、私は社会に関心があるということでした。

私の問いはとてもシンプルでした。
住宅地や道路やダムなどを造ろうとするとき、その開発行為がある環境を犠牲にしてでもおこなう価値があると、人びとは納得しているのかという疑問でした。
あるバイパス道の建設が予定されている現場に立ったとき、私はこう思いました。
たしかに、ここに道路が建設されれば、渋滞が多少緩和されるかもしれない。しかし、それと引き換えに失われる動植物や景観もある。
この両者を天秤に掛けながら、それでもやはり道路が欲しいと人びとは望んでいるのだろうか。

こうした問いに答えられるように事業前に環境アセスメントを実施するわけですが、その評価書の中からは、人びとの声がほとんど聞こえてきません。
自然科学的なアプローチから、動植物や景観の調査や影響予測はしっかりとおこないますが、社会学的なアプローチは弱く、そもそも、この開発が本当に望まれているのかというもっとも基本的な情報がわからないことが多かったのです。

私は携わっていませんでしたが、会社では電力会社から仕事を受託することが多かったです。同僚は、原発に関係する環境アセスメントにも関わっていました。
高校時代に高木仁三郎に憧れていた頃と違って、会社員時代の私は、脱原発という個人の意志を貫くことよりも、原発誘致やむなしという社会的な合意があるならば、それを尊重しようと考えるようになっていました。
ただ、そこでも気になっていたのは、本当に原発を受け入れる過疎地域では、それを押し付けられたのではなく、自ら望んだのであろうかということでした。
この問いを突き進めていくと、社会が望んだ結果の環境破壊ならば仕方ないことになります。
ただし、私個人としては嫌なので、そういう場合は、できるだけ回避する方策を社会に訴えることになるでしょう。
実際、私がNORAの中でおこなっている活動とは、社会に対して里山を保全しなくていいのですかと、あらためて問いなおしているのです。

さて、取り上げた本の中身を少しだけ紹介します。
この本は、2002年に書かれた『「核」論―鉄腕アトムと原発事故のあいだ』の増補版として先月発行されたものです。
福島第一原発事故の後に書かれた「新書版まえがきにかえて」を踏まえて内容を簡潔に表現すれば、原発の推進派/反対派という立場を超えて、
リスク最小・ベネフィット最大をめざす理性と、他者(特に弱者)への配慮をという願いを込めて書かれた原子力エネルギー利用技術の戦後史、とまとめられます。

私は、武田さんによるこの本の書き方に共感しました。
原発の推進派と反対派が対立してしまう構図に光を当てて、それぞれの問題のとらえ方を変えていけないかと模索するそうした現実的な姿勢に感心しました。
こうした書き方は、双方から批判されるかもしれないので、なかなか勇気が要ることでしょう。
私も武田さんと同様、原発を建設するかどうかのように、何かを社会的に決定する前には、科学と論理を最大限に使用すること、そして、最後に残るわからないことについては決断するしかなく、そのリスクは社会的に最小化すること。もちろん、リスクが弱者に偏在しないようにすること、こうした合意形成の進め方を、少しでも私たちの社会に根付かせたいと思っています。

内容に関しては、核にまつわる史実が多く書かれていて有益ですが、個人的には、「1954年論 水爆映画としてのゴジラ」「1957年論 ウラン爺の伝説」「1974年論 電源三法交付金」「1999年論 JCO臨界事故」がお勧めです。
特に、「1999年論」では、原発とともにある私たちの社会の中で、原発反対をただ声高に主張するだけでは、かえって、社会の中でリスクが増えたり、一部に偏ったりするという指摘は重要です。
一方、「1986年論 高木仁三郎」は、かつて熱心な高木ファンだった私からすると、武田さんの評価が少し辛いように感じています。

福島第一原発事故以降、しばらく原発は増設できないでしょう(逆に社会が増設を許すとしたら、個人的にはかなり落胆するはずです)。
すると、原発に依存せずに済むように、省エネ、自然エネルギー、蓄電の開発を急ぐ必要がありそうです。
段階的な脱原発を現実的に考えることが求められます。
そうした未来を構想するとき、私たちがどういう経路をたどって「原発大国」を選んだのかを知っておくことは大切だと思います。
ぜひ、この本を読んでから、私たちの社会の将来を話し合いましょう。

武田徹(2011)『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』中央公論新社.

よこはま里山研究所のコラム

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