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「社会」を考える3冊

  • 市野川容孝『社会』(岩波書店、2006年)
  • 大塚英志『社会をつくれなかったこの国がそれでもソーシャルであるための柳田国男入門』(KADOKAWA、2014年)
  • 宮台真司『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(幻冬舎、2014年)

2015年の年賀状に、次のように記した。

今年に限らず、私の関心はいつも「社会」にある。


市野川容孝『社会』(岩波書店、2006年では、明治時代に「社会(的)」という概念が日本に輸入されて以降、この言葉が何を意味してきたのか、その系譜を丹念にたどり、社会科学、社会民主主義などの関連する概念についても検討を加えている。そして、今日の私たちがほとんど用いない規範的な意味、すなわち、平等を求める社会連帯的な志向に焦点が当てられている。
なるほど、日本では、社会主義や社会党に良いイメージが持たれていないので、「社会」にこうした意味が含まれていることを忘れがちである。
しかし、ドイツやフランスの憲法には、国は「社会的」なものであるという規定があり、そして、この「社会的」な国家の目標とは、人びとの実質的な平等を可能なかぎり達成することであると理解されているという。


私は何も社会主義や社会民主主義が良いとか、そうした考えに基づく国づくりを目指そうと言いたいわけではないが、市野川の指摘には耳を傾けるべきだと思っている。多くの統計に表れているように、日本各地で地域コミュニティは崩壊し、職場の人間関係も希薄になり、共同体は急速に空洞化している。
そうした状況下で、これからの社会のあり方を考えようとしても、社会を構成する人びとがてんでばらばらな個人の集まりであったら、何からどう考えて良いのかわからないだろう。

社会の不在が問題だ。
この空いた穴をふさぐものとして、NPO・NGOや各種クラブなどが期待されることもあるが、加速度的に進行する個人化に抗える状況ではない。
ネット上のfacebookやLINEなどで繋がっている人は大勢いても、そうしたサイバー空間に安定した「社会」ができるとは考えにくい。

市野川容孝(2006)『社会(思考のフロンティア第II期)』岩波書店.


大塚英志『社会をつくれなかったこの国がそれでもソーシャルであるための柳田国男入門』(KADOKAWA、2014年では、「社会」は「サヨク的」で嫌なのに「ソーシャル」な「つながり」を求める日本の社会が批判的に分析されている。
実際、facebookのようなSNS(=ソーシャルなつながり)では、「社会的な」事柄を発信するのは煙たがられる。
このため、投稿されるのは主として「私語り」で、「ソーシャル」を活用しようとしているのは、ここから収益を上げようという者だけなのかと嘆かれている。

最近、私の知り合いでfacebookのアカウントを削除した人が3人いた。
いずれも意志が強く、社会的な問題への関心も強い女性であるが、彼女たちの気持ちもわかるような気がする。
個人的な近況報告、自分語り、自慢、愚痴などが多く、ここから真っ当な「社会」が立ち上がっていくようには思えず、見る時間に比べて得られるものが小さいと判断したのだろう。

さて、大塚は民俗学者・柳田国男の思想を、思い切ってロマン主義的/社会的と二分し、その中から「社会的な」考え方を「公民の民俗学」として取り出す。
柳田は、私たちは社会問題を解決できるような「社会」をつくれる公民となれるかという問いを抱いていた。
しかし、柳田は名著『明治大正史世相編』を「我々は公民として病み且つ貧しいのであった」と結んでいる。
これは、柳田にとって最初の普通選挙の結果を見て、人びとが空気を読んで勝ち馬に乗ったように思えたので、こう診断したのであった。
柳田はロマン主義に偏ることもあったが、社会を自ら作っていく担い手(公民)を作り出すためのマニュアルを作ろうと実践を繰り返した。
これは、現代的に言えば、公共性を担う市民が育つ仕組み作りと言えよう。

大塚は、柳田の「公民の民俗学」に依拠しつつ、「つながる」ことで満足していては社会を作れないと言う。
たしかに、「つながる」だけでよしとしていては、誰かの考えや価値観などを鵜呑みにして、「空気」による事大主義を肯定するだけになるかもしれない。
だから、自分の考えや価値観を持つことが大事なのだ。
柳田は、戦後の新科目「社会科」を構想する中で、子どもにもわかるように、「まなぶとおぼえるとはちがう。<中略>自分でしらべ、知ろうとすると、人のいうこともわかる」とノートに記した。
私が大学で試みている実践(教育)も、この言葉に要約できる。

大塚は人びとが社会を作ることに、まだ希望を抱いている。
そのために、「自分でしらべ、知ろうとする」ことのほか、ソーシャルメディアを扱うならば、日本におけるソーシャル(人と人の結びつきのあり方)の歴史を学べと言っている。
たとえば、里山に見られる土地や用水を共有する組合組織などの歴史である。
そうした学びから社会を作る手がかりが得られるかもしれない。
(大塚は、『定本 柳田国男集』を古本屋で全巻購入することを勧めている。)
社会を作ろうとすることは、たしかに面倒くさい。
しかし、その努力もしないで、社会の良いところだけをかすめ取ることはできない。
NPOを運営していると、この命題はとても実感できる。

大塚英志(2014)『社会をつくれなかったこの国がそれでもソーシャルであるための柳田國男入門』KADOKAWA.


宮台真司『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(幻冬舎、2014年でも、社会の不在についての深い危機意識が見られる。
先進諸国では、イギリスに典型的に見られるように、第1の道(大きな政府+小さな社会)から第2の道(小さな政府+小さな社会)を経て、第3の道(小さな政府+大きな社会)へと向かうことになるのが、中長期的には必然的な事態だと考えられている。
冷戦崩壊までは、第1の道=左、第2の道=右であったが、今では左右ともに容易に転びやすい状況にある。
どちらも「社会」が小さいので、政府に文句を言いつつも、最終的には政府にすがるしかないというわけである。
ここで言う「大きな社会」とは、人びとが柔軟かつ多様な共助で支え合う社会である。
民主主義の本義に立ち返り、熟議を重視し、人びとが参加し、人びとを包摂する自治(自分たちのことは自分たちで決める)社会である。

しかし、「大きな社会」を目指す上で、日本には固有の問題があるという。
ある国際的な世論調査によると、「国は極貧者を助けるべきか」という問いに対し、ほとんどの国で9割前後が同意したのに、日本は59%と最下位だった。
日本に次いで数値が低かったのは自助文化を持つとされる米国だったが、それでも70%は同意であった。
宮台によれば、「任せて文句を垂れる」だけで自治マインドに欠ける日本では、「自治的な共同体」を作ることができない。
諸外国では極貧者の問題を「自治的な共同体」の危機と捉えるので、社会的な対策が必要と考えるけれども、日本の場合は、自分たちで社会を作っている自覚がないので、この問題が個人の問題に還元されやすいのだという。

自立した共同体→自立した個人→妥当な民主性
依存的な共同体→依存的な個人→デタラメな民主性

つまり、このデタラメな民主性を妥当な民主性に立て直せるかが課題なのだが、ここに自治マインドの不在という問題が、さらにのしかかっている。
それではどうすればよいのだろうか。

宮台は、「任せて文句を垂れる」のではなく「引き受けて考える」文化を育むために、社会構造を設計する必要があると言う。そして実際に、住民投票とワークショップの組み合わせを推奨するアクティビストとしても活動している。
今の時代に必要な方策を講じていると思われる。
こうした動きを大きくしていきたい。

宮台真司(2014)『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』幻冬舎.

あと2ヶ月ほどで、2011.3.11から4年となる。
震災後、私たちは社会のあり方を政府に委ね過ぎていたことを省みて、あらためて社会を作ろうと決意したのではなかったのだろうか。
システムに依存しすぎた暮らしを見つめ直し、あらためてかけがえのない生活世界を守ろうと決心したのではなかったのだろうか。

もう、こんな反省は忘れてしまったのだろうか。
それとも、これから違いが生まれるのか。
私は「社会」を作るために、力を尽くしたいと思う。

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