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書評セッション報告―『地域力の再発見』

第51回環境社会学会大会 書評セッション
岩佐礼子『地域力の再発見―内発的発展論からの教育再考』(藤原書店、2015年)

[日時]2015年6月28日(日)15:45~17:45
[場所]立教大学池袋キャンパス11号館A301

著者解題:岩佐礼子(東京大学)
コメント:菊地直樹(総合地球環境学研究所)、松村正治(恵泉女学園大学)


編集委員会では、学会内に書評をめぐる議論を促したいと考え、昨冬の第50回大会に続いて書評セッションを企画した。今回は、前日に環境三学会合同シンポジウムが開かれ、環境経済学・環境法学を専門とする方々と討論する機会があったので、環境教育学会で高く評価されている岩佐さんの著作を取り上げることにした。

当日のセッションでは、岩佐さんによる30分の著者解題に続き、松村、菊地さんの順で各15分のコメント、さらにフロアも交えて1時間ほど議論した。

岩佐さんの設定する問題の枠組みはこうだ。常に変動する環境や社会が、人間の持続可能性を脅かす。そこで人びとはこうした変動と向き合い、身体を軸とした包括的な知をベースに創造性を発揮し、それぞれの地域を生きてきた。ところが、近代的な教育は、一定の枠組みや条件を前提としているため、現実の生活世界を生き抜くのに必要な偶発的で個別的な人間の創造性を扱えない。国連を中心に上意下達的に推進されてきた従来のESD(持続可能な発展のための教育)も、このような近代科学の制約を免れない。

こうした問題意識から、岩佐さんは社会学者・鶴見和子による内発的発展論――単線的な近代化論への批判としての多系的で地域に根ざした発展論――に依拠して、内発的発展が立ち上がる地域の現場に内発的に生まれるESDが存在すると仮説を立て、宮崎、山形、宮城、千葉でフィールドワークをおこなった。そして、鶴見の言う伝統の4つの型(意識構造/社会関係/技術/感情・感覚・情動)に即して、これらがどう動的に変化するかを捉えることで、地域社会に潜在する力を内発的ESDとして高く評価した。

こうした論旨に対する2人のコメントのうち、ここでは重要な3つの論点を示す。すなわち、①持続可能な社会を目的として議論を組み立てられる理由について、②地域に潜在する内発的ESDの見つけ方について、③偶発的で個別的な内発的ESDは計画論・政策論として展開可能かどうかについて、である。これに対して、①個体としての生命が本来的に持続を目ざしていることを根拠にしている、②最初の調査地だった綾町上畑地区のデータをもとに生活機能を6つに分類した結果、内発的ESDの構造が判明し、以降の調査に応用することで見つけやすくなった、③内発的発展論と同様に非決定論であり、やってみるしかなく、一般化できない、といったリプライがあった。

フロアからのコメントとして、古沢広祐さん(國學院大学)からは、地域の中に見いだせるのはレジリエンスだけではなく、レジスタンスもあるのではという視点が出された。また、岩佐さんの博士論文を指導した鬼頭秀一さん(星槎大学)からは、従来のESDに対する批判として、環境変動・社会変化というダイナミックな中にある地域の持続可能性やレジリエンスに注目した点が評価できるとまとめられた。

最後の企画者とコメンテーターを務めた立場から、このセッションをふりかえりたい。

本書では多様な議論が展開されているため、私は一読して曼荼羅のように感じ、対話が成り立つのかと不安を覚えた。しかし、著者との直接的な対話を通して理解が深まり、論点が明確になった。セッションの企画趣旨に、「一般に、社会学は教育学に批判的であり、方法論上の違いも小さくない。しかし、フィールドワークに基づいて他者理解を考え続けてきた環境社会学ならば、環境教育学的なモチーフを理解し、この間にコミュニケーションの橋を架け、そこから双方にとって新たな視点や論点を得られるのではないだろうか」と書いた。コメンテーターの実感からすると、この趣旨は達せられたように思う。


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