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『答えのない人と自然のあいだ』

5月下旬、私が編集・執筆に関わった新刊が、ようやくできあがりました。
2023年4月から刊行されている「シリーズ環境社会学講座」(全6巻、新泉社)の第4巻です。

  1. なぜ公害は続くのか(藤川 賢・友澤悠季編)2023年4月刊
  2. 地域社会はエネルギーとどう向き合ってきたのか(茅野恒秀・青木聡子編)2023年6月刊
  3. 福島原発事故は人びとに何をもたらしたのか(関 礼子・原口弥生編)2023年9月刊
  4. 答えのない人と自然のあいだ(福永真弓・松村正治編)2025年5月刊
  5. 持続可能な社会への転換はなぜ難しいのか(湯浅陽一・谷口吉光編)2025年6月刊
  6. 複雑な問題をどう解決すればよいのか(宮内泰介・三上直之編)2024年3月刊

企画自体は2020年から動き始めていたので、5年近くの歳月を要したことになります。
巻の順番からすると、もっと早く出版されるべきだったのですが、予定よりも約1年遅れてしまいました。
私の私用や他用を優先したことによる怠慢や、原稿が思うように集まらなかったことなど、複数の原因がありましたが、共編者の福永さんとのあいだで、どのような本を作りたいのかをめぐり、若干の意見の違いがあったことも要因の一つでした。この点について共編者のあいだで一致させることが難しく、私は途中で疲れてしまって、編集者の安喜さんに頼ることになり、大変ご迷惑をおかけしました。しかし、こうして本ができあがってみると、2人の編者の視点が異なるからこそ、より豊かな議論を収めることができたと、ポジティブに捉えています。

私は本書のなかで、序章と第7章を執筆しました。
ここでは序章の内容と本書の内容について、簡単に案内しましょう。

序章「人と自然の関わりをたどり、再考するために」の構成は次のとおりです。
1.「人と自然のあいだ」について考えるための方法論
2.自然とは何か、何が問題か―人新世時代の問い
3.誰にとって問題なのか―多元的な社会的現実からの問い
4.自然は誰のものか―コモンズ論からの問い
5.誰がどのように関わるのか―環境ガバナンス論からの問い
6.本書の構成

1.では、鳥越皓之さんらの生活環境主義や鬼頭秀一さんの社会的リンク論に触れながら、日本の環境社会学が、どうすれば環境問題を解決できるのかという実践的な問いに導かれて方法論が検討されてきたことを紹介し、人間と自然の関係のあり方についても、これを抽象的・理念的に問うのではなく、個別具体的なフィールド調査にもとづき、問題の解決に向けて知見を蓄積してきたという特徴を説明しました。
2.では、日本の多くの自然は人間の手が加わった里山的な自然であって、人間と自然を分けることが難しいことや、人新世の時代では「自然」に還ることが困難になっている状況を踏まえ、自然を守ることとつくることの境界が曖昧となるなかで、私たちは目ざすべき自然を両者のハイブリッドによって探ることになると述べました。
3.では、自然の価値は客観的に決まらず、人びとの意味づけによって「複数の自然」が共在すること、さらに、この社会的現実の多元性が問題解決の難しさを示す一方で、複数の自然の交差する要所に働きかければ、問題をまとめて改善できる可能性も開かれていると解釈し、「日本の環境社会学では、前者の困難性を認識したうえで、後者に希望を見いだすことで解決策を探ってきた」とまとめました。
4.では、コモンズ論を頼りに、「自然は誰のものか」という問いが、所有関係の固定的な理解に揺さぶりをかけ、この絶対的と思われる関係を歴史的に捉え直すことで、「人間と自然のあいだ」の別様の関係を提起できると説明しました。
5.では、「人間と自然のあいだ」を誰がどのように決めるのかという問いに答えることが難しいこと。望ましい自然像自体が、歴史的・社会的文脈に依存することを踏まえると、順応的ガバナンスの考え方が注目されること。さらに、問題解決のために資源調達が困難となるなかで、目的の共有がなくとも協力可能な社会関係の構築が求められており、そこに環境社会学の知見が重要となることを主張しました。

ここでの議論には、私の独自の見解はほぼ含まれておらず、日本の環境社会学の成果の中心をまとめたに過ぎません。私は、高校を卒業したばかりの学生さんを読者と想定して教科書的に書いたので、このような内容でよいと判断しました。

6.は本書の構成を説明した節ですが、全体の概要説明になるので、目次のあとに転載します。

目次
序章 人と自然の関わりをたどり、再考するために(松村正治)

I 私たちは自然とどう関わってきたのか
第1章 私たちはどんな自然をまもろうとするのか——未来の人と自然の関わりをどうやって考えるか(富田涼都)
第2章 野生とは何か——アフリカゾウ獣害問題にみる「管理された野生」の矛盾(岩井雪乃)
第3章 「単一種の森」の荒廃と日本の森林保護のゆくえ——「造られた自然」をめぐる統制の崩壊(大倉季久)
第4章 河川の災いを豊かに生きる(金子祥之)
コラムA 野生動物との押しずもう(閻美芳)

II 自然との関わり方をどう手探りしているのか
第5章 雑草から見つめ直す人と自然の関わり——都市における市民農業の福祉的展開(松宮 朝)
第6章 知らない海と共に生きる(福永真弓)
第7章 自然との関わりを通して「欲しい地域」を生み出す——里山保全運動が目指したコモニング実践の先へ(松村正治)
コラムB 自然再生と福祉をつなぐ——麻機遊水地での取り組み(西廣 淳)
コラムC 地域・資源再生を担う新たな森林利用(平野悠一郎)

III 自然と社会の関係をいかに結び直していくのか
第8章 グローバライゼーションと食の風景——食流通がかたちづくる地域の風景(大元鈴子)
第9章 つくられる自然——ゲノム編集の「自然さ」から考える(大塚善樹)
第10章 所有権社会における人間と自然の関係とその変容(池田寛二)
コラムD グローバル・コモディティの環境社会学を構想する(寺内大左)

終章 私たちはいかに自然を構想しうるか(福永真弓)

(以下、序章の6.から転載)

第I部「わたしたちは自然とどう関わってきたのか」では、人間と自然の関係史をたどることで、私たちの自然観を問い直す論考が収められている。第1章では、自然再生という自然を守ることと自然をつくることが重なる領域において、未来の自然をどう描き、その自然とどう関わっていくべきかについて、三方五湖(福井県)の事例を通して考える。第2章では動物保護政策によってアフリカゾウが増加し、そのゾウに人間生活が脅かされ、住民が殺されているタンザニアの獣害問題が取りあげられる。「野生」がグローバルに価値づけられることで地域社会が翻弄されてきた経緯をたどり、野生とは何かと深く問いかける。第3章では、世界的には森林減少が問題となっている一方で日本では森林飽和といえる現状について、国内の多くの森林が「つくられた自然」であることを確認し、森林・林業政策を支えてきた特殊な思考の危うさが指摘される。第4章では、自然が人間に恵みが与えるばかりではなく、ときに災いをもたらすことを踏まえ、長瀞町(埼玉県)で荒川の洪水時におこなわれていた特別な漁法に着目し、災害と付き合ってきた文化を地域防災に活かすヒントを探る。また、コラムAでは、サルやシカなどに日常生活を脅かされている栃木県の山村集落を例に、住民が知恵と工夫を凝らしながら野生動物と駆け引きし、人口減少や獣害の増加といった時代の趨勢に抗う姿を描く。

第II部「人と自然の関わりをどう手探りしているのか」では、適切な「人と自然のあいだ」を求めて実践されている各地の事例から、参考になる視点、論点、課題などが示される。第5章では、人間との関わりから生み出され、管理することが大変な雑草に焦点を当てる。名古屋圏の市民農業の事例をもとに、雑草は管理を必要とするからこそ、高齢者、障がい者、外国人などの参加を促し、多様な福祉的な活動へと展開している様子が描かれる。第6章では、気候変動によって深刻な影響を受けている第一次産業のなかから、須磨浦(兵庫県)の漁師たちが試行錯誤している営みに着目する。海の生きものや海洋環境の記憶を手かがりに、「知らない海」と生きる方途をさぐる姿から、環境ガバナンス論に加えるべき新たな視点を見いだす。第7章では、地域の自然と適切な関係を結ぶ社会のあり方を探るために、日本の里山保全運動の歴史をたどり、今日直面している困難を分析することから、人びとが自然をいかす仕事をつくり、自分たちのコミュニティをつくっていく道筋を考察する。さらに、2つのコラム(C・D)では、地域環境の保全・再生が、新たな担い手の参加によって魅力的に展開されている例が紹介される。麻機遊水地(静岡県)では、福祉や教育を主目的とした活用が進むことで、地域の企業や福祉NGOが多数参加するようになり、結果的に自然再生につながっている。また、マウンテンバイクやトレイルランニングといった新たな森林の利用形態を例に、土地所有者・生活者と外部者とが連携して環境ガバナンスをになっていく可能性が示される。

第III部「自然と社会の関係をいかに結び直していくのか」では、グローバル化や科学技術の急速な進展により、人間と自然の関係が複雑化するなかで生じている現代的な問題が取りあげられる。第8章は、食品流通のグローバル化によって地域の風景が一変する現実を報告するとともに、ローカルな認証制度が地域の自然をいかし、自律的な社会をつくっていく可能性を考える。第9章では、遺伝子組換えからゲノム編集へと進んできた農業バイオテクノロジーが取りあげられ、制度的に「自然」とされる領域が拡大している現実をもとに、自然であるとはどのようなことかと問いかける。第10章では、地球規模の環境危機が深刻化するなかで、人間と自然の関係を根本から問い直すために、私たちが絶対的に保護されるべきと認識している所有権に注目する。土地の境界設定は所有権によって正当化されるが、これをイデオロギーとして批判的にとらえるトマ・ピケティの議論を参照し、公正な所有権の構築に向けて議論する。また、コラムBでは、インドネシア東カリマンタン州において、福島原子力発電所事故とも関連する石炭の露天掘りが熱帯林に暮らす先住民社会に影響を与えている例を引き合いに、グローバルに取引される原材料や商品の採取、生産、消費、廃棄の相互関係を視野に入れた環境社会学の必要性が主張される。

このように長く紹介したのは、ほかでもありません。読んでいただきたいと強く願っているからです。
いくら時間をかけて本を作っても、読まれなければ無意味です。
もし読まれたならば、ぜひご自身のSNSなどを通して、どんな内容でもよいので情報を発信していただければと思います。
本書は、環境社会学の成果を一方的に伝えるために書かれたものではなく、お読みなった方が新しい知を生み出すために書かれたものです。
本書をお読みになって感じたことや考えたことがシェアされたり、対話を生んだりするなかから、豊かな知が生み出されればと思い、書かれたものです。
相手を論破するための知ではなく、相手との違いを認識しながら、多くの人びとを包み込む社会づくりのための知に、少しでも貢献できればと祈っています。

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