第3回・第4回のコラムでは、私が里山保全活動を始めてから出会い、大きな影響を受けてきた倉本宣さんと中川重年さんについて、いくつかの著書を紹介しながら、おふたりとの出会いを記しました。
振り返ると、このように里山や雑木林をキーワードとしてつながった方々の影響は確かに強いものがあります。
しかし、現在のようなNPOに関わる生き方に向けて、最も大きなインパクトを与えたのは、おそらく鬼頭先生の『自然保護を問いなおす』だと思います。
この本との出会いが1つのきっかけとなって、4年間勤めていた会社を辞めて、勉強しよう、フィールドに出ようと思うきっかけを与えてくれたのですから。
私が大学に入った1989年は、ベルリンの壁が撤去され、資本主義陣営と共産主義陣営による冷戦が終結した年でした。
しかし、冷戦が終わって平和な世の中になると思いきや、今度は地球規模の環境問題への関心が高まるようになりました。1992年にリオ・デ・ジャネイロで地球サミットが開催され、地球環境問題こそが世界中の人びと考えるべき課題であるという機運で盛り上がりました。
1986年に起こったチェルノブイリ原発事故以降、エネルギーや環境の問題に関心を持っていた私も、社会のムードに乗せられ、地球環境問題に関心を深めていました。
しかし、学生時代の私からすると、問題があまりに大きすぎて、どこから取り組んでよいのかわかりませんでした。
そこで卒業後は、民間の環境コンサルタント会社に入り、具体的な道路やダムの建設が自然環境に与える影響を調べたり、野生動物の交通事故を減らす工夫を考えたり、自治体の環境基本計画づくりに関わったりしていました。
3年が経過した頃から、仕事をこなしていく自信はつきました。
しかし、たまにゆっくりできる時間が空くと、環境の問題について考える基本的な構えが、自分の中に備わっていないことを不安に思うようになっていました。
考え方、もう少し広く言うと生き方の軸がはっきりしていなかったので、仕事をしていても、十分な手応えを感じられなかったのです。
そんな風に過ごしているときに、この本を読みました。読後の感想は、自分が考えたいことを考えている人がいる!でした。
コンサル時代にしっくりこなかったのが第三者的な自分の立場でした。
たとえば、道路建設にともなう里山の自然への影響を調べるようにとある自治体から委託された仕事がありました。調査の結果、オオタカ、ゲンジボタル、トウキョウサンショウウオなど、里山生態系を構成する貴重な生き物に影響が出ることがわかりました。この結果を踏まえて、私は第三者としての立場から、環境保全策を考えてレポートを書きました。
仕事としてはそれでよかったのです。
ただし、私がこだわりたいことを考えずに済ませているような気がしていました。
つまり、人が自然を破壊しつつも生活の利便性を上げようとすること、その相克こそを考えたかったのに、生き物について詳しくなるばかりで、暮らしの豊かさや生活の質について理解を深めることがなかったのです。
その点、この本では、あくまでも人の視点に立って自然との関係性について議論していました。
人と自然を切り離す傾向の強かった欧米の環境思想を紹介しつつも、それを日本の事情に合わせて、人びとの生業や生活の視点から批判的に捉え直している点が新鮮でした。特に、人と自然のかかわりについて、生身の関係/切り身の関係という分かりやすい概念で説明する部分は、かなり興奮しながら読んだ覚えがあります。
さらに、そうした理論をもとにして、白神山地における自然保護問題が考察されており、フィールドに出ることの面白さも伝わってきました。
今思えば、人と自然とのかかわりを大切に考えるという点で、里山の環境思想を強く主張した本だったとも言えるでしょう。
会社を辞めて大学院に入ると、この本を書いた頃には青森公立大学にいた鬼頭先生が、東京農工大学へと移ってこられました。
そこで、私は鬼頭先生と連絡を取り、ときどきゼミに参加するようになりました。さらに、沖縄県八重山諸島でフィールドワークを始めるきっかけもいただきました。
また、現在、私は恵泉女学園大学に職を得ていますが、このポストは鬼頭先生が東京大学に移られて空いたために、めぐってきたものでした(鬼頭先生は、青森公大→農工大→恵泉女大→東大と職場を移られています)。
このように、この本に感激して鬼頭先生と連絡を取ったことが、私の現在の位置に大きな影響を与えたのでした。
最後に、鬼頭先生が編集された本を紹介します。
鬼頭秀一編『講座人間と環境15 環境の豊かさをもとめて―理念と運動』(昭和堂、1999年)では、自然を守るとは、環境を守るとはどういうことかを、社会学者や人類学者たちがフィールドワークをもとに議論しています。また、鷲谷いづみ・鬼頭秀一編『自然再生のための生物多様性モニタリング』(東京大学出版会、2007年)では、保全生態学で有名な鷲谷いづみ先生とともに、文系・理系を超えた学際的な研究によって、人も自然も元気になる方策を検討しています。