しばしば里山は、人と自然が共生してきた景観として、理想的にイメージされますが、実際はどうだったのでしょうか。
あるいは、もっと一般化して、日本人は自然と調和して暮らしてきたと言われることがありますが、本当にそうだったのでしょうか。
こうした問題意識から、近年、日本列島の環境史を明らかにする研究が盛んです。
(代表例として、シリーズ『日本列島の三万五千年―人と自然の環境史(文一総合出版』)があります。)
最近の研究成果によれば、そうしたイメージは正しいとは言えず、地域や時代によって大きく変化してきたことがわかっています。
今回取り上げた本の副題は、「百五十年前の植生景観の再現とその後の移り変わり」。
江戸末期から現在にいたる植生景観の変化を、鎌倉・横浜などを中心に明らかにしています。
NORA的にはおなじみのこうした地域が調査地に選ばれているのは、明治期に撮影された写真や当時の資料が豊富にあるので、植生景観を比較的復元しやすいからです。
この本を読んで、近代以降の植生の変化をたどりやすい地域を拠点にしてNORAが活動していることを実感しました。
この本は、全体を通して読んで面白いとは言えません。
これまでに発表された論文や報告を寄せ集めたために、いささか散漫な印象を抱きます。
それでも、ある地域の過去の植生を調べようと思ったときに、参考にするための本として有益です。
導入部に、植生景観史を学ぶ上での必要最小限の情報が、Q&A形式でまとめられているので便利です。
また、明治期には社寺林がマツの疎林だった例をいくつか示し、何百年も姿を変えていない鎮守の森というイメージを覆すことで、この学問分野の魅力を伝えることに成功しています。
実際に、自分で明治期の植生景観を調べるときに重要な地図として、旧日本軍が1880-86年までに関東地方一円を現地踏査し作成した2万分の1の地形図、すなわち「迅速(測)図」があります。
これは、現在、農業環境技術研究所のホームページ「歴史的農業環境閲覧システム」から閲覧可能です。
また、迅速図の復刻版が日本地図センターから「明治前期測量2万分1フランス式彩色地図」として、出版されています。
さらに、戦後から現在までの景観の変遷については、国土地理院のホームページ「地図・空中写真閲覧システム」で画像データを検索・閲覧できます。
なお、著者の一人である原田洋氏が著した本として、原田洋・磯達宏『マツとシイ―森の栄枯盛衰 (現代日本生物誌 6)』(2000年、岩波書店)があり、読み物としてはこちらの方が楽しいです。
また、西日本の植生景観史については、小椋純一氏の研究が知られています。(『絵図から読み解く人と景観の歴史』(1992年、雄山閣出版)、『植生からよむ日本人のくらし―明治期を中心に』(1996年、雄山閣出版)、『森と草原の歴史―日本の植生景観はどのように移り変わってきたのか』(2012年、古今書院))
原田氏も小椋氏から影響を受けたことが謝辞に書かれています。
冒頭に述べたように、近年の研究成果によって、日本列島の環境史については、だいぶ明らかになってきました。
また、古い地図や空中写真をインターネット経由で閲覧できる時代になり、以前と比べて私たちは地域の景観史を調べやすくなりました。
近代以降の、しかも横浜周辺の植生景観史は、その気になれば、詳しくたどることができます。
しかし、地域の環境史を学ぶ上で大切なことは、そうした過去を現代に、あるいは将来に、どう生かすかだと思います。
いやむしろ、今後の地域環境のビジョンを考えるために、歴史を冷静にふり返ることが求められるのでしょう。
そうしたときに、この本ははじめの一歩として、助けになるはずです。