本作品は、『標的の村』『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』に続く、三上智恵監督によるドキュメンタリー映画である。
これまでの三上作品では、高江のヘリパッド建設、辺野古の新基地建設と、沖縄本島における米軍基地問題が描かれていたが、本作品では、宮古島、石垣島、与那国島における自衛隊配備も扱われている。
辺野古・高江については、本土の人びとにも知られているだろうが、今日の先島諸島で最大の関心事となっている自衛隊配備問題はあまり知られていない。
その点で、まずは貴重な映画だと言えよう。
私が沖縄県八重山諸島を初めて訪ねたのは2000年のことであり、それから3年間は年に数ヶ月通っていた。その頃は、西表島における農地開発と自然保護をめぐる問題や、竹富島・小浜島・西表島の観光開発の比較研究をおこなっていた。
その後は、西表島における資源開発の歴史や廃村の聞き書きなどを細々と続けてきたが、近年になって、政治的な問題を扱うようになった。
研究テーマの変化は、自分から望んだものではない。
これまでお世話になってきた島人たちが、否応なく政治的な問題に巻き込まれるようになり、私も島人に寄り添ううちに、おのずと視野に入れざるをえなくなったのだ。
2011~12年、八重山地区における中学の公民教科書として、どの出版社の教科書を採択するかで対立した、いわゆる八重山教科書問題があった。教科書に書かれている内容が問題になったというよりも、採択にいたる選定プロセスに不透明な点が多い問題であった。
このとき、私が特に現地調査でお世話になっていた島人のおふたりが、教育委員を務められていたために、この問題の直接的な当事者となった。
東京から遠い八重山諸島には、貴重な自然、独自の文化があり、よそ者の私からすれば、それらがまだ色濃く残っているように見える。そこに、大きな変化をもたらすと思われる空港建設、リゾート開発、移住ブーム、教科書問題、自衛隊配備など、さまざまな問題が生じる。すると、島じまを特徴づけるアイデンティティを守ることと、生活の利便性を高めようとする願いとが、島内でぶつかることがある。
私は、その変革(開発)と保守(保護)のジレンマを、八重山に限らない一般的な問題として捉え、これをどう超えていけばよいのかを考えるために調査研究を続けてきた。
一方で、八重山諸島は、尖閣諸島を含み、台湾・中国に近い。
近年は、日本の領土・領海を守るために極めて重要な島じまだと認識され、中央の政治的な思惑が強く働く地域となっている。いつしか、八重山では政治絡みの話題が多くなり、きな臭くなってきた。
そこに来て、一昨年くらい前から自衛隊配備問題がクローズアップされてきた。
先島諸島では、すでに与那国島に沿岸監視隊が配備されており、これから、宮古島と石垣島にも自衛隊が配備されるという計画がある。
石垣島では、この問題をめぐって、島人の意見が割れている。
現代の「防人」として自衛隊を誘致すべきという意見がある一方で、「標的の島」になるからと反対する意見もある。
計画候補地周辺の4地区の公民館はそろって反対を決議、防衛省による説明会や公開討論会などは開かれたものの、合意形成に向けたプロセスとは言えないものだった。
あくまでも、国の描いたシナリオ通りに進めるための手順を形式的に踏んだに過ぎないと見る向きもある。
石垣島における自衛隊配備問題でも、お世話になってきた島人が深く関わっており、私は否応なくこの問題に関心を向けざるをえなくなった。
頼りにしている島人から、この問題をもっと周りに伝えて欲しいと言われ、昨年12月に作家の姜信子さんを実行委員長としてライブイベント「けえらんねえら 唄いじょうら(みなさん、唄いましょう)」を開催した。
このイベントを開いた直後の昨年末、石垣市長は防衛省が計画する自衛隊配備について、受け入れる方針を表明した。
島人が十分に考える間もなく、計画はシナリオ通りに粛々と進んでいく。
しかし、先の大戦では、軍隊のあるところが敵軍の標的になったこと、旧日本軍が国家を守るために住民を守らなかったことから、自衛隊配備によって、「標的の島」になるのではないか、戦争状態に陥ったら、狭い島から逃げ出せなくなるのではないかという、疑問が生じるのは当然であろう。
このような島人の問いかけに対して、納得のいく答えが得られることはない。
それなのに、ここで配備受け入れを認めて、何かことが起こったら、沖縄戦で亡くなった多くの人びとに申し訳ないという気持ちの島人もいる。
そうした切々とした声を聞き、この問題をもっと広く伝えなければいけないと思っているところに、本作『標的の島 風かたか』が封切られた。
タイトルの「標的の島」とは、もちろん、先島の島じまである。
また、サブタイトルの「風かたか」とは風よけを意味し、2016年6月に米軍属女性暴行殺人事件被害者追悼集会で名護市長が語った「我々は、また命を救う『風かたか』になれなかった」の発言から取られている。
ぜひ、多くの方々にご覧いただきたい。
ところで、沖縄の基地問題と里山保全とは別のことであり、このコラムで取り上げるべきではないと感じられる方がいらっしゃるかもしれない。
しかし、私の中では、これらはつながっているのである。
お世話になっている島人は、島の言葉、民俗、歴史、自然などについて、驚くほどの知識を持ち合わせている。
そして、方言を、文化財を、景観を、動植物を守ろうとし、地域史、民俗文化を残そうと長年にわたって努めてきた。
かけがえのない島の豊かさを身体で理解しているために、外から持ち込まれる変化に対して納得できないことがあれば、さまざまな表現手段を用いてあらがってきた。
表現形だけを見ると、それは環境保全、文化財保護、開発反対、平和運動であったりするが、共通する根本は「我が島」を守ることにある。
島人が自分の島を本気になって守ろうとしているさまに触れて、私も自分の実存にとって大事な場所を守りたいと思った。私の場合、それが幼少期に親しんでいた多摩丘陵の里山だった。
だから、私の里山保全は、島人の平和を求める闘いと、機能的には近いものがあると感じている。
(もっとも、沖縄の闘いは島内だけで完結するわけではなく、ときに日米両政府に対する厳しい闘いを伴うので、同列には扱えない。)
本作品に描かれているように、辺野古・高江の米軍基地問題と先島の自衛隊基地問題は、エアシーバトル構想という補助線を入れて捉えれば、別々の問題ではなく、米軍の対中戦略に絡む同根の問題であることは明らかである。
だから、これらを関連付けて考えるとともに、連帯を促すことは重要である。
しかし一方で、これらの問題で共通して軽視されている島人の暮らし、地域の自然や文化などは、島ごとに多様で個別的である。
本作品は、これらの問題を統一的に把握する視座を提供するとともに、石垣島・宮古島でおこなわれている4つの祭りを取り上げ、島人が何を守るために、抵抗しているのかも伝えている。
本作品は、日米両政府と沖縄が鋭く対立する「沖縄問題」を映すとともに、そうした抵抗を支える根本には、かけがえのない島じまの自然・歴史・文化があることを教えてくれるドキュメンタリーである。
三上監督が本作品の公式パンフレットに寄せた文章の最後に、「戦争の対極にある『人々が幸せに生きる知恵』を、私は先島からもっともっと発信していかなくてはいけない」と書いている。
これは私の仕事でもあるはずだ。
私は、この「人々が幸せに生きる知恵」を学びたいと思い、八重山に通い続けているのだから。