今年はカネミ油症事件が発生して50年目に当たることから、10月17日(土)、長崎県五島市(福江島)で50周年記念事業「油症の経験を未来につなぐ集い」が開催された。
私は3年前に初めてカネミ油症の現地調査のために五島列島を訪れ、少しずつこの問題について調べているところなので出席した。
カネミ油症の問題を考える際、水俣病について学んできたことがよく活きる。
私が水俣を訪ねたのは1回だけであり、社会調査をおこなった経験はない。
つまり、学んできたといっても、これまでに書かれたことを読んだり、写真や映像などを見たりしてきただけである。
関連資料は膨大にあるので、そこから学んだことは多い。
しかも、近年になっても続々と関連書籍は刊行されている。
私は、自分が専門としている環境社会学について講義する際、半期15回の授業回数のうち3回は水俣病を扱っている。
なぜ水俣病について学ぶのか。
それは、水俣病が典型的な公害被害だから、ではない。
水俣病から学べることが、とても大きいからである。
そして、水俣病であれば、知らない学生は一人もいないので、すでに持っている公害のイメージをひっくり返すには格好だからである。
たとえば、「公害は終わった」と言われることもあるが、どちらも公的に被害患者として認定されない患者さんが数多くいらっしゃる。
また、公害被害について、年を追うごとに患者さんが減り、症状が軽くなるように思われがちだが、そうではない。
「自分は被害者かもしれない」と最近になってから気づく患者さんが後を絶たないし、高齢になって症状がきつくなることもよく見られる。
このような水俣病の被害を受けた人びとの身の上に起こっていることは、カネミ油症の被害を受けた人びとの身の上に起こっていることとよく似ている。
このため、水俣病について教壇で話せるくらいには学んできた者にとって、カネミ油症の患者さんが訴えることの多くは理解できてしまう。
2018年現在の水俣病について学ぼうとするならば、本書がベストであろう。
著者の永野三智さんは水俣病センター相思社の職員で、日常的に患者さんの相談に乗っており、その経験をもとにして相思社の機関誌『ごんずい』に「患者相談雑感」を連載している。
タイトルは、相思社が坂の上にあるために、患者さんたちが相談に行くには「やっとの思いで坂をのぼる」から。
本書は、その相談記録を中心にまとめられたものであるが、背景として必要な情報は適切に挿入されており、この本だけを読んで現在の水俣病問題が立体的に浮かび上がるように、全体の構成がよく考えられている。
また、水俣生まれの著者が、いったん故郷から逃げて、あらためて水俣病に向き合うと決めた個人史には心が揺さぶられた。
2009年の水俣病特措法以降の状況を理解するうえで、あるいは、誰かを支援することの意味を考えるうえでも、最適なテキストだと言える。
相思社としても、水俣病とカネミ油症の共通性への関心が高いようで、『ごんずい』の次号ではカネミ油症が特集されると聞いている。
関東では、カネミ油症に関心を持っている人はきわめて少なく、そもそも知らないという人がほとんどである。
逆に、水俣病については知らない人がほとんどいないはずなので、水俣病とあわせてカネミ油症についても関心を持ってもらいたい。
もっと書きたいことはあるけれど、とりあえず、このあたりで。
永野三智(2018)『みな、やっとの思いで坂をのぼる―水俣病患者相談のいま』(ころから.