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藤井将棋から見えるAI時代の生き方

本日、藤井聡太七段VS.永瀬拓矢二冠の棋聖戦挑戦者決定戦。

藤井七段の最年少タイトル挑戦が掛かる勝負だが、今後はタイトル戦の常連になると信じているので、この一局に一喜一憂することなく、冷静に視聴できる。

私は藤井七段の将棋が好きだ。好きだから追いかけているうちに、ネットで将棋を見る機会が増え、さまざまな棋士の個性(棋風)もわかってきた。
藤井七段の将棋は、紛れもなくAI時代のものであるが、AI的かというとそうではないと思う。とても人間的だと感じる。

少し前までは、人間とAIのどちらが強いか競っていたが、この勝負はAIの進化により、人間は勝てないことがはっきりした。
これにより、AIよりも弱い人間の将棋が色褪せて見えるかと思っていたが、逆に面白くなった。人間らしさが、際立つようになったからだ。

最近の将棋中継では、AIの候補手が画面に映し出される。勝勢のときは、その中から最善手を指し続けることが勝利への近道だ。しかし、敗勢のときは、最善手を指し続けても、相手が同様に最善手を指し続けていけば、負けてしまう。だから、最善手を指すことよりも、相手を惑わすことが重要になる。つまり、人の心理を読み解き、揺さぶりを掛けられるどうかが鍵になる。
そして、敗勢のときの藤井七段は人間的な駆け引きに、相手を引きずり込もうとしているように見えて、心憎い。

勝勢のときの藤井七段も面白い。AI最善手を指し続けるかと思えば、そこから離れる妙手も繰り出す。とりわけ、終盤に向かうあたりの追い込み方が見事だ。詰むか詰まされるかの速度を見切る力が高いので、隙を作って相手に攻められているように見えても、最後に一手差で勝ちきることが多い。冷淡に安全に勝つことよりも、肉を切らせて骨を断つような勝ち方の美意識を感じる。

もちろん、藤井七段よりも自由で独創的な棋風で魅力的に映る棋士も少なくない。しかし、AI時代の生き方を考えながら、人間・藤井聡太七段について考えることは楽しい時間だ。

P.S. 現在、第3回AbemaTVトーナメントが毎週土曜日に放映されている。これがエンターテインメントとして、すこぶる面白い。強い者同士の個人戦勝負だけが将棋の醍醐味ではないことを、毎週見せつけている。


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