4月10日(月)
先月、母が山梨の病院から都内の病院へ転院したが、住民票は山梨に置いたままであり、一昨年まで暮らしていた身延の家は空き家状態となっている。
そこで山梨に行き、いくつかの用事を済ませてきた。
行きは久しぶりに河口湖経由のルートを選んだ。『ゆるキャン』でおなじみの本栖湖と身延町を結ぶ「本栖みち」(国道300号線)にはバイパスが一部完成し、山あいの狭い道を避けてループ状のトンネルが開通していて、少し走りやすくなっていた。
まず、母の家に着くと、近所のYさんを訪ねた。介護施設で働いているYさんは、一人暮らしの母を気に掛けて、さまざまな面で大きく支えてくださった。そのYさんが肺を切除する手術を受けたと聞いたので、お見舞いに訪問した。
事前の電話連絡で、その日が夜勤明けで在宅だと伺っていたので、スムーズにお見舞いをお渡しできたのだが、Yさんも私が来るというので、わざわざ手土産を用意されていた。
それが、甘夏に似た静岡の柑橘果物「スルガエレガント」14個と「身延まんじゅう」30個と、2人家族ではとても食べきれない量であった。
また、植え付け用の大豆とショウガまでもいただき、お見舞いに行ったつもりが頂く物ばかりになってしまった。
このように、何かを差しあげると、その倍以上のお返しがあるのはいつものことで、嬉しいことではあるが、申し訳なくもある。
Yさんは、片方の肺の半分を摘出し、その手術自体は成功して、今のところ他に転移も見られないとのこと。しかし、予想より進行が進んでいたようで2年間の抗がん剤治療が必要で、毎日朝晩は薬を飲み、月1回は肺のレントゲンを、半年に1回は全身のCTスキャンを撮っているとうかがった。
その副作用だろう、油物が苦手になって、味覚障害になっている。また、疲れやすく大変で(山梨の方言で「えらい」)、畑仕事までなかなか手が回らないとおっしゃっていた。
もっとも、畑を見せていただくと、ネギ、ホウレンソウ、ブロッコリーなどが育っていて、ジャガイモやウズラマメも芽を出していて、身延の特産「あけぼの大豆」や夏野菜を植える準備もされていた。
ご自身の健康は心配であろうが、夜勤もある介護の仕事を続け、92歳になるお母様の介護や畑を荒らさないように作物を育てていらっしゃる姿には、心を打たれる。そして、心身ともに健康でいられるようにと願う。
母の家に届く郵便物は私の家に転送されるように転居届を出している。
ポストに入っていたのは、地元の業者さんがプロパンガスをチェックするときに入れていく毎月の請求書・領収書、クロネコDM便が2通、それと、お年賀のタオル2つだった。
DM便は日本郵便に転居届を出していても、送り続けてくるので、送付元の会社に電話して、配送の停止を依頼した。
昼過ぎ、電気工事のために担当者がやって来た。
空き家状態なので電気の契約容量を最少にする変更工事を依頼していたのだ。
工事中、15分ほど停電する時間があり、問題なく復旧した。基本料金を少し抑えられる。
家の中の最大の問題はトイレである。
水道の元栓を開けると、ウォッシュレットから水がポタポタと床に落ちる。
このため、トイレの水回りを直さないと、水道を開けられない状態になっていた。
ただし、それ以外は特に問題個所が認められず、これまでのようにネズミやイノシシなどによる被害は見られず、春先なので庭の雑草もあまり茂っていない状態だった。
役場から確定申告の案内が届いていたので、身延町役場の税務課を訪ねた。
母が受け取っている年金の金額であれば、申告の手続きは必要ないとのこと。
また、住民票を移した方がよいかどうか確認するために町民課も訪ねた。
担当者の説明では、転居した場合は速やかに住民票を移す必要があるが、入院中であれば今移さなくてもよいとのこと。本人以外の人が住民票を移す手続きをとる場合は委任状が必要になることから(本人が名前を書けない場合は拇印でもよい)、この日は届け出るときに必要な書類だけを受け取った。
現在、山梨県の重度心身障害者に対する医療費減免制度を使っていることもあり、当面は住民票を移さなくてもよいだろう。
次に福祉保健課を訪ねた。
後期高齢者の医療被保険者証の送付先が、以前母が入居していたグループホームになっているので、私の家に変更するためだった。
しかし、後期高齢者医療は山梨県後期高齢者医療広域連合で扱っていると説明を受け、甲府市内にある事務所(山梨県自治会館内)へ向かった。
小一時間車を走らせて、その事務所で送付先を変更することができた。
担当者によれば、この手続きは身延町役場で受け付けるべき内容だったようだが、この日のうちに必要な変更ができたの、それほどいら立ちもしなかった。
4月11日(火)
前日、Yさんからいただいた饅頭の消費期限が13日までだったので、早めにお裾分けした方がよいと思い、きちんと分けて食べてもらえそうな恵泉女学園大学に向かった。この日は、車を新百合ヶ丘駅近くに駐めて、都心へ向かうことにしていたので、その通り道に立ち寄ればよかったのだ。
まずは、いつもお世話になっている園芸関係のスタッフに分けてもらおうと10個差しあげ、つぎにキリスト教センターに足を運んだところ、礼拝が始まっていて関係者はチャペルの中にいた。
そこで、礼拝が終わるまでチャペルの外で待つことにしていたら、齊藤小百合さんの声がマイクを通してよく聞こえるので話の内容に耳を澄ませた。
この日の感話のタイトルは「終わったらまた始めればいい」。これは、安全保障関連法案に反対する国会前抗議活動をリードしていたSEALDsの奥田愛基さんが、法案が成立した後に残した言葉だ。
恵泉が学生募集の停止を発表して間もないこの時期に、斉藤さんがこう言いたい気持ちは痛いほどわかるつもりだ。この言葉は、学生を励ますメッセージであるとともに、自分を奮い立たせる言葉でもあるだろう。
思いがけず、斉藤さんらしく芯の強い感話を聞くことができて、ありがたかった。
礼拝が終わり、チャペルから出てきた教職員に饅頭を配った。斉藤さんにも届けることができた。
斉藤さんは、私が恵泉の学生募集停止に報せを受けて書いた文章を読んでいて、本当にその通り、共感したと伝えてくださった。
どのような「始まり」が起こるのかが楽しみだし、私も何かお手伝いできればと思っている。
新百合ヶ丘駅近くに、最大料金800円のコインパーキングに駐車できた。
昼食後、池袋の立教大学キャンパスへ行き、今学期最初となる大学院の授業に臨んだ。
今学期の受講生は2名。昨年は1名だったので倍増である。
1名では受講生もプレッシャーを感じやすいだろうから、今年は2名いてよかった。
一人は中国上海からの留学生で、もう一人は愛知県から通っている社会人学生。
社会人学生の方は、退職後に大学院に入学されたので、私よりも一回りくらい年上である。
お互いのことを知るために自己紹介したり、紹介していただいたりしていると、その年配の方は学生時代に哲学を学んでいて私の祖父のことをご存じで、私が「松村一人のお孫さん」であることを知って感慨深そうであった。
授業終了後、18時に新百合ヶ丘駅近くのauショップで父と待ち合わせ。
先週、父は何を思ったのか、携帯電話をスマホに変えた(冥土の土産にでもと思ってと理由を説明するが、出任せのように感じる。いったい、なぜ?という疑問は残ったまま)。
しかし、最初に訪ねた店では手続きができずに別の店まで移動する羽目になり、行き着いた店でも長時間待たされたりして、結果的に家を出てから店を出るまで5時間も掛かったという。
それなのに、購入したスマホは、これまで使っていたガラケーとは勝手が違うため、電話を掛けたり出たりすることさえままならない。もちろん、メールの送受信やカメラの撮影もできない。
携帯を買い換えた当日、珍しく父から電話があり、どうすればよいのかと助けを求めるので、その翌日に父が済んでいる麻生区の団地に行った。
購入したのは高齢者向けの簡単スマホで、普段使っているスマホとはホーム画面も異なり、初見では使い方を教えるのが難しかった。これまでスマホを使っていなかった人が、すぐに使いこなせる代物ではないと痛感した。
スマホの使い方を説明しながら、スマホを購入時にもらった書類に目を通すと、高いセキュリティソフトのほか、不要と思われるオプション(DAZN、YouTube Premium、Apple Music)が数多く付いていたことがわかった。
まだ契約の手続きは完全には終わっていなかったようで、4月11日(火)16時にショップに行く約束をしていることを知り、その時間は立教の授業があって行けないけれども、サポートした方がよいことは明白だったので、ショップから渡された書類30枚ほどを取り急ぎ写真撮影して、帰宅してから対策を考えることにした。
翌日、妻が書類の内容を確認してくれたところ、言われた通りの契約内容でオプションも何も解約しないままだと2年間で約30万円!も携帯料金が掛かることがわかった。これは、是が非でも父に同行しないとマズいと思い、ショップに電話を掛けて、アポの時間を18時に変更してもらった。
それで、この日の18時に父とお見せで待ち合わせしたのである。
さいわい、この日の担当スタッフは、私が何を気に掛けているのかをすぐに察知してくれたようで、オプションをすべて解約し、不要と思われるサービスを削除してくれて、かなり契約内容はスリムになった。
しかし、高齢者の中にはDX化への催促を真に受けてスマホに切り替え、キャリア会社から訳もわからない説明を受けて、さまざまな安心サポートや娯楽サービスを盛り付けられ、こうした解約手続きを一切取らず、毎月2~3万も携帯料金を払っている人もいるだろう。
これは、情報格差をつけ込んだ詐欺に近いようなビジネスと言ってもよい。このような状況を放置していてよいのだろうかと、考える機会になった。
すっきりとした気持ちになってショップを後にして、夕食は父の家の近くにあるジンギスカン料理のお店へ。
先週も行こうとしたのだけれど、あいにく満席だったのだが、この日は空いていたので、久しぶりにジンギスカンを食べることができた。
父は、この地に30年ほど住んでいて、お店も古くから知っていたそうだが、入店したのは初めてとのこと。
食べ終わってから、「冥土の土産になったんじゃない?」と聞くと、父は「うん」と答えた。