森林・里山は、適切に維持管理すれば多くの恵みを与えてくれるが、人口減少や高齢化にともなう担い手不足が社会問題・環境問題になっている。
1990~2000年代頃は、新しい担い手として市民ボランティアが増加したが、参加者の高齢化・固定化が進んでおり、近年は企業に注目が集まっている。
それも、CSR(企業の社会的責任)活動を呼び込むだけはなく、企業の持続的な経営に向けて、本業と関連させながら、CSV(共有価値の創造)として取り組むことが期待されている。
こうした背景を踏まえ、私は森林・里山の公益性と企業の持続的経営との間に共創関係を作りだす事例に着目し、現地調査・ヒアリング調査を始めた。
その一環で、先日、秦野市による森林セラピーの取り組みを調べるために、市役所を訪ねた。
企業が森林に関わる仕組みとしては、「企業の森づくり」が全国で実施されてきた。
自治体と企業が協定を結び、自治体の所有林等で企業がCSR活動として、
植樹や森林整備をおこなうというものである。
環境貢献活動となるばかりではなく、社員向けのSDGs・環境教育となったり、社員やその家族、あるいは顧客等との交流の機会にしたりすることもできる。
素晴らしい仕組みではあるが、企業の収益が悪化したり、経営陣の関心が別の方(たとえば、子育て支援、ダイバーシティ推進など)へ向かうと途絶しやすい。
持続的に森林・里山に関わることが、企業経営にとって必要不可欠であると位置づけられない限り、つねに企業と森林との関係は不安定なままである。
しかし、私は森林セラピーが企業の持続的経営にとって大きな貢献を果たしうると考えている。
近年、企業の経営者の中には、従業員のメンタルヘルスに気を配り、ウェルビーイングの向上に努めることが、経営のサステナビリティを高めると本気で考えている人がいる。
そのような企業にとって、都心から日帰りできる距離で、森林セラピーを受けることができるのは魅力的に映るのではないだろうか。
かつて企業の福利厚生というと、自然豊かな観光地の保養所に家族で泊まることで、従業員は家族サービスをしながら、疲労がたまった心身をリフレッシュした。
これは日常的な労働とは異なる、非日常的な時間の過ごし方であったが、
日帰り圏の森林セラピーであれば、仕事のルーティンに組み込むこともできるだろう。
また、森林セラピーは、企業の業種をあまり問わないところにも可能性を感じる。
企業の森づくりに熱心な企業は、CO2を大量に吐き出す自動車のメーカーとか、森林を水源とするお酒や飲料水を製造しているメーカーなど、森林のCO2吸収機能や水源涵養機能などの公益的機能との関係がわかりやすい業種が多かった。
ところが、企業の福利厚生に森林セラピーがよいと認識されれば、それは多様な業種にとって、森林と関わる意義を見いだしやすくなる。
こうした関心から、秦野市の取り組みについて調査することにした。
秦野市は、里山保全に向けて積極的な取り組んできた自治体として知られるが、市役所を訪問したのは初めてであった。
対応してくださったのは、環境産業部森林ふれあい課の担当者おふたり。
以下、ヒアリング調査で伺った情報をもとに、秦野市の森林セラピーの取り組みの経緯、現状や課題などをまとめる。
古くから、森林の中で過ごすと療養効果があることは知られているが、森林浴という言葉は、1982年に当時の林野庁長官を考案したという。
そして、「森林セラピー」とは、科学的に効果が実証された森林浴を指し、2003年に生理人類学者の宮崎良文がアロマセラピーをヒントに命名した。
日本では、「森林セラピー」「森林セラピスト」「セラピーロード」が、NPO法人森林セラピーソサイエティによって商標登録されているので、未認定の場所やガイドでは「森林セラピー」などの言葉を使うことができない。
国内では、2010年頃に森林セラピーのブームが起こったが、秦野市は乗り遅れた。
2017-18年頃から、森林セラピー基地の認定取得に向けて動き始め、実証実験を経て、2020年4月に「はだの表丹沢森林セラピー基地」として認定された。
また、セラピーロードとしては、「秦野戸川公園・風の吊り橋コース」「弘法山公園コース」など、特徴の異なる5つのコースが認定されている。
秦野市における森林セラピーは、観光や健康増進のみならず、里山保全活動の参加へとつなげることが目的となっているところに特徴がある。
背景には、全国的に知られる秦野市内の里山保全活動も、ボランティアの固定化・高齢化といった担い手不足の問題に直面しており、森林セラピーをきっかけに、森林・里山に新しい人を引き込みたいという考えがある。
このため、秦野市は森林セラピーの認定を受ける前に、既存の里山保全団体に声をかけ、里山整備とともに森林セラピーガイドとしても活動してもらえるようにと、ガイドの資格取得に対して金銭的に補助するなどの支援をおこなった。
さいわい、森林セラピーに関心を持つ2つの団体を中心に協力体制を築くことができ、それぞれの拠点である表丹沢野外活動センターと蓑毛で、活動が積極的に進められた。
2021年3月、これらの団体等によってはだの表丹沢森林セラピー協議会が設立され、イベント開催や人材育成等の主体となり、市の森林セラピー事業を推進している。
しかし、これまでの活動が順風満帆だったわけではない。
森林セラピー基地に認定され、これから活動を広げていこうとしたときに、新型コロナウイルスの流行が重なってしまい、予定していた盛大なグランドオープンなどはタイミングを逸してしまった。
コロナ前の2019年頃は年間6回程度の森林セラピーに関するイベントを開催し、定員20名がすぐに埋まるほどの人気があったのに、その勢いを活動の普及につなげることができなかったのである。
コロナ禍を経て、森林セラピーの参加者に質的な変化が生じた。
コロナ前と比較すると、参加者を少人数に限定した開催や、個別に依頼を受けて実施するプライベートプランの需要が増えたことだった。
コロナ明け以降、2023年度からは、森林セラピーのイベント回数が増加し、現在は年間30〜40回程度開催されるようになっている。
回数を増やすことができた理由として、体験ニーズが高まっていることがある。
この2~3年間は、企業研修の依頼が増えているという。
もう一つの理由として見逃せないのは、森林セラピー事業の担い手が広がり、秦野市の職員の関与が少なくても実施できるようになってきたことがある。
以前は、担当職員がイベント実施日に出勤していたけれども、ニーズが高まるとともに、地元ガイドさんの経験も深まってきたことで、森林セラピー事業は行政からの自立度が高くなった。
企業との連携としては、ある建設業者の事例を紹介していただいた。
建設業は、自然資源を改変することが多い業種なので、社員の環境教育の一環として実施している例である。
プログラムの中身は、森林の生物多様性や地下水に関する講義と、森林セラピーの体験という構成とのことだ。
この例では、森林セラピーが体験を伴う環境教育的な活動に収まっており、社員のウェルビーイングに関わるような内容とはいえない。
この点について深掘りして聞いてみたところ、もともと企業の担当者はウェルビーイングへの関心から秦野市に問い合わせ、森林セラピーのプログラムを研修に導入しようとしていたらしい。
それが、「セラピー」という言葉が、ややスピリチュアルに感じられてしまい、企業の内部で本業とのつながりを説明することが難しく、環境教育を目的とした研修に落ち着いたという。
こうした例から、秦野市では「森林セラピー」という言葉の認知度を上げ、この言葉の正しい意味や企業等にとっての可能性を理解してもらうことを課題の1つに挙げている。
今回ヒアリング調査を実施して、秦野市では、森林セラピーを企業の福利厚生や社員研修として、さまざまに活用されることを期待していることであった。
いただいたリーフレットには、「メンタルヘルスケア・メタボリック予防」「新入社員等の自然環境教育研修」「社員・家族等の交流・観光・体験」といった文字が見られ、そこから事業を展開していく方向性も見える。
私もそうしたプログラムが数多く実施されていくポテンシャルは秘めていると思う。
しかしながら、企業研修の実例のように、「森林セラピー」という言葉が入り口を狭めてしまっているのかもしれない。
実際に、現在の参加者は50~60代以上の女性が中心なので、今後は男性や若い世代、市外からの参加者をいかに増やすかが課題となっている。
そうした課題を解消していくには、情報発信・広報の役割が重要であろうが、その点は行政が苦手な部分なので、民間のノウハウを活用したり、地域の自立的な取り組みをうまく支援したりしながら、活動を広げていくことが求められる。
ヒアリング調査を終えて、森林セラピーにはまだまだ大きな可能性があるという確信を得た一方で、この言葉を使うことによるメリットとデメリットを知った。
森林づくり・里山保全活動を通して整備された空間を、メンタルヘルスケアやウェルビーイングの向上、交流・体験・学びの場として利用するというだけならば、「森林セラピー」という言葉を使わずに、別の言葉を考えることも選択肢の1つだと感じられた。
