約6年前、多摩丘陵の雑木林を背後に抱える家に引っ越してきて、もっとも大きな環境の変化は、野生動物との距離がぐんと近づいたことにある。
夏の白昼、タヌキの親子が裏山で寝転がっているのが見えたり、夜になると道に出てきて側溝に入ったりしているところに出くわす。
アナグマは、真夜中、生ごみを堆肥化するコンポスト容器へと近づき、鋭い爪で蓋をこじ開けようとすることがしばしばある。
近所で、外来種のハクビシン、アライグマを見かけることもあるが、タヌキ、アナグマを見たり、鳴き声を聞いたりすることは日常的である。
ムササビは、なかなか姿をみることはないけれど、日が暮れると独特の声で鳴くので、夜空を滑空しているさまが想像される。
家から100mほどのホタルが出る小川あたりでは、イノシシがヌタをうった痕跡が残っている。
サル、シカ、クマはいないようだけれど、近くに動物の息づかいを感じながら生活するのは楽しい。
もちろん、良いことばかりではない。
猫の額ほどの庭で育てている野菜が狙われることがある。
アブラナ科の野菜がアオムシに食べられるというような被害は、こまめに捕殺することで対応できるのに対して、鳥獣に狙われた場合は被害が大きくなるので、それなりに対策を打つか、狙われる野菜を育てないことにしている。
ラッカセイは、収穫期に食べられて全滅した(アナグマのせいだと思っている)。
ハクサイは、ヒヨドリの集中砲火を浴びた。
こういう痛い経験を踏まえて、家庭菜園の作付け計画も修正するなどして、「けもの」とともに生きることについて学んでいる。
その学びの要点とは、私が野生動物から受ける喜びや被る迷惑は自分の行為がブーメランのように跳ね返ってきた結果だということ。
「野生動物は裏切らない」から、自然に働きかけることは、自然を知るとともに自分を知ることでもあるという感覚だ。
ここで、「野生動物は裏切らない」という表現は、本書の言葉を引用したものである。
著者の千松信也さんは、2008年発行の『ぼくは猟師になった』で一躍有名になった京大卒の猟師。
この本がもとで、狩猟ブームのきっかけになったのか、それとも、ブームに乗って多くの人に読まれたのかわからないが、ともかく、昨今の狩猟ブームを象徴する本となった。
その後、狩猟をテーマに扱った岡本健太郎さんの漫画『山賊ダイアリー:リアル猟師奮闘記』が2011年から連載されたり、女性で狩猟の世界に入る「狩りガール」が注目されたり、学生の部活動で狩猟をおこなう「狩り部」が全国的に増えたり、ジビエ料理を扱うお店が増えたりしている。
このような狩猟ブームの背景には、大きく3つのことを挙げることができよう。
- シカ・イノシシ・サルなどよる農林業への被害が増えており、野生生物管理の必要性が主張されるようになっていること。
- しかし、ハンターの高齢化が進んでおり、全国的にその数も急減していること(そのために、趣味の狩猟者「ハンター」と個体数管理捕獲に従事する「カラー」を明確に分けて、後者の育成体制を拡充する必要性が指摘されている)。
- 一方で、人間誰もが必要とする食やエネルギーなどが、どこから来て、どこへ行くのかを知らずに生活できるシステムに疑問を抱き、食べものを自分たちに取り戻したいという動きが広がっていること(この動きは、福島原発事故によって、より顕著になってきたように思われる)。
著者は、(3)の動機に導かれて「猟師」を選んだようで、自分は「カラー」ではないことを自認されている。
このため、(2)の背景に応えるように野生鳥獣を捕獲する仕事には従事していない。現金収入は、運送会社で働くことで得ているようだ。
あくまでも、自分が食べる分だけを捕獲して、自分でさばいて、それを無駄なく食べている。それが、シンプルな人間の生き方として捉えているのだろう。
狩猟を「趣味」と言わずに「生活の一部」と表現して、娯楽として鳥獣を捕獲しているわけではないことを強調している。
(1)に関して、鳥獣被害の現状についても、主として京都の現場から報告されている。
これには複合的な要因があるが、一般的には、人と鳥獣とがせめぎあう里山エリアに対して、人間側からの介入が減っていることがあると言われている。
一方、著者の見解は違っていて、かつて過度に鳥獣を捕獲したことと、里山がはげ山となるほど改変したことで野生生物が減少していたに過ぎず、人と鳥獣が適当にすみ分けできていたとする里山は、過渡的な現象かもしれないと述べている。
このような著者の主張に見えることは、人間が意図的に自然と共生しようとすることへの懐疑である。
現在、生じている鳥獣被害は、野生動物に問題があるのではなく、人間の行為が巡りめぐって戻ってきた結果だと捉えている。
そこで、「野生動物は裏切らない」という言葉が出てくる。
野生動物を無理にコントロールしようとすると、結果的にしっぺ返しをくらう。
それは、野生動物に裏切られた結果ではなく、野生動物が裏切らない結果だと捉えられる。
このように認識したとき、それでは、どのように野生動物に向き合うべきなのか。
著者は、猟師として野生でありたいと言う。
突き詰めていけば、世界人口の0.001%まで減少した狩猟採集民のような生活になるだろうか。
(少し関連する新刊で、尾本恵市『ヒトと文明:狩猟採集民から現代を見る』(ちくま新書、2016年)は好著)
それは、論理的に正しいだろうし、心情的にもよくわかる。
もちろん、現代社会に生きる私たちにとって、それは困難であるし、著者も原理主義者ではない。
それでも、必要な分の動物を狩り、さばいて食べること。
これを「生活の一部」とすることが、一つの解答になることは理解できる。
前著と同様、本書でも、こうした難問に誠実に応えようとする著者の姿勢に共感できる。
本書は、もともと連載エッセイとして書かれたものなので読みやすい。
詳細な註も付されており、深く知りたいと思ったときや著者の主張に疑問を感じたりしたときでも、裏付けとなる文献がきちんと示されているので、大変有益である。
人間と野生動物の関係性について、いろいろな論点が含まれているし、考えるヒントも数多く含まれているので、このテーマに関心がある方にはお勧めである。