私が里山保全や森林ボランティア活動に関わり始めたのは1998年の秋でした。
その頃は、このコラムで紹介した重松敏則『市民による里山の保全・管理』(信山社出版、1991年) 、中川重年『再生の雑木林から』(創森社、1996年)、倉本宣・内城道興『雑木林をつくる―人の手と自然の対話・里山作業入門(改訂新版)』(百水社、1998年)のほか、木平勇吉編『森林環境保全マニュアル』(朝倉書店、1996年)、国土緑化推進機構監修『森林ボランティアの風―新たなネットワークづくりに向けて』(日本林業調査会、1998年)などを読み、早く里山保全活動に実際に参加してみたいと思っていました。
今振り返ると、森林/里山ボランティアがちょうど盛り上がっていた頃だったのでしょう。その中でも、私は横浜市内の市民の動きに興味を持ちました。
当時、横浜には市内の森づくりボランティア団体によって構成される「よこはまの森フォーラム」がありました。このネットワークは、行政と連携を図りながら雑木林塾という講座を企画するなど、ユニークで先進的な活動を展開していました。
私は、この活動に興味をひかれ、「よこはまの森フォーラム」の事務局を担当していたアリスセンターに関わりたいと思っていました。
一方、ちょうどこの年から、日産NPOラーニング奨学金制度という、NPOでの仕事を経験したいと願う学生に活動実績に応じた奨学金を支給するインターンシップ・プログラムが始まりました。
アリスセンターは、このプログラムの受入団体の1つとして挙げられていました。
私は、奨学金をもらいながらアリスセンターに関われるならば、これ以上ラッキーなことはないと思い、この制度に応募してみたところ、運良く採用していただくことになりました。
アリスセンターから示された仕事は、神奈川県内の市民活動を紹介する本をつくることでした(もっかな探険隊編『もっともっともーっと神奈川!―今どきまっとうな人・店・グループを訪ねて「もっかな探険隊」が行く!!』(夢工房、2000年))。
普通の活動を網羅的に取り上げるのではなく、その活動を知ることで元気や勇気がわき出るような人・店・グループを選んで紹介するという企画でした。
このプロジェクトに関わったことで、女性、平和、人権、環境など、各分野で面白い活動が実践されていることを知り、多くのことを学びました。
現在、この本で取り上げた数人と仕事をする機会に恵まれており、不思議な縁を感じています。
本づくりはとても楽しかったのですが、やはり「よこはまの森フォーラム」にも関わりたいと思い、自分の希望を伝えたところ、毎月開かれる実行委員会に参加することを勧められました。
しかし、しばらくフォーラムの方々からは了承を得られませんでした。この年の10/30~11/1に「第6回全国雑木林会議」を主催する準備に忙しく、私のことなど構っている余裕がなかったのです。
10/31(土)、「よこはまの森フォーラム」の活動にふれようと、「全国雑木林会議」の会場となった武蔵工業大学横浜キャンパスへ行きました。
午前中は、「どうする、都市の森」と題した全体会で、重松敏則さんと中川重年さんによる掛け合い講演がありました。終了後、昼食をとり、港北ニュータウン内の竹林整備を体験しようと午後の会場へ移動しました。
その時です!今回のコラムで取り上げた本の著者、浜田久美子さんを見かけたのは。
あれから10年以上経ちましたが、今でも、その姿、立ち居振る舞いを、鮮やかに思い出すことができます。
まず、学生運動を経験したと思われる元気な男性たちが多くいる中にあって、凛とした若い女性がいるというだけで驚きでした。
その上、本格的な山仕事の格好がびしっと決まっていました。
本には浜田さんの顔写真が載っていたので、見かけたときにすぐにご本人だとわかったのですが、フィールドでは輝きを放っていて、私にはとてもまぶしく見えました。
その後、私は「よこはまの森フォーラム実行委員会に事務局のお手伝いとして関わるようになりました。
当時、浜田さんは「桜ヶ丘・森の仲間たち」の代表として実行委員会に参加されていたので、それから、ほぼ毎月お会いしましたが、最初の衝撃が強すぎて、しばらくは話をするときにとても緊張したことを覚えています。
さて、浜田さんと会った時の思い出話が長くなりすぎました。簡単に本の内容にふれていきましょう。
これまでに取り上げた本は、すべて理系の研究者によって書かれたものですが、この本は違います。
浜田さんは、森林(しんりん)ではなく心理(しんり)学を専門としており、精神科でカウンセラーを勤めた経験もおありです。
ところが、メンタルヘルスに問題を抱えて、すっかり体が言うことをきかなったとき、運命に出会ったのでしょう。木に触って抱きついてみたら回復することを経験し、しばらくそうしているうちにすっかり元気になりました。
浜田さんは、木に恩返しをしたいと思うようになり、山仕事を習うために長野県のKOA森林塾まで横浜から通うことにしました。
そこで、元信州大学の島﨑洋路先生から山仕事を教わり、横浜では「桜ヶ丘・森の仲間たち」を組織して、桜ヶ丘緑地を手入れするようになりました。
私が初めてお会いした時は、この本を出版された後で、すでに女性の森林ライターとして、理論派市民として知られていました。
その後、浜田さんは長野に国産材の家を建て、現在では、東京と長野を行き来しつつ、全国の森を訪ね歩いています。
『木の家三昧』(コモンズ、2000年)は、ご自身の家を建てた経験をまとめた本ですが、これを読むと地域材を使った木の家に住みたくなります。
また、森と関わることで人も自然も豊かになることを、『森がくれる心とからだ―癒されるとき、生きるとき』(全国林業改良普及協会、2004年)、『森のゆくえ―林業と森の豊かさの共存』(コモンズ、2006年)などを通して伝えています。
今回、あらためてこの本をめくってみると、第1章のタイトルが「森の力」で、昨年出版された『森の力―育む、癒す、地域をつくる』(岩波新書、2008年)とタイトルが同じであることに気づきました。
浜田さんは、この10年間ずっと、自分を助けてくれた森の力を私たちに伝えたくて文章を書き続けてきたのだろうと思い、深い感慨を覚えました。