昨年、富士山が世界文化遺産に登録されたのを契機に、あらためて脚光を浴びるようになりました。夏の富士登山はますます人気のようで、昨年は山小屋の予約が難しかったという話を聞きました。
この富士山ブームに乗るように、関連する特産品や土産物が開発されたほか、関連書籍も数多く刊行されました。
そうした富士山関連本の中にあって、本書はまじめな研究書ですが、タイトルはかなり「ねらった」ものと言えるでしょう。その「ねらい」とは、一般的な富士山イメージを覆そうというものだと思います。
以下では、そう思う理由について説明します。
富士山は、言うまでもなく典型的な成層火山であり、山頂を頂点とした円錐形が特徴的です。
このため、頂上付近が雲に隠れてしまうと、いくら稜線が美しく見えても、富士山を見た気がしません。
富士山が見える位置に来たのに、頂上付近が見えないと、「富士山が見えなくて残念」などと言ってしまいがちです。
広い山裾も富士山の特徴ですが、そこが隠れていても山の上の方がよく見えれば、富士山らしさを感じることができると思います。
また、富士山は日本一標高が高いために、普段山登りをしない一般の人びとにも、その頂上に立ってみたいという気持ちを抱かせ、毎年多くの登山者を招いています。
私もそうした気持ちから、一度だけ富士山に登ったことがあります。
しかし、5合目までバスで行き、そこから頂上を目ざして登ったので、5合目以下は富士山という感じがしませんでした。
おそらく、多くの登山者にとって、富士山は5合目より上を意味していると思われます。
本書が取り上げるのは、副題に「農がつくる山麓の風土と景観」とあるように、おもに山裾の話です。
「富士山は里山である」と言われると、何だか富士山全体が里山であるような印象を受けますが、ここでは主として山麓のことを指しています。
本書は、富士山らしさを感じる山の上の方よりも、麓の姿を丁寧に描くことにより、山裾あっての富士山であることを示しています。
そうして、富士山を見る視点を山頂付近から山麓へと下げていくと、そこには人びとの暮らしがあります。
富士山という言葉から、山の上の方をイメージするとき、私たちは仰ぎ見る遠い対象として、それを捉えているはずです。
しかし、山麓で暮らす人びとが目に入るようになると、途端に距離感が近く感じられます。
「信仰の対象と芸術の源泉」として世界的に評価された富士山ですが、生活や生業といった水準でも、人びとと深く関わっています。
本書のタイトル「富士山は里山である」という強い断定には、世界遺産・富士山を見るときには麓の方にも目を向けよ、そこには自然と折り合いをつけて暮らしてきた人びとの歴史や文化がある、という著者からのメッセージが伝わってきます。
私はタイトルを見たときに、ここまでのメッセージを読み取りました。
そして、実際にそうした内容が書かれていました。
なぜ、読む前から、書かれている内容を読めてしまうかというと、それは本書のような「里山」という言葉の用いられ方について、私に免疫があったからです。
たとえば、「縄文里山」「熱帯里山」「アフリカの里山」という言葉を使う専門家がいます。
これらはともに、一般的なイメージに対して逆接的にこの言葉を用いています。
すなわち、「縄文」「熱帯」「アフリカ」という言葉から、自然の中で人びとは狩猟採集を中心として受動的に暮らしているというイメージを抱いていることが一般的だろうと思います。
それに対して、最近の研究によれば、縄文時代も、熱帯でも、アフリカでも、人びとは意図的に、あるいは半意図的に、周囲の自然に働きかけ、能動的に自然を生かして暮らしていることが分かってきています。
それが、里山的な利用とも言えるので、「○○里山」というキャッチーな言葉で研究成果のポイントを示そうとしているのです。
このように、近年では「里山」という言葉が、人と自然との深い関係を意味する象徴として用いられています。
このことを理解するためには、次のような自然保護運動の現代史を押さえておく必要があるでしょう。
日本では、1960~70年代に自然保護運動は広がりましたが、当時は、自然を守るためには人と自然を分けなければならないという考え方が支配的でした。
これが、守山弘『自然を守るとはどういうことか』(1988年)、鬼頭秀一『自然保護を問いなおす』(1995年)などが著されたように、1990年代あたりから次第に変化が生じて、人が自然に手を入れて守るという方法も社会的に認められるようになりました。
そして、こうした自然保護の新しい考え方をシンボリックに示すものとして「里山」が用いられ、その後の日本の環境運動、環境政策に大きな影響を及ぼしました。
だから、従来は自然に対する人びとの能動的な働きかけが意識されていなかった領域において、その機能、影響、効果を肯定的に伝えようとするとき、「里山」という用語がしばしば用いられます。
そういう文脈で、本書のタイトルを見ると、著者(出版社?)の意図が伝わってくるのです。
本書の要旨についてはよいとして、内容について簡単に紹介しましょう。
本書は2部構成となっており、1部では富士山麓の位置する9つの集落について、それぞれの景観と、その背景にある農業の歴史について、既存資料と聞き取り調査によって丁寧に描かれています。
たとえば、野焼きをしてダイコンを名産にしている北西麓の根原地区、戦後開拓で水が乏しい土地に酪農地を切り拓いた西麓の朝霧高原、やはり水が不足するので用水が重要な役割を担ってきた南西麓の北山地区高原野菜と観光で有名になった北麓の鳴沢・大田和地区などです。
同じ富士山麓に位置するとはいえ、それぞれの集落の自然条件には違いがあり、人びとは地域の自然と向き合い、工夫しながら暮らしてきたことがわかります。
2部では、こうした各集落の記述を総合し、富士山麓を生業空間として捉えて、まとめています。
富士山を垂直的に区分するとき、「焼山」「木山」「草山」と分けるようです。
「焼山」は5合目辺りから頂上までとされ、私たちが登山するときに森林限界を越えて見える火山高原地帯を指します。
「木山」は、およそ1合目から5合目までの樹林帯で、一部、御料林として人びとの関わりがあったところです。
そして、「草山」は集落がある辺りから上方にあり、江戸時代には入会地で、火入れをして草地を確保したところです。
ここが、富士山麓の人と自然がせめぎあう区域で、「樹木を伐採し、原野を焼いて畑、牧草地を広げ、採草地で堆肥用、牛馬の餌用、屋根葺き用の草を確保し、畑を開墾して、その近くに集落を開いた」のです。
ここには、里山に見られる人と自然の関係があり、だからこそ「富士山は里山である」と言いたくなるのでしょう。
本書は、「「神聖さと美しさ」を特徴とする抽象化された富士山の景観だけではなく、多様な生業空間に支えられた、土くさいがどっしりとした安定感のある富士山の景観も楽しんでいただければ幸いである」という言葉で閉じられます。
世界遺産に登録され、観光地としての魅力が見直されている昨今だからこそ、その麓にある人びとの暮らしと、それが反映した景観にも目を向けて欲しいという著者の願いが表現されています。
その心意気に、私は深く共感します。