先日、勤めている大学の図書館スタッフから、もうすぐ刊行が始まる『内山節著作集』(農文協)を購入する必要があるかと尋ねられました。
その数日前、この著作集を出版する農文協の営業の方が研究室にお見えになり、宣伝されたばかりでしたが、そのときは丁重にお断りしました。
なぜなら、著作集に収められる文章の半分以上は読んでいたので、著者による解題が付け加えられたり、単行本には収録されていなかったエッセイや新聞の連載記事などが加えられたりしていても、個人で購入する気持ちにはならなかったのです。
しかし、図書館で購入するならば、話は別です。著作集としては、それほど高価でもないので、すべて購入することをお願いしました。
大学図書館のスタッフから著作集を購入すべきかどうか意見を求められ、私はそういう人、つまり、内山哲学を好きそうな人だと見られていることにあらためて気づきました。
たしかに、内山さんの著作はある程度目を通してきたし、古典の読み方、事例の引き方、理論の名づけ方、文章の運び方など、どれも内山さんらしさがあって、これまでとても学ぶことが多かったです。
しかし、私は内山ファンかというと、そうではないと思います。
楽しく読みながらも、首肯できないところも少なくないからです。たとえば、内山さんの近代科学や合理性への批判については、違和感を覚えてしまいます。
それでも、このコラムの性格上、内山さんの著作に触れないわけにはいかないと思っていたので、この機会に取り上げることにしました。
さて、私が内山節さんのことを知ったのは、おそらく『《森林社会学》宣言―森と社会の共生を求めて』(有斐閣、1989年)という本の編者としてだったと思います。会社員時代の1990年代半ばに読んだように記憶しています。
「森林と人間社会との関係を、広く歴史的・社会的にとらえ返す必要がある」という問題意識から書かれた本書は非常に新鮮でした。
環境社会学や環境史研究が進んだ今日となっては普通に思えるかもしれませんが、当時の森林へのアプローチと言えば、林業か自然保護にほぼ限られていたからです。
しかし、内山さんのことを強く意識するようになったのは、私自身が里山保全活動に関わるようになった1990年代の後半からです。
全国の森林ボランティア活動を理論的にも実践的にも先導していた「森づくりフォーラム」の代表として内山節という名前はとても輝いて見えました。
『森の列島(しま)に暮らす―森林ボランティアからの政策提言』(コモンズ、2001年)は、90年代の全国的な運動の盛り上がりから生まれた貴重な政策提言ですが、これも内山さんが編者を務め、森づくりフォーラムに関わる仲間たちが執筆したものです。
このように、私の内山さんへ接近は、まず市民活動を通してでした。
次に内山さんにつながる回路としては、環境倫理学者の鬼頭秀一さんを通してのものがあります。
内山さんは、思想的に近いものを持っている鬼頭秀一さん、大熊孝さんと三人委員会を構成し、ときどき哲学する場を開いています。
今年は、4月に清里で三人委員会哲学塾を開き、さらに10月には水俣で緒方正人を交えて、水俣哲学塾を開催するようです。
私は一度も参加したことはありませんが、静岡県掛川市で開かれた初期のセミナーの報告は『ローカルな思想を創る―脱世界思想の方法』(1998年、農文協)、『市場経済を組み替える』(1999年、農文協)として刊行されています。
これより先に、鬼頭秀一『自然保護を問いなおす―環境倫理とネットワーク』(筑摩書房、1996年)(→ 書評)を読んで、鬼頭さんの書いた他の本を読もうとしていたところだったので、この三人委員会のセミナー報告も目を通しました。
こうして、内山さんの書いた文章にも馴染んでいき、過去に書かれた本もいくつか読みました。
よく知られる仕事と稼ぎの違いについて、稼ぎとはお金のために労働することを意味し、仕事は人間的な営みで、その多くは直接自然と関係しているという説明などに、いちいち納得していたものです。
もう1つ、内山さんには、かつて在野の哲学者という顔があり、ここから関心を持ったということもあります。
今は立教大学大学院教授という肩書きで研究をされていますが、私が知った頃は、特に所属がなかったために、著書にプロフィールらしいものはほとんど書かれておらず、ただ当時の現住所(世田谷区桜丘・・・)が記されていました。
この桜丘は、私の母の出身中学があるところだったので、変な親近感を覚えていました。
そろそろ、中身に入りましょう。
タイトルの『共同体の基礎理論』は、戦後民主主義を代表する経済史家・大塚久雄が1995年に著した書名と同じであり、この古典の向こうを張った内容となっています。(大塚久雄『共同体の基礎理論』(岩波書店、1955年→2000年))
大塚の本では、共同体が封建主義の社会とほとんど同義語で使われ、否定の対象であり、乗り越えるべき対象として描かれていました。その代わりに、近代的な市民社会の到来が目ざされていたわけです。
ところが、個人化が進んだ現在の社会では孤立、孤独、不安が広がり、関係性、共同性、コミュニティ、そして共同体が、未来へ向けた言葉として使われるようになってきたと著者は診断しています。
そして、「共同体は克服すべき前近代から未来への可能性へとその位置を変えたのである」とは宣言しています。
本書は、このような時代の変化を踏まえて、新しい「共同体の基礎理論」として書かれたのです。
著者は、明治以降の日本に共同体を否定する3つの流れがあったと整理します。
第1に社会主義思想。第2にリベラル派の近代思想。第3に国家、です。第1と第2の流れは、日本の共同体は時代の進歩に「遅れて」いるので、すみやかに近代化をはかり、社会主義の社会へ、あるいは近代市民社会へと移行すべきであるという議論です。
一方、近代国家の形成をめざす体制側からの共同体否定論は、一面では伝統的な共同体を国家のもとにぶら下げ、他面では共同体を骨抜きにするような方法が採られてきました。
1960年代後半以降、公害や農山村の過疎化などが進んだときは、近代化への批判が起こりましたが、共同体の再認識へと向かったわけではありませんでした。(有機農業運動、産消提携、生協運動、コミューン運動が起こりましたが、新しい共同体を希求する動きだったのでしょう。)
しかし、個人の確立が必要という「イデオロギー」が薄らぎ、逆に個人化が進んだ現代社会の問題点が意識されるようになると、共同体をとらえる「まなざし」が変わってきます。
現在の共同体論はここから生まれたと述べられています。
そして、日本の共同体の歴史をさかのぼり、「自然と人間が結び、人間が共有世界をもって生きていた精神」をとらえ、これが共同体の基層であると述べます。
つまり、「共同体はその「かたち」に本質を求めるのではなく、その「精神」に本質を見いだす対象」というわけです。
著者は、1970年代から通っている群馬県上野村での印象的なエピソードをいくつか紹介しながら、そうした「精神」は共同体の中にたしかにあり、住んでいると実感できると述べます。
この部分は本書の重要な主張です。
共同体を多層的に捉えているところも特徴的です。
著者の場合、家のある須郷という集落が第一の共同体ですが、道の維持や広い山の管理などは集落だけで完結できないので、少し広い範囲の第二の共同体で管理します。
さらに、江戸時代の旧楢原村の単位で動くときもあるので、これが第三の共同体で、それより広い現在の上野村が第四の共同体というわけです。
このように4つの地域共同体が積み重なったかたちとなっており、生業があれば、職能的な共同体もあっただろうし、寺の檀家や寺社の氏子たちも共同体を形成している、と述べています。
くわえて、著者は共同体を自然と人間の共同体と捉えますが、その関係性については、日本人の思想では自然と人間は分けられていない。
だから、自然と人間によってつくられた村という認識が生まれ、自然と人間による自治が課題になる、とあります。
また、個の確立については、西欧近代的な考え方と異なり、自己の内奥を見つめ、掘り下げるように自己を確立する。その到達点は自然(ジネン)のままに生きる自己であり、それが成し遂げられたときは自然と一体化して、自己は消滅する、と書かれています。
このような議論などから、日本の共同体は自然と人間の共同体であり、生と死を総合した共同体であり、さらに中世以来の自治の精神が流れ続け、江戸期以降は家業を継続する精神が影響を与えたものと、まとめています。
しかし、こうした「伝統的共同体」は、明治以降の近代化によって変容し、必要とされる機能としてのみ残ることになりました。
その機能として大切な必要な水と燃料の確保についても、共同体の支えが必要なくなっていったのです。
ところが、そうして共同体が壊れたとき、これを維持しようという動きが生まれ、共同体は意図されたものに変わったのです。
本書は、きちんと論理を追おうとすると注意深さが必要ですが、筆の運びがうまいので、なんとなく納得しながら、ときに首をかしげながら読み進められます。
著者の言う共同体の精神についても、楽しく読めましたが、それを本質的に捉えて議論することには抵抗がありました。
著者が捉える本質が、本当に本質的かどうか、私には理解できないところがあったからです。私は、やはり目的の明確なアソシエーションに共感を覚えてしまうと感じました。
ただし、著者も過去に戻ろうと主張しているのではありません。
過去からしか未来のヒントはえられない、と言っているのです。
しかも、それは「ありのままの過去」ではなく、現在の問題意識からみえてきた「過去」なのです。
そういう意味では、戦略的に共同体の本質が選ばれているとも言えます。
その本質から連なる現代の言葉が、人間と自然の関わりだったり、コミュニティの創造だったり、里山のある暮らしだったり、地域文化の意義だったりするのでしょう。
そうすると、NORAの運動戦略とほとんど差は無いことになります。
NORAは、ムラ-ノラ-ヤマから構成される里山をモデルとして、互いが生かし合う関係性を軸に活動を展開していますが、これもまた、持続可能で多様性を認め合う社会をつくりたいという問題意識から、過去の里山に現代に活かせるヒントを探った結果、選び取ったものだからです。
NORAのウェブサイトに描かれている里山は、理想的であり、また本質的なのですが、それは新しく人と自然の関係性を結び直すためのモデルなのです。
NORAもまた、過去の里山をモデルにして新しい社会を構想し、人と人、人と自然との豊かな関係を築こうとしているのです。
著者は補論で、とても根源的な問いを投げかけてます。
「はたして人間には関係をつくることができるのか。」
伝統的な共同体には、長い時間をかけて生み出された人と自然の関係がありますが、現代社会で意図的に自然と人間、そして人と人の関係をつくれるのでしょうか。
著者は「関係は生まれていくものであって、つくれるものではないかのかもしれない」とも言っています。
この問いに対して私は、だから場が必要と答えます。
けっして十分ではありませんが、必要ではあると思います。
つまり、場があれば関係がつくれるわけではありませんが、場があると関係づくりが促されやすいでしょう。
NORAが「はまどま」という場にこだわってきたのは、場には潜在的に「つなぐ力」があると信じているからです。
最後に、著者が東京との間を往復している上野村に関して記しておきたいことがあります。
この村は、全国トップレベルの財政力を誇っていますが、それは東京電力の上野ダム、そして神流川発電所があるからです。
村の税収のほとんどは、この固定資産税によるものです。しかも、原子力発電所とセットで考えられる揚水発電に使われるダムです。
かつて私が環境コンサルタントで働いていたとき、ちょうど、このダムのアセスメント調査を実施していたのですが、その頃から「ダムはムダ」という議論があったので、今からダムを建設して、どうなんだろうと思っていました(結局2005年に完成)。
内山さんには、こういう上野村の状況についてどう感じているのか、伺いたいと思っています。
【参考】
昨年まで一緒に環境社会学会の学会誌の編集を担当していた牧野厚史さん(熊本大学)が本書の書評を『村落研究ジャーナル』に書かれています。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jars/18/1/18_51/_pdf