先月のコラムの最後を、私はこう締めくくりました。
あなたにとっての里山とはどういう意味があるのか、私はとても興味があります。
つまり、第三者的に里山の重要性を語ることは(必要ですが)つまらないので、1人の個人にとって、一人称として里山とどう向き合っているのでしょうか、という問いかけを発したのでした。
これに対して、森林問題に取り組んでいる先輩から長いメールをいただきました。
強引にまとめると、目の前に見える個別具体的な出来事や問題に寄り添うのか、それとも、もっと大きな仕組み、法・経済等の制度を変えるよう働きかけるのか、揺れ動いてしまう自分に問いかけられているようだった、という内容でした。
そこで、少し脇道に逸れますが、これに応えるかたちで、私の今の考えを述べておきます。
大学院生の頃、先行き不透明な生き方をしていた私は、優秀な研究者たちが集まる懇親会の席で、尊敬する先生とこんな会話を交わしました。
「松村くん、君はバカだろう?」
「はい、そう思います。」
「バカのできる仕事には、お金を儲けられるがつまらない仕事と、お金には恵まれないが面白い仕事がある。君はどっちがいい?」
「面白い仕事ですね。」
私は、酒宴の席のこの会話をよく覚えています。
この先生の言葉には、お金を儲けられる面白い仕事ができるのは一部の「良くできた人」に限られ、その他大勢にとっては、仕事の対価と仕事の面白さを天秤にかけるしかないという潔い独断がありました。
あまり複雑なことを考えられない私には、この発想がしっくり来ました。
それ以来、あっちもこっちもと欲張りな気持ちになって迷い込むとき、二兎を追えるタマではないのだと頭を整理するようにしています。
もちろん、最初から諦めるのではなく、適当なバランス感覚がまず重要であるとも思っています。
先輩の迷いは、私にもよくわかるつもりです。しかし、最近はあまり大きなことを考えないようにしています。
というより、そんなに大きなことを考えらません。
これには、時間的な、あるいは能力的な限界もありますが、一番大きな理由は、個別具体的な小さいことの方が面白いと思っているからです。大きなことは性に合わないというのが、ぴったりの表現かもしれません。
単に、人間としての器の大小が反映しているのかもしれませんが。
この「小さいこと」と関連しますが、今年度から、多摩ニュータウンの歴史を掘り起こす調査研究プロジェクトを、同僚の先生2人とともに始めました。
すなわち、大学が多摩ニュータウンに位置しているという地理的な条件を生かし、1970年頃から急速に開発が進められた大学周辺を調査対象として、コミュニティの”小さな地域史”を掘り起プロジェクトです。
以下、少し長くなりますが、計画書に書いた研究目的を引用します。
ここでいう”小さな地域史”を、「開発者側の視点に立った地域の歴史を”大きな地域史”としたとき、開発された地域に居住していた旧住民、あるいは開発にともなって移入してきた新住民の視点から、生活を支えるコミュニティの変容を明らかにしようと企図するものである。恵泉女学園大学は、ほかの大学と比較するとけっして大きくなく、また、卒業生たちが社会のトップリーダーになることはまれである。この実態を踏まえたとき、トップダウンで大きな平和を構築するよりも、ボトムアップで身近なコミュニティの小さな平和を実現するための――顔の見える関係性の中で人びとが共に安心して生きるための――知識やスキルを市民として身に付けることが大切だと思われる。そのためには、かつて国土計画に基づいた大規模開発が大学の周辺に到来したときに、人びとがどのように工夫しながら生活してきたのか、その歴史から学べることは大きいはずである。旧住民は、開発にともなってコミュニティが衰退し、急激に生活環境が変化するのに戸惑いながらも、新しい暮らしに適応してきただろう。新住民は、社会基盤が整わない土地であっても、協力しながら新しいコミュニティを創ってきただろう。こうした人びとの歴史を詳らかにすることは、恵泉らしい平和文化を構想する上でも重要な作業になると思われる。
また、本プロジェクトの効果は、大学の教育展開だけにとどまらないものと予想される。調査を通して、大学と足もとの地域とのネットワークが広がり、深まることが期待できるし、収集された地域の記録・記憶を社会に還元できれば、大学の地域貢献にも役立つと考えられるからである。
助成金を申請するために書いた作文なので、いい加減なことも含まれていますが、結局のところ、私はどこでも同じことを言っているに過ぎません。
大規模開発にともなう社会変化を分析するならば、何千人、何万人を相手にしなければならないでしょうが、1人ひとりの生き方に向き合うならば、数十人か、せいぜい百人程度が精一杯でしょう。
そして、楽しく豊かに生きる上では、それくらいで十分だと思っています。
私には、それくらいが適当なサイズですし、この規模でもきちんと向き合うのは困難です。
前置きが長くなりました。本題に入ります。
コラムのサブタイトルに「NORAお勧めの本と映像」とありますが、これまでは本ばかりを取り上げてきたので、今回は映像にしました。
おそらく誰もが知っている『平成狸合戦ぽんぽこ』です。
この映画の舞台は、私の職場がある多摩ニュータウン(多摩市)です。
映像を見ていると、ここは○○川だとか、これは××神社だとか、よくわかります。
また、多摩丘陵の里山を重機で破壊していく場面もよく描かれています。
ニュータウン建設の過程を目撃できなかった私にとっては、この土地の”小さな地域史”を調査する上で大いに参考になる映画です。
私は、今の大学に就職して間もなく、多摩ニュータウン開発に興味を持ち、開発の過程をとらえたドキュメンタリービデオ(『変貌する多摩―村から市へ』)を市役所から借りて見ました(『多摩の四季とくらし』『多摩の雑木林―その四季となりたち』では、燃料革命以前の多摩丘陵における里山の暮らしがよくわかります)。
アニメで描かれている開発のシーンは、ビデオで見たものとそっくりです。
当時の開発の様子を知っている人ならば、アニメであっても心が揺り動かされるのではないでしょうか。
このほか、多摩丘陵の景観以外にも、後になって事実を知って感心することがありました。
たとえば、タヌキが動物事故の被害に遭う場面がありますが、実際(私が知っているデータは10年以上前のものですが)、高速道路上だけでも年間10,000頭以上のタヌキが轢死しており、そうした実態を踏まえていたことがわかります(コンサルタントで働いていたときに、当時の日本道路公団から委託されて、野生動物のロードキル(交通事故)対策について調査したことがあります)。
また、神社を壊そうとするときに鳥居が倒れ、たたられたものと気味悪がって工事を中止にしますが、これも実際に鳥居の下敷きになった痛ましい事故があったと聞いています。
つまり、この映画からは、都市近郊の里山における開発の過程、それに開発前後の里山の景観を知ることができます。
多摩丘陵における里山の開発史を知ることが目的ならば、アニメよりもドキュメンタリーの方が事実を正確に映し出しているので適当であるという考え方もあるでしょう。
しかし、私はそのことも踏まえて、あえてジブリ映画を取り上げました。
理由は、人びとの価値観が多様化し、多くの人に共有される体験が著しく減っている今日にあって、ジブリ映画を見ることは数少ない共通体験であるからです。
私が教壇から語りかける多くの学生たちにとって、里山がすでに放置され開発された「結果」の世界の中で成長してきたのであり、私のようにその「過程」を目にしながら過ごしてきた者とは、生きている世界が大きく異なるはずです。
それでも、ジブリ映画を題材にすれば、辛うじてコミュニケーションが図れます。
横浜のような都市社会では、何も共有していない人同士で隣り合って暮らしていることが増えています。
そうした現状を嘆くのはたやすいですが、それでも残っている共通体験を手がかりとしたり、あるいは体験を共有する場を新たに創り出したりすることによって、人と人、人と自然といった関係性を結び直せないかと考えています。