本書は、都市近郊の里山に興味を抱く全ての人に読んでいただきたい好著である。
もともとは、記録映画『オオカミの護符―里びとと山びとのあわいに』(2008年公開)をもとに書かれたものだである。作られた順序からすると、映画→本の順であるから、一般的には、先に本を読んでから映画を鑑賞する方が良いと思う。
このコラムで取り上げるにふさわしいと長らく思っていたものの、これまで書くタイミングを逸していた。それが、今回取り上げようと思ったのは、1月に都立埋蔵文化財調査センター(多摩市)で開催された映像上映会に、定員100名の2倍近いお客さんが集まり、入場できない方が多数生じ、アンコール上映会が企画されたことを知ったからである(新型コロナウィルスの影響で、2月末に予定されていた上映会は延期された)。
たしかに、この映画は多くの人に見ていただきたいと思っていたが、上映会に人があふれるほど集客力があるとは思っていなかった。そこで、今回のコラムでは、私が思う本書と映画の魅力を記すとともに、今日、この映画が強い関心を持って観賞される理由についても考えてみたい。
著者の実家は神奈川県川崎市宮前区土橋にある。現在の地図では、田園都市線の宮前平駅から鷺沼駅の間の北側、東名高速道路の川崎インターの南側に位置する。
著者が生まれた1963年当時の土橋は、農家50戸ほどの小さな農村だった。幼少期、著者はこの谷戸に古くから残る茅葺き屋根の家で、この土地の風土とともに暮らしてきた農家の祖父母に可愛がられて育った。
しかし、1972年頃からマンションや建売住宅が増えるとともに、言葉づかいも、着る服も、住む家も、食事の中身もすっかり変わった。この半世紀の間に、土橋の人口は100倍以上に増え、7,000世帯に近いという。
本書は、まえがきと第1章の間に文庫版7ページ分の「地元の子どもたちへの手紙」が挿入されている。
この手紙は、次の書き出しから始まる。
私が土橋の映画を作ろうと思ったのは、『おじいちゃん、おばちゃん、ごめんなさい』と、あやまりたかったからです。
なぜ、筆者は謝りたいのかと思って、読み進めていくと、次のような文章がある。
私の家は茅ぶき屋根のおうちで、土橋で採れる土と草と木、そして竹でできていました。茅ぶき屋根のおうちの周りには牛を飼った牛小屋があり、その向うに畑や竹やぶがあって、私のおじいちゃんはいつも畑で仕事をしていました。
あるひ、同じクラスの男の子が、「俺んちから学校に行く間に、ボロい家があってさ、そこの前を通ると臭いんだ」と言ったのです。私は、すぐにそれが自分の家のことだとわかりました。それ以来友達に家を知られないように、学校から帰るときに自分の家よりも遥か手前の道で曲がり、大きく回り道をして帰ったのを覚えています。
・・・
私は自分の家がお百姓の家だというのが恥ずかしくて仕方がありませんでした。どこから見ても百姓にしか見えないおじいちゃんの存在も恥ずかしいと思いました。
・・・
お友達と一緒にいるときにおじいちゃんが私に声をかけてくると、他人のフリをしてその場から逃げてしまったりしました。私は新しく土橋にやって来たお友達に、おじいちゃん、おばあちゃんのことや、茅ぶき屋根の家のこと、そして農村だった土橋のことも、誇りを持って話をすることができませんでした。
・・・
でも心の中では朝早くから黙々と仕事を続けてきたおじいちゃん、おばあちゃんのことも、ツバメやカブトムシやホタルなどがいつも遊びにきていた茅ぶき屋根の家のことも、ドジョウやザリガニを採って遊んだ土橋のことも大好きでした。それなのに自分が嫌われないようにと他人の目ばかりを気にしているうちに、大切なおじいちゃんも、茅ぶき屋根の家も、土橋の風景も皆消えていってしまったのです。
私は著者と同じ1960年代生まれであり、東京郊外で二軒長屋のボロ屋で暮らした。著者と同じように、1970-80年代にかけて、急速な宅地開発に伴う農村風景の消失を経験した。
10代の頃は、自分の置かれている生活環境を愛することができず、ふりかえってみれば、自分を偽って生きていたように思う。農家に生まれた著者とは、同じレベルではないはずだが、この著者の正直な告白を私は理解できると思った。
私が、20代後半から里山とかかわるようになった理由は、自分が大切だと思っていたことを、自分なりに表現しようと思えるようになったからである。大学を出て、勤めた会社を辞めたときのことだったが、それは私にとっては解放であった。だから、私は都市近郊の里山を、その土地の大事なものを伝えていく場所であるとともに、人びとが自由を表現する場としても位置づけようとする。
→「寄り道1 子どもながらに見ていた小さな世界」
→「寄り道2 私と里山はドーナツの中と外」
著者は大人になってから、「強烈に恥ずかしいと思っていたものがとてつもなく大切で、本当はきちんと自分自身が自分の言葉で伝えるべきこと」だと気づき、土橋の行事や芸能を片っ端からビデオに収めることにした。それは一人で始めたことだったが、その作業が大切なことだと思う仲間が現れ、記録映画の制作につながったという。
この経緯は、著者に自由をもたらしたことだろう。
タイトルの「オオカミの護符」は、著者が地元を見つめ直すようになったときの象徴である。
著者は、高度経済成長の恩恵に預かる一方で、何か大切なものを置き忘れてきたような気がすると常に気になっていた。その何かに向き合おうと心に決めたとき、古い土蔵の扉に貼られた1枚の護符(お札)が目に映り込んできた。
著者は、子どもの頃からこの護符を目にしてきたはずだが、どういうものかを知ることがなかったので、あらためて、このお札について調べ始めた。土橋の歴史・民俗を家族や地域の方々から教えてもらいながら、お札に描かれている「オイヌさま」が百姓の神様であり、それが御嶽講の講中に配られるものであることを知った。
御嶽講とは、青梅市にある御嶽神社を信仰する人びとの集まりで、毎年、その中から数人が代表して山へ参拝に向かう。その一方で、土橋の人びとがお世話になっている御嶽神社の御師は、毎年、里に下りて講中の一軒一軒を訪ねて「オオカミの護符」を新しいものと交換する。
このように、里に住む農家と山岳信仰との関係を深く知るにつれて、いつしか自然と山に向かって手を合わせるようになっていった。
著者が「オオカミの護符」の謎を解き明かすために、本を読み、歩き、見聞きしたことは、すでに学問の世界では知られていたことに違いない。インターネットを通して、御嶽信仰や狼信仰について、調べようと思えば、かなり細かいことまで知ることができるだろう。
本書の価値は、そうした民俗学的な知にあるのではない。
筆者は、子どもの頃に抱えた心の傷と向き合い、今まで目に入っていたのに知ろうとしてこなかった「オオカミの護符」にあらためて出会った。そのお札は、著者のルーツである土橋の庶民が大事にしてきたものであり、お札を介して身近な小さな世界が広い時空へと繋がっていた。これは、学問的には発見ではなくても、著者にとっては大きな発見であり、感動であり、価値の転換であったろう。
つまり、私は本書を、自分が抱えた傷と向き合い、正直に生きようと学びを深め、そこから大きな喜びを得た物語として読んだ。学問的な専門家になれる人はけっして多くないけれど、著者のような学びを通して、大きな発見、感動、価値の転換を経験できる人は、潜在的には少なくないはずである。
私が学びの力を信じている点は、ここにある。
本書を読むと、描かれている風景や行事などを知りたくなるはずだから、その段階で映画を見ると、さらに理解が深まるだろう。さらに、物足りない方には、土橋に残る講の魅力に迫った記録映画『うつし世の静寂に』もお勧めである。
映画に映されている民俗は、多摩丘陵の農家が伝承してきたものである。景観としては、ほとんど消えてしまったが、人びとの祈りの中には、静かに残っている。
1月の『オオカミの護符』の上映会は、多摩ニュータウンの真ん中で開催された。ここにも、ニュータウン開発前までは、多摩丘陵の農村景観が広がっていた。
ニュータウンに隣接する旧住民の家を注意深く見ると、「オオカミの護符」が貼られていることに気づく。この地にも御嶽信仰が残っているのだろう。
上映会に集まったのは、地元の講中の人びとだったのかもしれない。