[1] 菅豊・北條勝貴編『パブリック・ヒストリー入門:開かれた歴史学への挑戦』(2019年、勉誠出版)
[2] 渡部竜也『Doing History:歴史で私たちは何ができるか?(歴史総合パートナーズ9)』(2019年、清水書院)
[3] 庭田杏珠・渡邊英徳『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』(2020年、光文社)
[1] 菅豊・北條勝貴編『パブリック・ヒストリー入門:開かれた歴史学への挑戦』(2019年、勉誠出版)
英語で、doing history(歴史をする、歴史実践)という言葉がある。
もちろん、歴史学者が史料をもとに過去の出来事について調べ、研究活動をおこなうことは、すぐに想像できる歴史実践のひとつである。しかし、doing historyという言葉によって強調されることは、歴史学の専門教育を受けていない普通の人びとも日常的に歴史に関わる諸活動を実践しているという事実である。つまり、それは博物館、図書館、文書館(MLA; Museum, Library, Archives)における活動はもちろんのこと、歴史を感じさせる史跡や建造物、歴史ドラマやアニメなどの映像、お年寄りの昔話を聞くこと、自分のルーツ探しなども含めて、すべて歴史実践としてとらえることができる。以前、このコラムで取り上げた保苅実『ラディカル・オーラルヒストリー:オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』(2004→2018年、お茶の水書房→岩波書店)では、まさに歴史実践が中心的なテーマとなっており、アボリジニの歴史実践のありようがオーラルヒストリー(口述史)をもとに示されている。
このような広がりを持つ「歴史をする」ことについて、かつて私たちは歴史の専門家による調査研究や社会貢献活動こそが正しく、普通の人びとによる歴史実践は相対的に軽視してよいと考えていた。つまり、社会とは隔絶されたアカデミズムの中にいる専門家だけが「歴史をつくる」と考えていた。
ところが、現実の私たちの歴史観や歴史認識は、専門家のそれと同じではない。アカデミズムの中では議論されることのないような伝説・偽史・フェイクが、まことしやかにささやかれ、社会のなかで一定の影響を与えている。もちろん、そうした歴史実践は、昔から口伝えに噂として広まったが、今日ではインターネットを介して、特にSNSを通じて情報が拡散していく。かつては自分の歴史認識について公共的な場では口をつぐんでいた人が本音を語り、意図的に歴史観のタブーを壊そうとすることがある。その中には、戦時中の大量虐殺の事実はなかったと主張するような、いわゆる歴史修正主義と呼ばれる人もいる。つまり、「歴史をつくる」のは専門家だけではなく、非専門家による歴史に関する主張が社会に及ぼす影響は無視できなくなっている。
専門家がつくる歴史と異なる「歴史をつくる」人たちは、歴史修正主義者だけではない。たとえば、個人史や家族史、コミュニティの歴史などを調べ、そうした過去と向き合うことは、客観的な事実の追究を目ざすアカデミズムの世界では注目されなくても、当事者本人が今を生きる上で、きわめて重要な位置を占めることがある。私たちが「歴史をつくる」ことは、現在をよく生きるために、将来をよく生きたいと願うために、誰にとっても必要なのである。
このような現状を踏まえると、学問と社会の対話を目指す「パブリック・ヒストリー」という開かれた歴史学の魅力と危うさが理解できるだろう。
図書[1]『パブリック・ヒストリー入門』の編者の菅豊さん(20年来、研究上お世話になっており、本書も献本いただいた)は、パブリック・ヒストリーを次のように説明している。すなわち、「パブリック・ヒストリーとは、歴史学の新しい研究分野や対象、方法を指し示すというよりも、現代社会のなかで歴史学が向かうべき、ひとつの新しい方向性を指し示すものと考えた方が良い」「パブリック・ヒストリーとは、過去を過去のこととして過去に留め置くのではなく、過去と現在との終わることのない対話を通じて、過去を現在にかかわる者として現在に引き戻して、さらにこれからの未来に引き伸ばして、人びとのために役立てる「現在史」なのである」。
歴史学を専門家以外にも開いたとき、真っ先に論点になるのは歴史の信憑性についてであろう。何が正しい歴史なのか、そもそも正しい歴史とは何かなどと議論が展開していくと、これまでは統制されていた歴史認識をめぐって「ヒストリー・ウォーズ」が始まる。パブリック・ヒストリーでは、「歴史学と歴史実践の民主的な統治」のために、非専門家の参加を促して多様な歴史像の構築を図るが、そのために歴史修正主義に拠点を与える危険性をはらむのである。
このように現代においては、学問が社会に対して開くにしても閉じるにしても、いずれにしても難しい局面にある。これは歴史学に限らず、考古学、民俗学、人類学、社会学、地理学などにおいても同様であり、現代の専門研究者は、つねに学問と社会のあり方について考えざるをえない。
図書[1]は、このような現在進行形の「パブリック・ヒストリー」に関する優れた入門書である。大きく理論編と実践編に分かれているが、理論編に収められた菅さんの「パブリック・ヒストリーとはなにか?」が行き届いたレビューとなっており、ここを入り口として入れば、あとは興味のあるところを読むだけでも十分楽しめるはずである。
[2] 渡部竜也『Doing History:歴史で私たちは何ができるか?(歴史総合パートナーズ9)』(2019年、清水書院)
さて、こうした学問と社会が交差する場で起こる問題は、しばしば歴史教育の問題としてとらえられてきた。図書[2]『Doing History:歴史で私たちは何ができるか?』は、この歴史教育の問題を正面から扱っている。
この本は、2022年から高校の授業に日本と世界の近現代史を扱う新科目「歴史総合」が導入されることを見越し刊行された「歴史総合パートナーズ」というシリーズの1冊である。このシリーズには、ほかに『歴史を歴史家から取り戻せ!』『帝国主義を歴史する』など現時点で13冊が出版されており、タイトルを見る限り、パブリック・ヒストリーが要請される時代にふさわしいラインナップとなっている。
図書[2]によれば、歴史教育では、歴史をいかに教えるべきかについて、おもに3つの考え方がある。すなわち、実用主義、実証主義、構成主義である。
実用主義では、現代社会を深く理解するために歴史を学ぶべきという考え方である。実用主義者(プラグマティスト)によって、現代社会の理解のための手段として歴史を学ぶという考え方は、戦後日本の社会科教育に取り入れられた。
実証主義とは、専門的な歴史研究には価値があり、それが一般に人びとに伝わっていないことを問題だと考える立場である。歴史学者が培ってきた歴史的思考(historical thinking)によって、時代の価値観に左右されることのない事実を客観的に解明することが大事で、それを正しく伝えることが使命とされる。実証主義的な考え方は、日本では1989年の学習指導要領で高校に地理歴史科と公民科を分けるかたちで結実した。
構成主義とは、歴史的思考は専門家が専有すべきものではなく、広く一般の人びとが参加して共有すべきものであるという考え方である。この立場は、実証主義の立場を支持していた人たちが、専門家の特権的な地位に疑問を抱くようになったことで、大きな勢力を持つようになった。パブリック・ヒストリーが必要とされている現代社会において、実用主義的な世界観を踏まえつつ、実証主義的を手放さずに歴史的思考を重視しようとしている立場だと言えよう。
図書[2]は、構成主義の立場に立つ著者が、パブリック・ヒストリーが広がりを見せている現代において、歴史を学ぶことの意味を考えさせる好著である。この本が収められているシリーズ「歴史総合パートナーズ」には、ウィズコロナ時代に格好の『感染症と私たちの歴史・これから』や、環境社会学者としては外せない『3.11後の水俣』など、興味深い本があるので、社会人が「歴史をする」を学び直すには適当だろう。
[3] 庭田杏珠・渡邊英徳『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』(2020年、光文社)
パブリック・ヒストリーの運動は、歴史学の担い手を開放するだけではなく、歴史の史料も社会に向けて開くことを求めていく。それは、アカデミック・ヒストリーが依拠してきた文書=文字的(literal)メディア以外の非文字のメディア―視覚的(visual)、口述的(oral)、物質的(material)なメディアに目を向けることになる。そして、近年のデジタル・アーカイブ、デジタル・ヒューマニティーズ(人文情報学)が急速な広がりを受けて、ちょうど8月にジャパン・サーチhttps://jpsearch.go.jp/が一般公開されたように、史料の開放が一気に進んでいる。かつては専門家しかアクセスできなかった貴重な史料が、家に居ながらにしてネットで大量に見ることができる時代がやって来たのである。
このデジタル・アーカイブの分野で、最近話題になっているのが、図書[3]『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』である。渡邉英徳さんが主導する「記憶の解凍」プロジェクトでは、AI技術を活用して白黒写真をカラー化し、過去の記憶を生き生きと現代にみがえらせる。白黒写真では、遠い昔の過ぎ去った出来事として関心を引き寄せないものが、カラーにすることによって、写真の枠内に閉じこめられた過去の人や景色が、現代に生きる私たちと似ていると感じたり、続いていると実感させられたりする。もちろん、カラー写真によって、私たちの感情に訴える力が増すことは良いことばかりではない。白黒写真だからこそ、想像力をたくましくして、過去に思いをめぐらせていたのが、生々しく迫ってくるために、すぐに反射的な感情が湧き起こって、冷静に歴史と向き合えなくなるかもしれない。それでも、このようなデジタル技術を活用した歴史実践は加速度的に進展していくだろうし、私たちはその中で「歴史をする」ことについて考えざるをえない。
このように雑多でまとまりがなく、信憑性に欠ける歴史認識も飛び交うパブリック・ヒストリーの現在とは、パンドラの箱を開けたような状況と言える。歴史修正主義やフェイクニュースを生みだす温床を作っているという側面もあるだろう。
それでも、私はこのパブリック・ヒストリーが拓く場に、これからの社会の希望を感じる。まさに、パンドラの箱の底に希望が残ったように。
この私の実感を支えているのは、いくつかの具体的な事実である。
記憶の解凍プロジェクトは、広島の高校生との共同研究により進められてきたが、意外にも高校生たちの関心は最新のAI技術を駆使することにはない。たとえば、いかにリアルな写真を復元するか、そして多くの人びとの関心を惹きつけるのかということは、デジタル・ネイティブな高校生(その中のひとりで図書[3]の共著者である庭田杏珠さんは、今年、渡邊さんが在籍する東京大学に進学した)からすると、特別に新しい技術とも思えず、また、そうした技術もすぐに陳腐化すること、デジタル技術の進展が私たちの人生を目覚ましく豊かにすることはないことを経験的に知っている。だから、カラー化された写真を被爆者とともに眺めながら昔の話を聞き、当時の状況に想いをめぐらすなかで、話している相手のことを思うことの方に熱心だという。高校生たちは、AI技術によるカラー化が手段であることをきちんと理解し、その先の目的に照準を合わせて「歴史をする」のである。
もう1つ最近聞いた例を紹介する。南房総の鋸南町(昨年、大型台風の襲来により大きな被害を受けた)に、大正時代から昭和初期にかけて保養地・別荘地として親しまれた保田という町がある。この町の当時の歴史や文化を掘り起こして本を作り、地域の図書室に寄贈している保田文庫という活動がある。たとえば、『注訳 保田日記』という本は、慶應大学教授であった小泉丹が昭和10年~16年の間、保田・鱚ヶ浦の別荘でつづった日記に解説をつけたものである。私は、この本を知り合いから紹介されて見たのだが、一瞬にして優れたパブリック・ヒストリーの成果だとわかった。
ただし、郷土史資料には素晴らしい作品が眠っていることがあるので、この本の装丁や内容だけであれば、それほど驚くことはなかっただろう。私が感心したのは、この本の届け方である。この本は注文に応じてオンデマンドで印刷し、それを作成者が発注者と対話するために、じかに発注者のところまで届けに行くということであった。この話を知人から聞いて、パブリック・ヒストリーの可能性がどのように開かれるのかが、確かな手触りとして感じられるようになった。
現代に生きる私たちは、デジタル技術を駆使して「歴史をする」ことができる。その歴史実践の広がり、パブリック・ヒストリーが拓く地平の驚くほどの広さには、可能性を感じるとともに、その混乱にうろたえもする。しかし、「歴史をする」ことは、その先に何のためにという目的があるはずだ。目的がはっきりしないまま、手段の広がりばかりに目を奪われると、素朴に可能性を感じたり、捉えどころがなくてまごついたりする。逆に言えば、しっかりとした目的があれば、このパブリック・ヒストリーの潮流に加わって、デジタル技術を駆使して、その可能性を伸ばしたい方向へと伸張させられるに違いない。私たちは、現在をよく生き、将来に希望を抱くために「歴史をする」ことが、これほど可能性に満ちている時代に生きている。その事実を、現代に生きる私たちの生の充実のためにいかしたい。