3/22(火)午後、環境社会学会震災・原発事故特別委員会の研究例会「環境社会学は東日本大震災にどのように『応答』してきたか:10年目のフィールドから」に参加した。
最近、関礼子さんに大変お世話になっているので、あらためて関さんの研究報告をきちんと聞こうと思ったからだ。
午前中、この例会の印象記を書くように依頼メールが届いた。書きたいことが湧いてくるのか、確信が持てなかったから返信できなかった。
実際に参加してみたら、全体を通して議論のレベルが非常に高く、知的刺激を受けた。これならば自分の考えを書いてみたいと思い、執筆依頼を引き受けた。以下は、その例会印象記の草稿である。
私が震災・原発事故問題特別委員会の例会に参加したのは数えるほどだが、久しぶりに参加して、高いレベルの議論から大いに知的刺激を受けた。まずは、有意義な例会を企画された委員会の皆さん、報告・討論された皆さんに、深く感謝を申しあげたい。
例会を通して示された論点はあまりに豊富だったので、ここでは公共社会学としての環境社会学という観点から、論点を3つ――①研究者の立場性について、②現場あるいは社会への応答について、③自己責任社会に――に絞って私が考えたことを記す。
①環境社会学は被害者・居住者・生活者の立場から、問題の解決策を考えてきた。これはそうした人びとの肩を持つためではなく、問題の意味内容を内在的に理解し、社会的事実にもとづいて解決を図るための方法論である。しかし、関さんが報告されたように、裁判の場において、被害の現実を明らかにする環境社会学的研究は被害者の代弁行為とみなされてしまう。つまり、極端にいえば、客観中立的な実証主義的認識論にもとづくデータ収集しか科学的方法として認められないのである。これは、社会科学における方法論・認識論の多様性が社会に理解されていないことを意味する。環境社会学が公共の場で役割を果たすには、社会科学の方法論について公衆とコミュニケーションを図る必要があるだろう。
②私は東日本大震災・福島原発事故の被災現場に、直接的には応答しなかった。せいぜい、スタディツアーを企画して浜通りに学生を引率したくらいである。例会のなかで、環境社会学の特徴として、長くしつこく現場にかかわることが挙げられた。当時、私もそのように思ったからこそ、新たに現場に赴くのではなく、それまで研究や実践の現場のなかで、この巨大災害の経験を生かそうと思った。現場との応答という場合、調査対象を被災現場としている研究に限定しがちであるが、ほとんどの環境社会学者はこの複合過酷災害にそれぞれの方法で応答し、その後の研究と実践を進めたであろう。そうした見えにくい研究者の応答も視野に入れると、研究や実践は先細りしていくばかりではなく、広汎にわたって深化している領域をとらえられるのではないだろうか。
③自己責任社会とは、社会的な不正義が個人の選択結果とされがちな社会であり、他者の苦痛を気にしないでよい社会である。震災から10年が経過し、被害は多様化・複雑化し、コミュニティは分断されていくなかで、研究者の立場性、応答のあり方については、答えのない問いが真摯に繰り返される。哲学・倫理学的に重要な論点が多数提示されるが、実践論としては、どこかに着地点を見つけ、たとえば具体的な制度に落とし込む必要がある。その際、必ずこぼれ落ちるものがある。実現されない正義、癒やされない苦痛が残る。それならば、研究者の視点から正しい解決策を探究することに加えて、一緒にどうすればよいかを前向きに考えてくれる仲間を増やすことも、意味のある実践論ではないだろうか。これは、被害者の人権救済に資する法制度の創設のような「大きな実践」と比べるとささやかな、しかし、どこにおいても多様に展開できる「小さな実践」に違いない。環境社会学が目を向ける見えにくい被害、たとえば、被害者一人ひとりの声を聞き取らなければ無いことにされてしまう被害に対しては、誰一人取り残さない環境づくり、安心して語れる場づくりなどの実践が適しているように思われる。そして、この他者を感じて人と人の間に生きようとする人間的な実践のなかでは、今回の報告者が実践されていたような有名無名の人びとの聞き書きが大いに生かせるのではないだろうか。