先月7月6日(土)、環境3学会合同シンポジウム「Nature Positive 実現に向けた方策の検討」(環境法政策学会、環境経済政策学会、環境社会学会)が開催され、私は環境社会学会の会員として短い講演とパネルディスカッションに出演した。
そのときに感じたこと、考えたことを残しておくとともに、チャットでいただいた質問に対して答えておきたい。
石川奏太さん(サンリット・シードリングス)の基調講演「生物多様性の科学で挑むネイチャーポジティブの事例づくり」は、京大発ベンチャーによるネイチャーポジティブ支援事業の紹介といった内容であった。企画者としては、環境社会科学系3学会による議論の前に、ネイチャーポジティブをめぐる企業サイドの最前線を聞いてみようという意図があったものと思われる。
私は、自分が企画しているNPAの環境講座において、昨年8月に藤木庄五郎さん((株)バイオーム)から「モバイル端末を用いた市民参加型生物多様性モニタリングの展望」を、今年4月には高川晋一さん(公益財団法人日本自然保護協会)から「多様なパートナシップで実現する地域のネイチャーポジティブ」を話していただくなど、ネイチャーポジティブめぐる最近の動向に興味を持っていたので、それらと関連づけながら話をうかがった。
脱炭素に向けたグローバルな枠組みを参考にしながら、生物多様性の回復に向けて制度づくりが進められており、そうした動向を踏まえた民間企業の取り組みやビッグデータ・AIを活かした起業が促されている。
日々進化していくIT業界に身を置きながら、グローバルな環境問題に取り組んでいこうという挑戦的な姿勢には深く共感する。ただし、話のスケールが地球大なので、私たちのようなローカルな里山再生活動と、こうしたビジネスの動向をどうリンクさせることができるのかが課題だと受け止めた。
一方、市民・NPOによる環境保全活動にとって、ヒントになりそうな話題を提供してくれたのは、私の講演「なぜネイチャーポジティブを素直に喜べないのか」の後にお話された阿久津圭史さん(株式会社日本政策投資銀行設備投資研究所、環境法政策学会)の「ネイチャーポジティブに向けた法政策的対応と課題」と篭橋一輝さん(南山大学国際教養学部、環境経済・政策学会)の「コミュニティから紡ぐNature Positive——豪州ランドケアの実践から考える」であった。
阿久津さんは、国内のネイチャーポジティブ政策といえる自然共生サイトを中心にお話してくださった。自然共生サイトとは、日本版OECMと言われるように、保護地域以外で生物多様性保全に資する地域を指し、OECM(Other Effective area-based Conservation Measures)として認定・登録するというものである。日本の自然共生サイトは、認定のために要する事務的な手間が煩雑であるのに、認定されるメリットが乏しいことから、既存の認定サイトの多くは企業有地である。これは、企業が宣伝を兼ねて自社有地の認定に取り組んでいるからであろう。
自然共生サイトはこのような認定状況であるために、私はあまり重く受け止めていなかった。しかし、阿久津さんは自然共生サイトに言及しながら、横浜市の「市民の森」制度を参考例として取りあげられていたのでハッとした。なるほど、「市民の森」制度はOECM的な緑地保全の手法として捉えることができるし、また、横浜市内の里山を守ってきた実績もある。そう考えると、自然共生サイトが急に身近な制度に感じられるようになった。
しかし一方で、国(環境省)はネイチャーポジティブへ向かうグローバルな気運を生かして、もっぱら企業向けに自然共生サイトの認定・登録を勧めているように映っている。これまで横浜市の「市民の森」制度のように、各自治体が取り組んできた環境保全制度を生かしたり、連携を図ったりするようなことは考えていないのだろうか。阿久津さんの印象として、環境省が自然共生サイトの制度設計を考える際に、そうした既存の制度を十分にレビューしなかったのではないかとおっしゃっていたが、どうなのだろう。「市民の森」制度は都市緑地の保全政策ではよく知られているけれど、環境省はもっぱら自然公園制度に頼っていたことが、そうなったのかもしれない。
籠橋さんによるランドケアの報告も、なかなか興味深いものであった。1980年代にオーストラリアの乾燥地帯で、土壌の塩類集積で困っていた農家に向けて、土をいたわりながら植生を回復させ、農業を持続可能なかたちへと転換させるプログラムが始まった。州レベルから始まったものが連邦政府のプログラムに採用され、全土に展開されている。このプログラムは、政府主導で始まったものの、現在は地域コミュニティが中心となり、農家、地方自治体、大学、NGO/NPO、企業等が協力して活動を展開しているところに、籠橋さんは興味を持たれているという。
このプログラムは、もともと農家の経営課題の解決から始まっているので、環境保全だけではなく農業経営についても配慮する。また、ローカルレベルのニーズを重視している点が特徴的で、たとえば、在来種の苗を育てているところがいくつもあって、ランドケア活動に供給している。このような活動が、地域レベル、州レベル、全国レベルで重層的にネットワークを形成しており、それでも各活動の自律性を損なわないような関係が成り立っているという。
ランドケアについては初めて聞く話であったが、非常にまっとうなネイチャーポジティブ活動が地域コミュニティ主導で展開されていることを知り、とても刺激を受けた。農家の支援から始まったように、この運動は経済とリンクしている点が見逃せない。たとえば、日本の場合、環境配慮型の農業に切り替えると、所得が減ってしまうから補助金が必要であるというように、環境と経済がトレードオフの関係であることが前提になっているように思う。ランドケア活動は、土壌の健康を維持することが、農業の持続性を高めて、長期的な農家収入を増やすことにつながる。このような環境と経済の好循環を生み出せる活動を、うまく見つけることが重要なのかもしれない。
最後に、当日いただいた質問・コメントを紹介しつつ、それに応えておきたい。
(質問)
多様性のある社会が生物多様性を豊かにするのではないかという仮説は「多様性のある社会が生物多様性を豊かにする」とみられる現実の社会的事象が見られたからと推察しますが、どのような事象があったか、また、そこからどのようにこの仮説に至ったかを宜しければご教示ください。また、もしその様な事象がないがとすればどのような理由でこの仮説を立てたか、ご教示ください。
(回答?)
そもそも、生物多様性とは何か?どのように測るのか?という問いに答えることは難しい。専門的にも、いろいろな定義や計測法があるようだ。目的に応じて使い分けるのが適当なのだろう。
私は、その曖昧さが残っているところがいいと思っている。
生物多様性を豊かにしたいというときに、さまざまな多様性のとらえ方がある。それ多様なとらえ方を、できるだけ包摂できるような社会の仕組みを考えたいと思う。
そう考えると、私たちの社会がそもそも多様性に満ちており、多様なものの見方ができなければ、生物多様性の多様な価値を見いだすことができないと思う。
だから、「多様性のある社会が生物多様性を豊かにする」と言ってみたい。
別の角度からも語ってみよう。
たまたま、縁があって足を運んだ農村伝道神学校(町田市野津田町)には農地があって、関係者のコミュニティガーデンとして、自然農や炭焼きの実践地としてなど、いろいろな人たちが出入りしている。
私が訪ねた日には、園児たちが野菜を収穫しに来たり、フリースクールに通う子どもたちがやってきたりしており、少し年配の方がマイペースに土を耕したり、窯から煙が上がるのを眺めたりしていた。
多様な人びとを受け止める穏やかな自然に安らぎを感じた。短期的な収益を上げようとする時空間とは、明らかに位相の異なる世界である。
こういう風景を眺めながら、私は「生物多様性を豊かな自然に多様な社会は生かされる」と感じている。
このあたりまでくると、あまり論理的に説明しようと思わない。
同じような風景を見たいと思える人たちと連帯し、人びとの多様性と生きものの多様性をともに祝福できる世界をつくりたいと思う。