私が市民活動にかかわるようになったのは今から十数年前のことです。
鶴見川の支流の恩田川の上流にある小さな谷戸を保全するために活動してきた「恩田の谷戸ファンクラブ」という市民団体に入りました。
活動に続けて参加し、スタッフの話し合いにも出席するようになると、しばしば、「岸さん」「岸先生」という名前を聞くようになりました。
あるとき、誰に尋ねたのか忘れましたが、岸さんとはどういう人なのかと尋ねてみました。
すると、鶴見川流域で環境保全の活動にかかわっている大学の先生で、このあたりでは「キシユウジ」の名前を知らなければモグリだと言われるほど有名で発言力がある人であること、積極的に行政とも組むという運動のやり方については、市民の間で賛否両論があることを教えていただきました。
そして、多くの市民から距離感を探られている岸由二さんという人に会ってみたいと思いました。
同じ頃、私は、神奈川県内で面白い活動を実践している人・店・グループを紹介する本づくりのプロジェクトに参加する機会を得ました。
(この成果は、もっかな探検隊編『もっともっともーっと神奈川!』(夢工房、2000年)として発行されました。)
この本の特徴は、県内の活動を網羅的に取り上げるのではなく、その活動を知ることで元気や勇気がわき出るようなところを、市民の有志が掘り下げて取材するという点にありました。
私は、それまで市民活動にかかわった経験が乏しかったため、取材対象から外れたところの情報を集めて、入力するという地味な仕事をしていました。
しかし、ある日の編集委員会のとき、委員の方から「せっかくだから取材してみたら?」と誘っていただき、1件だけ取材して原稿を書くことになりました。
私がプロジェクトに参加したときには、すでに取材する対象者がほぼ決まっていたのですが、その中には、岸さんが世話人となっている「鶴見川流域ネットワーキング」が含まれていました。
そこで、私が取材したい旨を伝えたところ、その希望は叶えられることになりました。
お会いする前に、岸さんの考え方を知っておこうと思って読んだのが今回取り上げた『自然へのまなざし』でした。
これはエッセイ集ですが、通して読むと岸さんの思想の体系がくっきりと浮かび上がってきます。
それを一言で表せば、「流域思考」です。
市町村や都道府県といった行政区で地域を見るのではなく、大地の凸凹から形成される流域単位で捉え直すことを勧めています。
「生きものの賑わい」(岸さんによるbiodiversityの魅力的な訳)のためには、行政単位の思考法を変える必要があるというのです。
私がこの本を読んで感心したのは、こうした北米のバイオリージョナリズム(bioregionalism、生命地域主義)につながる理論ではありませんでした(岸さんは、自分の考えを生態・文化地域主義と呼んでいます)。
そうした理論を現場に落とし込むときの実践的な手法が、きわめて具体的に書かれていることでした。
実際に、岸さんの影響力の大きさは、鶴見川流域で市民活動している人びとの会話のなかに容易に見いだすことができます。
たとえば、鶴見川流域はバクの形とイメージして、「私はバクの背中に住んでいます」と自己紹介します。
あるいは、多摩丘陵と三浦半島を多摩・三浦丘陵群と呼んで、この緑のまとまりをイルカの形と捉えて、「イルカのお腹で活動しています」と活動紹介したりします。
こういう鶴見川語とでも形容したくなる言語ゲームが、確実に市民の間に根付いています。
岸さんは、「里山」という言葉を否定的に捉えています。
里(り)が中国から日本に伝わった尺貫法の長さの単位であり、土地の起伏を表すものではないという理由からです。
町田市に住む岸さんは、谷戸地形を基本単位とする地域の自然環境の特性を捉えて、現在一般的に使われている里山のことを「谷戸山」と呼んでいます。
おそらく、その影響が強いのでしょう、町田市は緑の計画などで「谷戸山」という表現を使用しています。
市としては、里山よりも谷戸山という言葉を定着させたいようですが、町田の市民にはあまり知られていません。
やはり、バクやイルカのように具体的に形をイメージできることが大事なのでしょう。
さて、1999年6月、私は慶応大学の岸さんの研究室を訪ねました。
鶴見川流域ネットワークの話を尋ねる前に、私から質問したのか、岸さんが進んで話してくださったのか覚えていませんが、自然保護運動の個人史をうかがうことができました。
当時、活字にしないことを条件に語ってくださったので、ここでも詳しく書くことができませんが、金沢の埋め立てへの反対運動に始まり、小網代の森、鶴見川源流域の保全へ、そして鶴見川流域、多摩・三浦丘陵群へと、あくまでも自分が歩いて理解している範囲で活動されてきたことを知りました。
そして、足もとの土地を知ることによって得られる強さに心が動かされました。ライフヒストリーを聞くわくわくするような面白さを覚えたのも、このときだったような気がします。
岸さんの話をうかがいながら、地べたに根付いた芯の強さがあるから、運動の手法として行政と組むことにも抵抗がないのだろうと思いました。
そこで、取材の終わりに、私はこう質問しました。
「行政と連携して公共プロジェクトに関わるやり方に対して、批判はありませんか?」
それに対して岸さんは、次のように答えてくださいました。
「日本社会では、公共を市民同士が支えることがとても難しい。公は行政や会社が関わるものという慣習がある。だから、実効性のある地域のしくみをつくるためには、志のある市民集団が行政としっかり連携するのも当然の選択だと思う。しかし、自律性を確保するためには、市民側が行政に負けないような経験や情報をしっかり蓄積することが必要なんですね」と答えてくださいました。
この言葉を聞いたとき、私の知らないずっと先の領域で岸さんは格闘されているのだと思いました。
岸さんとは、このときに取材して以来、一度もまともにお話ししたことがありません。
しかし、その後もずっと私は関心を持ち続けています。
最近、岸さんが監修されたウィリアム・ブライアント・ローガンの『ドングリと文明―偉大な木が創った1万5000年の人類史』(日経BP社、2008年)と
翻訳されたデイヴィド・ソベルの『足もとの自然から始めよう』(日経BP社、2009年)は、ともにお勧めです。
地球にやさしくとか、自然との共生とか、エコを勧める周囲の声がかまびすしい世の中で、子どもが環境嫌い(エコフォビア)になるという問題があるようですが、そういう時代だからこそ、足もとの自然を見つめる必要があるのでしょう。