8月の酷暑の間、生物多様性と里山に関する研究動向を整理する文章を書いていました。
ここで書きたかったことは2点に集約できます。
1つは、生物多様性というキーワードに関して、生物の多様性を守るとともに忘れたくないのは、私たち(人びと)の多様性も守るべきということです。
私はエコロジストというよりもリベラリストですので、このときに書いた文章に限らず、これまで書いてきたものの随所に、こうした問題意識が含まれています。また、それはNORAの組織運営や事業展開においても重視している点です。
もう1つは、里山の評価に関することです。
最近の研究では、過去の里山は現在よりも緑の量が少なく(概して、今よりも森林は少なく草地は多かった)、場合によっては、はげ山となっていたことが明らかになっています。
こうした事実から、里山を自然共生のモデルとして掲げるのはおかしいという研究者が少なくありません。特に、今月名古屋で開かれるCOP10において、日本政府が世界に発信する「SATOYAMAイニシアティブ」に対しては、専門家から多くの批判が寄せられています。
こうした批判に対して私は、かなり共感する部分もあるのですが、実際にNORAの運営に携わっている立場からすると、肝心なところでピントを外しているのではないかと考えています。
むしろ、今の私たちにとって<里山>というイメージが、前を向いて人びとが共に歩む助けとなるならば、そうした側面を積極的に評価してよいだろうと書いてみました。
NORAの定款には法人の目的が次のように書かれています。
この法人は、人と自然が共生する里山をモデルにして、 そこに見られる思想、知恵や技などを現代に生かし、 人びとの生活の質と生き物の多様性が共に高められる暮らし方を実践し、 その成果を社会に発信しながら、地域ごとに個性ある 持続可能なコミュニティづくりに寄与することを目的とする。
私はこの文案を考えた1人ですが、里山が自然共生型で持続可能だと素朴に捉えているわけではありません。そうしたユートピアはどこにもないし、かつてもなかったことは、理解しているつもりです。
この国が経済成長に邁進していた時代でさえ、モデルとしていたアメリカの社会がまったく幸福であったとは思えません。ただし当時は、多くの人びとにとって、進むべき道が明確に見えていました。
ところが、今日の私たちの社会は閉塞感、不透明感に覆われ、どの方向に力をかけ、どこに向かって進めばよいのか、わかりにくいのが現状でしょう。
そのために、ぼんやりとでもいいから何か将来像を持ちたい、さらに、そのイメージを誰かと共有したいという欲求が生じているように思います。
こうした現状も踏まえて、私はNORAの進むべき方向性を示し、そこに多くの人びとが共感し納得できるようにと、定款の一文を考えたのです。
もちろん、自分たちで創りあげたはずのイメージが、ときには逆に私たち自身を縛りつけ、苦しめるようなこともありえます。歴史をさかのぼれば、そうした悲劇はいくつもあるでしょう。
あくまでも、私たちが必要に応じて掲げた旗だから、降ろそうと思えばできることを意識しつつ、それでも、その旗の下で真剣になって取り組むことが大切だと思っています。
「今・ここ」の点からでは見えない地平は広大です。
具体的に実践するなかで新しい視点や視角を手に入れ、見えてくることも多いはずです。
このように、自身が動きながらわかってきたことを踏まえて、適宜、旗の高さを変えたり、色や模様を変えたり、ときには降ろしてしたりと、私たちは変化していくのだと思います。
さて、いささか唐突でしょうが、今回は映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』を取り上げます。この映画は私のゼミ生とともに勤務先の大学で鑑賞しました。
今年の6月下旬、大学の近くでホタルを見に行くことにしていた日、夕方の空いた時間に何か映画を見ようと提案し、私が研究室に置いてあったDVDの中から選んでもらったところ、全員一致でこの映画を見ることに決まりました。
このとき、私は初めて『クレヨンしんちゃん』シリーズを見ましたが、たいていの学生たちはすでに見ていたようです。
彼女たちにとって『クレヨンしんちゃん』は、見ていて当たり前の映画だったようです。
そもそも、私がこの映画のDVDを持っていたのは、浅羽通明『昭和三十年代主義―もう成長しない日本』(幻冬舎、2008年)のなかで、非常に詳しく解説されていて興味を持っていたからです。
2005年に封切られた映画『ALWAYS 三丁目の夕日』に象徴されるように、近年、昭和が、特に昭和30年代(高度成長期)が好意的にふり返られます。
こうした少し前の時代を懐かしむノスタルジーは、いつの時代でもあったことかもしれませんが、昭和30年代ブームの特徴は、その時代を経験していない若者までもが、懐かしいと感じて、ときには涙してしまうところにあります。
ただし、ここで、その理由を詮索する余裕はありません。
それよりも、私が関心を持ったのは、昭和30年代ブームは実際の歴史を美化しているという批判でした。
つまり、実際の昭和30年代は、けっして美しくてよい時代ではなくて、女性差別や部落差別も著しく、公害も自然破壊もひどかったというものです。
浅羽氏は、こうした批判を、まったく正しいと認めながらも、どこか根本的に的を外しているのではないかと疑問を投げかけます。なぜなら、『三丁目の夕日』を撮った山崎貴監督は、これを「SF映画です」と語っているのです。
つまり、山崎監督からすれば、そうしたことは承知したうえで、あえて作った映画であるからです。
『オトナ帝国の逆襲』では、昭和30年代的な世界に彩られた「20世紀博」というテーマパークに大人たちが夢中になっています。
このテーマパークは、秘密結社「イエスタデイ・ワンスモア」により、大人を子供に戻して未来を放棄させるという計画のもとで運営されています。
そして、ついに大人たちは、秘密結社が発する「懐かしいにおい」に魂を抜かれたように引き寄せられて、昭和30年代的世界に耽溺し、こどもの面倒をみなくなります。
それに対して、しんちゃんは、自分たちの未来を切り開くために、オトナ帝国に対して戦いを挑むというストーリーです。
この映画では、昭和30年代的世界を肯定する価値観を1つの思想として捉え(浅羽氏はそれを「昭和30年代主義」と名づけています)、これが子どもの未来を奪うことになる可能性が示されています。
原恵一監督は、『しんちゃん』シリーズなので、しんちゃん側を勝たせますが、あるインタビュー記事によれば、秘密結社の側にも相当肩入れしていたようです。
しばしば、里山は昭和30年代と結びつけられて語られます。
すなわち、昭和30年代に燃料革命が起こり、それまで里山に薪や炭の材料を求めていたのに、この時期を境にして、ガスや石油などの化石燃料に頼るようになり、里山に人手がはいらなくなった。これ以降、里山は放棄され、また開発されるなどして、今日では危機的な状態にある、と定型的に語られます。
戦後復興に一段落がつき、高い経済成長を続けた昭和30年代は、人びとの暮らし、周辺の景観が劇的に変わった時代でした。生活の利便性が急速に向上する一方で、手放したことも多かったはずです。
今日、低成長の時代を迎え、過去をふり返りながら、私たちは何を得て、何を失ったのかを考えているのでしょう。
その現れとして、今日の昭和30年代を懐かしむ動きと、里山を懐かしむ動きもあるのだと考えられます。
当然のことですが、大人が捏造した過去を子どもに押し付けるべきではありません。
しかし同時に、大人が子どもに対して、何の価値観も示せないとしたら、それは無責任ではないでしょうか。
このあたりの考え方は、浅羽氏と私は同様です。
捏造という言葉では印象が悪いでしょうから、過去のさまざまな遺産をうまく生かし、現代社会に合うように適当に取捨選択をしながら、未来を構想するのだと主張しておきます。
NORAは、過去の里山を、現在の/将来の私たちと生きもののために生かそうとしているのです。
映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(監督:原恵一、2001年)