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エコツーリズム研究の現在

1.エコツーリズムとは[1]

 「エコツーリズム ecotourism」は、最近よく耳にするようになった言葉の一つである。しかし、エコツーリズムに不可欠な自然環境は古くから重要な観光資源であり、近年になって観光の対象になったわけではない。それでは、エコツーリズムは従来の自然鑑賞型観光とどのような点で異なるのだろうか。

 エコツーリズムの世界的展開の契機は、1980年にIUCN、WWF、UNEPなどが中心となって発表した「世界環境保全戦略(WCS)」における「持続可能な開発」の提唱にあるとされる。ちょうどその頃は、先進国において大衆化した観光(マスツーリズム mass tourism)が及ぼす自然的・社会的・文化的な負の影響を無視できなくなり、観光業を持続させるためには、資本である資源を持続させることができる観光(サスティナブル・ツーリズム sustainable tourism)が必要との認識が生まれていた。また、観光に充てる余暇の増大にともない、ある特定の関心にテーマを絞った観光(スペシャル・インテレスト・ツーリズム special interest tourism)を求める旅行者が増加してきた時でもあった。こうした「オルタナティブ・ツーリズム alternative tourism」(「もう一つの観光」、「新たな観光」)を模索する動きのなかで、自然保護のために経済的手段を導入しようとする考え方と、自然志向の旅行者ニーズの増加に対応しようとする考え方が1980年代後半に結びつき、エコツーリズムの概念が発展してきたといわれている。

 このように、エコツーリズムと従来の自然環境型観光との相違は、観光によって自然を保護するという視点が、前者にはあるが後者にはみられないことにある。こうしたことを踏まえて、これまでに提出されてきたエコツーリズムの定義をみておこう。

 エコツーリズムの定義は多様であり、研究者によってさまざまな意味が付与されているが、次に引用するブー(Boo)の定義が標準的である。それによると、「エコ・ツーリズムとは、(1)保護地域のための資金を生み出し、(2)地域社会の雇用機会を創造し、(3)環境教育を提供することによって、自然保護に貢献するような自然志向型の観光(ツーリズム)」(Boo 1991=1992: 2)である。同様に、エコツーリズムに関する日本で最初の教科書『エコツーリズムの世紀へ』では、エコツーリズムの目的を「波及効果によって地域の暮らしがより豊かになること、地域の資源が守られること、訪れた観光客に自然や文化とふれあう機会が提供されること」(エコツーリズム推進協議会編 1999: 25)とし、この3つの目的を目指すことがエコツーリズムであると定義されている。

2.エコツーリズムの困難性

 エコツーリズムは、自然環境に恵まれた開発途上国において特に期待されている。観光によって周辺地域の住民に収入をもたらし、貧困が原因となって破壊が進んでいる熱帯林などの保護を実現するというのだ。しかし現実には、解決困難なエコツーリズムのジレンマを抱えている例がみられる。ここでは、エコツーリズムの先進国である中米のコスタリカの例を紹介しよう。

 コスタリカは、国家政策としてエコツーリズムを推進しており、今や農作物の輸出をしのぎ、観光による外貨獲得が第1位となっている。この国は、国土の約25%を環境保全地域に指定されているほか、北米・南米両大陸の動植物が共存しており、欧米のナチュラリストからは「自然保護の聖地」と評価されてきた。ところが1990年代に入って、観光客の増加にともない、マスツーリズム志向の大規模観光開発が進められるようになった。外国資本による大規模リゾート開発が計画されるなど、自然環境の破壊が危惧されている。また、コスタリカにおけるエコツーリズムは、アメリカの旅行業者が持ち込んだものとして必ずしも地元住民に歓迎されていない面もあるという(新井 1999)。

 コスタリカのような観光立国を目指す国にとっては、観光客数の拡大がきわめて重要である。しかし、エコツーリズムはガイド付きの小規模ツアーが基本で、マスツーリズム向けではない。さらに、「観光客は少人数でやってきて、現地に精通したガイドに従って、環境を損なわないように慎重に行動し、足跡以外何も残さずに帰ってくるべきである」という厳格な規範にもとで観光が実施されると、地元には何も利益をもたらさない可能性もある。こうした場合、このような観光のあり方が一種の「エリートツーリズム」として反発する場合も少なくないようだ(新井 1999)。

 橋本和也は、「『エコ・ツーリズム』の企画は、最初から一つの矛盾を抱え込んでいる。環境保護のために接近の難しさを維持するが、一方では観光者の便宜を図ろうという矛盾である」と指摘する(橋本 1999: 278)。また、「『自然保護の精神』などという西洋的な価値観とはほとんど別物の論理が地元にはある。『エコ・ツーリズム』にしても同じである。西洋と地元のギャップを考慮せずに、安易に考えることには問題がある」(橋本 1999: 266)と述べ、エコツーリズムに批判を浴びせている。

3.エコツーリズムの可能性

 しかし、近年の観光人類学においては、橋本のようなエコツーリズムに対するラジカルな批判はむしろ少ない。観光人類学に限らず、人文地理学、民俗学の最近の諸研究では、観光にみられる「ホスト-ゲスト」、「地方-中央」といった不均衡な力関係を固定的に捉え、そこで実践される政治を糾弾するのではなく、しなやかに両者の関係を読み取ることが求められている(山下編 1996; 福田 1996; 森田 1997; 太田 1998)。観光という回避しがたい力関係のなかでも、ゲスト側の論理を一方的に押し付けられるのではなく、ホスト側がそれを巧みに「流用(appropriation)」し、自己表象や地域アイデンティティの創出に役立てる加工の過程が研究課題となっているのだ。

 文化について語る発話のポジションを厳しく問う太田好信は、文化を消えゆくものとして語ろうとする文化についての語りを「エントロピック(entropic)な語り」[2]として批判する(太田 1998: 29)。こうした語りは、「オーセンティシティ(真正性、本来性)」を所与として、観光を「疑似イベント」としてみなす二分法を前提としているが、太田は、この二分法をあてがって文化を語るときに発生する政治に注目する[3]。それというのも、「エントロピックな語り」は、「そこで生活する人々を、過去に存在した『純粋な(pure)』そして『真正な(authentic)』文化を継承するだけの、パッシヴな存在として位置づける結果を生むから」(太田 1998: 46)である。さらに、そうした語りは、対象社会に住む人たちの行なう文化の生産・創造のうち、オーセンティックなイメージに適合しないを行為をネガティヴに評価し、結果的に「異文化の語りのなかで対象社会の人々の主体性を否定する」(太田 1998: 66)ことになる。したがって、現在必要なのは、「対象社会の人びとの実践を文化の創造過程としてとらえ、その主体性を否定しない語り口」(太田 1998: 66)であるという。

 こうした太田の議論をエコツーリズムに引き寄せようとするとき、環境社会学における鬼頭秀一の「よそ者」論が参照されよう。鬼頭は、「地元-よそ者」を固定的に捉えるのでなく、両者が相互作用を及ぼしながら変容していくダイナミズムに着目している(鬼頭 1996, 1998)。特に、環境運動における「よそ者」の積極的な役割(=「普遍性の獲得」)を定位し、評価したことは、観光研究にも流用できよう。「ホスト(地元)」側で埋もれていた観光資源を「ゲスト(よそ者)」の視線によって発見したり、また、「ホスト」の発掘作業に「ゲスト」が触発されて、「ホスト」側に移り変わるなどが想定しうる。こうした相互作用を通じて、ともに主体性を確保して観光に関わることができ、同時に環境が保全されるとき、エコツーリズムの困難性を突破し、新たな可能性が開ける地平に降り立つことができるだろう。

4.八重山諸島におけるエコツーリズム

 今回の調査対象とする竹富島は、「文化の流用」、「文化の客体化」がみられる例として、人文地理学、民俗学の双方から報告されている(福田 1996; 森田 1997)。それによると、竹富島を代表する「赤瓦の町並み」は、決して古くからの伝統的な町並みではなく、島民によって「創られた伝統」であるということだ。しかし、これらの研究では、エコツーリズムという視点が抜け落ちているので、こうした視点を導入したときに見える「創られた伝統」がどのようなものであるか、明らかにすることが求められよう。

 一方、八重山諸島でエコツーリズムが盛んなのは西表島である。この島では、「西表島エコツーリズム協会」が1996年に発足し、島民と研究者の協力体制でエコツーリズムのためのガイドブックが発行されている(西表島エコツーリズム協会 1994)。このガイドブックは、従来の自然中心のガイドブックとは異なり、自然と人間との共存関係を中心にすえて編集され、住民の文化や歴史にも目を配っている点が新鮮である。また、島を訪れようと考える人への助言として島びと自身が筆をとった「よりよい体験をするために」というガイドラインがあり、非常にユニークな内容となっている[4]。このようなことが、なぜ西表島で可能だったのか、ほかの島との比較によって明らかにすることが求められよう。特に、キーパーソンと目される「西表をほりおこす会」の石垣金星氏や山口県立大学の安渓遊地氏らの役割について、検討することが必要だろう[5]。

 小浜島については、ヤマハのリゾート施設が進出したことで知られるが、観光に関する既往研究は見当たらない。竹富島・西表島との比較対象として調査することになるだろう。

[注]

[1] 主に、エコツーリズム推進協議会編(1999)と菊地(1999)を参考にした。

[2] たとえば、柳田や折口らの沖縄についての語り、レヴィ=ストロースのインディオ文化についての語りなどが挙げられる。また、村井(1995)の柳田批判は、沖縄文化についての「エントロピックな語り」が、柳田自身深く関わった日韓併合という政治を隠蔽するものだと指摘した。

[3] 荒山正彦は、近代期に成立した日本の国立公園制度を事例として、「国立公園の理念が日本文化のオーセンティックの生産にあったこと」(荒山 1995: 805)を示した。

[4] 一部を引用しておく。「島の人たちに会ったらきちんと挨拶をしましょう。島外から西表島の自然や文化を見せてもらいにきているものの礼儀です。また、挨拶から会話が始まり、住んでいる人しか知らないようなおもしろい話を聞かせてもらえるかもしれません。西表島には、各集落周辺に御嶽(ウガン)があります。島の人たちがもっとも大切にしている神聖な空間なので、勝手に立ち入ってはいけません。(以下略)」

[5] 安渓(1995)は「ヤマネコ保護のため人間は出ていけ」というドイツの動物学者の語りが、島民とヤマネコとの深い共存関係を無視していたことを報告している。こうした語りは、西表島に住む人々の主体性を無視している点で、太田による「エントロピックな語り」の批判とつながる。一方、石垣(2000)によると、西表島では染織の伝統が途絶えて40年以上経ってしまったので、隣の竹富島から人材を誘致して染織を復活させたという。すなわち、竹富島の「赤瓦の町並み」と同様に「創られた伝統」である。

[文献]

  • 安渓遊地,1995,「島は誰のもの─“ヤマネコの島”からの問いかけ」『地理』40(9): 43-48.
  • 荒山正彦,1995,「文化のオーセンティシティと国立公園の成立─観光現象を対象とした人文地理学研究の課題」『地理学評論』68(12): 792-810.
  • 新井佼一,1999,「観光産業の成長とエコツーリズムの役割」エコツーリズム推進協議会編『エコツーリズムの世紀へ』48-51.
  • Boo, Elizabeth, 1991, “Planning for Ecotourism”, PARKS, 2-3=1992,薄木三生仮訳「エコ・ツーリズム計画」『国立公園』501: 2-7.
  • エコツーリズム推進協議会編,1999,『エコツーリズムの世紀へ』.
  • 福田珠己,1996,「赤瓦は何を語るか─沖縄県八重山諸島竹富島における町並み保存運動」『地理学評論』69(9): 727-743.
  • 橋本和也,1999,『観光人類学の戦略─文化の売り方・売られ方』世界思想社.
  • 西表島エコツーリズム協会,1994,『ヤマナ・カーラ・スナ・ピトゥ 西表島エコツーリズム・ガイドブック』.
  • 石垣金星,2000,「西表島から島おこしを考える」『地域開発』425: 52-60.
  • 菊地直樹,1999,「エコ・ツーリズムの分析視角に向けて─エコ・ツーリズムにおける『地域住民」と『自然』の検討を通して」『環境社会学研究』6: 136-151.
  • 鬼頭秀一,1996,『自然保護を問いなおす─環境倫理とネットワーク』筑摩書房.
  • ――――,1998,「環境運動/環境理念研究における『よそ者』論の射程─諫早湾と奄美大島の『自然の権利』訴訟の事例を中心に」『環境社会学研究』4: 44-59.
  • 森田真也,1997,「観光と『伝統文化』の意識化─沖縄県竹富島の事例から」『日本民俗学』209: 33-65.
  • 村井紀,1995,『増補・改訂 南島イデオロギーの発生─柳田国男と植民地主義』太田出版.
  • 太田好信,1998,『トランスポジションの思想─文化人類学の再創造』世界思想社.
  • 山下普司編,1996,『観光人類学』新曜社.

松村正治(2000)「エコツーリズム研究の現在」日本学術振興会未来開拓大塚プロジェクト『アジア・太平洋の環境・開発・文化』1: 70-73.


TOP調査研究業績

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