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「生活環境主義」以降の環境社会学のために

0.はじめに

 環境社会学において、生活環境主義は、すでに一定の評価を得ているパースペクティブであり、現在では、これを無視して研究することはできない状況となっている。しかし、生活環境主義は、すでに登場してから20年近くの歳月が経ており、当時の斬新さは失われている。広く受け入れられたことによって、背景に退いたと言ってよいだろう。

 とはいえ、今日でも、生活環境主義は、参照すべき理論を内包しており、ここで十分に検討しておく意義はある。今回の発表では、生活環境主義が色あせてみえる理由を明らかにし、今後、「生活環境主義」以降の環境社会学を創造してゆくため、ここに議論しておくべきことを示しておきたい。

1.生活環境主義の公式見解

 最初に念のため、生活環境主義とは何かという基本的な説明から始めたい。

 生活環境主義とは、滋賀県琵琶湖研究所の委託調査を実施した社会学者・人類学者のグループが、その研究を深化させ提起するにいたった理論的立場である。鳥越皓之や嘉田由紀子を中心とした研究グループは、これまで鳥越・嘉田編(1984)に始まり、鳥越編(1989)、鳥越編(1994)と、琵琶湖をフィールドとした研究成果を挙げている。ここでは、生活環境主義について手早く理解するために、提唱者である鳥越が地域社会学のキーワード集に寄せた解説を引いておく。

生活環境主義は欧米のモデルの焼き直しではなく、日本を中心としたフィールドのなかから生まれた。直接的には琵琶湖の総合開発紛争の現場が契機となったものである。この生活環境主義というパラダイムが生まれつつあった1970年代の後半から1980年代にかけては、環境問題解決のための主要な考え方として、ふたつがあった。ひとつが生態学の理論を借用したエコロジー論(エコシステムに視点を定めている)である。それは純粋の自然環境を保全することを究極の目的としていたので、「自然環境主義」ともいえる。もうひとつが近代技術(高度な浄水処理施設など)が問題を解決するという考え方で、近代技術に信をおいているため、「近代技術主義」と命名できる。(鳥越,2000: 312)

 環境社会学の研究者ならばお馴染みの主張が、ここでも繰り返されている。ここで、注意しておくべきことは、生活環境主義が提唱された歴史的・空間的文脈である。つまり、空間的には、琵琶湖でのフィールドワークに基づいて提起されたパラダイムであること、そして歴史的には、1970年代から80年代にかけて支配的だった既存パラダイムに対抗して形成されたものであること、この2点である。

次に、このパラダイムの特長と、備えている理論を整理しておく。これも、少し長くなるが、鳥越自身による説明を引用しておこう。

 このパラダイム〔引用者注:生活環境主義〕は、生活システム(生活を基本においた社会システム)の保全を機軸においているところに特色がある。生活システムとは生活資源(生活のための利用を前提としたさまざまな資源、たとえば土地や用水、公民館、年中行事、常識など)を基盤にして成り立つ社会システムのことである。
 生活環境主義パラダイムは基本理論として、所有論、権力論(意思決定論)、組織論(主体性論)を用意している。所有論は、明治以降の近代法が土地の私有権を強固にみとめてきた事実がしばしば環境保全に対して負の機能をはたしている現状認識から、論理だてられている。法律の分野での環境権の運動が十分な効果を示すことができない現況において、社会学の実証的な研究の蓄積の成果から「共同占有」という土地所有のあり方を示したのが、生活環境主義の所有論の特徴である。権力論(意思決定論)は、人びとが運動のなかで安易に自分の意見を変える事実を、素朴に否定的にとらえるのではなく、その仕組みを分析したところからでていて、グループ・メンバーが共有する正当性の論理としての「言い分」に注目している。組織論は、なにゆえに住民はあまりにもしばしば組織的分裂を生じさせてしまうのかという課題から、論理づけられたものである。生活環境主義は、「地域住民主体の把握無くして政策なし」という立場をとっている。そのために、かれらの個別の生活の経験や歴史の分析が重要な位置を占める。(鳥越,2000: 313)

 ここにも、よく知られている鳥越の主張が簡潔に述べられている。言葉を換えてまとめておくと、生活環境主義の基本姿勢とは、「当該社会に居住する人びとの生活の立場」(鳥越,1989: 19)に立ち、生活システムの保全を重視するということだ。そして、所有論としては、生活環境保全のための根拠を「共同占有権」に求めていること、権力論としては、「人の心は分からないが人びとの心は分かる」(鳥越,1989: 45)ので、人びとの「言い分」を把握するよう努めることが強調される[1]

 もちろん、生活環境主義とは、鳥越の立場とイコールではない。嘉田など他の研究グループのメンバーには、それぞれ独自の主張が認められる。しかし、生活環境主義という言葉にこだわり、このパラダイムが提起された文脈を離れても、自ら依って立つ基盤を彫琢している鳥越であるので、本発表では、鳥越の論考を中心に検討してゆく。

2.生活環境主義の独自性

 生活環境主義に対して、強烈に批判しているのは井上孝夫である。井上の批判の中には、耳を傾けるべき点が少なくない。

 まず井上は、生活環境主義者が自然環境主義と近代技術主義と対比させるかたちで自らの立場を主張することに不快感を示している。井上によれば、「現実には、人間の生活を視野に入れることのない自然環境主義や近代技術主義はほとんど存在しない」(井上,2001: 106)のだから、つまり、想定されている2つの考え方は架空の立場であるから、それらに対抗してわざわざ生活環境主義を名乗る必要がないという。

 この指摘は、検討に値する。実際、生活環境主義者が対比的に示す頑迷な自然環境主義――原生的自然に最高の価値を与え、保存(preservation)することで人為的影響を極力回避し、地域住民の生活を無視してまで、自然の遷移に任せるのを良しとするような理論的立場――は、国内の自然保護運動において、すでに影響力を失効しているし、強硬な近代技術主義――近代技術の適用が結局は環境問題を解決するという理論的立場――も、今日では時代錯誤として映るからだ。

 もちろん鳥越もこの点には気付いており、この2つのパラダイムは、理念的に想定したものだと述べている(鳥越,1989: 19)。しかし、鳥越が既存のパラダイムとは異なる第三のパラダイムを提起した当時は、こうした考え方に一定の説得力があったのだろう。それは、「『自然環境主義』と『近代技術主義』というこれらふたつの主義が相互に力をもち、角逐しているのが現状である」(鳥越,1989: 5)と当時の状況を述べていることから分かる。おそらく、琵琶湖の調査研究に携わっていたときには、地域住民の生活を顧みない典型的な2つの考え方が支配的であり、これに抵抗するすべをもたなければ、生活システムが崩壊してしまうという危機感がリアルにあったものと思われる。

 しかし、時代は変わったのである。1980年代から90年代に入り、環境問題の質が大きく変わり、それに伴って2つのパラダイムも変化してきたのだ。

 環境問題の質に着目すると、1970年代から80年代にかけて、産業公害型から都市生活型へと変化したことが、しばしば指摘される。しかし、ここで確認しておきたいことは、1980年代から90年代に変化した自然環境問題の質の変化、すなわち、問題の焦点が原生自然から里山などの二次的自然へと移り変わってきたことである。

 この変化と同時に、学問的には、環境(生態)民俗学、保全生態学、生態工学などが盛んになり、理念的な自然環境主義や近代技術主義の考え方は、説得力をもたなくなった。おそらく今日においては、かつて自然環境主義に立っていた自然保護運動家がマタギの民俗に関心を示し、かつて近代技術主義に立っていた技術屋は近世の水制を設計するのだ。こうして、両サイドの間隔が狭まったことにより、生活環境主義の独自性は薄らいできているように思われる。冒頭、生活環境主義の斬新さが色あせてみえるようになったと述べたのは、すべての立場が生活環境主義的となってきたからである。

3.生活環境主義の潜在的破壊性

 自然環境主義と近代技術主義が、住民の生活を考えるようになり、互いに中央に向けて近づいてきたようにみえるのは、生活環境主義が広く受け入れられたことの証しなのだろうか。

 たしかにそういう一面もあるだろうが、それよりもむしろ、自然環境問題の質の変化に適応してきたと考える方が適切だろう。このため、生活環境主義的な考えが安易に受け入れられ、このパラダイムが本来もっている潜在的破壊性が発揮されていないようにみえる。

 生活環境主義は、それまで一般に信じられていた「常識を覆す」(鳥越,1997: 3)という破壊性を有している。このことは、少しでもフィールドワークの経験がある者であれば、納得できるであろう。フィールドワーカーは、しばしば現場でうろたえるものだ。

 ところが、陳腐化した自然環境主義と近代技術主義は、住民の生活を多少考慮に入れる主張を展開することによって、それぞれの立場を残存させているという印象を受ける。要するに、「自然は大切だから守るべきである」とか、「人びとの生活は良くなるべきだ」という誰もが否定できない普遍的な規範は、いまだそれぞれの陣営に根強く残っているのではないだろうか。そういう意味では、「フィールドワーカーが構成する理論」(鳥越,1989: 3)としての生活環境主義のもつ破壊力は、もっと強調されてもよいだろう。

 フィールドとの出会いは、さまざまな驚きに満ちている。このため、研究者は自分の世界観がゆらいでゆくことを経験するだろう。このとき、従来の常識的な構図を当てはめて対象を分析しようとするか、対象に迫ることによって常識を覆されるかが試される。自然環境主義と近代技術主義は、目の前にある問題を円滑に解決することを目指すだろうが、生活環境主義は、問題の深いところから聞こえる声に耳をすまし、対象を抱きしめながら解決の糸口を探そうとするのであろう。そして、生活環境主義に立つ者は、自らの世界観が変容してゆくことを肯定するだろう。

 こうした破壊性、あるいは運動性は、生活環境主義に含まれる大きな特徴だと思われる。この方向で生活環境主義をとらえると、それは多文化主義と重なる部分が大きいと思われる。つまり、それぞれの地域には、固有の生活文化があるのだから、それぞれに適合的な開発/保護があるはずだという当然の主張に行きつく。これは、生活環境主義に限らず、環境社会学のフィールドワーカーの多くが抱いている考えかもしれない。さらに、ここから居住者の自己決定権を強く押し出すと、環境的正義運動への接続もみえてくるのだが、これについては後で検討する。

4.生活環境主義における「共同占有権」

 再び、井上による批判に戻ろう。井上が執拗に批判しているのは、生活環境主義における所有論に対してである。まずは、井上が標的とした鳥越の論考を、簡単に振り返っておこう。

 鳥越によれば、最近は、「市民の主体性の名のもとに、地域住民による共同占有を強めている傾向が見られ」(鳥越,1997: 70)、その一例として、神戸市都賀川の事例を取り上げている。そして、都賀川流域の住民が結成した「都賀川を守ろう会」という住民組織が、汚濁・汚染された河川の浄化活動に積極的に関わり、具体的には定期的な河川清掃やごみの不法投棄防止を訴える広報活動、はたまた、川を一時的にせき止めて子どもたちが水遊びできるプールを設置、魚のつかみどり大会など多様な活動を展開していることを紹介している。さらに、都賀川に対して行政が何らかの手を加えようとするときには、この「都賀川を守ろう会」の承諾が必要となっていることに言及し、「この会が都賀川に対して強固な『共同占有権』をもてることになったのである」(鳥越,1997: 71)と結論している。

 鳥越の論点を、井上は2つに整理する。1つは、農村の共同占有権が都市部にも発見されること、もう1つは、住民の共同占有権の発動によって環境を保全できるということ、である。そして、前者に対しては、時代錯誤だとして斥け、後者に対しても「所有形態を示す形式概念で環境保全的であるか否かを判断することはできない」(井上,2001: 114)として否定する。この批判には一定の説得力があると思われるので、井上が整理した順に、さらに分析を加えておきたい。

 まず、鳥越のように、都賀川の事例にみられる住民組織の権利を共同占有権とみなすことは、正しい解釈なのだろうか。これについては、時代錯誤として切り捨てるのではなく、もう少し検討する余地がある。そこで、なぜ、この会が「共同占有権」[2]を獲得したのかを考えてみよう。

 今日の時代背景として、主体的参加を鼓舞する行政の姿勢があり、新しい公共性を担う主体としてNPOやボランティアが期待されているという現状がある(鳥越編,2000)。このことから鳥越は、「地域社会において主体性を認めることは、結果として、住民に共同占有権を付与することにつながる」(鳥越,1997: 68)と想定しているが、ここに論点を3つ認めることができよう。すなわち、1)このようにして結果として住民に与えられる権利を「共同占有権」と呼んでよいのか、2)地域社会で期待されていない活動への主体的参加からでは、「共同占有権」を与えられないのではないか、3)今日の「共同占有権」は、鳥越が重んずる「小さなコミュニティ」だけに開かれているのではなく、主体的に当該の土地に関わろうとする人びとに広く与えられているのではないか、という3点である。

 1)について井上は、都賀川を管理する行政担当者への聞き取りを行ない、行政は「都賀川に住民が共同占有権をもっていることを認めていない」(井上,2001: 134)ので、この権利は鳥越が独自に定義されたものであり、実践的な意義はないと批判している。

 2)の論点は、鳥越の主体性論と関わる部分である。行政が「共同占有権」を与えるのは、公共の福祉を増進するという行政サービスの目的にかなうときだから、たとえば、洪水を引き起こすために河川にダムを築くような反社会的な活動を主体的におこなっても、「共同占有権」は付与されない。そこまで極端でなくとも、河川敷で畑を勝手に作っている人は多いが、彼/彼女らに耕作権が認められることはないはずである。したがって、「共同占有権」は、土地への働きかけによって生じるとして、本源的な土地所有に絡めて論ずべきではなく、社会システムが地域の問題を解消する過程で、行政サービスの非効率性を補足するかたちで付与されると把握すべきだろう。

 こうした視点で2)を検討すると、「共同占有権」の付与は、いわゆる安上がりの労働力としてNPOやボランティアを効率的に動員するために利用されることも考えられる。この点については鳥越も議論の必要性を自覚しているようで、「住民は主体性をもてるのか」(鳥越,1997: 81)という問いを立てて考察しているが、そこでは、主体性を共同管理に向けると有効に働くと論じており、直接的な答えを出していない。井上が、都賀川の事例に関して、「住民運動は共同占有・自主管理を目標とするのではなく、既存の河川行政に対する批判勢力としてあった方がいい」(井上,2001: 114)と述べているのは、とりわけNPOのように行政に対して批判的ポテンシャルを有すべき組織に対しては、妥当な見解であるように思われる。

 最後の3)は、鳥越が「小さなコミュニティ」や「住む者の権利」を主張の全面に押し出しているために、見落とされやすい論点であるだろう。都市近郊の里山保全活動や、都市河川の環境保全活動では、当該緑地付近や河川流域の住民だけが活動に参加しているわけではない。「小さなコミュニティ」を越えて、活動の目的に賛同する人びとが集まる事例は少なくない。たしかに、崩壊したコミュニティの再生を目指すようなCBO(Community Based Organization)は増えているようだが、活動のミッションを明確にし、その旗の下に人びとが集まるアソシエイションと呼ぶべき団体は増加しているようにみえる。たとえば、森づくり活動を実践している団体には、そうしたアソシエイション型が多いようだ。そして、このような団体にも、鳥越の言う「共同占有権」は与えられている。

 したがって、「共同占有権」が都市部でもみられるという指摘は、鳥越の文脈に即せば正しいものの、そのことをもって、「小さなコミュニティ」が大切だと説くことはできないのではないだろうか。むしろ、「小さなコミュニティ」の外であっても、自分が関わりたいと強く願う土地に対して「共同占有権」が付与されるという開放性に着目することの方が、今日の環境運動の可能性を捉えるときには重要だと思われる[3]

 次に、井上が2つめに提出した論点――「共同占有権」の発動が、環境保全に有益かどうか――について検討しよう。井上の指摘を待つまでもなく、共同占有という形態は、そのまま環境保全を意味するわけではない。しかし、いたずらに環境を破壊するような反社会的活動をおこなう人びとには「共同占有権」が与えられないはずである。逆に言えば、少なくとも無意味に環境を破壊しない活動を実践している人びとに「共同占有権」が付与されるので、結果として、この権利の発動は環境保全的であることが多いという解釈が適当だろう。すると、鳥越の主張はトートロジーのように聞こえてしまうのである。

5.生活環境主義のポジション

 3.で述べたように、生活環境主義には、多文化主義と結びつきやすい理論的可能性が含まれている。このため、堀川三郎(1999: 217)のように、生活環境主義が「そこに住む者の自己決定」を推奨していると読めば、これは環境的正義運動へと転化するだろう。だから、「生活者の意思決定を絶対視することの困難」という批判が現れるのは当然である。

 ところが生活環境主義は、単純に「居住者の立場」に立つのではない。そうではなくて、「当該社会に居住する人々の生活の立場に立つ」(鳥越,1989: 19)と主張する。このため、「居住者といっても、その内実は多様であり一枚岩ではないはずであるから、居住者の立場に立つということは実質的な意味はない」(古川,1999: 145)などという批判は、誤解から生じているのだ。鳥越は次のように言う。「私は居住者の『生活の立場』から分析する考えをもっており、それはそこに生活する『居住者の立場』と同意味ではない。これらはしばしば一致するものであるが、ときには異なることもある。私は居住者が『生活破壊』をときに選択することもあるとみなしており、そのばあい、私のいう生活環境主義の立場からは居住者(住民)批判となるだろう」(鳥越,1997: 26)。 

 この解説は、一読するとわかったような気分にさせられる。しかし、このような立場に立つことは、厳しい批判を逃れたようにみえて、生活環境主義が強調するポジションの問題を再燃させてしまうだろう。

 そもそも生活環境主義は、フィールドにおいて客観的な立場をとることができないという認識から出発している。それなのに、ここに示された見解では、「生活の立場」という奇妙なポジションをとることを許してしまっているのである。このような立場から居住者批判をする場合、その批判者は特権的なポジションに立っているのではないだろうか。

 だから、いっそのこと居住者の立場に立つと宣言してしまえば、このパラダイムの主張が明確になるように思われる。そして、居住者が自らの生活環境をあえて掘り崩す選択をするとき、それほどまでに選択肢が狭まり、追い詰められてしまったマクロ的な構造を意識せざるをえなくなるだろう。「生活環境主義にはマクロな権力批判の視座が欠落している」(古川,1999: 150)という批判は、このパラダイムが居住者の「生活の立場」に立っている限り、構造的に抜け落ちてしまう部分であるようだ。

 もちろん、これまでさまざまな批判に晒されてきた生活環境主義であるから、こうした批判に対しての防御も備えている。すなわち、「生活環境主義の原点は、こうしたマクロな権力批判の言説が、そこで生活を営む人々から乖離していくことへの違和感であった。生活者の論理のなかに潜む創造性や、彼らが意識化することなく築いてきた伝統の反逆性を、生活環境主義は意識的に強調してきた。それは明快で合理的な大理論は、それがいかにラディカルな批判理論であっても、近代の認識論の一変種であったことへの反省であった」(古川,1999: 150)。また、鳥越によれば、生活環境主義への批判の多くは、あるものの不足をもってなされるが、その部分については必要と感じた人が順次付け加えてゆけばよいと述べている(鳥越,1997: 44-45)。鳥越に言わせれば、マクロな権力構造について問題意識を覚えた者は、彼/彼女自身がそれを研究すればよいということになるのだろう。

 いずれにせよ、生活環境主義は、居住者の自己決定を概ね肯定的に捉えている。それは、

 フィールドワークを実践し、地域社会で生活する人びとに迫ることで発見した「それでも人は生活する」(古川,1999: 149)という視点として象徴的に表現される。こうした見方に対しては、「生活環境主義は、地域住民の生活保守主義を正当化する開発の別働隊の論理である」(古川,1999: 149)という批判が投げかけられているようだ。しかし鳥越は、柳田国男の「村を美しくする計画などない。良い村が自然と美しくなっていくのである」という言葉を引き、また、「自分たちの生活をキチンとしていくことが自分たちの美しい景色というか、景観を作る」(鳥越,2002: 27)と述べて、居住者の意思決定を信頼しているようだ。

 こうした住民に対する信頼度の高さは、生活環境主義の特徴であるが、そのように信頼できる根拠は、どこから来るのだろうか。こう問うてみると、おそらく、その起源はフィールドワークでの経験によるものだと考えられる。すると、次のような推察ができる。すなわち、琵琶湖をフィールドとして調査研究している限りでは、生活に埋め込まれた明示化されないシステム――これは、生活環境の持続性を保障するものであった――を生活環境主義者たちは聞き取ることができた。したがって、居住者の生活の立場に立つことが、多くの場合、環境保全的であったのではないだろうか。この推察が正しいとすれば、そうしたシステムが崩壊して久しい今日においては、生活環境主義の居住者に対する信頼度の高さが不自然に思えても致し方ないだろう。

6.生活環境主義の権力論

 生活環境主義の権力論では、意思決定の際に形成される「言い分」(正当化の論理)を把握するという手法をとる。これは、なぜ地域住民はやすやすと意見を豹変させるのかという素朴な疑問から、人びとは自己の意識ではなく、「言い分」で動くことに気が付いたことから生まれた。「言い分」は、個人の体験知、生活組織内での生活常識、生活組織外からもたらされる通俗道徳という3種類の「日常的な知識」を基盤にしている。

 このモデルはわかりやすいけれど、大きな難点を抱えているように思う。それは、生活組織が固定化されていることを前提にして、このモデルができているために、きわめて静的なものとなっていることである。今日の地域社会では、生活組織が大きく変化することが多いので、このモデルを適用できないということが考えられる。したがって、こうした変動を射程に入れようとするならば、動的なモデルを考案することが求められよう。鬼頭の「よそ者」論は、地元の人びとが「よそ者」との共感に基づいた相互交流と相互変容というダイナミズムに着目しているので、この難点を乗りこえられる可能性を秘めているように思う(鬼頭,1996)。

 こうした問題はあるものの、「言い分」という水準において人びとの意思決定に迫る方法は、やはり有効であろう。ただし鳥越の言うように、「この『言い分』の本質や、変化の方向を知るためには、各人や各組織体の『経験』にまで降り立って調査をしなければならないことはいうまでもない。ライフヒストリーの手法や、時間要因を入れた(歴史的)分析がここでは不可欠なものとなるのである」(鳥越,1989: 48)。この注釈は妥当であろうし、この部分に関してこそ、十全なフィールドワークを実践する生活環境主義者たちがもっとも威力を発揮するところだと思われる。それなのに、この「言い分」については、十分なデータを提示しつつ、深く掘り下げて分析した例が少ない。さしあたって、この「言い分」をめぐる事例研究をおこなう余地は広く残されているように思う。

[文献]

  • 古川影,1999,「環境の社会史研究の視点と方法──生活環境主義という方法」舩橋晴俊・古川彰編『環境社会学入門──環境問題研究の理論と技法』文化書房博文社.
  • 堀川三郎,1999,「戦後日本の社会学的環境問題研究の軌跡――環境社会学の制度化と今後の課題」『環境社会学研究』5: 211-223.
  • 井上孝夫,2001,『現代環境問題論――理論と方法の再定置のために』東信社.
  • 嘉田由紀子,1995,『生活世界の環境学――琵琶湖からのメッセージ』農山漁村文化協会.
  • 鬼頭秀一,1996,『自然保護を問いなおす――環境倫理とネットワーク』筑摩書房.
  • 鳥越皓之,1997,『環境社会学の理論と実践――生活環境主義の立場から』有斐閣.
  • ――――,2000,「生活環境主義」地域社会学会編『キーワード 地域社会学』ハーベスト社: 312-313.
  • 鳥越皓之編,1989,『環境問題の社会理論――生活環境主義の立場から』お茶の水書房.
  • ――――,1994,『試みとしての環境民俗学――琵琶湖のフィールドから』.
  • ――――,2000,『シリーズ環境社会学[一] 環境ボランティア・NPOの社会学』新曜社.
  • 鳥越皓之・嘉田由紀子編,1984,『水と人の環境史――琵琶湖報告書』お茶の水書房.

[1] 組織論(主体性論)については、主張が明確になっていないように思われる。また、鳥越・嘉田(1984)など初期の頃は、伝統的な社会学との違いを明確にするため、「行為論から経験論へ」という方法論の変化を強調していた。

[2] 鳥越が着目している権利が共同占有権であるかどうかは、議論を要するところなので、とりあえず、鳥越がそのように呼ぶ権利を、ここでは「共同占有権」と表記する。なお、井上は、単に「住民参加」と呼ぶのが適切と考えている(井上,2001: 127)。

[3]鬼頭秀一の「よそ者」論にみられるしなやかさは、この開放性と関わっているように思う。

松村正治 「『生活環境主義』以降の環境社会学のために」, 環境社会学会関東地区2002年度第3回研究例会(法政大学市ヶ谷キャンパス), 2002年9月21日.


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