『雑木林をつくる』

前回のコラムでは、重松敏則『市民による里山の保全・管理』(信山社出版、1991年)と出会い、市民による里山保全に興味を持ったきっかけについて書きました。その流れから今回も、私の生き方に強く影響を与えた本を取り上げます。

私が民間の会社を退職して大学院修士課程に入ったときには、すでに市民による里山保全を研究テーマとすることを決めていました。
そこで、入学後しばらくして大学院の生活に慣れた頃から、4つの市民団体(世田谷区1、町田市2、横浜市1)に入会し、休日と授業のない平日はできるだけ保全活動に参加しました。
参与観察と呼ばれる調査方法に相当するのでしょうが、観察していると参与できなくなるので、観察よりも参与に比重を置き、1人の会員として認められるために懸命に活動しました。
入会したときに市民団体の方から聞かれたのは、ゼミのために、卒論のためにと学生たちがやって来て、アンケートやインタビューをお願いされるけれど、何もメリットがないという不満の声でした。自分は、そうした学生と同じになりたくないと強く思っていたのです。

平日に活動する団体は、退職者や主婦によって会員が構成されており、私のような若者はただ1人でした。
うまくなじめるかどうか不安でしたが、明るく気軽に声を掛けてくださる会員の方に導かれて、若者に求められる仕事、たとえば、重いものを運んだり、パソコンで作業したり、余った食べ物を平らげたりしながら、どうにか団体の隅っこに居場所を見つけられるようになりました。

一方、休日に活動する団体には、退職者と主婦に加えて会社勤めの方も多く、親子そろって参加する方や、ときどき学生も顔を出すなど、さまざまな方が集まっていて、溶け込みやすい雰囲気でした。
私は社交的なタイプではありませんが、それでも、その活動場所へ行くと気持ちが自然と明るくなりました。
いや、明るいというより風通しが良くて清々しい、気持ちいいというような、これまで経験したことのない不思議なゆるい力、逆説的ですが、人びとを脱力させる力が、その場にはありました。
金子みすずの「みんな違ってみんないい」を知る前に、私はその意味を、市民が集う里山で理解したように思います。

これは、ただ多様な人が集まっているから醸し出されるものではなく、里山には、そうした力が備わっているのです。私がそのように確信したのは本書を読んだ時でした。
この本は、現在、明治大学で教鞭を執られている倉本先生が、都立桜ヶ丘公園で雑木林ボランティアのコーディネーターをしていたときの経験から書かれたものです。
副題に「人の手と自然の対話・里山作業入門」とあるように、実際に雑木林に手を入れる方法が丁寧に解説されており、里山保全NPOに参加する市民にとって打って付けの本だと思います。

しかし、この本の価値がその点だけにあるのならば、あえて長い前置きとともに紹介する必要はありません。
この本には、今の私が里山について考えるときに念頭に置いている2つのキーワードが書かれていました。

1つは、「やって、見て、考える」。
これは、保全生態学で言う順応的管理を分かりやすく表現したもので、環境マネジメントで言うPDCA (Plan,Do,Check,Action)なども含むとても奥の深い言葉だと思います。
もちろん、倉本先生によるオリジナルな言葉ですが、私は都立桜ヶ丘公園という場が産んだ言葉だと捉えています(場が優れた言葉を、優れた思想を創り出すことについては、別の機会に書きたいと思っています)。

もう1つは、雑木林ボランティアの内沼昌子さんという方が書いた「雑木林の万華鏡的世界」。
今回のコラムでは、こちらのキーワードが重要です。内沼さんは、雑木林のササを刈っていたら、ササを原料にした紙(笹紙)に関心を持ち、つぎに和紙への興味から竹紙へと関心が拡がり、そして地域に伝わる竹細工(目籠)、さらには地域の歴史や文化へと次々に興味関心が繋がりながら広がっていったそうです。そのネットワークを一枚の絵に描いたのが、「雑木林の万華鏡的世界」です。

私は、その図を見た瞬間に、そこに込められている意味を理解しました。
なぜ、内沼さんがその図を書きたくなったのか、倉本先生がその図を本の中で紹介したかったのかを理解しました。
私もまた、活動に参加していた里山において、そうした万華鏡的世界が広がっていることに驚いていたからです。

里山には、田んぼ、畑、雑木林、小川などがあるので、田んぼや畑での農作業と収穫を楽しんでいる人、雑木林の間伐や下草刈りに汗を流すのが好きな人、小川を適当に清掃してホタルが現れるのを心待ちににしている人、寒空のもとで震えながら酒を飲み、炭焼きするのが堪らないという人など、それぞれの興味関心に応じて関わることができます。
里山のさまざまな生き物を絵に描いたり、写真に撮ったり、手入れをするための農作業や山仕事の道具に凝ったり、蔓や竹で見事な細工物を作ったりと、人それぞれ個性が表れます。私が市民団体で活動を始めて知り、心を揺さぶられたのは、こうした関わり方を許容する里山の豊かさでした。

里山は生物多様性が高いから守るべきであると言われます。
里山には人が自然とかかわるための深い知恵と技が、豊かな文化遺産があるから残すべきであると言われます。まったく、その通りでしょう。
しかし、私が経験から学んだのは、人びとが自由に個性豊かに共生できる場としても里山は大変重要であるということです。

修士論文では、里山に関わるボランティアの方が、どういう経緯で市民団体に入り、どんな点に惹かれて活動しているのかを、参与観察と約50人の方々へのインタビューの結果からまとめました。
書き終えた論文を倉本先生に差しあげたところ、好意的に評価していただきました。
その後も、人も自然も共に多様に生きられないかと考え、模索し続けてこられたのは、このときに評価していただいたお陰です。

このように、この本は私の生き方に決定的な影響を与えたのでした。

倉本宣・内城道興(1998)『雑木林をつくる―人の手と自然の対話・里山作業入門(改訂新版)』百水社.

よこはま里山研究所のコラム
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