『自然の文化人類学』

松井さんと初めてお会いしたのは今からちょうど10年前、2000年の初夏だったように思います。
その日から約3年間、私は松井さんのご指導のもとで、沖縄・八重山諸島とのかかわりを生活の最優先として過ごしました。
その後も、年に2-3回はこのフィールドを訪れるようにしており、このゴールデン・ウィークにも行くことにしています。
今では、八重山とのかかわりを抜きにして自分のアイデンティティを話すことはできませんが、八重山へ行くことになったのは、まったくの偶然でした。

修士論文を書き終えて、博士課程の研究計画を考えていた頃、他大でしたが、ときどきゼミに参加させていただいていた鬼頭秀一さんから、唐突に沖縄をフィールドに調査研究しないかと誘われました。
ソロモン諸島、中国・海南島、沖縄列島を調査対象として、島の開発と環境について考える3年間の大きなプロジェクトがあるので、沖縄斑のチームに参加しないかというお話でした。
それまで、都市近郊の緑地を守る市民活動を調査しており、次は河川を守る市民活動を調べて、流域の環境マネジメントをテーマにしようと漠然と考えていたため一瞬戸惑ったのですが、すぐに参加したいと答えました。

それまで、私は沖縄を訪れたことがありませんでした。
観念的に日本(ヤマト)と沖縄の関係性を捉えていたので、かつての沖縄戦や現在の米軍基地の問題などを思うと、気軽な気持ちで足を向けられない場所でした。とても気になっていたのですが、自分の意思だけでは行くことができなかったのです。
だから、これはチャンスだと思いました。
これまで、何となく避けてきたけれども、本当はきちんと考えてみたいと思っていた沖縄と向き合う機会が訪れたのですから。

しかも、このチャンスは、たまたま私に訪れたものでした。
私を誘ってくださった先生のもとには、同じ時期に博士課程に進学する大学院生がおり、すでに沖縄で調査することが決まっていたのです。
ところが、その方はプロジェクトが始動しようとする矢先に翻意し、沖縄へ行くのを取りやめました。併行して取り組んでいた音楽の活動を優先させたいという理由でした。長期のフィールドワークに出かけると、音楽活動が滞ってしまうという判断だったようです。
こうして、院生1人分の席が空きました。そこに、たまたま、ふらついていた私は収まることができたのでした。

プロジェクトへの参加を決めたときは、二の足を踏んでいた沖縄へ行く決心をしたとだけ思っていました。
旅行ではなく調査研究のために行くのに、研究者の卵として成果を出さなければいけないという覚悟はけっして十分ではありませんでした。

沖縄斑のリーダーだった松井さんは、私のこうした認識を見透かしていたものと思われます。
初めてお会いしたとき、今日からこのプロジェクトを生活上の最優先にするようにという言葉をいただきました。
そして初顔合わせの最後に、「俺はお前のことは知らん。1か月後にエコツーリズムに関するレポートを出すように」と課題を出されました。
単に席が空いたからといって座れるものではなかったのです。

それからの3年間は、松井さんから出される課題に応えることで精一杯でした。
沖縄斑のメンバーは、私だけが院生でしたので、すでにフィールドワークの経験の豊かな方ばかりだったので、とにかく気持ちだけでも頑張らないといけませんでした。
調査を始めた1年目には、とにかく文章を書くようにと、A4用紙で70枚程度のレポートを作成するように言われました。
これを締切までに仕上げたとき、ようやくプロジェクトメンバーの片隅に加えていただけたように思いました。

次に待っていたのは、松井さんが編者となる本に掲載するため、論文を3本書くという仕事でした。
このうち、開発と環境の文化学―沖縄地域社会変動の諸契機』(2002年、榕樹書林に載せるために書いたものは、私が一般に刊行される本に掲載した初めての学術論文で、とても思い出深いものです。
松井さんは、私の書いた草稿の隅々に、修正やコメントを入れてくださいました。私がつい集中力を切らして書く語句に対しては、厳しいお叱りが書かれてありました。その1つひとつから、学問に対する厳しい姿勢が伝わってきました。
編者の松井さんの顔に泥を塗るわけにはいかないと強く思いました。

3年間のプロジェクトが終わり、参加メンバーが集まる最後の会合がありました。
そのときに松井さんから私の論文にいただいた評価は、辛うじて本に掲載できるぎりぎりのレベルで、要するに、「まだまだ」というものでした。
けれども、今の大学に勤めることができたのは、このときに書いた論文を評価していただいたからです。
松井さんなしには、今の自分はなかったのです。

最後に、松井さんの書かれたものをいくつか挙げておきます。
松井さんは、野生と栽培・家畜化の中間領域にあたる「セミ・ドメスティケイション」に注目したり、経済的にはさほど重要ではないが社会的には重要な
小さな生業「マイナー・サブシステンス」という概念を提唱したりするなど、人と自然の多様なかかわりを捉える枠組みを考えてこられました。
これらは、『セミ・ドメスティケイション―農耕と遊牧の起源再考』(1989年、海鳴社)、篠原徹編『民俗の技術(現代民俗学の視点)』1998年、朝倉書店
所収の論文「マイナー・サブシステンスの世界―民俗世界における労働・自然・身体」などで読むことができます。

タイトルに取り上げた『自然の文化人類学』は、人間にとって自然とは何かという問いを立て、「自然の本源的優位性」を多面的に考察したものです。
論理的に徐々に問いを詰めていくという構成ではありませんが、そのためにかえって自由に論じられており、豊かな発想が得られます。
とても好きな本です。

ほかに、2000年代の単著としては、遊牧という文化移動の生活戦略』(2001年、吉川弘文館柳宗悦と民藝の現在』(2005年、吉川弘文館があります。また、沖縄斑の成果をまとめたものとして、先に挙げた『開発と環境の文化学』のほか、沖縄列島―シマの自然と伝統のゆくえ』(2004年、東京大学出版会があります。

3年間に及ぶプロジェクトの終了を祝う会合で、松井さんから次のような言葉をいただきました。
ソロモン斑、海南島斑は、その後もプロジェクトを継続させたが、沖縄斑は解散するので、ばらばらになる。
しかし、どこかで出会うときがあるかもしれない。
それが楽しみだ、というような意味だったと記憶しています。

このとき以来、松井さんとはお会いしていません。
今の状態は、研究に厳しく取り組んでいるとはとても言えないので、胸を張ってお会いできないと恥じ入るばかりです。

松井健(1997)『自然の文化人類学』東京大学出版会.

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