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『地域の生態学』

今年の環境分野のキーワードは「生物多様性」でしょう。
10月に名古屋で、生物多様性を保全する上で重要な国際会議COP10(生物多様性保全条約第10回締約国会議)が開催されます。
2002年にオランダ・ハーグで開かれたCOP6では、「現在の[当時の]生物多様性の損失速度を2010年までに顕著に減退させることを約束する」という目標が採択されました。
COP10では、この2010年目標の評価と次期目標の採択に加え、遺伝資源のアクセスと利益配分などの重要な議題を話し合います。

COP10の議長国である日本は、2010年以降の目標を達成していく有効な手段のひとつとして、「SATOYAMAイニシアティブ」を提案する予定です。
これは、生物多様性の恵み(生態系サービス)を持続的に受け取るためには、人びとの暮らしとともに形成されてきた領域(里山)において、人と自然の調和的な関係を再構築すべきという考え方に基づいています。
この狙いは、NORAの目的ともよく似ています。NORAの定款には、次のように記されています。

この法人は、人と自然が共生する里山をモデルにして、そこに見られる思想、知恵や技などを現代に生かし、人びとの生活の質と生き物の多様性が共に高められる暮らし方を実践し、その成果を社会に発信しながら、地域ごとに個性ある持続可能なコミュニティづくりに寄与することを目的とする。

NORAとしては、里山が注目される時流におもねることなく、しっかりと存在意義を伝えていく必要があると感じています。

さて、COP10でSATOYAMAイニシアティブを提案するために、準備が進められていますが、その中心人物の1人は武内和彦先生です。
面識はありませんが、著書に出会ったのは20年近く前のことです。
1992年に国連環境開発会議(リオ・サミット)があったために、私の学生時代は地球環境問題がブームとなっていました。
私は、そうしたブームに乗せられた面もあり、環境問題を勉強しようと地理学を専攻していたのですが、オーソドックスな講義や実習がほとんどだったので、私の浮ついた問題意識を満足させることはありませんでした。
このため、当時はまっていた芝居に、ますますのめり込むようになっていきました。

地理学の研究室に所属して、先生から学んだことはほとんど忘れてしまいました。
しかし、同窓の友人Sから教わったことは――それもたった1つですが――、その後の私に大きな影響を与えました。
Sは長身で物静かな性格で、同じ研究室に所属した8人の中では、もっともよく勉強していたように思います。
私は徹底的に不真面目だったので、勉強のできる同級生には気後れして交友関係を持てなかったのですが、Sとは不思議と気が合いました。
私が多弁を労して幼稚な問題意識を吐き出すときにも、Sはじっと聞き、短い言葉で私を励まし、はやる気持ちを慰めてくれたのでした。

学生が集まる部屋で、そういうやり取りをしていたときだったと思います。
若者の口癖のように、私が「何か面白いものはない?」と尋ねたとき、Sは机に上にあった『地域の生態学』を取り上げて、「これが面白かった」と、紹介してくれました。
慎重に言葉を選んで話すタイプだったSが薦めてくれたので、これは読む価値があるはずだと確信しました。
ただ、定価4,120円(本体4,000円で消費税3%)という値段は、当時の私にはとても高価でした。
結局、学生時代にはこの本を読むことはありませんでした。

卒業して民間企業に就職し、しばらく経った頃だったように思います。
サラリーマンとなると、学生時代よりは多少懐に余裕ができて、本を借りるのではなく買うようになりました。
どういうタイミングだったのか覚えていませんが、ようやく、Sに紹介された本を購入しました。
硬派な本でしたが、夢中になって読みました。
生態系への見方に大きな転換が生じているという興奮を感じました。
すなわち、自然を守るには人間を遠ざけて、自然に任せればよいという考え方に対して、自然は人間の関与がなくてもダイナミックに変化していくし、人間と自然を相互に関係するシステムとして把握すべきであるという(今では当然ですが)新しい主張が展開されていました。この本には、里山という言葉は出てきていませんが、二次的な自然(雑木林や農地など)の重要性が指摘されており、「里山的なもの」への関心を誘うものでした。
また、ランドスケープ・エコロジーやビオトープといった当時は日本に紹介されて間もない言葉について、わかりやすく説明されているという点でも便利な本でした。(そもそも、著者の武内先生は、ランドスケープ・エコロジーを日本に紹介する際に、「景観生態学」や「景相生態学」と翻訳しても、ランドスケープに含まれる深い意味を取り逃がしてしまうと考えて、「地域(の)生態学」という言葉を選んだのでした。
しかし、2006年の改訂版では、「地域の生態学」ではわかりにくいと判断されたのか、『ランドスケープ・エコロジー』と改題しました。)

すぐに、松井健・武内和彦・田村俊和編『丘陵地の自然環境―その特性と保全』(古今書院、1990年)という本も読んでみました。
武内先生は私が所属していた研究室の大先輩であり、地理学のエッセンスを携えながら、生態学・緑地学・土木工学・都市計画なども取り込むというスタイルが、当時の私にはしっくり来ました。
環境問題を扱っていたというわけではないのですが、地理学を志向しつつ凹凸のある環境(人間-自然系)に迫る理論と方法を学べたような気がします。

その後、『環境創造の思想』(1994年、東京大学出版会)『まちの自然とつきあう』(岩波書店、1997年)『環境時代の構想』(2003年、東京大学出版会)なども、新刊が出るたびに読みました。
どれも好著ですが、やはり『地域の生態学』の衝撃には及びませんでした。
そのほか、武内先生には共著がいくつもありますが、その中から1冊を挙げるとすれば、武内和彦・恒川篤史・鷲谷いづみ編『里山の環境学』(2001年、東京大学出版会)でしょう。約10年前となりましたが、当時の里山研究の到達点を示しています。

現在、武内先生は里山研究の第一人者として、SATOYAMAイニシアティブの内容を詰めていらっしゃるようです。
私も、そうした時流に棹さすように、里山研究をレビューしたり、里山関連の研究会に参加したり、こうして里山に関する文章を書いたりしています。
Sにこの本を紹介されてから長い年月が経過しましたが、そのとき以来、私は武内先生の動きを常に見ながら過ごしてきました。
この間を振り返ればいろいろあったけれど、楽しかったと、確実にそう言えます。
すっかりごぶさたしているSに、感謝。

武内和彦(1991)『地域の生態学』朝倉書店.

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