『記録されなかったムラの記憶』

松村正治編(2010)『記憶されなかったムラの記憶―西表島旧稲葉集落の聞き書き』浦内川観光.

先日、『記録されなかったムラの記憶―西表島旧稲葉集落の聞き書き』という冊子を発行しました。
今回のコラムでは、この冊子の編集に携わった経緯やこの仕事を通して考えたことを記します。

私は、2000年5月に初めて沖縄県の八重山諸島に足を踏み入れて以来、毎年1回以上はこの島じまを訪れています。
最初は、沖縄でのフィールドワークの経験が長い松井健さんに連れられて、同じ研究グループだった数人で島じまを回りました。
今日、潮は引くのか、風はどの方角から吹いているのか、畑では何が栽培されているのか、屋敷林として何が植えられているのか、庭の植物はどのように利用するのか、家の造りはどうなっているのか、建材はどこから取ってきたのか、どうやって運んできたのか、島人は海で何を穫っているのか、どうやって貯蔵するのか、それは売っているのか誰かにあげているのか、井戸はどこにあり、どのように利用されているのか、拝所はどこにあるのか、氏子集団はどうなっているのか、公民館(自治組織)では何をやっているのか、などなど、島を歩きながら教わりました。

私に与えられた研究テーマは、観光開発がもたらす環境と社会への影響だったのですが、そのためには島人が自然とどう関わっているのか、シマ社会とはどういうものかを知る必要がありました。
松井さんは、それまで沖縄を研究していなかった人に新鮮な感覚でフィールドワークをやってもらおうとお考えでしたが、私がまったく何も知らないことに対して、きっと呆れていたと思います。
それ以来、2000年から3年間は足繁く八重山を訪ねました。

いつも八重山を訪ねるときは1人でした。
歩いたり、自転車を漕いだりしながら、島の景観を見て、島人から話をうかがい、3年経った頃には、少しわかることも増えました。
しかし、わかることが増えると、逆にわからないことの膨大さもわかり、かえって混沌としてしまった部分もあります。

2006年2月、久しぶりにグループで八重山を訪ねる機会がありました。
一緒に行ったメンバーの中に、『エビと日本人』(岩波書店、1988年)などの著者として知られる村井吉敬さん(早稲田大学)がいらっしゃいました。
村井さんとは、このとき初めてお会いしたのですが、そのときの出来事が忘れられません。
村井さんは、初対面のあいさつもそこそこに、飛行機の中で『サウスバウンド』(奥田英朗、角川書店、2005年)という西表島を舞台にした元過激派の父が引き起こす小説を読んできたとそのハチャメチャさを愉快そうに語ってくださいました。
穏やかで柔らかな物腰に、すっかり引き込まれていまいました。

さらに、その次にうかがった話に私はとても興味を抱きました。
それは、村井さんが学生時代に生物部の活動で西表島を訪れたこと、そのときに島を横断して、稲葉という集落でお世話になったことがあり、当時の様子を8mmに収めた映像もあるはずだという話でした。
また、稲葉にはかつて日本政府が製材所を設けていたが、大洪水に流されてしまったということを聞いているので、これを調べてみたいとも付け加えられました。

そのときまで、私は稲葉について気にしていませんでした。
後から気が付いたのですが、収集していた資料の中に稲葉に関する記述もあったのに、まったくノーマークだったのです。
それが、稲葉というムラの名前を聞いて、急に胸騒ぎを覚えました。
西表島にあるレストラン「キッチン inaba」は、この廃村になった稲葉のことではないかと直感したのです。
グループによる石垣島でのフィールドワークが終わり、村井さんと別れた私は西表島へ渡り、「キッチン inaba」を訪ねました。
オーナーの平良彰健(たいら・しょうけん)さんは、浦内川観光の社長さんでもあり、これまで何度かエコツーリズムに関するお話をうかがっていたので、
ほとんど前置きもせず、「稲葉という集落をご存じですか?」と尋ねてみました。
すると、平良さんは小学校に上がるときから中3の2学期まで稲葉で過ごしたという話から始まって、当時の記憶を思い起こしながら、楽しそうに語ってくださいました。
そして、カウンターに飾られていたモノクロの写真を見ると、そこには当時の稲葉の暮らしや景観が映し出されていました。

さらに、最後に予想していなかった話をうかがうことになりました。
それは、平良さんが稲葉村の歴史を記録にとどめるために、昔住んでいた人に取材して、聞き書きをしているという話でした。
とても、社会的な意義があり、夢のあるプランだと感じて、いつ頃、その冊子はできるのですかと尋ねたところ、そおれが休止状態にあるというお答えでした。
当初、平良さんとともに取材し、冊子の編集も担うことになっていた方がいらっしゃったのですが、諸般の事情でできなくなってしまったというのです。
すでに、おおかた取材も終わり、だいたいテープ起こしも済んでいる段階でした。
私は、死蔵されるのはとてももったいないので、よろしければバトンタッチしますとお伝えして、そのときは別れました。

それから、冊子づくりは進まないまま1年が経過し、私が冊子づくりを引き継ぐことに決まりました。
まもなく、録音テープや収集した資料等が、段ボール箱に詰められて送られてきました。

最初は、どのような資料があるのかを整理するだけで時間が必要でした。
その後、録音テープをテキスト化した文章を1人分ずつチェックしていきましたが、自分が取材したわけではないので、これも苦労しました。
作業は亀の歩みのようにゆっくりとしか進まず、大学の夏休みや春休みのたびに西表島を訪ねては、平良さんに進捗状況をお伝えし、指示を仰ぎました。
もう終わりだろうと思って最終確認のために島を訪れると、新たに気になる点が出てくるもので、なかなか印刷にこぎ着けることができませんでした。
守らなければいけない期限がなかったのがいけなかったのかもしれません。
ずるずると先延ばしになり、ようやく、この7月に発行する運びとなりました。
話が面白いので、読んで楽しい冊子となったはずですが、私の怠慢のために、冊子を見ることなく亡くなられた旧住民の方には、申し訳なく思っています。

しかし、これでこのプロジェクトは終わったわけではありません。
この冊子の奥付には、次のような文章があります。

旧稲葉集落に関する情報を収集しています。
本冊子をお読みになって、気づいた点がありましたら、お知らせください。
また、旧稲葉集落で撮影した古い写真をお持ちでしたら、お貸しください。
本冊子を改訂する際に、有効に生かしたいと思います。

今回、発行した冊子は、聞き書き集のヴァージョン1という位置づけです。
とりあえず、ある程度まとまった段階で、昔稲葉に住んでいた人や関係機関等に配布したのです。
これから、反響を聞いたり新たに情報を加えたりしながら、さらに良いものに改良しようと平良さんは計画されています。
今の段階では、一般向けに読んでいただくことを目的としていませんが、西表島の「浦内川観光」や「キッチンinaba」で読むことができます。

私は、これまでに八重山だけでも、のべ数百人の方々にインタビューをおこないました。
その中には、すでに亡くなった方も少なくありません。
その資料は膨大で、ほんの一握りしか論文等に生かされることはなく、社会に還元されずに眠っています。
テープやSDカードには、人びとの肉声が録音されています。
それは、私にとってデータの1つですが、当事者や関係者にとっては、その人自身の一部でもあるでしょう。
そう考えると、音声データやそれをテキスト化したものは、関係者に戻したり、適当なかたちで公開することが必要だと思います。
この冊子づくりに関わって、このことを強く思うようになりました。

よこはま里山研究所のコラム

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