映画『おもひでぽろぽろ』

主人公のタエ子は、東京の会社に勤める27歳のOLです。
彼女は長期休暇をとって、ベニバナの収穫期に、義兄の親戚の農家を手伝いに山形へ行きます。
物語は、東京育ちで田舎にあこがれていた小学5年生の思い出が、ときどきあふれ出し、現実と交錯しながら進んでいきます。
話の軸として、タエ子が居候させてもらっている農家の親類で、有機農業に挑戦しているトシオとの関係があります。
タエ子はトシオの案内に導かれながら、さまざまな体験を満喫し、田舎のことがわかったような得意な気持ちでいました。
東京に帰る前夜、タエ子は居候先のおばあちゃんから、トシオと結婚する気持ちはないかと尋ねられます。
その時まで考えもしていなかったタエ子は、うろたえて、思わず外に飛び出してしまいます。
翌日、東京に帰るタエ子は列車に乗ります。そのまま、帰ってしまうのか、それとも・・・。
映画はエンディングを迎えます。

ジブリ映画の中では、地味な作品です。
子ども向けではありません。
小学5年生の頃の小さな悩みや喜びが丁寧に描かれていますが、あくまでも大人になって振り返ってみたときに、自分もそうだったなぁと感じられる面白さです。
農業・農村を美化しているという批判があるようですが、私はあまりそう感じませんでした。
都会人があこがれる農村の自然=里山景観が、人の手によって作り上げられた風景であることをトシオに語らせているように、むしろ都会-農村と二項対立的に捉える見方をなるべく排除しようとする監督の意図の方を、私は強めに感じました。
そういう視点から映画を見るよりも、人の成長の物語として見ると、よいと思います。

今回、このアニメ映画を取り上げようと思ったのは、先月、NORAスタッフのKさんの結婚を祝うパーティーがあり、そのときに聞いた言葉がきっかけです。
パーティーが終わりに近づき、遠方に住むKさんの友人から届けられた温かい手紙が、読み上げられる時間がありました。
そこに、30代の2人が「理想の生活」とは何かをめぐって、いろいろと語り合ったという下りがありました。
この「理想の生活」という言葉が気になりました。

私には、こういう問いを立てたことがなかったので、何だか新鮮に感じました。
おそらく私は、現実から考えてしまうタイプなのだと思います。
そして、たとえば、経済的・時間的な制約、家族・友人・知人との関係などがあり、その中で最適な解を見つけようとしても、自分では決められない条件の変化が絶えず生じるので、考えようという気持ちにならなかったのだろうと振り返りました。
自分の生き方について、その半分は自分で考えるけれど、残りの半分は外部条件に合わせるというスタンスだったように思います。

パーティーの翌日、スタッフ会議があり、その帰りに一緒になったKさんに、「今、理想の生活って何だって思いますか?」と尋ねました。
結婚して間もないので、「2人で暮らすこと!」というような、ベタな答えを期待してもいたのですが、「ますます、わからなくなりました」という返答がありました。
そう答えざるをえない気持ちは、わかるような気がしました。
一方、このとき一緒にいた同世代のMさんの言葉は、とても腑に落ちるものでした。
正確には覚えていませんが、だいたいこんな感じでした。
「以前は、どこに住むかとか、どんな仕事をするかというように、何かにあこがれを持って、外に理想を求めていたけれど、今はもっと身近なところでも、たとえば、一つひとつ丁寧に暮らしていくというようなことはできると思う」。

KさんとMさんは、「NORAの野良仕事」のスタッフとして、長年、神奈川県内の生産農家との関わりを続けていますし、一昨年は、横浜市内に田んぼで、ほぼ1年を通して米づくりを実践されました。そのほか、個別にも農業研修に参加しながら、「理想の生活」を模索されてきたのだと思います。
そして、当初の問いの立て方に対して、真っ正面から答えるというよりも、さまざまな経験や対話を通して、異なる角度から、あるいは異なる位相で考えるようになり、いつしか問い方が変わってきたのだろうと思いました。
私が2人の言葉から感じたことは、人が成長する上で大事な問答形式はモノローグではなく、ダイアローグなのだということです。
自問自答しているだけでは、堂々巡りに陥りがちですが、他者との対話、それも、究極的には理解不能な他者と向き合い、それまで拘っていた何か(問い方、答え方)を変えていくことが、人が前へ進んでいくためには必要なのでしょう。

『おもひでぽろぽろ』の主人公タエ子は、あこがれる対象として田舎があり、そこで普通の都会人以上に田舎暮らしを体験します。
しかし、お世話になっている農家のおばあさんから、結婚話を持ちかけられて、次のように動揺します。

農家の嫁になる。思ってもみないことだった。 そういう生き方が私にもありうるのだというだけで、不思議な感動があった。 「あたしで良かったら・・・」 いつか見た映画のように素直に言えたらどんなにいいだろう。 でも言えなかった。 自分のうわついた田舎好きや、真似事の農作業が、 いっぺんに後ろめたいものになった。 厳しい冬も、農業の現実も知らずに、 「いいところですねぇ」を連発した自分が恥ずかしかった。 私には何の覚悟もできていない。 それをみんなに見透かされていた。 居たたまれなかった。

タエ子は、ここで心を激しく揺り動かされて、それまでの生き方を考え直す機会を得ます。
自らの体験に加えて、他者から見える自分という視点を得て、かえって自分に向き合うことができるようになったのです。

それまで自分が見ていた世界の姿があり、その同じ世界に住む他者から自分を見られるようになったとき、はじめて気づくことのできる世界の別の姿があります。
こういう経験をして、ものの見方、考え方が変わることを、普通、人は成長と呼びます。
一皮むけると言う場合もあるでしょう。
タエ子にとって重要だったのは、田舎で生きるという選択肢を具体的に考えて、ある決断を下したという事実だと思います。
(決断の中身ではないはずです。)
それぞれの年代に応じて、成長の仕方は異なりますが、こういう体験を通して、人は一つ前へ進んでいくのでしょう。

女子大の教員を務めているためでしょうが、私は女性がどうやって成長していくのかに関心があります。
ただし、よくわかっていません。
今できることは、将来のありたい自分の理想像を考えてもらい、その実現に向けてサポートすること。
そのためには、さまざまな他者との出会いを通して、あこがれていた理想についてモノローグ形式で近づくのではなく、ダイアローグ形式で近づく。
そのサポートをしていくことだと思っています。
そのために、さまざまな環境に身を置き、さまざまな人びとと出会い、生き方・働き方にふれることが、大切なのではないだろうか。
そんなことを考えながら、授業やゼミの組み立てを考えています。

そして、NORAについても。
NORAは、「里山とかかわる暮らしを」すすめながら、人も里山もともに豊かになることをめざしています。
つまり、関わる人びとが成長する場でもありたいと願っています。
KさんやMさんとの話を通して、そのような場となっているといいなぁと思いました。

映画『おもひでぽろぽろ』(監督:高畑勲、1991年)
よこはま里山研究所のコラム

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