『フード左翼とフード右翼』

この本の中身を高く評価しているわけではありません。
内容的には、あまり目新しいものはありませんし、取材も深く掘り下げられたものではありません。
それでも取り上げたのは、最近の食・農のブームに関して感じている問題意識を表現する上で、タイトルにもあるフード左翼/右翼が便利だからです。

先月、横浜市市民活動支援センター主催の講座「土とハグくむ市民のチカラ」で、コーディネーター役を務める機会がありました。
5回連続講座の最終回だったため、参加者はゲスト講師による話を聴くだけではなく、テーマ別に3つのグループに分かれてディスカッションする時間もありました。
最後なので、参加者の議論をうまくまとめることを期待されていたはずですが、問題を提起して波紋を投げかける役割を演じて終わらせてしまいました。
そのとき私は、話ながらも、なぜ自分がこれほどいらついているのか、何に不満を感じているのか、その感情をうまく整理できないでいました。
そこで、帰りの電車の中で、自分が感じたもどかしさを振り返ってみたところ、食や農にこだわりたいというライフスタイルの志向性の話と、その思いを社会の問題解決に向けていくことの間にギャップが生じていて、それが埋められることのないまま放置されていたことに、注意を喚起したかったのだと気づきました。
つまり、今から思えば、私の問いかけは、「自己を語るよりも、他者と語り合うことに意義を感じていますか?」というものだったように思います。
他者のため、社会のためと言いながら、それが手段となって、自己実現を図ることが目的となっているように聞こえる場合があったのです。
しかし、その気分の悪さは、食や農というワードによって適当に隠されてしまう。そうした危機感から、私は参加者に対話とゆるやかな連携を提案しました。

本書では、私がこの時に感じていた問題意識がクリアに示されています。
著者にならえば、それがフード左翼とフード右翼との乖離です。
ここで、フード左翼とフード右翼は、次のような食のマトリックス上に位置づけられます。
すなわち、縦軸に健康志向<上>―ジャンク志向(安さ・量重視)<下>を、横軸に地域主義<左>―グローバリズム<右>をとります。
そして、健康志向と地域主義に挟まれる第2象限がフード左翼に当たり、ジャンク志向とグローバリズムに挟まれる第4象限がフード右翼となります。
それぞれのキーワードを挙げると、フード左翼は、地産地消、スローフード運動、道の駅、ベジタリアン、有機農業などとなります。
一方のフード右翼は、マクドナルドに代表されるファストフード、冷凍食品、ジャンクフード、コンビニ、添加物入りの安い商品、農薬付きの安い野菜などです。
農法で言えば、オーガニック・自然派に対して化学肥料・農薬、流通で言えば、ファーマーズマーケットに対して全国的なスーパーマーケット、外食ならば、ベジレストランに対してファミレス、ファストフードとなります。
このように、食をめぐって日本社会は分断されていると見られており、さらにこれは、階層の分断と対応していると分析されています。
つまり、フード左翼のおもな所属階層は、都市富裕層、クリエイティブ層であり、フード右翼は地方や都市の中間層に代表されると言います。
こうした著者の分析は、かなりいい加減で、もっと慎重な議論が必要なことは言うまでもないのですが、それでも便利な用語であることは間違いありません。

食や農に関心があるという人、たとえば、冒頭に挙げた講座に参加するような人は、ここで言うフード左翼に相当する人がほとんどです。
そして、フード右翼の食べものを問題として取り上げ、それに対してフード左翼の食べものの安全性や本来性などの優位性を語ります。
ここで厄介なことは、フード左翼はフード右翼の食べものを科学的に、あるいはオカルト的に否定し、自らの正当性を主張しがちなことであり、特に同じような志向性を持つ人が集まると、その主張を強調しがちなところです。
フード右翼に位置づけられる人びとを敵と見なすことは得策ではありません。
これが進むと、食べものをめぐって正義が争われ、結果として、社会が分断されることになります。

なぜ、食べものの志向性と所属階層は高い相関関係を示すのでしょうか。
それは、人びとの持っている資源によって、食べものの志向性はある程度決まってくるからでしょう。
つまり、乱暴に言ってしまえば、経済的・精神的に豊かであるからこそ、フード左翼を選べるということだと思います。
一方、フード右翼の場合は、自覚的に選んでいる場合もあるでしょうが、むしろ、その人の食環境から決まっていることが多いのではないでしょうか。
これが事実だとすると、こうした階層と食環境との構造的な関係と、そこにある問題性をえぐり出し、変えていくことが必要だと思います。
そのためには、フード右翼側の立場に立って、その食環境を共感的に理解し、連帯していくための方策を具体的に考えることが求められるでしょう。
そのような取り組みを行わない限り、この構造的な問題は放置されてしまいます。
私が食・農について考えるとき、いつもこのことが気になっていたのでした。
なぜなら、こうした問題は、ある意味では古典的と言えるからです。

本書にも書かれてあるように、日本では主として1970年代から、有機農業運動、提携、地域自給などが試みられてきました。
この現代のフード左翼に連なる動きを支えたのも、やはり都市富裕層であり、クリエイティブ層でした。
こうした運動には40年ほどの歴史がありますが、有機農産物の割合が1%にも満たないように、大勢に影響を与えてはいません。
かたや、安い食べものが大量に供給されることは、多くの人びとの生命を支え、喜びを与えるということも大変重要です。
この事実をないがしろにした動きは、多くの人びとの力になりえないでしょう。

ただし、私は希望を持っています。
人は所属階層にかかわらず、食べなければ生きられません。
ある程度バランス良く、一定以上のエネルギーを摂る必要があります。
その点、食は人びとがつながる連帯のシンボルともなり得ると思います。

近年、食・農というテーマは非常に多くの人びとからの関心を集め、多くの雑誌で関連する特集が組まれています。
この追い風が吹いているときにこそ、これまでのフード左翼的な動きを踏まえて、いかにフード左翼とフード右翼が連帯できるのかを考えるべきでしょう。今はその好機だと思います。
フード左翼内には主義主張の違いにこだわる傾向が強いですが(ベジタリアン、ビーガン、マクロビアン、ローフーディズム・・・)、食をめぐる社会問題を見極め、その解決に向けて共に動ける仲間を増やすために、私も努力していきたいと考えています。

速水健朗(2013)『フード左翼とフード右翼―食で分断される日本人』朝日新聞出版.
よこはま里山研究所のコラム

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