現代の都市型社会における里山の価値

(司会) 今日は関東学院大学人間環境学部教養学会主催の講演会になります。こちらに今日の講師の松村正治先生がいらっしゃいます。拍手でお迎えください。簡単に私からプロフィールをご紹介します。恵泉女学園大学人間社会学部の准教授でいらっしゃいますが、それ以前からNPO法人よこはま里山研究所を立ち上げ、今は理事長という立場でいらっしゃいます。私の授業で何回かご紹介したこともあるので、聞いて知っている皆さんもいると思いますが、そのNPOを中心的に担われています。

 1969年東京都生まれ、東京大学理学部を卒業され、環境コンサルタントとして民間の企業に就職されてから、東京工業大学大学院社会理工学研究科に進まれています。そして、2005年から恵泉女学園大学の教員でいらっしゃいます。ご専門は環境社会学で、私もこの分野を研究していますが、公共社会学という分野になります。研究のテーマとしては、今日もお話しいただくような都市近郊の里山の保全活動、また今日の事例には出てきませんが、都市近郊だけでなく沖縄列島の環境と開発など、国境離島における人と物の移動ということも含めて、いろいろな場所でフィールドワークをなさり、現場を重視した研究をなさっています。今日のご講演のタイトルは、「現代の都市型社会における里山の価値」です。環境保全のデザインという授業にも、また、私の生態系保全という授業にも大変関係の深い専門的なお話が聞けると思いますので、しっかり聞いてください。今日は、よろしくお願いいたします。

(松村) 皆さん、おはようございます。今ご紹介いただきました松村と申します。

 スライド1の写真は市民が作っている水田で、横浜市緑区新治という場所にあります。もともとは農家の方々が田んぼ作業をしていたのですが、高齢化が進んで人も少なくなりやり切れなくなったので、代わりに市民の方々が田んぼを作って水田景観を維持しているという場所です。夏になるとここから草が大量に出てきて田んぼの方が影になってしまうので、真夏の最中に草刈りをしているという状況です。多くの市民ボランティアの方たちが参加していることが分かると思います。横浜は、日本全国の中でも有数の環境ボランティアが非常に多い場所として知られていて、これはその一コマとお考えください。

 最初に自己紹介をします。私は環境社会学を専門にしています。さまざまな環境の問題があったときに、例えば自然科学など理系の学問であれば水や空気それ自体を調査研究していくことが多いのですが、環境社会学では、その問題を引き起こしているのは人間社会の側なのだから、社会の方を理解しようと考えます。フィールドは多摩丘陵の里山の他に、沖縄の八重山諸島、対馬、佐渡などにも行っています。その他市民活動としては、よこはま里山研究所の理事長として都市近郊の里山保全活動を行っています。今までに、沖縄や里山、環境社会学、市民活動に関する本を書いてきました。

 おそらく学生さんの中には、自分の住んでいる場所の地理について深く考えたことのない人も大勢いらっしゃると思います。そこで衛星の写真を見て、どういう場所にあるかということを考えたいと思います(配付資料に載せていないスライド4)。今、私たちがいる場所は、星印が付いているこの場所です。ここが私が勤めている大学で、私の自宅がこちらです。ここはよこはま里山研究所がフィールドにしている川井緑地という場所で、ここに事務所があります。このような位置関係になっています。

 東京近郊は緑があまり多くなく、こちらは丹沢・大山や箱根の方なので緑が増えてきますが、よよく見るとこの辺りに薄く緑があるのが分かるかと思います。この形は何かに似ているでしょうか。慶應義塾大学の先生だった岸由二さんという方が、この形がイルカに似ていることからこの場所を「いるか丘陵」と名付けています。多摩丘陵から三浦半島にかけての丘陵地帯を多摩・三浦丘陵群といいますが、それでは堅いので「いるか丘陵」と呼んでいます。私はこの「いるか丘陵」の頭の方に住んでいて、皆さんは尻尾の方にいるという位置関係になります。

 さて、今日の話題ですが、授業の中で里山についてどの程度お話しされているか分かりませんので、まずざっと里山についてご紹介します。その後、里山が客観的にどう素晴らしいのかという話をしてから、私自身が里山とどう関わってきたかということを具体的なライフヒストリーと共にお話ししたいと思います。最後には、私がNPOを運営する上で里山をモデルにした組織運営、NPOのマネジメントを行っていることについて話していこうと思います。現代社会はある意味で世知辛い社会であり、競争社会の中で生き抜いていくことはとても大変かと思いますが、その中にあって里山というモデルを知っていると、少し生き方に幅が出てくるかもしれません。

1.里山とは

 里山という言葉は皆さんも聞いたことがあるかと思いますが、この言葉が日本中でよく知られるようになったのはつい最近です。言葉としては江戸時代の書物にも見られますが、最近になって一般にも知られるようになりました。簡単に言うと、奥の方にある奥山に対して、人里近くにある集落に近い山のことを里山と呼んできました。広辞苑にも、「人里近くにあって人々の生活と結びついた山・森林」とあります。集落の周りの森は、かつて、薪や炭にするための薪炭林として伐られたりきたり、堆肥を作るための落ち葉を拾ってきたりする農用林として存在していたのです。ただ最近では、里山という言葉は、近くにある山だけではく、もっと広い範囲を指すようになっています。田んぼや畑、草地、ため池、水路、屋敷林、竹林、集落などは、里山と区別して里地と呼ぶこともありますが、私は全部合わせて広い意味で里山と呼んでいます。つまり、かつての農村空間の全体をまとめて里山と捉えることが多いです。この里山は、田んぼや畑、森、ため池などたくさんの要素を含むので、モザイク状に配置されて、しかもまとまりを持った景観となっていることが特徴的です。

 これを図式化してみます(スライド5)。伝統的なモデルとしての集落景観は、真ん中にムラがあり、その周りに田んぼや畑、日常的に出掛けていくノラがあって、そのかなり先にヤマがあるというものです。よく昔話に「おじいさんは山に芝刈りに」と出てきますが、その山というのは私たちがイメージする高尾山のような高い山ではなく、集落のそばにある森や林という意味です。そこまでは人々が訪ねていきますが、その先のオクヤマは鳥や獣の世界となります。狭い意味では、このヤマのことを奥山に対して里山と呼びますが、広い意味では、つまり今日私がお話しする意味では、ムラ、ノラ、ヤマ全部を含めて里山と呼んでいます。

 イメージを喚起するために、イラストを持ってきました(スライド6)。真ん中に集落があり、その周りに田んぼや畑、ため池などがあります。ノラの部分です。その周りに広葉樹林やスギ、ヒノキ、竹林などがあります。これらがまとまってモザイク状の里山景観となるのです。ですから、紅葉のときなどは非常にカラフルできれいな場所になります。

 さて、この里山はなぜカラフルなのか、モザイク状なのかということをお話しします。それは自然が織りなす技ではありません。里山は自然の景観とは決して言えません。少なくとも50年ぐらい前の日本列島に生きていた人たちは、ヤマやノラから自然の恵みを頂いていたのです。例えば、松林からは住宅の建材を持ってきますし、マツの葉は燃料になります。スギやヒノキも言うまでもなく建材や燃料になります。そしてクヌギやコナラは薪や炭にします。落ち葉は肥料にします。竹林は竹細工の材料にしますし、タケノコを食べます。茅場(かやば)から草を採ってきて、家畜の飼料や敷料にしたり、屋根材にしたりします。キノコや山菜は食べるだけでなく、薬にもなります。

 一方、田んぼや畑、ムラからはどうかというと、水田からはもちろんお米が採れますし、そこにある植物やそこで飼っているコイを捕ったりもします。畑では食料として小麦やイモ、野菜などを採ります。ため池からは肥料やそこにいる魚を捕ったりもします。水路でも魚を捕ります。

 このように、ヤマやノラから恵みを頂いていたのです。その頃までは、私たちの生活を成り立たせる目的で身近な自然から恵みを頂くために、これだけたくさんのバラエティに富んだ景観がなければならなかったのです。生活を成り立たせるために自然の恵みを周りにつくっておいた結果、このようなカラフルな景観になったのです。

 しかし、こういった景観は今、大変な勢いで失われつつあります。それはなぜでしょうか。理由は非常に簡単で、近くからそのような自然の恵みを頂く必要がなくなったからです。典型的な例を雑木林で説明します。雑木林にはクヌギやコナラが多いのですが、それらは自然に生えたものではなく、私たちの祖先が人為的に選んできたものなのです。なぜその木が選ばれたのでしょうか。クヌギやコナラは、いったん切るとその切り株から芽が出てきます。それを成長させてやると、地域によって違いますが15~20年の周期でまた大きくなるのです。それをまた切ると、また芽が出てきます。いちいち苗木を植えて育てる必要がないので手間が省けるのです。15年や20年という比較的若い段階で切るのは、大きくなってしまうと木を切るのがとても大変になるからです。コストや人間の手間を考えると、そのように15~20年のサイクルで木を回しながら、そのサイクルの中で得られる落ち葉や木材を利用していくのが合理的でした。

 しかし、今、このようにして堆肥を使っている農家は大変少なく、多くは化成肥料で済ませます。私たちは電気やガスを使っているので、薪や炭を使うこともほとんどありません。つまり、このようなサイクルは全く機能しなくなっていったのです。そうすると、ほったらかしになってしまいます。もしくは、もう価値がないので開発してしまおうということになっていきます。

 そのことを数字で示しましょう。スライド9は薪炭生産量の推移のグラフです。日本では昭和30年代に大きく落ち込んだといわれています。この落ち込みの激しさを象徴的に言うために、「燃料革命」という言葉もあります。この時期、日本列島では、薪や炭に頼った生活から、ガスや石油などの化石燃料を使う生活に激変していきました。それに伴い、里山も必要なくなってきました。

 学生に高度経済成長の話をすると、ぽかんとしていることが多いのですが、それは全くリアリティがないからなのでしょう。私の親は高度経済成長のときにまさに働いていたので、私は何となくその影響を感じるわけですが、その次の世代である皆さんにとってははるか遠い過去の歴史の話だと思うので、少し説明します。高度成長期には年率約10%の経済成長がありました。ちょうど今の中国がそれと同じくらいか少し欠けるくらいですから、とても経済成長率が高かったときです。その後安定成長して、今は低成長期、ほとんど成長していない時期になります。では、この高度経済成長期に何が起こったのでしょうか。新幹線の開通や東京タワーの建設に代表される近代化が急速に進んでいく裏で、公害が巻き起こりました。経済成長によって人々の暮らしが豊かになる一方で、公害や自然破壊なども見られるようになりました。

 公害については、1970年代ごろからいろいろな対策を取ったためにだいぶ少なくなっているとも言えます。もちろん、被害者の方はまだまだ苦しんでおられますが、国内の公害はだいぶ減少しています。その一例として、二酸化硫黄という大気汚染物質の濃度を見てみると、どんどん減ってきています。

 今はどのような問題があるかというと、一つに里山の問題が挙げられます。身近にある自然は私たちの生活からほとんど切り離されているために、ほったらかしになっています。スライド13の写真はほったらかしになっている例です。棚田はもう手がつけられなくなって荒れ放題です。竹林も何も管理をしないので、どんどん拡大していくという状況です。竹は1年間に1mずつ横に広がっていくので、放っておくと屋敷に侵入して畳を尽き抜けて出てきたなどということもあり得ることで、実際にそのような話も聞くことがあります。

 スライド14の左の写真は手入れされている里山で、右は手入れされていない里山です。どちらがいいでしょうか。景観的に見れば明らかに左の方が美しいと言えるでしょう。宮本常一という民俗学者がこのような言葉を残しています。「自然は寂しい。しかし人間の手を加えるとあたたかくなる」。少しあたたかい景観だと思いませんか。

 高度経済成長期の里山の変化というのは、燃料革命によって薪や炭が化石燃料に変わり、堆肥が化学肥料に変わり、竹細工などの材料がプラスチックなどに変わるというものです。これに伴い里山に価値がなくなっていくので、もっと価値があるものに変えていこうという話になります。その中の一つに拡大造林政策があります。クヌギやコナラの雑木林があっても炭や薪を取るわけではないので、代わりに家の建材を作るためにスギやヒノキを植えていきました。また、減反政策によって田んぼも作らなくなっていきます。さらに、放っておいたためにマツクイムシによって松林がどんどん破壊されて被害を受けています。最近では、コナラもその一種であるナラという木がありますが、特に西日本でナラが枯れる被害が広がっているという状況です。

 今、里山は二重の危機にあるといわれています。一つは、量的な危機です。持っていても価値がないので、なるべく売りたいと思う人が多くいて、宅地造成やゴルフ場開発、道路建設、産業開発などが進められます。もう一つは質の劣化です。今まで手入れをしていたものが手を入れなくなるために、森林が高齢化して荒れていき、ため池や草地がどんどんなくなっていき、竹林が広がっていきます。こういった現象が日本中で進んでいます。

 植生の遷移は、最初に裸地に草が生えて、だんだん明るい環境を好むマツなどが生えて、最終的には、この辺りだとシイやカシなどの極相林に達するという人生のようなものです。以前は約20年で木を切って、遷移の最初の方のサイクルを繰り返していたために、多様な景観がありました。しかし、今は里山に手を入れなくなってから約50年たっているので、年老いた林が多くなっています。それは決して悪いことではないのですが、そうすると草地や明るい環境を好む動植物がいられなくなってしまいます。同じ緑地でも、緑地の質が変わることによって、明るい環境を好む動植物にとっては住みにくくなるのです。

 生物多様性という言葉を聞いたことがあるかもしれません。生物多様性は、今、三つないし四つの危機に直面しているといわれています。第1の危機は、人間活動の強い影響で生物が絶滅の危機にさらされることです。例えば乱開発や乱獲、オーバーユースの問題です。過剰に開発をしてしまうということです。第3の危機は、外来種やもともと自然界にはなかった化学物質などが環境中に放出されたことによる問題です。その他に、地球温暖化による世界的な危機もあります。これらに挟まれた第2の危機が里山の危機です。アンダーユース(過少)、今まで人間が伝統的に生態系に働き掛けていた度合いが少なくなったがゆえの危機、人間が関与をやめてしまったがゆえの危機です。

 具体的には、例えば、メダカはかつての里山にはたくさんいましたが、今では絶滅危惧種になっています。絶滅危惧種は、白神山地や屋久島のように人間が関わりにくい原生的な地域よりも、人々の生活環境に近い里地里山地域に多く集中していることが分かってきました。それ以降、環境省は、生物多様性を守る上で、里山が重要な地域であると位置付けています。かつては、農家の定期的な手入れによって里山が維持されてきた結果として、多様な生態系がモザイク状に配置され、生物の多様性を高めてきました。そういった関係性がなくなってきたのです。

 里山の危機を説明するときによく出てくるのが、カタクリという植物です。片栗粉のカタクリですが、今私たちが食べている片栗粉はカタクリの根からデンプンを取っているものではありません。カタクリはかつて普通に里山にあった植物であり、「スプリング・エフェメラル(春の妖精)」の代表で早春に咲きます。冬の間に葉を落とす林の下に生え、早春は葉が落ちているので日の光が林床に射すため、その光を一身に浴びて育ち、林が葉を付ける前に咲き誇る花です。この辺りでは4月上旬ごろに咲くと思います。しかし、人が雑木林に手を入れなくなると、この辺りではシイやカシが増えてきて、これらの木は冬の間に葉を落とさないので、カタクリは日光が少な過ぎて出てこなくなってしまいます。今はこのような明るい環境を好む植物がどんどん減ってきています。

 ですから、現代において里山は重要だといわれているのです。特に、環境省はかなり力を入れています。その理由を挙げます。一つ目は生物多様性です。適度に人々が手入れをしていた結果として里山の生物多様性は高かったのですが、人々が手入れをしにくくなり、管理できなくなっているがゆえに、もともとあった生息環境が変わってきています。量的にもなくなっていますし、質的にも変化してきています。それにより、生物多様性が失われつつあるのです。

 二つ目です。私たちは身近な自然に対して手入れをするという技術や文化を持っています。持っていましたと言った方が正確かもしれません。その地域ごとに、どのようなタイミングで、どのような自然に、どのように働き掛けたらいいかというローカルな知恵や技を持っていたのです。それは言葉になっていないので地域知や身体知といわれています。里山に手を加えないために、それらの継承が困難になってきています。これは数百年という単位でずっと受け継がれてきたものだと思いますが、この50年の間、人々が自然に働き掛けなくなったがゆえに、そのような知恵や技、文化が失われつつあるのです。生物文化の多様性がなくなりつつあるということです。

 一方で、最近、最も売れている新書の中に、藻谷浩介さんが書いた『里山資本主義』という本があります。ネガティブな話に終始してしまうと気分が暗くなりますので、最近は発想を転換して、「今は里山の資源は全く使われていない。だったらそれは元手ゼロで手に入る資源と捉えることもできる。そうであれば、地域の里山の資源を生かして、新しいコミュニティビジネスを展開できる可能性がある」と考える人もいるのです。

 特に、地方に行けば里山の面積は非常に大きいので、とてもたくさんの資源が眠っています。それをうまくビジネスに生かすことができれば、新たな雇用を創出できるかもしれません。ただし、里山は基本的に太陽のエネルギーを受けて大きくなる分しか使えないので、木を切る周期を回復するよりも早めてしまうと森林が破壊されていくことになります。つまり、太陽のもたらす自然の恵みのスピード以上に利用を広げていくと、それは自然破壊になっていきます。里山資本主義は、資本主義を代替えするとは決して思えませんが、ある程度資本主義を補完していくような仕組みにはなっていく可能性があります。実際に、この『里山資本主義』はとても売れているようで、特に地方では、これからビジネスを展開していくための一つのモデルとして読んでいる人も多いようです。

 ビジネスモデルの事例を二つ挙げます。一つ目は「猪鹿庁」という里山保全組織です。今は里山の手入れをしないので、鳥や獣たちがどんどん人々の集落の方へせり出してきています。放っておくとせっかく作っている作物を荒らされてしまったり、直接危害を受けたりすることもあります。そこで、積極的に猪や鹿などの獣を撃っていこうということになっています。「猪鹿庁」は、ただ撃つだけではなく、それを肉として加工して売ることでビジネスにしていこうと試みる若い人たちの集団です。

 二つ目は、棚田に外国からの観光客を呼ぼうと試みるビジネスです。棚田の風景は、日本人から見ると古臭くありふれた田舎の風景だと思うかもしれませんが、外国の人からすると大変美しい景観に見えるかもしれません。このようにしてコミュニティビジネスの材料を提供していく可能性があります。

 一方、都市においては、そのようなビジネスを展開していくことができる広い面積がありません。そこで、どのように里山を手入れしていこうとしているかというと、私たちのNPOもしていることなのですが、里山保全のボランティア活動があります。都市の場合には、少ない里山に対して多くの住民がいます。都市住民の中には、自然に働き掛けることを面倒くさいことと思うのではなくて、自ら体を動かして自然に働き掛けて社会貢献をしたいと思っている人たちもたくさんいます。手入れされていない里山と、社会参加をしたい、ボランティア活動をしたいという都市の人たちをうまくマッチングさせて、つなげていく活動を私たちはずっと続けてきています。これが一つの例です。横浜辺りだと、ボランティアを中心にして里山の手入れをするということも可能です。

2.NPO法人よこはま里山研究所(NORA)とは

 私の関わっているNPOの話をします。2000年に設立し、2001年にNPO法人を取っています。会員数は約100名、私は今年で45歳ですが、40~50歳代が中心です。この団体の特徴は、私たちが関わることによって里山の生態系を豊かにするとともに、都市の人たちが里山に関わることは私たちの生活の質自体をも高めると考えていることです。つまり、里山の生態系と都市住民の暮らしの質を高める、里山と都市住民との関係を深めていくことによって一挙両得を図っていくことを目指しているNPOです。

 経緯は、1980年代ぐらいから、横浜市内のいろいろな場所で、今で言う里山保全のボランティア活動が盛んになってきました。1996年には市内の10団体で「よこはまの森フォーラム」というネットワーク団体を結成して、横浜市と協働しながらいろいろな講座を企画・実施し、市民向けの普及活動などを行ってきました。トヨタ財団という民間の財団から助成金を得て活動していたのですが、助成金がなくなってネットワーク自体の活動は縮小し、その後解散しています。しかし、それをきっかけにして、NPOで新しく起業したいという人たちが集まって、2000年によこはま里山研究所が設立されました。

 よこはま里山研究所(NORA)は、ムラ、ノラ、ヤマという関係を意識して事業を組み立てています。つまり、都市住民が日常的に山仕事や野良仕事をして村づくりをし、ハレを楽しみながら、生き物を豊かにするというものです。ですから事業は、ヤマ、ノラ、ムラ、ハレ、イキモノという5つのカテゴリーに分類されます。

 「ヤマ」では、竹材を採ってきて竹細工を作る「竹を活かす山仕事」や、月2回の「NORAの山仕事」をしています。

 「ノラ」では、畑で作物を作ったり音楽を楽しんだりします。

 「ムラ」では、横浜の土間の意味を持つ「はまどま」という拠点を持っており、そこで毎週神奈川の野菜を売ったり、月に一度はみんなでその野菜を中心とした食事を作って食べたり、竹仕事で採ってきた竹を使って竹細工を作ったりしています。

 「ハレ」というのは、ムラの生活の中における非日常的なハレ(イベント)です。イベントも必要なので、年に一度「まいたエコサロン秋祭り」「地モノ市」といったイベントを開催しています。

 「イキモノ」では、「旬の里山探訪」という自然観察会を開催しています。

3.私と里山

 ここからは、自分のこれまでの里山との関わりを踏まえてお話ししたいと思います。私は大学を卒業してから環境コンサルタントとして働いていましたが、辞めて大学院に進学し、その間にNPOの職員をしたり、神奈川県の研究機関で非常勤の仕事をしたりしながら研究活動をしていて、2005年に恵泉女学園大学で職を得ました。この間、一貫して何かしら環境の問題については関心を持っていました。私が学生のころは、地球環境問題が大変な勢いで湧き起ってきた時代でした。今はワールドカップがブームになっていますが、そこまでではないにしても、世界中の人たちが真剣に取り組むべき新しい課題として地球環境問題があるという時代でした。

 今日、地球環境問題は当たり前のように世の中に入っているので、皆さんにとっては今さら何を勉強するのだろうかと思うかもしれませんが、私が大学2~3年生だった1992年は、リオデジャネイロで地球サミットが開かれ、世界中の首脳たちが集まって地球問題について話をするという時代でした。この1980年代後半から1990年代の初めというのは、まさに地球環境問題の誕生期とも言えます。そのような時代に学生時代を過ごしたので、地球環境問題に取り組みたいと思ったのです。

 さらにさかのぼると、1986年にチェルノブイリで原子力発電所事故があったので、そのころから、原発と共に生きる生活というのはどうなのだろうかと考えていました。皆さんも3.11以降、原発についていろいろ考えていると思いますから、そういう意味では少し似ているかもしれません。

 このように高校時代は原発の問題を考えていましたし、大学生時代は地球環境問題も考えていました。しかし、地球環境問題を考えるといっても雲をつかむような話で、どうしたらいいのかよく分かりませんでした。当時は「Think globally, act locally」という言葉がはやっていて、地球規模で考えて、実際に行動するのは地域でということが合言葉としてありました。そこで私も地域で何か関われることはないかと考え、卒業後は主に国内の地域の環境問題に関わろうと思い、環境アセスメントを主に行う仕事に携わりました。

 このように話すと、ずっと勉強してきたというイメージを持たれるかもしれませんが、学生時代の私はずっと芝居に関わっていました。今年3月までNHKで「ごちそうさん」という朝ドラを放送していましたが、その脚本を書いていた森下佳子さんは私の同窓生で、同じキャンパスで同じときに芝居をしていました。卒業後も働きながら芝居を続けていた私は、有給休暇を全て芝居のために使っているという状況でした。しかし、会社で働きはじめて2年目のときにその劇団が解散してしまいました。当時は芝居と環境の仕事の両方をやって何となくバランスが取れていたのですが、芝居がなくなり、ずっとこの仕事をやり続けるのかと考えたときに、少しどうなのかなと思いました。

 コンサルタントという仕事は、例えば、これから大きなダムを造るというときに、そこにいる動植物に対して影響が出たり、水質が汚れたりするかもしれないということを予想して、対策を考え、クライアントであるディベロッパー(開発業者)にレポートを提出するというものでした。それはそれで結構楽しかったのですが、自分で問いを立てて行う仕事ではありませんでした。自分がこういうことを考えたいと思って始まる仕事ではなく、こういうことを考えてください、調べてくださいとお願いされて、それについて自分たちが調べて報告を出すという仕事です。

 例えば、私はダムを造ったときの影響について考えていましたが、そもそもそのダムは本当に必要なのか、あるいはそのダムは地域の人にとってどのような意味があるのかということまでさかのぼって問いを立てることは、私の仕事ではできませんでした。私が環境の問題について関心を抱いたとき、それは動物や植物がかわいそうという発想ではなく、そもそもなぜ人はこんなに地球環境に対していろいろな影響を与えつつ生活しているのだろうか、私たちの生活や社会は一体何なのだろうかという疑問から考えはじめました。ですから、自分にとっての一番の問題の核心について考えられないのはどうなのだろうかと思いはじめたのです。まだ20代後半だったので、私は会社をすっぱり辞めて大学院に行くことにしました。そして大学院で出会ったのが、里山ボランティア活動でした。

 環境アセスメントという民間の仕事をしているときには、日本中のさまざまな、大変素晴らしい自然のあるところに行きました。屋久島、阿蘇、飛騨、秩父など、自然が優れているので仕事にもなるのですが、そのような場所に行っていました。しかし、私は自分の足元の自然についてあまりにも知らな過ぎました。身近な自然についてよく分からないのに、日本の非常に素晴らしい自然のある場所については詳しくなっていくということは、どうもバランスがおかしいと感じました。

 そこで会社を辞めた後に、まずは自分が住んでいる周りの地域の自然を見て回ろうと思い、時間がたくさんあるので散歩を始めました。会社員として働いていたときには自宅から会社までの往復が主でしたが、自分が住んでいる場所の少し先、子どものときに自転車で少し遠出をしてみようと思って行ったような場所まで、散歩をしてみたのです。そうすると、例えば昔ザリガニを捕りにいったため池や、肥料や家畜の匂いがして臭いなと思いながら通った一面の畑など、しばらく自分が背を向けていた場所が全てなくなって、住宅地になっていました。環境の問題には関心を持っていた私でしたが、自分があまり関心を抱いていなかった身近な場所はあっという間に住宅地に囲まれていたのです。

 その中で、例えば屋久島の自然と比べたら、それほど価値がないかもしれないような、小さな自然を守る20名ぐらいのボランティアグループに出会いました。その人たちは、世界中の自然と比較しているわけではなく、ただただ目の前のその自然を守りたいという思いでボランタリーに活動していました。これは結構すごいことなのではないかと思いました。中心になっているのは主婦でした。彼女たちは、自分の子どもが小さいときに、100頭、200頭ものホタルが乱舞している場所に連れていっていて、その場所がなくなってしまうかもしれないというニュースを聞いて、そこから運動を始めたのです。私が出会ったときは開発をやめるお願いをしてから、既に10年ぐらいたっていました。まだその場所は守られることが決まったわけではないので、今もずっと地道に活動を続けています。これが私にとってはなかなか面白い出会いでした。こういう人たちは一体何なのだろうと思い、そこで里山ボランティア活動を研究のテーマにすることにしました。これが私と地域との出会いでした。生まれたときからある地域、自分が住んでいる地域を守るために行動しようと初めて思ったのです。

 1990年代の終わりくらいに、私は少なくとも環境保護の中で里山がブームであることは知っていました。環境思想史の上では、里山保全というのは非常に画期的です。1960年代から1970年代にかけて、国内では自然保護思想が広がり、原生的な自然、つまり遠くにある人里離れた自然というものを人間の影響から守り、開発を防ぐべきだという考え方が定着しました。しかし当時、それに比べて、身近な里山に対する自然保護上の優先順位は低かったのです。メダカなどそこら中にたくさんいるだろうと思われていたので、身近にある自然が守るべきものであるとはそれほど思われていませんでした。

 里山を守るべきだという考え方は、1980年代後半以降、生物多様性への注目とともに広がってきました。守山弘さんが、『自然を守るとはどういうことか』という優れた本を書かれていますが、これが一つのエポックメーキングだったと思います。2000年代に入るころから、自然を守るためには人間が手を入れるべきで、ときには樹木を伐採することもあるという方法について、ようやく社会の中で合意形成がされてきました。

 私もこういった歴史や自然環境思想の流れについて理解していたので、今までの自然保護の考え方とは違い、人と自然の関係を深めていくことに意味があるという里山保全運動のムーブメントの中に加わりたいと思い、修士課程のときに、里山保全のボランティア活動を調査したのです。歴史的には、1980年代に里山の意義が再発見されていき、1990年代から市民運動がどんどん盛んになっていきました。2000年代からは行政が市民の動きに呼応するように、行政の側から里山保全ボランティアを進めていくような施策を行ったりもしています。

 スライド34は修士論文のときに作った図です。里山保全をする人たちはどのような人たちなのか、インタビューしてみました。約40人に、1人当たり2時間ずつかけて話を聞きました。それだけでなく、三つのボランティア団体に入会して、一緒に協力して活動する中で、彼らを観察して活動を理解し、一人一人に時間を取っていただいて話を聞きました。そうすると、そこにはいろいろな人がいました。子どもたちのためにホタルのいる環境を残したいという市民運動型の人もいれば、普段は銀行でデスクワークをしていて、身近なところで体を動かす機会があったらいいと思ってボランティア活動をしているという人、登山に行くのと同じように、身近な田んぼや畑で体を動かすだけでも気持ちがいいという健康志向型の人もいます。他には、夫が転勤族で、引っ越した新しい環境になじむために、自分は自然が好きだから、自然が好きな人が集まるところに出掛けていってたまたま出会ったという関係志向型の人もいます。

 さらに、こういう人もいました。仕事人間でずっと働きづくめで、家と会社を往復するばかりの生活で過労で倒れてしまい、医者からリハビリのために家の近所を散歩してみたらどうかと言われ、目の前にある川を上流まで歩いてみようと初めて思ったらしいのです。上流まで歩いていってみると、そこには小さな里山が残っていて、それを守るために活動しているか弱い女性、主婦たちに出会ったそうです。その人はいわゆる一流企業のエリート社員だったので、普段は何千万円とか何億円という額のお金を使っていましたが、その主婦たちのボランティア団体はせいぜい10~20万円のお金でやりくりしていました。彼はそこで、自分の目の前を流れている川は、その人たちが守っている上流から流れてきているという関係に気付き、何かお手伝いできないかと思ってボランティア活動を始めたそうです。あるいは、最近は里山を歩いていると犬の散歩をしている人をよく見かけますが、飼い犬が死んでしまったときに、その犬のために何かできないかと考え、その犬がお世話になっていた里山に何か恩返しをしたいと思ったことからボランティア活動を始めた人もいました。

 このように、いろいろな人がいましたが、一方で似たような傾向もあると思いました。そこで私は人と自然の関わりや、自然を介した人と人の関わりということを考えたのです。どこの自然とも同じように見えていた空間(space)を、自分にとって大事な場所(place)だと思うことによって、特別な自然に見えてきます。地理学の中では、「space」と「place」という言葉に使い分けることがあります。空間というのは、誰にとっても同じような機能を示す場所です。例えば、授業をするには100人ぐらいが入る大きな講義室が必要です。講義室は恐らく場所ではなく空間でしょう。広さがあり、適度な室温があり、そこそこ講義を聴くことができればどこでもいいわけです。しかし、授業中に暇だなと思って、本当はやっちゃいけないことですが、仮に彫刻刀で机に自分の名前を書いたとします。卒業して20年後くらいにふと思い立ち、また大学に行ってみたところ、そこに自分の名前を彫った跡を見つけて20年前の記憶が蘇ってきます。そのとき、そこは自分にとって特別な場所になっています。そこに自分が関わったからこそ、初めてそういう意味を持ち得たわけです。

 私たちの現代社会は非常に流動性が高く、ある機能が必要な場合、その機能を満たすものはすぐにつくることができ、必要なくなればすぐにクラッシュ・アンド・ビルドされてしまいます。例えばコンビニエンスストアなどは、できたと思ったらすぐになくなったりします。そのような中にあって、では自分はなぜこの場所に生きる必要があるのか、なぜこの場所で暮らす必要があるのかと考えはじめると、そこには特別な理由はなかったりします。昔であれば、その村で生まれてずっとその村の中で暮らして死ぬということが多かったのですが、現代の都市では、会社や大学に近いか、家賃が安いか高いかという基準で住む場所を決めていて、決まった場所に住んでいる必要は特になかったりします。つまり、自然の地形と関係なく生きているのです。もっと便利な場所ができたらそこに引っ越ししようとすぐに思います。ですから、このように流動性の高い現代社会においては、場所に対して何の手掛かりもなくふらふらと生きてしまうことがあるのだと思います。

 そのような場所に対して、米作りや雑木林の手入れなど何でもいいのですが、直接的に関わると、その場所は自分にとっての意味が出てきます。稲を植えたらその後はどうなるか、鳥に食われたらまた稲を植え直そう、お米ができたらどうやって食べようかと考えるのです。そして、その場所との関係が深まってきます。そのような場所を持つということは、非常に流動性が高くて不安を覚えがちな生き方に対して、基準点を与えてくれたと思っています。

 同じ場所を気に掛けている人たちは、動機が違うために微妙な違いはあるのですが、みんな似ている部分があります。みんな似ていて、みんな違っている。これはモザイク状の景観のように、里山の一体性と多様性と対応しているのではないかと考えています。そのような環境で、一般的に偉いといわれている人も、そうでない人も、肩書きにとらわれないコミュニケーションをとりながら、里山をどうしていくかを一緒に考えて、人として向き合える人間関係を築いてきたように思います。こうした経験から、私は一般の市民への信頼をベースにして、新しい社会を構想できるようになりました。

4.都市と里山

 人が手を入れなくなった自然である里山は、面積的には都市よりも地方、田舎の方が圧倒的に広いです。里山の問題を面積の問題として捉えれば、都市の問題などちっぽけな話になり、地方の方が大きな問題となりますが、里山というのは、人と自然との関係性の問題なのです。都市にはたくさんの人がいます。里山が必要としている人々の数から見れば、里山はまさに都市的な問題であると捉えることができます。里山がもたらす恵みは、かつてのような薪や炭、堆肥などではなくなりました。しかし、環境教育や癒し、レクリエーション、社会参加、社会貢献、コミュニティづくりなど、形にならない恵みを大いにもたらしてくれます。

 われわれは月に一度、「神奈川野菜の食事会」という食事会を開催していて、そこには20代後半から30代くらいの女性が多くいらっしゃいます。彼女たちの何人かは病んでいて、会社を休職中だったり、退職して次の職を探していたりします。一生懸命仕事をしているけれどもなかなか認められず、普段の生活はどうかといえば、カップヌードルばかりすすっていたり、ファストフードを食べていたり、ろくなものを食べていないのです。その結果、体を壊して病んでしまい、どうしようかと悩んだときに、せめて自分の体をつくる食べ物くらい良いものを食べようと思いはじめるのです。野菜を食べよう、近くの野菜を食べたいと思い、さらにその野菜はどこから来ているのかと関心を持つのです。彼女たちは「野菜を食べにきました」と言って食事会に来たりします。そこで、「その野菜を作っているのはここの農家ですよ。次の日曜日にその農家に行ってボランティア援農作業をする機会があるのですが、来ませんか」と誘ってみるのです。それがきっかけでボランティア作業に参加することがあります。そして、2回、3回と食事会に出て、また社会に復帰していきます。

 そのような場合、ボランティア活動は決して長く続くわけではないのですが、私たちの場がある種の癒しの場になっているということが分かります。それくらい、都市というのは病んでいると言えます。里山保全というのはいつでも、人手が必要だ、困った、という話になりがちですが、それを管理経費が掛かる負担と捉えるのか、自然が私たちを呼んでいるのだと前向きに捉えるのかによって、見方が全く違ってくるのです。都市の中に生きていると、自分が社会にどのように役に立っているのか分からなくなってしまいます。そうしたときに、何かに関わっていき、その関わりの成果がすぐ出てきて、それが自然だけではなくて自分の生活にとってもいいことなのだと気が付くと、そこで元気をもらって社会に復帰していけることがあります。

 都市社会には、アイデンティティの不安やリアリティの欠如などの現代的不幸があります。近代的不幸というのは貧困や戦争ですが、現代的不幸というのは近代的不幸がある程度解消された豊かな社会の中で、一体自分が何のためにこの社会に生きているのか分からず、生きた心地がしない、手掛かりがないという、非常に流動性が高く、いろいろな場所とも関係性がない中で、それをどうやってつくっていくのか分からない状態です。そのような問題の解消のためにも、都市には里山が必要だと考えています。それは自分の経験からだけではなく、実際に私たちのNPOを訪ねてくる人たちを見てもそう感じます。

 現在、「よこやま里山レンジャーズ」というプロジェクトを行っています。これはボランティアに参加したい人に登録してもらい、そういう人たちをまとめて里山に案内するという事業です。若い人たちも環境ボランティアをやりたがっているのですが、実際のところ、今、里山ボランティアは60代の人がかなり多いので、里山には関わりたいけれども、おじさんおばさんのグループに1人で入っていくのはどうかと思ってしまう人が多いのです。そこで、そのようなハードルを下げたいという思いから、10人ぐらいの若い人たちを集めて、一緒に連れていくという活動をしています。現在の登録数は約1500人です。登録者は20~40代の方が多く、実際の参加者は学生や20~30代の会社員が多いです。登録料は掛かりません。もし興味があったら、「レンジャーズプロジェクト」で検索するとすぐにでも登録できます。登録すると、「今週末どこどこでこういったボランティア活動があります。行きませんか」というメールが流れてきます。参加する場合は返信します。待ち合わせ場所に行くと10人くらいのグループができていて、一緒に参加して、活動して、帰ってくるという形です。若い人に来てもらいたいと思い、プロジェクトのビブスも作ってみました。

5.里山をモデルとした組織運営―多様性×持続性×NPO

 私自身がよこはま里山研究所というNPOを運営する上でも、里山をモデルにするようになりました。私たちのNPOの収支差額、要するにどれくらいもうかったかというと、一番いいときは単年度2500万円超の収入があり、約400万円もうかっていました。800万円超の積立金があったこともあります。しかし、毎年約300万円ずつ赤字を出していて、このままいくとお金がショートしてなくなってしまうという時期がありました。そこでどうしようかと考えました。

 Panasonic NPOサポートファンドからお金を頂きながら、専門家を招いて自分たちのミッションを検討しました。当時、私たちのNPOは非常勤も含めて5名のスタッフを抱えていて、彼らの人件費を稼がなければいけないので、とにかくお金を稼ぐことに振り回されていました。ミッションとして、人と里山の関係を深めて里山を豊かに、人々の生活を豊かにすることを掲げていましたが、そんなことは言っていられず、とにかく稼がなくてはいけないという状況でした。

 行政から仕事を受けることが多く、行政からお金を頂く受託事業に依存して経営していました。これでは常に自転車操業で、ビジョンやミッションが全く実現できないということから、ビジョンを検討し直しました。自分たちがやりたいと思う自主事業を展開しながら、社会的にも環境的にも意義があって、しかも収益が上げられる、そのようなビジネスモデルを検討していこうという話になりました。そこで、それまで働いていたスタッフに、「自分たちでリスクを取りながら事業を推進していく覚悟はありますか」と問いました。それまでは理事がいて、働いている人たちは基本的に被雇用者として給料が保障されていましたが、保障もできなくなりそうなので、スタッフ自身にも経営に関わることを求めたのです。しかし、当時働いていたスタッフは、とてもそこまではリスクを負えないということだったので、事業拡大を目指すのではなく組織改革をしていこうという話になり、今までの実績の延長線上にビジョンを検討するのではなく、設立当時に立ち返る気持ちで組織改革を目指すことになりました。

 まずは、キャッチコピーを変更しました。それまでのキャッチコピーは、「里山でシゴトする!」でした。かつては里山に仕事があったので、手入れをする理由があり、その結果、里山の生態系が保全されていたのだとすると、今も里山に仕事をつくれば、また里山の生態系が回復してくるのではないかと思ったのです。しかし、仕事をするとしてしまうと、仕事が目的になってしまい、もうからない仕事はやらずに、もうかる仕事だけをするようになり、手段と目的が転倒していきます。そこで、「里山とかかわる暮らしを」というキャッチコピーに変更し、どのような仕事、どのような経済状況であっても常に関わり続けることを目ざすことにしました。

 次に、固定経費の節減を図りました。常勤の職員を雇っていると、人件費を何百万円と勘定して、その分を稼がなければいけないというところから始まっていたので、職員にはみんな辞めてもらうことになりました。代わりに非常勤のアルバイトとボランティアで事務局の機能を分担することにしました。常勤のスタッフがいないのであればと事務所も手放すことにしました。

 しかし、そこから少し話が変わります。理事会では事務所を手放すことになったのですが、その事務所はスタッフが働く場であるとともに、一般のボランティア会員がふらっと仕事帰りに訪ねてきて、一緒に食事をするようなサロン的な場所でもあったのです。そこでNORAのサポーターから、「常勤のスタッフのための場所は必要ないかもしれないけれど、会員が集まるフリースペースとしての場はやはり必要だ。場がなくなったらこれから何も活動が展開できない」と異議申し立てがありました。場所を確保するには家賃を含めて10万円ほど掛かるので、これをどうするかと相談した結果、会員で運営委員会をつくり、年間1人3万円ずつ出して、「はまどま」というフリースペースを運営していくことになったのです。

 また、プロジェクト制を導入し、ミッションと各事業(ヤマ、ムラ、ノラ、ハレ、イキモノ)の関係を整理して明確にしました。自主事業は会員有志がプロジェクトチームで自律的に運営することになっています。バラバラになってはいけないので、月に一度、担当理事やリーダーが集まって協議会を開き、情報共有と運営協議をしています。

 このように、いろいろな関わり方があっていいので、里山と関わる暮らしを広く展開していきましょうというふうにキャッチコピーを変え、組織の運営の仕方も変えました。それまでは事務局職員がリーダーになって各プロジェクトを運営していて、サポーターは時間のあるときに手伝うという形だったのですが、事務局機能を分担し、各事業があり、それぞれのプロジェクトがあり、そのプロジェクトは会員がプロジェクトチームをつくって自律的に運営するという、広く参加していく仕組みをつくりました。

 ホームページも変えました。かつてのホームページは、事務局スタッフが活動後に報告を上げたり、イベント案内を通知したりしていたのですが、どうしても仕事が忙しくて後手に回ってしまうので、今はブログ形式にして、会員が誰でも書き込める形になっています。結果として、いろいろなテイストの記事が上がっています。以前は事務局のスタッフが文言を統一していましたが、それが多様になっていきました。多様になるのでぐしゃぐしゃした感じにはなりますが、更新の頻度も上がる上に、多様性も見せられます。メールマガジンも月に一度配信しています。多くの人が記事を作るのに参加するので、とても長いメールマガジンです。私が編集しているのですが、一つ一つの記事を全部載せようと思うのでとても長くなります。

 「はまどま」については、事務所スペースを限りなく狭くして、残りを全てフリースペースにしました。コンサートや食事会、朗読会、映画鑑賞会をしたりする場所になっています。スライド43はあるときの食事会の様子です

 私が組織改革をするときにモデルにしたのは、里山の多様性と持続可能性でした。生物多様性の豊かな里山生態系では、一つ一つの生命が互いを生かしあう関係が見られます。全体の効率性から個を評価するのではなく、個の集まりが全体の豊かさをもたらすのです。それを組織の中にも持ち込もうと思っているので、全体として統一したものをトップダウンでつくるのではなく、会員の多様な希望をまとめて、全体としての多様性をNORAの魅力として伝えようとしています。

 持続可能性については、里山で仕事をする上で経済性を求めていくと、どうしてももうかる仕事に集中してしまい、もうからないけれど、もっとやりたいという仕事は無視されてしまいます。里山というのは、もともと経済性がなくなり、ないがしろにされて荒れてしまったのですから、里山をモデルにするということは、経済に傾きがちな組織運営に対して、環境と社会も重視するという意味があります。それを私たちが示せなければ里山をモデルにするとは言えないと思ったので、環境や社会を重視する組織運営の仕方をしています。

 組織を運営する上で大切にしている七つのことをまとめました。一つ目は、都市の競争社会に生きづらさを感じている人にとってのコミュニティづくりです。あえて選択と集中をしません。普通、経営マネジメントの世界では選択と集中をしていきます。どこに資源を集中して、どのようにして収益を上げていくかを考えますが、そういったやり方によって里山は荒れてしまい、都市の社会で生きづらさを感じてしまった人がいるのです。ですから、そのような人たちにとっての居場所をつくりたいという思いから、あえて選択と集中をせず、これをしたいという気持ちがあればぜひやりましょう、そのための場を提供する組織でありたいのです。

 二つ目は、NORAという組織の経済成長にこだわらないことです。NPOで食べていくことにもこだわらない。結果的に、里山と関わって仕事をする人が増えればいいと思っています。人が育つ場としてのNPOということです。今、私はよこはま里山研究所の理事長をしていますが無給です。しかし、里山と関わってNPOで仕事をしていた経験が評価され、大学で仕事をしています。つまり、NORAでは食べていないのですが、里山と関わりながら、研究を続けながら、あるいは学生を里山に連れていきながら、それが仕事になっているのです。結果として里山と関わって仕事ができているわけです。そうであればいいと思っています。実際に私たちのNPOに関わっている人たちは、個人で仕事をしている人が結構多いです。例えば、農家から野菜を買って道端で売っている人、里山の造園業を一人で請け負っている人、あるいは里山の公園の管理運営に携わっている人など、そういう人たちが結果的に増えています。

 三つ目は、雇用関係を最小化して、対等な個人の集まりであることを自覚することです。スタッフには経済的な自立を求め、その上でNORAで何ができるかを考えます。自立した個人による連帯ということです。このNPOで食べさせてくださいと言われてしまうと、その人をどのようにして食べさせるかということから話が始まってしまいます。ですから私たちは、NORAとしてNPOとして、スタッフを食べさせるということを決して目指してはいません。あくまでも経済的に自立し、その上でここで何ができるかを考えてくださいと言っています。

 四つ目は、一方でNORAはスタッフが仕事をする上で利用できる看板であってよいということです。このNPOを立ち上げてから約14年間の活動実績や信頼、ネットワークを生かしてスタッフがこのような仕事をしたい、事業をつくりたい、ビジネスモデルを展開したいと思うのであれば、ぜひやりましょうということです。あくまでも看板は貸します。個人のために利用される組織でありたいと思っています。

 五つ目は、NORAの活動をライフワークとしてほしいということです。里山で仕事をするという形にして、経済的に収入を得ようと思うと、もうからないとやらなくなってしまいます。もうかっても、もうからなくても、どのようなときでも里山と関わることをライフワークとしてほしいのです。持続可能な形で関わることがとても大事なので、つらいと思ったらぜひ辞めてくださいと言っています。スタッフがつらそうに報告をしてくるときには、別にやらなくてもいいのですよと言うようにしています。そうしないと、その人に引っ張られて組織自体が崩壊してしまうのです。

 六つ目は、弱いことや貧しいことは、周りの人や組織とつながるチャンスでもあるということです。私たちの団体は、常勤のスタッフは一人も抱えていません。非常に弱くて貧しいとも言えます。ですから、何かしたいと思ったときにはいろいろな人を巻き込むしかないのです。そのようなチャンスを持っているとも言えます。そのときに私たちのミッションや今までの活動内容や成果を伝えます。もしそれで共感されずに何も支持が得られない、人を巻き込めない、お金も集まらないというのであれば、それは私たち自身の社会的な存在意義がないということなのでしょう。

 最後に、弱いというのは共感される弱さであればよいと思っているので、弱いこと貧しいことというのは決して悲観することではないと思っています。周囲からの共感を得るためには、情報を共有することが大切です。そして、NORAに当事者意識を持ってもらうために、会員でも参加者でも、「あなた」が参加して活躍できるスペースがあることを伝えます。例えば、ホームページもすぐに書いていいですよ、メールマガジンに投稿しませんか、プロジェクトも立ち上げられます、「はまどま」というフリースペースがあるので企画運営ができます、などたくさんの余白があるので、何かしたいと思ったときにはそれらを提供しましょうという形になっています。

 結局、私たちの団体は一体どのようにして経営しているのかということですが、もちろん今でも事務所を持っているので、事務所の経費やホームページを維持するための管理費などが多少は掛かります。そのためにはやはり、どこかから受託の仕事を取ってきます。コンサルティングや人材育成の仕事もやっています。ただ、それはスタッフを雇って毎月給料を渡してやってもらうという形ではなく、事業が興ったときにその度ごとにお金を支払うという形です。ですから、そのようにして稼ぎたい人はNORAの看板を使って稼ぎ、そこで得た余剰で組織の運営をしています。あとは、皆さんがボランタリーにやりたいことはぜひやりましょうという感じの組織になっています。

 このような組織運営に変えたことにより、赤字が出ることはほとんどなくなり、基本的にずっとプラスを維持しています。ただ、2500万円超を稼いでいたときに比べると、今は600万円ぐらいなので貧しくなったとは言えます。しかし、会員が参加できる多様性は広がり、プロジェクトもたくさん増え、持続的に組織を運営できる体制になりました。これも、私たちが里山というものをモデルにして運営できているおかげなのではないかと思っています。いわゆる都市的なマネジメントというのは、どうしても、どのようにして稼ぐか、どのように選択と集中をして差別化を図り、どのようなビジネスモデルをつくって展開していくのかという話になりがちです。しかし、私たちはそこからあえて背を向けています。都市の中での里山をモデルにした組織運営というのは、そうではない別の有り様を目指していくことなのではないかと思っており、このような活動を続けています。

 今日ご用意した話は以上になりますが、質問などを受け付けられればと思います。今日お話しした内容に関わる文献を挙げておきましたので、もし興味をお持ちでしたら読んでいただければと思います(スライド47)。ありがとうございます。

質疑応答

(司会) 松村先生、ご講演ありがとうございました。皆さん、どうでしたか。この講演のタイトルをもう一度振り返っておきます。「現代の都市型社会における里山の価値」ということで、私たちが生きている現代という時代や都市という社会の特徴に関しても幅広くご講義いただいた中で、皆さんがこの講義を受ける前に里山という言葉を聞いて感じていたことをはるかに超える、非常に夢のある、これからまだまだやれることがありそうな、皆さんにとってわくわくするようなお話が聞けたのではないかと思います。

 学生の皆さんや、今日は一般の方々もいらしていますので、質問やもっと聞きたいことがあれば、この後よろしくお願いします。いかがでしょうか。学生からすぐ出なければ、社会人の方から先でも結構です。

(Q1) 私は民間企業で造園会社の日比谷アメニスの大西と申します。貴重な講演をありがとうございました。キーワードとして、「関わり」という言葉が非常に印象深く、関わることで当事者意識が生まれるというところは、なるほどと思うことがとてもたくさんありました。関わりというキーワードで考えると、先生もおっしゃっていたと思いますが、以前は関わりというものが受動的だったかと思います。例えば地域の中には青年会などの会合がありました。それに対して今は、関わりというものが必要であることは間違いないのですが、例えば里山に関しても、最初の一歩を踏み出すことの難しさがあるように思います。それが、以前にはなかった社会的課題でもあるのではないかと思いました。それに対する工夫が、なるべく入りやすいようにするとか、自由度を持たせるということだと思うのですが、そのような施策を考える中で、普段気を付けていることがあれば教えてください。

(松村) ありがとうございました。おそらく答えはないと思うのですが、このような話を里山に関心がある人に話していてもあまり意味がないのです。原子力村の人たちに原子力の良さを話しても仕方ないのと同じように、環境村の人たちに環境の情報を提供しても広がってはいきません。もともとある程度意識をしているからです。ですから、違う分野にどうやって仕掛けていくかが大事だと思います。

 例えば、先ほど少しだけ紹介しましたが、畑の中で音楽をやったりすることがあります。「森と畑と音楽と」というプロジェクトです。野外で音楽をやりたいという人たちが集まってくるのですが、その中には里山の材を使ってアルトホルンを自作して演奏する人がいます。音楽をやりたいと思って集まってきた人がそのようなおじさんに出会い、自分で楽器を作ることができるのだと知り、さらに楽器を作ることによって近くの森が良くなるのだということを知り、自分も何カ月もかけてアルトホルンを作るという出会いをすることもあります。

 あるいは、ムラの中で竹細工をすることがあるのですが、最近はどういう理由かは分かりませんが竹細工をやりたいという人がかなり多いです。何か手仕事をしたいということもあるのかもしれません。最初のイメージは、竹細工は竹ひごがあればできるというものです。もちろん最初はそこから始めるのですが、そもそもその竹ひごを作ること自体がとても大変なのです。竹ひごを準備するために多くのボランティアが大変な作業をしています。「竹ひごを作るためにわざわざ小田原の方まで行って採ってきているのですよ」という話をすると、では竹ひご作りのボランティアをやりたいとか、竹を採りに行きたいと思う人が出てきます。もちろん中には竹細工だけで終わる人もいますが。

 そのように、いろいろな関わり方があるのです。先ほどお話ししたように、野菜を食べたいということから始まって、農家に応援に行く行動につながることもあります。最初から里山保全ということではなくても、こういうことをしたい、ああいうことしたいという結果、里山とつながることがあるならば、その活動にたくさんの人が来れば、その中の一部の人はより深くつながって入ってくるのです。それくらいの広さや深さを里山のフィールドは持っていると思っています。

(Q1) ありがとうございます。

(司会) では学生の方はどうですか。恥ずかしがらずに、ぜひ、大学生目線で聞きたいことがあれば。お名前と所属もお願いします。

(Q2) 関東学院中学校高等学校の教員をしている杉山と申します。私は東北の山形出身で、1970年代に松村先生が語られているような里山で生活をしていました。身近なところに自然があり、山、村からいろいろな恵みを頂いてきました。その恩返しとして何か返したいという思いがあって、里山が築かれていくのかなと小さいころから感じていました。関東学院はキリスト教を重んじて教育していますが、里山と信仰について、何か先生のお考えがありましたら、一言で結構ですのでコメントいただければと思います。

(松村) 自然の恵みといったときに、昔は天候の不順などによって、その恵みが頂けなかったり、少なくなってしまったりすることもあったので、人々は願うしかありませんでした。恵みを頂ける分、逆に恵みが頂けないことを思うと非常に恐ろしくて、どうすればいいかと思えば思うほど、祈りが深くなったのだと思います。

 しかし、今の都市の生活の中では、そういったものが非常に少なくなっていると思います。私たちの仲間の中には、スピリチュアルなものも含めて、そういうものに関心を持っている人たちが多いです。それは大切なことでもありますが、一面で少し怖いことでもあります。非科学的というか、科学ではなかなか捉えられないような自然との関わりに関心を持っている場合に、それが下手をすると宗教活動になっていく可能性があるからです。私たちはNPOなので、個人でいろいろ信仰されることについては何も制約はないのですが、活動として行っていくときには、市民活動としてできるかどうか、ある程度議論をした上でやっていくことになっています。

(司会) どうもありがとうございました。こういった形で、今回の講演会には一般の方も来ていただき、大学生も1年生から4年生までいる授業の中でお話しいただきました。時間になりましたので、今日の教養学会主催講演会「現代の都市型社会における里山の価値」、松村正治先生のご講演会をこれで終了いたします。どうもありがとうございました(拍手)。

関東学院大学人間環境学部教養学会主催講演会(2014年6月24日(火)10:40-12:10、関東学院大学金沢八景(室の木)キャンパスE1号館502教室)


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