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『どうすれば環境保全はうまくいくのか』

本書は、宮内さんが代表を務める大型研究プロジェクトの成果物であり、3年前に出版された『なぜ環境保全はうまくいかないのか』の続編に当たる。
私は10年前から宮内さんの研究プロジェクトに参加しており、これらの本に向けて、それぞれ一章分の論考を書いた。

3ヶ月前に宮内さんの単著『歩く、見る、聞く 人びとの自然再生』について書いたばかりなので、今月も取り上げることに、多少のためらいはある。
しかし、今月参加する研究会で本書の書評セッションが企画されているので、この機会に本書について考えておけば、その会の準備を兼ねられると思い、今回のコラムで取り上げることにした。

さて、前作での議論の概要をまとめると、およそ次のとおりであった。
まず、「なぜ環境保全はうまくいかないのか」という問いを立て、環境を把握・予測する科学に不確実性があるとともに、環境を保全しようとする社会もまた複雑で不確実性があるために、さまざまなズレが生じるからだと問題の構造を大づかみする。
その上で、この不確実性を限りなくゼロに近づけるアプローチと、不確実性を前提として環境保全を柔軟に進めていくアプローチが論理的には考えられるが、後者を採用すると宣言する。
これは生態系管理の分野では、順応的管理と呼ばれている方法で、目標を設定しつつ、継続してモニタリングをおこない、フィードバックをもとに目標や計画を柔軟に変化させていくものである。[018]
([ ]内の数字は、本書のページ数を表す)

社会-生態システムの挙動について、その機制を完全に把握することは困難である一方、実際の生態系管理に実用できるアプローチが求められているから、このような管理方法が主流化してきたのであろう。
最近、統計学においてベイズ統計が見直されているが、そうした流れとも軌を一にしていると思う。

順応的ガバナンスとは、順応性をもった環境ガバナンスのあり方を意味し、本書では、「不確実性のなかで価値や制度を柔軟に変化させながら試行錯誤していく協働の仕組み」と定義されている。[020]
前作で抽出された順応的ガバナンスの3つのポイントは、次のとおりである。
宮内さんらしい大胆なまとめ方だが、これくらい思い切って知見を整理しないと、実践的には使えないだろう。

  1. 試行錯誤とダイナミズムを保証する
  2. 多元的な価値を大事にし、複数のゴールを考える
  3. 多様な市民による調査活動や学びを軸としつつ、地域の中での再文脈化を図る

本書では、前著の問題提起を踏まえ、順応性を保証しプロセスを動かし続ける「順応的なプロセス・マネジメント」のための5つのポイントを、(1)複数性の担保、(2)共通目標の設定、(3)評価、(4)学び、(5)支援・媒介者と整理し、これらを網羅するかたちで、11の事例に基づく論考が4部に分けられている。

Ⅰ合意形成の技法:社会的需要のプロセスデザインをどう描くか【1~2章】
Ⅱ余地の創造:価値のずらしから描く協働と共生【3~5章】
Ⅲ「よそ者」と支援:順応的な寄りそい型の中間支援【6~8章】
Ⅳ学びと評価:プロセスの気づきと多元的な価値の掘り起こし【9~11章】
詳しい目次については→目次(新泉社HP)

私が面白く読んだ3つを挙げれば、3章(田代論文)、4章(山本論文)、6章(鈴木論文)であった。
3章と4章は事例を長く追いかけており、失敗の経験を含んだストーリー展開が面白い。
特に3章は、失敗をもとに工夫したものの、成功へと導いたとも言えないところに深さがあって、考えさせられる。学術性を失わずに、勢いのある文体を残しているところも読ませる。
4章では、クマの大量出没に頭を抱えていた地域に研究者が入り、駆除数を激減させ、住民のクマに対する見方にも変化が見られるようになったという優良事例が描かれている。
データを定量的に把握しているところに強みがあり、ステークホルダーの関係をわかりやすく整理しているので展開が読みやすい。
やや出来すぎたストーリーであることに多少の不満は残るが、きっと本当に出来すぎた事例なのだろうと思わせる説得力がある。
6章は、これだけだと中途半端な感じがしてしまうのだが、前作に鈴木さんが書いた「なぜ獣害対策はうまくいかないのか」と比べると面白い。
前著では、この問いに対して、論理的に説得力のある議論を展開していた。
すでに、地域が獣害対策として取り組むべきことは分かっている。しかし、問題はその先で、支援する人材が必要なのである。
鈴木さんは、「誰が支援できるのか?」と問いを立て、それは自分だろうと考え、大学を辞めてNPO法人を設立した。
このように研究者自身が状況に巻き込まれ、闘う姿に私は惹かれた。

それ以外にも、いくつかコメントしたいことがある。
1章(大沼論文)では、社会に新しいルールを実装する場合、実効性を伴うように計画時からのプロセスを設計することが大事であることを示し、そのプロセスデザインが有効だったかどうかを検証している。私の場合、かなり感覚的な社会調査に頼っているので、計画的なリサーチデザインの重要性を学んだ。
5章(平野論文)では、新しい森林利用のかたちとして、マウンテンバイクとトレイルランというスポーツが取り上げられており、データの蓄積が少ないが、この分野の研究が進むことを予感させられた。
7章(三上論文)では、協働の支援のかたちとして、寄りそい型と目標指標型という2つを取り出している。支援のあり方を議論するうえで、有効な概念だと思われた。
11章(福永論文)では、順応的ガバナンスの目標を見つけるうえで、想像する力を育むことの重要性を指摘している点がいい。これは、環境と社会のあり方について議論する際に、避けて通れない本質的なポイントを突いていると思うのだが、本格的に論じるには、もう少し多様な事例に基づいて考える必要があるだろう。

なお、拙論(8章)では、対馬におけるヤマネコ保護の事例をもとに、地域環境ガバナンスのあり方、「よそ者」の役割、支援の仕方などについて論じた。
この対馬の事例については、これまで多くの記事、報告、論文等が書かれており、キーパーソンの一人として「よそ者」に注目したものも少なくない。
しかし、私には、どれもどこか物足りなかった。
「成功事例」における移住者の役割に焦点が当てられて、移住者その人について十分に描けていないと思っていたからである。
だから、私が書くならば、約10年かかわってきたからこそ書ける深さが必要だと思った。
お世話になってきた前田さん、神宮さんの内に踏み込む覚悟を決め、精一杯心を込めて書いたつもりである。
したがって、この拙論は、2人への感謝や祈りの表現である。

全体を読み通してみると、「私たちが提唱する順応的ガバナンスは、社会の順応性を信用するガバナンスのあり方である」という一文にもっとも重要なメッセージが集約されているように思う。[027-028]
これは、失敗をおそれずに挑戦する人びとに対してエールを送るとともに、失敗しても何度も挑戦できる寛容で温かい社会の実現を願ってもいるだろう。
地域の社会と環境を良くしようと思う人びとの気持ちを尊重し、それぞれの思いが十分にいかされるように、一人ひとりが学び、成長するとともに、お互いを人として認め合う。
そうした社会が実現しているとき、おのずと順応的ガバナンスは機能しているだろう。

本書では、環境ガバナンスについて議論することを通して、社会のあるべき姿についても示していると言える。
だから、こうも問いかけているのだ。
私たちは社会の順応性を信用できるのだろうか。

もっと直接的に言えば、私たちは失敗の経験から学び、より良い判断ができるようになるのだろうか、
それを信じることができるのだろうか、と問いかけているように読める。

宮内泰介編(2017)『どうすれば環境保全はうまくいくのか―現場から考える「順応的ガバナンス」の進め方』新泉社.

よこはま里山研究所のコラム

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