映画『食卓の肖像』ほか

私はNORAの活動を通して、都市近郊の里山保全について考え行動しているが、一方で最近は、薄れゆく戦争や公害の記憶に抗い、被災者・被害者から話をうかがい、記録を探して考えている。


2018年10月10日(水)、シネマハウス大塚で開かれた「カネミ油症50年 上映会」において、次のカネミ油症関連のドキュメンタリー2本を見た。

  • 『生木が立枯れていくごたる』(監督:岡田道仁、1976年)
  • 『食卓の肖像』(監督:金子サトシ、2010年)

私は約3年前に大学の同僚に誘われ、カネミ油症の調査のために五島列島を訪れたことがあった。それ以来ずっと頭の片隅に気になっていて、2018年春から、カネミ油症被害者支援センター(YSC)の会合にときどき参加するようになっていた。そこで、YSC運営委員の一人である金子さんと知り合い、この上映会にも誘われたのであった。

カネミ油症事件とは、北九州市のカネミ倉庫(株)が製造した米ぬか油にPCBやダイオキシン類が含まれていたため、これを摂取した人たちに皮膚障害や内臓疾患などをもたらした事件である。被害は、福岡県、長崎県、広島県、山口県など西日本全域に及び、戦後最大の食中毒事件と言われる(2017年末の認定被害者数は2,318名)。
カネミ油症事件が広く知られるようになったのは、50年前(1968年)のちょうどこの日、朝日新聞が夕刊記事で報じてからである。現在では、油症の被害は6月から現れていたと知られているが、金子さんはこの日を事件発生から50年の節目として上映会を開催したのである。

『生木が立枯れていくごたる』は、岩波映画を辞めた岡田監督が自主制作した記録映画(モノクロ16mm)である。患者さんと行政との激しいやり取り、未認定患者の救済のために奔走する矢野トヨ子さん(故人)、カネミ倉庫前にテントを張って座り込む紙野柳蔵さん(故人)一家の暮らしなどが収められている。資料として貴重な記録であるだけでなく、一人ひとりの憤り、悲しみ、やるせなさなど、被害者の感情が直接的に伝わってくる作品だ。
紹介記事(映画.com)

『食卓の肖像』は、事件発生から30年以上経ってからも油症被害が続いていることに衝撃を受けた金子監督が、さまざまな地域で暮らしている被害者を訪ね、10年かけて制作したドキュメンタリー映画である。2000年代のカネミ油症被害の実態を映すとともに、食品公害の被害に遭ったために人一倍食べものに気をつかって暮らす被害者の日常が捉えられている。画面から伝わる被害者の表情から、監督がきちんと関係をつくりながら撮影されたことがうかがえる良作である。
『食卓の肖像』公式サイト


この上映会から約1か月後の11月13日(火)、金子監督が事務局長を務めている日本記録映画作家協会の研究会に参加し、次の上映作品を見た。

  • 『しえんしゃたちのみなまた』(80分、加藤宣子監督、2016年)

この作品は、かつて水俣病センター相思社で1年間職員をしていた加藤さんが、水俣病公式確認(1956年)から60年目の記録を残しておこうと制作したものである。これまで水俣病に関連して多くの映像が撮られているが、支援者をテーマに扱った作品は少ないように思う。そうした点で興味深い内容を含んでいたし、魅力的な支援者も登場していた。特に、元相思社職員で、現在は水俣の魚を行商している中村雄幸さんの姿には惹かれ、ぜひお目にかかりたいと思った。
水俣病関連ビデオ・DVD(相思社サイト)
『しえんしゃたちのみなまた』予告編(youtube)

しかし、作品として見ると、音が聞き苦しかったり、取り上げる人が多すぎたりするなど、改善すべき点が多かった。映画経験のない加藤さんは記録のために撮影したとおっしゃっていたが、研究会に参加していた鎌仲ひとみ監督は、人に見せる作品なのだから自分の思いを優先させるのではなく、周りから助言をもらいながら制作するようにと、的確なダメ出しと温かいエールを送られていた。
なお、現在、原一男監督が10年かけて映画『MINAMATA NOW!』を撮られているらしいので、近く見られるのを心待ちにしている。


2018年12月の大晦日、相思社の機関紙『ごんずい』が2冊届いた。季刊のはずだが、8月発行の150号と11月発行の151号が同梱されていた。
各号の特集は、前者が「水俣病歴史考証館30周年」、後者が「カネミ油症の50年」。両号とも44ページの分量で、発送が遅れた分、内容で勝負しようという意気込みを感じる。
「ごんずい発送しました」(相思社サイト)

2018年は石牟礼道子さんが亡くなったり、永野三智さんの『みな、やっとの思いで坂をのぼる』(→前回コラム)が出版されたりしたこともあって、水俣病について考える時間が長かったように思う。また、カネミ油症の調査研究を進めるために比較し、参考にしているためでもある。
『ごんずい』151号の表紙裏には、相思社の機関誌でカネミ油症の特集を組んだ理由について、職員の葛西伸夫さんによる次のような説明がある。私も同じ気持ちだ。

私は、水俣病に関わるようになって以来、同じく「食」を発端とする事件としてカネミ油症事件のことがずっと気になっていた。今回、発生から50年という機に特集を担当した。調べものやインタビューをしていく中で、その想像を超える被害の大きさや深刻さに圧倒された。また、水俣病とカネミ油症とでは、知れば知るほど、共通項の揃った事件であることがわかっていった。相違点として、ある意味際立っていたのは、世間での脚光の浴び方の違いだった。あるカネミ油症被害者が、水俣病のことを「華やかな世界」と表現したことには衝撃を受けた。彼らは、どうして水俣病にはあんなに人が集まるのだろう、話題になるのだろう、と口をそろえる。……水俣病に関心を持つ多くの方に、カネミ油症事件にも目を向けてほしい。よくするほど、水俣病とまるできょうだいのようなこの事件を、このまま放っておくことができないことを、わかっていただけると思う。

本号の特集には、カネミ油症の被害者の方々やYSC事務局長の伊勢一郎さんのインタビューなどが含まれている。なかでも、カネミ油症事件に関する唯一の写真集『河野裕昭写真報告 カネミ油症』(西日本新聞社、1976年)を撮影した写真家・河野裕昭さんへのインタビューは貴重であろう。次の発言などは、現在、被害者の方からいろいろとお話しをうかがっている最中なので、衝撃的であると同時に理解できるとも感じた。

カネミ油症にしても水俣病にしても、「被害者に寄り添う」と言うことは簡単だが、いかに真摯に寄り添おうとしても自分の中で納得できる気がしない。このために、私はこうした問題と関わることを避けていたように思う。
見田宗介は、水俣病とは水俣の病ではなく、東京の病であると言った。たしかに、その通り。「水俣病は終わっていない」と言うとき、「東京の病は終わったのか?」と問われているのだ。
水俣に限らず、地方の問題は東京の問題と相関している。直結していると言うべきか。しかし、東京の人びとは忙しく、病を本気になって治そうとしてこなかった。
この忙しさゆえに大事なことでも後回しにすること、さらに、それを仕方がないと考えること。これこそが、東京の病であろう。
だから、私は東京でこの病のことを考え、行動しようと決めた。
私にとって、首都圏近郊の里山を保全するとともに、自分たちの暮らしも豊かにしようとするNORAの活動とは、その現れである。


と、以前はこう考えていたが、最近になって、公害のこと、さらに戦争のことについて、あらためて考えるようになった。
この背景には、被災者・被害者の高齢化が進み、直接お話しをうかがえる時間が残り少なくなっている焦燥感がある。しかし、それよりも多くの人びとが、あらためてこうしたテーマに果敢に挑み、優れた成果を挙げていることに影響を受けていることが大きい。たとえば、同世代のノンフィクション作家・堀川恵子さんと漫画家・こうの史代さんの広島関連作品。また、この正月に読んだ根本雅也『ヒロシマ・パラドックス―戦後日本の反核と人道意識』(勉誠出版、2018年)をはじめ、若い研究者による成果も充実している。さらに、松村正直『戦争の歌(コレクション日本歌人選) 』(笠間書院、2018年)ほか、弟の戦争との向き合い方、特に「鎮魂」の表現からも学ぶところが多い。公害に関しても、友澤悠季『「問い」としての公害―環境社会学者・飯島伸子の思索』(勁草書房、2014年)(→サイト内の書評のようなアプローチから大いに刺激を受けた。

そもそも、私が環境問題について学びたいと大学に入り、環境コンサルタント会社を経て、環境NPOの運営に関わりながら環境社会学者になったのは、10代の頃に戦争や公害を通して社会の問題に出会ったからである。こうした近代社会の歪みを考えることは、環境や社会との関係をより良く結びなおすために大事なことだと信じていた。したがって、こうした問題について正面から考えるようになったのは、原点回帰という意味合いもある。今年50歳を迎えるのだが、ようやくこの年になって、子どもの頃に心を鷲づかみにされた問題に向けて、腰を据えて考えたいという気持ちになったのだ。

もちろん、これまで同様、NORAの活動に取り組むけれど、今になって思えば、気になっていたのに後回しにしてきたことがあった。
これからは、この後回しにしてきた自分にとって大事なことを、子どものような好奇心を持って考えていきたい。

よこはま里山研究所のコラム

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