『観光客の哲学』

最近、ダークツーリズムという言葉をよく聞くようになった。
戦跡や被災地など、死や悲しみの記憶を残す対象を訪ねる観光のことで、専門書に限らず、入門書やガイドブックなどの刊行が相次いでいる。

本書の著者は、ダークツーリズムに関して東日本大震災後に『福島第一原発観光地化計画』(ゲンロン、2013年)『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』(ゲンロン、2013年)を出版した。
これらは、国内にダークツーリズムという言葉を広めるのに大きく貢献したように思われる。

本書は、これら2冊と比べると理論的であり、著者の原発関連ダークツーリズムへの関心にどのような意味があるのか、哲学的な議論が展開されている。
『観光客の哲学』というタイトルから、近年世界的に観光客数が急増しているというような社会現象について、扱っているような印象を与えるかもしれないが、そうではない。
ここで観光客とは、折口信夫のまれびと論、山口昌男によるトリックスターなどの役割と重なる。

今日、世界的にグローバリズムの進展とともに各国のナショナリズムが強まり、対立する価値観に引き裂かれるような現代社会に、私たちは生きている。
かつてのリベラリズムへの期待は失望へと変わり、コミュニタリアニズム(共同体主義)とリバタリアニズム(自由至上主義)にしか希望が見いだせないような閉塞感が漂っている。

このような現代社会において、本書のメッセージは魅力的だ。
まず、境界や限界を越えるものとして、現代思想に明るくない私たちでも理解可能で、当事者にもなりうる観光客に注目を促したところが優れている。
また、その観光客の役割についても、今日の閉塞状況を一気に解決してくれる者として期待するわけではない。そうした真面目ではあるが、どこかに無理のある議論に持ち込むのではなく、誤配される効果に目を向けようとする。
実際には、観光客が面倒な問題をホスト社会に持ち込むこともあるだろう。
それでも、そのようなリスクを孕んでいることを承知のうえで、誤配されることの可能性に意義を見出そうとしている。

このような考えは、著者の信念から導き出されたものではなく、現代社会を冷徹に分析した上で採りうる限られた選択肢として示される。
だから、あまりに現実的過ぎて、現状追認と紙一重に見えるかもしれないし、そういう見方をする人には好まれないに違いない。

しかし、私は徹底的に現実的に考える先に理想を見出したいので、基本的に著者の考え方に賛同している。
また、現代思想に通じている著者は、論点を明晰に取り出すことが巧みであり、論理を追いながら読み進めていくと、自分の頭にある思想地図を整理したり、アップデートできたりする点はありがたい。

本書と併せて読みたいのが『テーマパーク化する地球』(ゲンロン、2019年)である。
ここでは「テーマパークと慰霊」というキャッチーなテーマを設定して議論を進めている。
もちろん、慰霊が正しくて、テーマパークが良くないという議論ではない。
慰霊のためのダークツーリズムも、テーマパーク化を免れない。

私は今年の3月に熊本県水俣市へ、8月に五島列島の長崎県五島市を訪ねた。
水俣は水俣病の、五島はカネミ油症の被害が集中した地域である。
ここで私は、被害に遭われた方や支援されている方などに会い、これまでのこと、これからのことについてお話をうかがった。
そこで考えていたことは「テーマパークと慰霊」についてだった。

私たちには、悲しい経験を重ねてきた歴史がある。
そこから何を学ぶのか。
それを考えることは、今年50歳になった私にとっては、残された人生のライフワークである。

よこはま里山研究所のコラム
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