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多摩丘陵の里山を生かす仕事へ

私は多摩ニュータウン開発が始まった頃の1969年に生まれました。3歳から町田市内の住宅地で暮らしていましたが、70年代までは周辺に田んぼや畑、雑木林がかなり残っていて、母は市内の農家から野菜を、養鶏家から卵を購入していました。しかし、そうした里山環境は次第に大規模団地や新興住宅地として開発され、昭和が終わった頃には、幼少期に遊んだ雑木林や谷戸は消えてなくなりました。

時代とともに変化した風景をどこか気にしながら20代後半になり、私は会社を辞めて大学院に入学し、複数の環境活動団体に所属して、都市近郊の里山をまもる社会の仕組みやあり方について調査研究を始めました。高度成長期以降の里山では、人びとによる働きかけが希薄になるというアンダーユース(過少利用)が問題となっています。この問題に対して、1990年代~2000年代には市民ボランティアが管理活動に参加する里山保全運動が全国に波及しました。この運動は核となる全国的な組織が主導したわけではなく、身近な地域の里山を守るために有志が各地でみずから汗を流して保全活動に参加した結果、大きなムーブメントになったのでした。2000年代頃からは、自治体が里山保全ボランティアを養成して、手入れを必要とする緑地とつなぐ制度も全国に広がりました。

しかし、そうした取り組みによって保全される里山は、管理されなくなった広大な里山の面積と比較するとわずかでしかありません。さらに、2010年代に差し掛かる頃から、保全活動への参加者の固定化・高齢化が大きな問題となってきました。里山保全のためにボランティアを活用するという制度には、限界があったと言ってよいでしょう。一方、高齢化するボランティア活動を尻目に、2010年代以降の里山では里山資本主義という言葉に象徴されるように、企業のCSRや環境ビジネスなどと結びつけて、里山の資源や空間をいかして経済活動をつくろうとする動きが強まってきました。

このような時代に、あらためて里山の自然や文化を保護するとともに創造するためには、仕事づくりが必要だと思います。哲学者の内山節は、村人の労働に2種類あることに気づき、稼ぎとはお金のために労働すること、仕事は地域の自然・社会と自分たちの暮らしを維持する人間的な営みであると整理しました。経済成長を追い求めた時代、里山は稼ぎの観点からいったん見捨てられました。その里山で経済活動を再生するならば、稼ぎ偏重の価値観に転換を迫るような仕事をつくりたいと考えています。

私は2005年からNPO法人よこはま里山研究所の理事長を務めてきましたが、近年になって里山での仕事づくりをイメージして立ち上げた団体にmoridas(モリダス)があります。この団体は、安全で楽しく価値ある里山保全・森づくり活動をすすめていくにはリーダーの養成が重要だと考えて、2018年に橫浜と多摩のメンバーで立ち上げました。団体名は「森づくりのリーダーを出す」という意味で、具体的にはリーダー養成のための研修やその必要性について情報発信しています。活動を通して、里山保全活動のリーダーとして優れた技術・技能を修得した人に対し、適正な対価が支払われるような社会にしたいと考えています。

今後、多摩丘陵の里山保全活動を実践されている多くの方々とつながって活動を広げたいと願っていますので、ぜひ下記ウェブサイトをご覧ください。

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