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『どうすればエネルギー転換はうまくいくのか』

丸山康司・西城戸誠編『どうすればエネルギー転換はうまくいくのか』(2022年、新泉社)

本書の2人の編者や論考を寄せている数人の執筆者とは研究上の付き合いがあるので、刊行直後にご恵贈いただくことができた本である。
手に取った第一印象として、色彩豊かで目を引く表紙、考え抜かれた帯の文、親しみやすいソフトカバーの装幀などから、本書が丁寧に制作されたことが伝わってきた。
そうした外観から受けた丁寧な印象は、中身を読み終えた後にも感じる。
執筆者には環境社会学、社会運動論などを専門とする研究者が多いものの、そうしたアカデミックな専門知を前提とせずに読めるように書かれている。
序章・終章と加えると全部で18章分、ページ数にして400ページ近い分量であるが、再生可能エネルギー、気候変動対策、持続可能性、トランジションなど言葉に関心を持つような読者であれば、それほど苦労することなく読み通せるだろう。

本書のタイトル「どうすればエネルギー転換はうまくいくのか」は、宮内泰介編『どうすれば環境保全はうまくいくのか』(2017年、新泉社)を強く意識したものである。
2017年に出版したこの本も、専門外の人にも読みやすく書かれており、専門書としては売れ行きも好評だったことから、出版社が同じであり、執筆者も一部重なることもあって、2匹目のドジョウを狙いにいったのだろう。
マーケティング戦略はさておき、書かれたものはきちんと読まれることが大事なので、このように問いが明示されたタイトルはよいと思う。
ただし、energy Transitionの訳「エネルギー転換」という用語は、日本語では硬く感じられるので、潜在的な読者層に届くのかどうかやや心配である。

さて、肝心の中身はどうだろうか。
序章「エネルギー転換と「やっかいな問題」は軽快で心地よい導入となっており、タイトルに掲げられた大きな問いを応答可能な問いに分解して、この後に続く論考と問いとの関係を適切に位置づけている。
また、こうした問題が生じる背景にある二項対立の図式を示し、それをどう解決していくのかという問題意識が読み取れる。
たとえば、気候変動対策のためのエネルギー転換というグローバルな課題解決策が、ローカルな社会からは受容されないことがあるという現実を踏まえて、グローバル-ローカルという対立軸が明瞭に示されている。
あるいは、世代間公正を重視して将来世代のためにエネルギー転換を進めると、旧来型のエネルギー生産地には産業構造の転換を迫ることになり、世代内公正が失われかねないというトレードオフ関係も悩ましい。
本書は、こうした問題に対するアプローチとして、弁証法的な思考によってラディカルに乗りこえていくという発想を取らず、地域の固有性を尊重し、その実情に合わせながら社会的文脈やステークホルダーの利害関心を接合するための試行錯誤を積み重ねること。
ここに問題を解く可能性を見いだしている。

本書の終章で示されるこのような解決の方向性について、異論はない。
しかし、こうした考え方は、『どうすれば環境保全はうまくいくのか』のそれと似通っている。
だから、この結論部は二番煎じのように感じてしまう。
公正さと信頼の構築を求める重要性が強調されているが、これは一般論の域を出ないように思われたし、ストック(価値を生み出す元手)の蓄積に着目する視点はユニークであり、宇沢弘文の「社会的共通資本」と絡めた議論も面白いはずだが、本書の中では十分には展開されていない。

もっとも、このような評価は、私が編者らと問題関心が近いために、その成果を厳しめに見てしまいがちなので、割り引いてとらえる必要があろう。
実際、各章は執筆者の専門性が十分に生かされていて読み応えのある論考が多い。
エネルギー転換に関する全体像を把握するためのサーベイ調査と、個別具体的な事例調査が適当なバランスで配置されている。
特に事例を扱っている章は、成功例も失敗例もどれも興味深く読んだ。

編者らをリスペクトしているために率直に言えるのだが、それでも批判ばかりしていても失礼なので、私だったらどのような議論をしたのか考えてみた。

本書ではエネルギー転換に伴う問題の解決策として、固有性の尊重、再文脈化、ストックの蓄積という3点が挙げられているが、これらを時間というスケールのもとで統合的に把握してみたい。
本書にも地域の環境史をひもといて考察する事例研究があり、社会的文脈との接合を探って再文脈化するというアプローチが示されている。
しかし、課題解決という観点から考察されているためか、解決のための道具として歴史が活用されるように読まれやすいように思う。

一方、関係者が時間をかけて課題と向き合っているうちに経験を通して学び、エネルギー転換という課題よりも地域という大きさに気づき、いつの間にか課題が消えているというような問題の解かれ方もあるだろう。
これはストックの蓄積という議論とも重なるはずであるが、ストックという経済学的な用語で表現すると、社会課題の解決モードへと進む。
それとは異なるモードとして、時間スケールをもとに、人びとの学びや社会的学習への思考へと向かうこともできるはずである。

ここで時間とともに、学びがキーワードになる。
経験からの学びによって自己が深められていくと、解くべき社会課題について本質的な再考が迫られる。
エネルギー転換という課題は、多くの人びとにとって遠く感じられる。
そこで、背伸びをせずに、等身大の自分を起点におのれが生きる場を豊かにしようと考えていくとどうなるのだろうか。
自己の探究と社会の厚生が根源的に繋がっていなければ、「誰一人取り残さない」解決策を見つけることはできない。
しかし、楽観的に過ぎることを承知で言えば、自らを深めていく先には、持続可能な社会という目標が、気候変動時代にはエネルギー転換への希求が訪れるのではないだろうか。
逆に言えば、自己と社会とを対立関係ではなく、ともに喜ばしい方向へと導くことができると感じられるように人びとが学び、社会が学習していくことが大事なのだと思う。

そのような学びに必要なことは何だろうか。
それは対話に違いないと私は信じている。
「やっかいな問題」は一朝一夕には解決しない。
目に見える課題を解決することは大事だが、それとともに、各所で対話の場を広げること。
人びとが他者との対等なコミュニケーションを通して自己を探究し、その先にある社会の課題に気づくこと。
この遠回りのようなプロセスが、環境保全がうまくいくためにも、エネルギー転換がうまくいくためにも、大事なことだと考えている。

本書の内容に即して議論しようと思っていたのに、いつしか自分の言いたいことを書いていた。
経験科学の中で学術的に記述することが難しい領域に入っている。
本書の突きつける問いは、そのような領域に踏み込んで考えることを要求する。

よこはま里山研究所のコラム
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