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コロナ後の変わらなさへの対応

コロナ禍の2年半の間に、私はライフスタイルが大きく変わった。
車に乗るようになったが、行動範囲は狭くなり、アルコールを飲まなくなり、外食への関心が薄れ、YouTubeで動画をよく見るようになった。
距離を置くようになり、交流する機会が減り、自閉する傾向が強まった。
以前はコロナが収束したら元に戻るだろうと思っていたが、第7波前のやや落ち着いたときに、戻らないし戻りたくもない身体になっていると気づいた。

全部コロナのせいだ、とは思わない。
家族・地域コミュニティを超えて行動するようになり、さまざまな人と出会って、好きになったり恋をしたり、傷ついたり傷つけたりした。
研究や活動を通して、社会を知り、世界を知り、自分を知り、他者として現れる自分も受けとめ、自分になってきた。
そうした果てに、2015年頃からだろうか、現実世界との間に距離を感じるようになった。
表面上は普通に暮らせているのだが、何となく気ぜわしく、焦点が定まらないまま、日常を過ごしている。
この浮遊感を抱きながら、関心は外に拡がるよりも内へと縮んできている。
家族・地域コミュニティへと戻ろうとしている。

原因としては3つ考えられる。
1つめは世情との乖離である。
時の権力者と考え方が異なることは構わない。
彼の言葉や行動が、いかに私が大事にしている価値を踏みにじっても耐えられる。
しかし、その圧倒的な力に寄りかかって、他人の生きざまを蔑ろにする隣人の言葉や行動を見るのは耐えがたい。
この私たちが働く乱暴の根源を、権力者に求めようとする人がいる。
その一面は否定しえないが、問題の構造を見誤っていると思う。
国家の暴力を非難するならば、それと同じ強度で私たちの暴力と向き合う必要がある。
その作業が重たくて気が進まない。

2つめは環境の危機である。
25年ほど、環境問題に対して社会学的にアプローチする調査研究を続けてきた。
これまで私が発表してきた環境社会学の成果は、量的にははなはだ乏しいけれども、その質には自分で納得している。
むろん、その背景には研究の機会を与えてくださった方々がいて、その中の数名には本当に感謝している。
しかし一方で、2011年に福島原発事故が起こり、2015年に気候危機に対応するためにパリ協定が結ばれ、国連が2030年までの目標としてSDGsを掲げるようになって、研究上の居場所が狭くなってきたように感じてきた。
環境について急いで考えざるをえない状況が迫ってきたことにより、社会からはますますスピーディーな説明や問題の解決策が求められている。
しかし、それに応えるだけの使命感と能力が足りていないために、モチベーションが思うように上がらなくなってきたのである。
だから、学問の最前線に立ち続けようという気持ちを維持できず、そこから背を向けて小さな社会実践に関心を向けてきた。

3つめは加齢・老化である。
両親が介護サービスを必要とするようになり、私も体力・気力の低下を感じるようになり、どのように成長していくのかよりも、どのように縮退していくのかを考えることが多くなった。
この世に両親とともに生きられる時間が限られてきた。
施設に入居中の母とはコロナ禍のために原則面会することができず、ハグすることはもちろん、握手することさえできない。
これまで調査研究を進めてきたテーマのうち、何も成果を発表していないものがあって、膨大な記録を死蔵していることが憂鬱にさせる。
いくつかの市民活動・地域活動にかかわってきて、そのうち自分がリードしてきたものもあるが、どれも遅々として進まない。
年月は残酷に、しかし平等に過ぎていく。

以上の原因はしばらく変わらないだろうし、加齢・老化は受け入れるしかないので、アフターコロナに私の状況が大きく変わるとは考えにくい。
ならば、それぞれの原因にどのように対応すればよいのだろうか。

1つめは、わからない人との対話である。
同じような価値観を抱いている人、バックグラウンドに共通性が多い人と交流し、たわいもない話や、特定の人にしか話せない深い話を交わすのは楽しい。
これ以上の歓びはないと言ってもよいだろう。
しばしば、そのような時間が終わりに近づくと、もっとこの時間を長く続けられないものかと子どものように願う。
しかし、そうした熱が冷めると、仲間内で盛り上がっていただけで、変わらない日常に目を背けていたという気持ちがもたげてくる。
わかる人に話しているだけでよいのかという問題が横たわっている。
だから私には、わからない人、わかりあえない人との対話が求められよう。
世情との乖離を埋めるために、自分から求めていきたい。

2つめは、多様性のあるチームづくりである。
スピードが求められる時代の要請に自分の能力で応えることは、すでに半ば放棄している。
それでも、ただ漫然と目の前の仕事に向き合っているだけでは、早く大量に成果をと急かす状況に絡め取られてしまう。
一方で、環境問題が代表的だが、私たちが直面している多くの問題は複雑であり、一人の超人が一挙に解決できるような性質ではない。
そこで、チームの力が必要とされている。
それも、同じようなタイプが集まるチームでは、いくら一人ひとりが優秀であってもアプローチが画一的になってしまうので、多様性のあるチームづくりが求められるだろう。
このためには、1つめに書いたように、わからない人との対話がベースになるに違いない。

3つめは自分の計画づくりである。
人生には限りがある。
平均寿命まで生きられると想定して人生プランを立てがちだが、身近な人が若いうちにあっさりと命をなくした経験があるので、そんなに悠長に構えていられないと思っている。
周りの求めに応じて動くばかりではなく、これまで積み上げてきたことと、これから取り組みたいことを考え、実践も研究も計画的に進めていきたい。
計画を立てるためには、自分と向き合う必要がある。
このコラムを書きながら考えていることを、さらに一段深く突き詰めて考え、取り組むべきことを整理して、自分の役割を見定めたい。
ゆっくりと急げ、とは私も好きな言葉だが、ゆっくりするためにしっかりとマイプランを考えたい。

その計画はどのようなものになるだろうか。
それは、ここまでに書いたことから想像できるように、家族・地域コミュニティへの縮退を軸にしたものになりそうだ。
この傾向については、老化による自閉的な諦観によるものと消極的に言えるが、あえて積極的に言えば、グローバル資本主義に抗う地域主義と、経済主義に侵食された公共圏に対して、全人格的な親密圏を確立しようとする試みとも言える。
その際、後者に向かえるかどうかの分岐は、閉じることと開くことのバランスをどう扱うかによるだろう。
わからない人との対話と、それに関連する多様性のあるチームづくりのためには、開きつつ閉じる、閉じつつ開くという矛盾を抱えながら、このバランスのあり方について考え続けたいと思う。

よこはま里山研究所のコラム

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