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KSG master向け講評

昨日はヨコハマまち普請事業1次コンテストの審査員を務めた。
公開審査なので、審査する立場であると同時に、オーディエンスからは評価される対象でもある。
申請者による渾身のプレゼンを、その背景やポテンシャルも含めて、きちんと受け取れるのかが感性が問われる。

公正な審査の末、申請された6団体すべてが2次コンテストに進むことになった。妥当な結果だったと思う。
今年度から2次に進める団体数の上限がなくなった。
これは、コンテスト形式で団体を競わせる意味について再考する機会となった。
競争しないならば、時間の制約に追われることなく、団体が提案内容をきちんと伝えることと、それをきちんと理解するために時間を費やす。さらに、その提案内容を改善したり、今後取り組むべきことを整理したりするために、本音で話し合う方が良いのかもしれない。

講評でも述べたとおり、プレゼン時間を一律に6分厳守とすることの暴力性ついて、コンテストの間考えていた。
プレッシャーがその人の力を引き出すこともあれば、殺してしまうこともある。
私はその人の力一杯を見たい。

※以下、KSG masterの提案事業「誰もが百点満点!自分らしさを表現できる居場所作り」に対して、最後の講評で述べたことを記録しておく。


先ほどの山田さんの質問に対しての答えをお伺いしていて、僕も思ったんです。「地域のため」っていうのは、(まち普請事業という性格上)必要だからいろいろ盛り込まれているのかなと思ったんですけども、いやそうじゃないと。
まさに地域の中で、障害を持ってる人たちも生きていて地域を考えるってこと自体、自分たちのことであるっていうことですよね。全然、別ごとでない。なんか盛って地域って言ってるわけじゃないってところに、ある種の覚悟というか思想みたいなのをお持ちでいらっしゃるところ自体がいいなと思いました。

それとですね、余計なことですよ。午前中、僕が質問して、論点を集めるっていう時に、プレゼンテーション良かったですねって、なんであんなこと言ったのかなって、後でずっと考えていたんです。そしたらですね、思い出したのが、午前中のプレゼンテーションの時に、(障害を抱える)当事者の方にマイクを一本一本渡してしゃべっていく際に、最初にお話しされた方のマイク、(電源が)入ってなかったなと思いますけども、それできちんとお話を、メッセージを伝えられなかった時がありまして、その時にコンテストなので、時間を平等にして公平にして私たちは聞くってことやっていますけども、これ時間を平等にするっていうのは、本当にその人たち自身にとって公平かっていうものを投げかけられた気がしていて、その時ちょっと胸が詰まってしまった時があったものですから、それに対して何か言いたいなと思ったってことです。

たとえば、入学試験だとかでも、障害に応じて時間を長く取るだとか、いろんなこともあったりするので、実は時間を区切るってこと自体が、本当にコンテストとして公平かっていうこと、まあこれは全然違う話んですけども。
だから、そういう意味で(みなさんが)社会に出てくるってことは、僕たちが普段考えてなかったようなことについて突きつけられることでもあるので、ドンドン商店街さんに入っていけば、いろんなことを周りに考えさせられます。
私も南太田が最寄り駅のところに事務所を構えていますので、ぜひ同じ地域として、地域を耕すことに貢献していきたいなと思っています。ぜひ二次審査に向けて頑張ってください。ありがとうございました。

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