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『ヘイトをのりこえる教室』

風巻浩・金迅野『ヘイトをのりこえる教室:ともに生きるためのレッスン』(2023年、大月書店)

私にとって金迅野さんは、多くの刺激を受けてきた人であり、頼りにしている人である。
いつも穏やかであるが、対面すると自分の真の姿が露わになるようで、少し怖くもある。
そんな金さんが本を書いたというので、さっそく読んでみた。

本書は、3部構成で12のパートに分かれており、これを風巻さんと金さんが半分ずつ書いている。
金さんが執筆したパートを読むと、どれも金さんの語り口が鮮やかによみがえってくる。

私が金さんと初めて出会ったのは、神奈川県ボランタリー活動推進基金幹事会の幹事を務めていたときだったから2010年頃だと思う。
この会議では、かながわボランタリー活動推進基金21をどこに振り向けるか、県内の団体から提出されるさまざまな事業計画や実績をもとに話し合った。
金さんは、ご自身の専門性や関わってきた経験をもとに、特に多文化共生や国際交流の分野について意見を述べられた。
当時の私は、この分野について今以上に知らなかったので、教わることが多くあった。
そうした、私が強烈に覚えている金さんの言葉は、そうした活動分野における知見ではなかった。

書類を審査する立場になると、自分が高見に立った気分になって、つい上からあら探しをしてしまいがちになる。
しかし、金さんは偉そうに審査してしまいやすいことを自省し、むしろ、審査する側が試されていることを指摘した。
それは、けっして声を大にして主張されたわけではなく、なかばひとり言にように、でも周りに聞こえるくらいの大きさで語られた。

審査員の仕事としては、書類に書かれてあることをもとに、評価項目ごとの採点基準に従って、その言葉や数字をもって採点すれば、ひとまずよいと考えるだろう。
審査員が目を通す書類は、公平性を保つために、決まったフォーマットに書かれている。
そうした書式に合わせて過不足なく文章で表現することが、得意な人もいれば、不得意な人もいる。
うまいこと書くなぁと感心するとともに、こうした書類を書き慣れているのだろうと思う場合もあれば、とてつもない熱量を感じるし、かなりの実績もあるのに、何のために何をおこなうのかがよくわからず、もう少し客観的な視点が入ると大きく改善されるだろうと思う場合もある。
そうした場合、字面に目を奪われるのではなく、書類を書いた人がどのような人であり、どのような思いから書かれたのかを想像できるかどうか。
つまり、私たちの想像力や感受性が問われていると金さんは言った。

この自らの想像力や感受性を立ち止まって考えるという姿勢は、その後に知った「「困った人」は、実は「困っている人」かもしれない」という言葉にも通じる。
私から見て問題を引き起こす「困った人」だなぁと思う人は、実は当人からすると、ご自身がとても問題を抱えて、自分では対応しきれず人一倍「困っている人」かもしれない。
そのように、自分の立場から見ることをいったんやめて、その人の立場になって考えてみることが大事であることを学んだ。
それ以後、私は書類やプレゼンテーションなどを審査する場合、いつも自分が審査されているのだと思ってのぞむようになった。

私は、機会があれば、このような視点をいつも大事にされている金さんと、学生が出会う場をつくりたいと考えている。
大学教員として、ゲスト講師を招くことができるときは、担当する授業の内容にかかわらず、私はしばしば金さんに声をかけた。
いつ聞いても話がリアルに感じられ、私の胸に強く迫った。
本書には、そのときにお話しくださったことが、散りばめられていた。
だから、金さんのパートは、どれも選び抜かれた言葉が紡がれており、学生とともに授業で話を聞いたことが思い出された。
どのパートにも、私たちの胸に引っかかる言葉があって考えさせられる。
詳しくは本書を手に取っていただきたいが、金さんらしいなと思う言葉を、目次から拾ってみよう。

  • 「なぜ」を抱きしめることのすすめ
  • 見えないものを見る、「それぞれだね」を越えること
  • 「ともに生きる」というけれど、「だれと」が抜けたら痛くもかゆくもない
  • ただのスローガンになってしまう
  • 「学びほぐし」と「出会い」
  • 「われわれ」とはだれだろう?

私が金さんを招いた授業では、ポジショナリティ(立場性)という言葉を説明しながら、自分がどこからまなざしているのか自覚し、なぜ自分はその立場をとるのだろうと自省する大切さを語った。
本書では、立場性という言葉こそ用いられていないが、主張の根っこにこのメッセージがある。
私が、今年刊行された『環境社会学事典』(2023年、丸善)の中で、「環境社会学のポジショナリティ」の章の編集を担当し、「立場性」の項目を執筆したのは偶然ではない。
金さんとの出会いから、私がこの言葉とともに考えてきたことを、この事典の中で表現してみようと思って引き受けたのである。
あらためて、金さんとの出会いが、私の思索や実践に大きな影響を与えたことを実感する。

元高校社会科教師の風巻さんのパートは、川崎地域の外国につながりのある人の歴史の掘り起こしや高校生の多文化共生活動に取り組んだ実践活動のほか、差別やヘイトを考えるための基礎知識などがわかりやすく書かれている。
風巻さんのパートと金さんのパートが、それぞれの持ち味を生かしながら、うまく織りなされて1冊の本になっている。

ともあれ、金迅野さんの言葉がもっと世の中に拡がればいいと願っていた私にとって、本書の出版は大きな喜びである。
本書を通して、多くの人びとに「ともに生きるレッスン」を受け、金さんの言葉と出会っていただきたい。

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