8/12(木)に開催するオンラインイベント「『戦争の歌』を読む」に関連して、「オリンピックの歌を読む」を弟に依頼したところ、1964年の東京五輪を詠んだ歌5首取り上げ鑑賞文を寄せてくれました。
松村正直の「○○の歌を読む」はシリーズ化できそう。
なお、出典は『昭和萬葉集 巻十四』。時代を振り返る際にとてもありがたい本、とのことです。
戦場にかつて対峙(たいじ)せし旗もあらん今揃い進む九十四ヶ国旗
/松井克巳「林間」1965年1月号
1964年開催の東京オリンピックの開会式。今年の東京オリンピックは205か国の参加なので約半分だったのだ。第二次世界大戦が終って19年。まだ戦争の記憶が生々しく残っていた。
クレパスの色はみ出したる日の丸を児等は手に手に聖火待ちおり
/岡村悦子「塔」1965年1月号
聖火リレーの走者を沿道で待ち構える子どもたち。旗の中央に円形の枠線があって、内側が赤く塗られているのだろう。色がはみ出しているところに、元気の良い子どもの姿が感じられる。
知られざる国の旗持つ一人を一国と迎へ湧ける拍手はや
/島田修二『青夏』
選手が一人だけ参加する国の入場行進。アフリカや中南米にはまだ独立したばかりの国も多くあった。まさにその国を代表する「一人」として、競技場やテレビで見る人の印象に残ったのだ。
腹痛を押して走れる円谷(つぶらや)のゴールに入るや力尽き果つ
/窪田空穂『去年の雪』
男子マラソンで三位になった円谷幸吉。競技場内で抜かれたシーンが有名だ。結句はゴール後の疲れ果てた様子を詠んだものだが、4年後に自殺する運命を暗示しているかのようでもある。
聖火燃ゆるグランドも彼の日は雨なりき君出で逝きし二十年前
/飯田久夫「朝日新聞」1964年11月1日
国立競技場は、もともと明治神宮外苑競技場を壊して建て替えたもの。そこは1943年に出陣学徒壮行会が挙行された場所でもあった。グラウンドを見ると戦死した友人の姿が甦ってくるのである。