大学院生Tさんによる取材

T:まずお聞ききしたいのが、神奈川森林エネルギー工房というところが、実際にどういった活動をされているのかっていうことを簡単で結構なんで教えていただけますか?

M:今は一番中心的にやっているのが、政策提案ですね。で、具体的には、神奈川県が今自然エネルギーの導入にあたって最も根本的な「新エネルギー・ビジョン」っていうのを昨年度策定したんですけども、その策定にあたって、検討委員会っていうのがありまして、そしてその検討委員会の下部組織として、市民ワーキンググループっていうのがあるのですが、、まあ、そちらにメンバーとして入って、で、バイオマスのエネルギー利用について、なるべくプライオリティを高くしたいというのがありまして、、で、そのビジョンの策定の中で、まあ、県の意向もあったんでしょうけども、そのバイオマスをそれなりに高く位置づける事が出来まして、、で、今年度からは、県の西北部、、ちょっと横浜からは遠くなりますけども、、まあ、山梨だとか東京に近い方ですねえ、、バイオマスを中心のテーマとした詳細な「検討ビジョン」っていうのを作るんですね。で、それの市民側のアドバイザーという形で参加させていただきました。

で、他には、これも県の事業ですけども、水源環境税っていものを県が検討してまして、で、水源環境の整備っていうと、どうしても間伐だとかですね、木を切る森林の整備の部分だけに目が行きがちなんですけども、まあ、今、間伐もされてもいても、それの使い道がないっていうのが一番の大きな問題だと思ってますので、それをエネルギーとして利用するっていうのを視野に入れて、例えば、水源環境税が導入された時には、単に木を切るところに税をあてるのではなくて、消費の側にも、、まあ、エネルギーとしての利用の側にもあてた方がいいのではないか、っていう様な事等を文章にまとめて提案する、っていう様な事をやってますね。で、それが中心的な活動なんですけども、、

その他には、普及啓発ですね。バイオマスのエネルギー利用の中では、私たちは一番木材ペレット燃料というものに関心がありまして、、とういうのは、バイオマスのエネルギー利用に関して元々墨や薪等といった従来の利用はあったわけですよね。で、最近の利用の方法としては、もっと高度に燃焼させるとか、発電にも利用できるだとかっていうような事があるんで、まあ、ペレットの方をエネルギー利用するというのが、21世紀型かなって思ってまして。まあ、イベントを催して、ペレットストーブの燃焼実演をやるだとか、ペレットを実際に配って皆さんに親しんでいただくとか、そういった事をやってます。

で、他には、自分たちの自主的な研究をして、それを報告書にまとめて、それを販売するといったような事をやってまして、今までやった自主研究の中では、バイオマスの中では一番利用しやすいっていうか、コストが一番安いのは建築の解体材なんですよね。あれは引き取ってもらう時にお金を払わなければいけない。まあ、向こうからすればお金がもらえるわけですから、それを燃料化するっていうのは結構やさしいわけで、、ただ、その場合問題になってくるのが、建築の解体材ですと、中に防腐剤だとか色んな有害な物質が入っていて、それを燃焼させてエネルギー利用させるような場合には、またそれが空気中に放出されだとか、灰がまた有害物質を含んでたりするので、取り扱いが非常に難しいっていう事がありまして、実際に利用する場合には、そういう取り扱いを非常に注意してやるべきだ、とかそういう事だとか。あとは、そもそも解体材の中に不純なものが入っていて、そのあとリサイクル出来ないっていう事に問題があると思うんで、住宅の建築だとか、その際には、リサイクルする場合を考えた材の選別っていうんですかね、それをやるべきだ、というような研究をまとめて、で、それを報告書として作って、皆さんに安い値段でお分けしているといったような活動が中心でしょうかね。

T:その中でMさんが代表として日々行っている事ってどういった事がありますか?

M:えーと、実際には私たちの活動団体は、それほど大きくなくて、30人ちょっとぐらいしかいないんですけど。で、会を立ち上げた時には、代表は別の者がおりまして、で、その彼が大体代表的な事をやっていて、私が事務局のような事をやっていたんですけど、代表をやっていた彼が佐渡島に移住しまして、で、平日に動けるような人があまりいないんで、私が実際に事務局兼代表をやっているような形ですね。ですので、今申し上げたような事は殆ど私プラスアルファでやっているような感じになってます。

T:ふーん。実際に専従の方っていうのはいらっしゃるんですか?

M:えーと、専従、、、。先週でしたっけ、A君(Mさんの紹介者)っていうのがいて、A君とお話されたと思うんですけど、彼はよこはま里山研究所、NORAっていうNPO法人の事務局スタッフなんですね。で、私のエネルギー工房での活動は、あの、毎月毎月の給料として支払われるようなもの、そういう風な収入がないですから、えー、NORAの事務局スタッフもやりながら、そのうちの週の何日かを利用してエネルギー工房の活動もしているっていう感じなんですね。だから、基本的には事務局にはいますけれども、給料の殆どは、そのNORAの方からもらってやっている、という事ですね。ただ、NORAの活動の中にもバイオマスの利用っていうのは重複する部分がありますから、あの、NORAの活動の中にもかなり食い込んでいく部分もあるんですね。実際にA君もエネルギー工房の会員ですし、もう一人事務局スタッフのBというのがおるんですが、彼女もエネルギー工房の会員なので、その辺はちょっとすごく判別しにくくはなっているんですけど、まあ、実際問題として、こちらでの収入は非常に少ないですから、基本的にはNORAから毎月の給料をいただいて、その他に調査研究などをして、県から委託事業なんかがあった場合には、実質動いた分だけお金をいただくと、という形になってますね。

T:将来的はこの団体を大きくしていきたいっていうのは考えていらっしゃいますか?

M:うーん、まあ、そうなんですけども、中々市民活動としてバイオマスのエネルギー利用っていう事をやってる人は非常に少ないですね、まあ、全国的に見てもですね。今バイオマス、、世界も当然ですけど、日本でもやっと盛んになってますが、一番関心があるのは恐らく、背後に森林を抱えているような森林組合だとか製材業者だとか、そういう人達だと思うんですね。で、彼らは、もう森が利用されずにあって、で、高齢化が進んでいて、どんどん地域が疲弊していく。で、その中で新しい産業としてバイオマスっていうのに期待しているんですけど、、むしろ川上、川下っていう風な対立軸で考えると、川下っていうのはまだバイオマスに関心が向いてない。特に森林バイオマスについては目が向いてないので、、

T:なんで向いてないんですか?

M:まあ、あんまり知られてないんでしょうね。設立者もないでしょうし、要するにこの辺で自然エネルギーっていうと太陽光とか風力っていうイメージがあるでしょうから、、。ですから、私たちは消費者の側からバイオマスをもう少し広げてって考えないと、森林の整備っていうのはままならない状況にあると、っていうような事も考えてますし、、、。

えーと、何だったかな、何を話していたんでしたっけ?えー、あっ、(団体を)大きくしたいっていう話ですね。ですから、急に大きくはならないと思いますね。需要はまだまだ小さいわけで、今の段階では、そういう草の根的な普及活動よりもですね、、まあ当然そういうのも大事なんですけども、、マンパワーが小さいっていう事もあるので、、むしろ政策提案をしっかりやっていくと。そういったところに力を注いでます。

で、会を始めたのは99年の11月なので、えー、4年ぐらいになるんですけど、最初の内はなるべく草の根的にやっていこうっていう風な意識があったんですが、その、まあ、元の代表だった彼が??させて、、その事もあって、明らかにイベントなどをするとマンパワーが必要ですから、で、マンパワーが少ない中で、何か効果的にやっていくといったような事を考えた時に、まあ、昨年辺りからは、政策提言、アドボカシーの方を重点的に活動を進めて行くと。

T:この活動を通じて社会のどういったところを変えていきたいと思ってますか?

M:まずひとつはですね、まず森林っていうのは、今までは木材生産の為に使われていたわけですよね。で、そういう発想で木を使うっていう事は、かなり今限界がある。すぐに(その状況を)変える事は難しいと思うんですよね。ですから、森林資源をひとつの環境機能としてきちんと評価して、新しい公共事業の場所としてですね、、まあ最近、「緑の公共事業」とかすごく言われてますけど、、要するに森林をある森林組合だとかその土地を持っている人だとかだけの問題じゃなくて、社会の問題として捉えなきゃいけない、っていうのが一番ありますね。

もうひとつは、そういう事を非常に考える時に、、今の言葉で言えば「市民参加」だとかいう色んな人が参加できる機会が必要だろう、という風に思いますね。やはり、森林組合も一般的に言うと、ある意味補助金で経営が成り立っている事があるので、そこがもう、、、癒着構造があるわけですよね。例えばボランティアがですね。木を切るような事に対して、森林組合がそれは自分たちの仕事が取られる、っていうイメージがすごくあると思うんですね。それは彼らからすると、補助金がなくなってしまうのではないかっていう事があると思うんですけど。ただ、そうやって補助金出して木を切っても、それは使われることなく山に残っていくわけですよね。で、それを(何を?)引き出すこともできなくって、けど、木を切っている人がそれでお金が儲けられて経営が出来るので、そこで終わっているんですけども、それが山側にポンっとお金が下りるだけで、生かされてないわけですね。それは、森自身を彼らが所有したり、彼らが仕事をする場所としてだけ正にイメージされているので、そこに参加する機会っていうのは、他の人達に中々与えられてないわけですよね。それをきちんと社会と利用していく、社会として管理していく、っていう風に考えるのであれば、そこに色々意見を言っていくっていう事も、市民に開かれていかなくてはいけないのかなあって。

T:あの、神奈川森林エネルギー工房で4年活動されていらっしゃるという事ですが、今度お聞かせいただきたいのは、Mさんのライフヒストリー、どういった経緯でこういった活動に入られたのかっていうのをお聞きしたいんですけど、まずよろしければ生い立ちをご説明いただけますでしょうか?

M:生い立ち、、この事に関係するっていう部分ですよね?

T:Mさんご自身の生い立ちをよろしければお願いします。

M:ええ。うーんと、、

T:出来れば、どういった経緯でこういった活動に入ったっていうのをライフ・スパンで見ていきたいと思ってますので、、。

M:ええ。そういう意味はですね、、あんまり関係ないかもしれませんが、雑駁に話をすると、元々神奈川の人間ではなくて、今でも神奈川県民ではないんですけども、東京都の町田市っていう所に住んでまして、そこで生まれ育ったんですね。で、、中学に受験をして私立の学校に行って、そこは進学校で、大体そうですね、全国の中でもわりと優秀だと思いますね。二人に一人は、早・慶・東大に入るという学校だったんで、、で、私自身はそういう子供を育てるような家庭に育ってたわけではなくて、、

T:「そういう~」っていうと?

M:ですから、別に親からそういう事を期待されていたわけではなくて、むしろ、、

T:環境に携わるっていう事をですか?

M:うーん、そうじゃなくて、進学校に行くっていう事ですね。むしろ、子供の時は色々なものの競争とか好きじゃないですか。遊ぶのも好きだろうし。その中で単に勉強で競争をしていたっていうだけだったんですけど、、で、そこまで勉強が好きだったら受験したらどうか、って誘われて進学したような気持ちになったんですね。だから、うーん、中高一貫の進学校に行ったんですけども、その中でかなり違和感がありまして、、違和感っていうのは、多くの人達は、親があと大学に行って、一流の会社に行くっていう様な事を考えて、中学から勉強させていくわけですから、私はあんまりそんな事を考えてなくて、、で、わりと無邪気に勉強していただけなんで(笑い)、ちょっとその中学に入った時には、「うーん、皆こういう風な事で来ているんだなあ」っていう事にちょっと驚いたんです。

で、大学も一年浪人して、えー、東大に入ったんですけど、、、えー、そこまではあんまりよくよく考えると何も(環境問題などについて)考えてなかったかも分からないですね。ただ高校の時に、例えば原子力資料情報室(Citizens’ Nuclear Information Center=an anti-nuclear public interest organization)っていう(様な)会員になったりだとか、まあ、チェルノブイリの事故なんかあったりして、、、環境的な不公正にかなり関心があったと思うんです。で、例えば「東京に原発を」だとかっていう事を広瀬隆さんとかが言ったりだとかして、、「危なそうだな」とかって(笑い)単純に思ったりしましたし、、、うーん、その頃は原発に非常に関心がありましたね。あのー、原子力発電所から出る廃棄物の処理が全く決まってないにも関わらず、そうやって豪奢な生活を謳歌しているっていう事に対して、何かしら問題意識があって、、ただそれもその為に何かアクティブに活動していたかっていうとそうでもなくて、まあ、購読会員になってるだけであって。で、、

T:環境問題に関心を持つ契機になったのは、チェルノブイリだったんですか?

M:、、、チェルノブイリで、、その前にスリー・マイルもありましたし、うーん、、、むしろそのその頃は、単純に無邪気に勉強してても、もうその頃から、科学が進歩し続けるっていう風に思わなくなりましたね。で、そうだな、、あと、村上陽一郎っていう科学史家がいますけど、彼が科学の見方について、、私自身はまあ中学高校はナイーブだったんで、こう、客観的な立場からモノを見て法則を発見していくような、ニュートンの様なイメージで科学を捉えていて、科学者になりたいという意志はあったんですけども、、その科学史家が言うところによれば、(科学というものは)ひとつのパラダイムに過ぎない、という様な事を読んだりして、何て言うか、「ある種の根拠がなんだなあ」っていう、「全て見方によって変わってくるのかなあ」っていう事が何となく高校時代ぐらいから??資料によって、、、でも、そうゆう様に思うって言っても、何か自分なりに頭で考えていても、その為に何を行動したらいいかっていうのは全く分からなかったんで、、それに勉強していったっていう状況ですね。

T:その環境に関する関心っていうのはご家族とか先生、友達とか、そういった影響は受けていらっしゃるんですか?

M:私は「環境」っていう切り口で今まで来てないと思うんですね。むしろ「公正」だとか、とか、、先ほどの原発の話もそうですし、、多分、高校の終わりの頃か大学の始めかは分かりませんが、もうリオのサミットが近づいていて、世界の環境報告みたいのがすごくあったんですね、大石ヒロユキさんだとか。で、アマゾンではこうなってる、だとか、そんな事があって、、で、そういう風な世界中の環境の破壊の下に日本での豊かな生活が成り立っているっていう事は、色んなメディアが報じてましたよね。で、そういう事を通じて、「環境問題」よりは「不公正」ですね。今現代の日本の社会っていうのが、ある程度豊かである一方で、そのネガとして色んな所で色んな事が起っている、っていう事に対して反論と「贅沢していいのかなあ?」っていうのが非常にありましたね。

で、それが家族の影響、、とすると、もしあるとすれば、祖父の影響かもしれない、とは思いますね。ウチの祖父は、まあ、マルクス主義者で、えー、まあ、哲学者だったんですけども、、ですから平等思想みたいなものが、、親を通じてもありましたけども、、根本的にあったのかなあ、っと。

T:どういった形でそういうのは学ばれたんですか?

M:いや、ちょっと、、具体的にこういうのがあります、っていうのはないんですけど、例えば中学に入った時に非常に違和感があったという感じだとか、、そういう、何て言うのかな、エリートと、、まあ、エリートの道があるわけですからね。それはかなり小学生ぐらいからやっぱり見えているわけですよ。例えば、今となっては一流の会社に行くのは、別に一流の大学でなくてもいい様な社会にどんどんなっていくとは思うんだけども、少なくとも自分が中学、高校、小学生の頃からはそういったルートが確かにあって、で、そういうルートに乗っている人達が、その私立の中学に来て、で、有名な大学に行くっていうのがある訳ですよね。で、僕自身は生まれ育った所は、階層で言うとかなり下の所で、えー、まあ、平屋の住宅で長屋のような所に住んでたんですよ。で、私はたまたま私立の学校に行ったから、ちょっと違う風になりましたけども、普通に僕が子供の頃に遊んでた友達っていうのは大抵中学ぐらいからちょっと悪くなったりして、で、もう、中学卒業して結婚するっていう人達が結構多くて、で、全然違うわけですよ。そういう、分断されてるっていうんですか、社会が。分断されているような社会に対して、何かしら、別にいいとか悪いとかっていうよりも、居心地の悪さを感じていて、そういうものの延長として、環境を通じてのアンバランスだとかっていう事に非常になんか問題意識があったんですね。だから、何かきっかけっていう風に捉えると、、大きなきっかけはないんですけども。だから、こういうような形で生活していていいのか?っていう風な疑問も持ちつつ、いた、っていうのはありますね。

T:で、大学に入られて、そのあと何か大きな転機みたいのはありましたか?

M:大学に入ってからはですね、、うーん、今振り返ると、高校まではかなり不自由だったと思うんですね。、、うーん、ちゃんと高校にも行ってましたし、えー、1年浪人して、、まあ、浪人している時には、まあ別に要は大学に受かればいい話なんで、授業に出ようが出まいがあんまり関係ない話ですし、誰もあーだこうだ言う話でもないんで、あんまり出ないで結構自分でやってたんですけども、、で、その後大学に行ったんで、大学も、ま、かなりいい加減にやってて、で、、うーん、そんなに、こう、どっか会社入ろうだなんて全然考えてなかったんで、むしろその時一番面白そうなモノをやろうと思っていて、最初にやったのがスキューバ・ダイビングだったんですね。やっぱり大学に入った時に、全然違う世界を見たいなって思ってたんですね。で、スキューバ・ダイビングに関心があったんで、始めた事と、、

でも、そのすぐあとで、芝居を、、あのー、たまたま大学のすぐ傍で劇場があって、そこで観た小劇場にハマッて、で、結局その劇団に入ったんですよね。だからスキューバ・ダイビングは半年ぐらいしかやらなくて、そのあと、ずうっと芝居をやってたんですね。それで芝居をやった時にすごく思ってたのは、結構日本はあまり芝居を観ないですよね、文化として。まあ、映画は観る人はいるんでしょうけども、芝居を当たり前のように観るっていう文化はあまりなくて、、で、芝居をどっか観に行こうと思うと、何月何日の何時からって決まっていて、非常に不自由ですよね。映画だったら今日観れなかったら、明日観に行けばいい、だとか、最悪ビデオで見ればいい、っていうのがありますけど、芝居は多分その瞬間にそこに行かないと多分味わえないし、また次の日だと違うものになってしまうし、ビデオで見たものと全然違うものになってしまいますよね。で、そういうものをきちんと社会に作れば、、例えば会社が忙しくて「うーん、今日は芝居があるから仕事を早く終わらせて帰るね」なんて事は多分???(無理?)ですよね。どう考えても、僕からすると、こう、仕事をしている人は働き過ぎだと思ったんで、、子供の頃からの印象から言うと、まあ、親は一生懸命働きましたよね、で、ある程度豊かになってきているので、それほど働かなくても余暇が増えてくるだろう、という風に予想してきたわけですよね。で、けど実際には、それ程でもなくて、、そういう余暇を楽しめるような、、だから、ヨーロッパなんかだと仕事もしつつも自分たちで芝居を作ったりして、それで演じるっていう様な事は、実際に結構行われたりするじゃないですか。そういう風な世の中になったらいいかなあ、と思ってずうっと芝居やってましたね。で、その頃はあんまり環境、環境っていう事は特に思ってなくて。

T:今言った芝居から学ばれた事って何ですか?

M:ひとつは、えー、結局芝居は自分の声と体で表現しなくちゃいけないですよね。それはもう制約なんですよね。いくら背が高くなろうと思っても、なかなかなれないし、あの、変な声だと自分の事を思っていても、それをなかなか変える事できないですよね。で、そういう制約の中で、、でも人前に出て、やっぱり与えられた役を表現しなくちゃいけないですよね。で、自分の表現の仕方に躊躇があると、客から見るとすごく格好悪いわけですよね。「あいつ、自信なさ気にやってる」と。なんかとんでもない役であっても、「それでいいんだ」っていう風に思ってやっていると、「ああ、そういうものかな」って逆に思ってしまうものがあると思うんです。で、芝居やってて一番思ったのが、自分に対する自信ですね。もう、大したものがなくても、どっか人前に出る時には、それを元手にしてやらなきゃイカン、っていうところが一番大きいですかね。逆に言うと、それぞれ皆、えー、どんな役でもそれなりに、こう、舞台に上がった時には見せる(魅せる?)事が出来る。ただそれは、その人自身に自分で「それでいいんだ」っていう風に思わなきゃいけないんですけど。で、それでも、どんな人でも見せられる、っていう。だから、それは格好よかったり、可愛かったりすれば一番いいのかもしれませんけど、そうでなくても、それぞれにそれぞれの役割があって、それでひとつののストーリーが作れるっていうところが一番面白かったです。

T:あの、その前にスキューバ・ダイビングの話なんですけど、スキューバ・ダイビングを通じて何か学ばれた事ってどんな事がありますか?

M:、、、いや、半年ぐらいしかやってないから、あんまりないですね。

T:それ程大きいものではなかった、と。

M:うん。、、、ただ、ずうっと進学校にいたんで、「体を動かしたい」っていうのはありましたね、、体で感じたい。で、その「体で感じたい」っていうのがひとつ、、芝居に関わったのはひとつそういうのがありましたけどね、、体で表現したい。そういう風な機会が、あまりにも少ないような気がしてたんで。

T:で、大学ではどんな事を勉強されてたんですか?

M:えーと、大学2年までは教養学部にいたんですけども、1年から2年の後半からは、進学するんですけど、進学先は地理にしたんですね。地理にした一番の理由はやっぱり、そういう意味で環境に関心があったみたいですねえ。えーと、地理って地の理(コトワリ)って書きますよね、一番に環境っていう問題を扱うのであれば、地理っていう学問が一番相応しいなあ、って思ってたんですね。で、地理っていう学問が総合的な学問なので一番いいだろうって思ってたんですけど、実際には、あまりにも総合的すぎて、えー、逆に地理の中の気候の部分は気象学の人達が環境問題で頑張ってましたし、えー、地形の部分だったら土壌だとか地質学の人達の方がもっと環境問題にコミットしてたんですね。で、そういう様な現状だったんで、総合科学としての地理はもっと、それを統合するような役目があるんゃないかと思って入ったんですけども、それはある種人に説明する時の口実ぐらいなもので、その時もずうっと芝居をやっていたんで、、あんまり大学では勉強しませんでしたね、、学部生の時は、、、。

T:そのあとになにか転機みたいなものは?

M:えー、僕自身はずうっと芝居に関わっていて、でー、芝居に関わっていた時の目標は、うーん、例えば劇団「四季」みたいな大きな劇場じゃなくて、まあ、小さな町にも小さな劇場があって、そこには小さな劇場に集まる役者さんたちがいて、それでやってる芝居が頻繁にあって、それを地域の人達が観る、と、で、しかも安い値段でと、っていう風な、そんな劇場が出来たらいいなって思ったんですよね。で、自分達がちょうど関わってた時に、ちょうど劇団自体も成長していってて、、で、拠点が下北沢にあったんで、下北沢で定期的に公演をうてるような劇団にしよう、という事を目標にしてやってたんですよね。で、、ちょうど大学3、4年生の時は、正にその、脂が乗り切っていた時で、えー、劇団のメンバーもすごくやる気になってたし、えー、観に来るお客さんの数も増えていたし、メディアへの露出も少し増えてきてたんで、「お、これはいけるかな」と思ってたんで、大学を卒業した時も、、で、卒論のテーマは「廃棄物」でやったんですけども、それもかなりいい加減にやったんで、、その頃は芝居を兎に角、大学を卒業しても続けるように、っていう、そういう環境で仕事しなきゃ、って思ってたんですね。だから、えー、でも出来れば環境系の仕事はしたいな、って思ってたんで、で、拠点が下北沢にあったんで、会社はその近くの代々木の会社に勤めたんですね、環境コンサルタントなんですけども。で、そこであれば仕事帰りに稽古場に寄る事も出来るかなあ、と思ってて、、、だから、あんまり転勤が多いだとかですとかね(笑い)、そういう場所は避けて就職したんですね。

で、、結局会社入って1年半ぐらい下時に、えー、本を書く、代表兼脚本家、兼演出家みたいな人がいたんですけども、その彼が「本が書けない」っていう風に言って蒸発してしまって、で、それから自然に消滅してしまった。で、劇団自体がそうやって、、彼のオリジナルの芝居をやるっていうところを中心にして集まったメンバーだったんで、そのあと「もう一回やろう」っていう話には中々ならず、で、劇団解散したんですね。

で、まあ自分自身も、こう、、、うーん、仕事選ぶ時には、芝居の事を7割ぐらい考えて入ったんで、えー、改めて仕事の事を考え始めたんですね。で、その時にやってた仕事っていうのは、えー、コンサルなんで色んな仕事をやってたんですけど、えー、例えば、環境アセスメントの教科書を作ったりだとか、えー、自治体の環境基本計画を作ったりだとか、えー、高速上で野生動物が車に轢き殺されるロードキルなんて結構多発してたんで、その対策を考えたりだとか、えー、河川のダムの水量を少なくしちゃうと河川景観が悪くなっちゃうんで、もう少し水を流したら景観的にどうなる、だとか、なんかわりと色んな事をやってたんですけども、えー、その時に芝居がなくなって、その仕事ばっかり、ずうっとやってたんですよね。

で、その時に、うーん、コンサルタントは中々自分の事を表現できないないわけですよね。で、まあ、報告書を作るにしても、その、クレジットされるのは委託先です。例えば「神奈川県」だとか「国土交通省」みたいな形で、で、コンサルタントっていうのは、その、、まあ、最近はそうじゃないのかもしれないけど、少なくとも僕がやってた時には責任は全くクレジットされないんですよね。だから、まあ、外注ですよね。外注して、やってくれ、っていう事だけをやってるっていうだけなんで、事業の構想自体はそちらが持っている、と。で、そういう事自身が、やっぱり面白くないと。その、オリジナルの芝居をやってたという事もやっぱり、自分たちが自分たちなりに表現すれば、そこそこちゃんと時間を取って準備すれば、まあ、2千円だとか3千円でお客さんに観て貰えるようなものが出来るっていうような感覚を持ってたんで、、、えー、やっぱり、自分の事を表現できないと。で、特にコンサルで一番多いのが、もう仕様書を向こうが作っていて、こちらでも提案する事もあんまりなくて、で、仕事の中で提案しても、結局向こうは「これはちょっと書き過ぎだ」なんていう事で、「そこまで踏み込んで表現はできない」っていう様な事で、いきなり書き直すだという様な事が結構あるわけですよね。えー、そうすると、結局のところ、自分の意思決定する部分って非常に少なくなってきてしまって、それが「つまらないなあ」って思ってたんですね。

で、それとあと、環境のコンサルタントの政治性っていうんですかね、、が非常に気になってきていて、例えば、えー、道路を通すというような事業があった時に、その道路の傍にオオタカの営巣地が見つかりました。そうすると、まあ、「その道路を少しその巣から離した方がいいでしょう」っていう事で提案するわけですね。で、じゃあ、どの位ズラすといいのかっていうと、100メートルがいいのか、500メートルがいいのか、1キロがいいのか、っていうのがありますよね。で、誰も結局、今の段階だと判断できないわけですよね。勿論安全を取ったら1キロがいいんでしょうけども、500メートルでも充分だとも言えないし、そういったデータが揃ってない中で、やっぱり考えなきゃいけないわけですよね。で、コンサルの立場から言うと、一番安全な側から見て「じゃあ、1キロにしましょう」って言うけれども、事業者は1キロ移動すると、取り付け道路が、また上手く繋げられなくなっちゃうんで、また用地買収しなくちゃいけない、っていう事になって、「事業規模が膨らむからそれは出来ない」っていう話になってくるわけですね。そうすると「じゃあ500メートルにしましょう」って。、、、で、そうすると、その500メートルにするっていう事は、事業者が責任をもって考えるわけですけども、コンサルタントっていうのは、基本的にそういった事は決断できないわけですよね。で、いつでも環境の事を最大限考えれば、「そうした方がいい、こうした方がいい」っていう様な事は言うんだけども、結局自分たちが決定して責任を持つわけじゃないんで、そういう風なものを提案するっていう事がどれだけ意味があるのか、って。

皆道路を通すにしても、ある意味、切実な事が背景にあって通すわけだと思うんです。例えば、生活するのが非常に不便である、とか、救急車が通るのにもこっち(の道)で行くと1時間かかるけども、新しい道路を通せば15分で行くと、、それで命が助かるかもしれない、っていう、そういうような非常に切実な思いがあって道路を通す。まあ、全然そうじゃない場合もあるとは思いますよ、まあ、公共事業が無駄に使われている様な面もあるとは思うんだけど、、けど、それなりに何かメリットがあるからやってるんだと思うんですよね。で、環境のコンサルタントっていうのは、基本的には生活のレベルで議論しなくて、「のちの訴訟??の事を考えた場合には、こうした方がいい、ああした方がいい」っていう様な提案をするだけなんですね。で、例えばアマゾンで開発されているとか、熱帯雨林の伐採にしても、何にしても、何でもいいんですけど、有害廃棄物を持ってくる、にしてもいいんだけども、全部その背後には、切実な生活があって、貧乏な生活があって、暮らし向きを良くしたいっていうところから、まあ、やむにやまれずっていう事で、行われている例もすごくあると思うんですよね。

で、勿論その中にはやむにやまれない例もあるし、やる必要のない例もあるとは思うんだけど、、まあ、ベースとして、、世界的に見れば、やっぱり貧しい国と豊かな国があって、貧しい国に環境破壊が起ってるだとか、有害廃棄物が捨てられている、とかいうのは、やっぱり貧しい、豊かだっていうような、そういう、貧富の格差っていうのは現実にあるんだと思うんですよね。で、そういうところが環境の問題の一番基本にあるにも関わらず、で、「動物の事よく知ってます、植物の事よく知ってます」っていう風な事から提案をしてっても、それは届かないだろう、っていう事にすごく、こう、思うようになってきたんですね。で、自分自身、最初に説明したように、動物や植物が好きで環境に関わるようになったわけではないんですよ。その、「公正さ」とか「平等」だとかっていう事に非常に関心があって、人間の問題に分け入っていかないような研究ではいけないだろう、と環境コンサルといえどもですね。

で、だんだんそういった事に疑問を持つようになってきて、で、芝居ももうやめてたんで、、で、今やってるその研究自身が自分に納得いかないものだったら、やっぱりやめた方がいいんじゃないかなあ、っていう風に思って、、で、まあ別に、、その期限はないんですけど、30ぐらいの時にキチンと納得できる事をしたいと思って、27位の時に会社を辞めたんですね。で、コンサルやめて、、

T:で、それはやっぱり自分の研究に納得いかなかったっていうところでですか?

M:そうですね。そのコンサルの仕事に関しては納得、、できてなかったですね。

T:そのコンサルの話に移る前にお聞きしたいんですけど、コンサルの中で当然専門知識って色々必要になってきますよね、、

M:はい。

T:そういったものをどういった形で学ばれるんですか?

M:えー、専門知識っていうと、、、

T:色々な話の中ではケースが色々あって、、

M:えー、

T:で、そういった外注の中で、ケースを分析したりするわけですよね。

M:えー、

T:そういった知識的なものってどうやって学ばれたんですか?

M:結局、、大学で学ぶ知識は、コンサルで必要な知識の内の1割もないと思うんですよね。それ位しかあんまり使えない、って思うんですよ。

T:それはなんで使えないんですか?

M:うーん、、、それは例えば、こう、社会が移り変わるに従って、全然違う事が出てきますよね。例えば今だったら、環境基本計画っていうのも作り終わったと思うんで、そのあとの計画作りとかやると思うんですけど、あの、リオのサミットのあとには、そういった各自治体が「アジェンダを作りましょう」っていう様な仕事が来たりだとか、、今自然エネルギーが盛んなんで「自然エネルギーのビジョンを作りましょう」とかって、、同じ「環境」と言ってもやっぱり違う事に取り組まなければならない。だから、コンサルで必要な知識っていうのはあまりないと思うんですよ。知識というよりは、、そのまとめ方とかだとかですね、、っていう事はあるとは思いますけれども、えー、知識は、そもそもどんどん移り変わっていくので、それに追いついて行くっていう風、、蓄積されていく様なものじゃないと思うんですね。

T:逆に言うと、コンサルタントとして活動する中で学ばれたものっていうのは、どういった事ですか?

M:うーんと、まあ、単純に動植物に詳しくなりましたよね。えー、やっぱりそれまで昆虫少年とかじゃなかったんで、環境に関する考えにしても、こう、具体的なものがあってっていうよりは、そういう、「不公平感」だとかっていうところから来てたんで、それほどそんなに学んでこなかったんですね、特に動物や植物について、、少し地理にいたんで地形とか地質だったら少し分かったんですけども、、だから、そういうのは会社にいて、仕事やる中で自然と学びますよね。だから、「なるほど、生き物っていうのはすごく面白いなあ」っていう風に思うようになりましたし、、で、その、生物の多様性っていう事も、90年代から色々言われるようになってきたと思うんですけど、そういう事もすごく、まあ、リアリティをもって分かるようになってきたかなあ、っていう気がしますよね。

それと、コンサルで学んだ事、、まあ、それは知識の面ですけど、、もうひとつは、結局20代の若者が結構(コンサルタントを)やっているわけですよよね。だから、そんなに、こう、知識が必要なわけではなくて、むしろ、「何か取り組もう」と、「新しいものに対しても取り組めば、それなりに出来るんだ」っていう事、、を自信を持ったっていう事ですかねえ。まあ、「所詮皆そういうレベルでコンサルもやってるんだなあ」っていう事で。まあ、それは行政の職員にしたって、3年とかでどんどん変わっていくわけですから、、そういうレベルでやっているという事です。だから、それほど全然よく分かってないっていう事ですね。、、、だから、「世の中の底はそんなに深いものではない」と。

T:実感として感じたんですか?

M:うん。だからこそ、そういう「市民参加」とかっていうのは、もっとやっていかなくはいけない。だから、今は行政の職員にしてもコンサルの職員にしても、ある種特権的な形でやってるわけですよね、計画作りとか、まだまだそうだと思うんですけど。それがいけないな、っていう事はすごく思いました。うん。その自分自身が、、まあ1年ぐらいは確かにあんまり仕事が出来ませんけれども、2年3年目ぐらいになっていったらどんどん仕事任せられてやっていくわけですから、それで何百万とか何千万というお金が動くわけですよね、たかだか大学を卒業して2年とか3年しか経ってないにも関わらず、そういった人達が書いた計画とかっていう事が、ある程度世の中を動かしていくっていうところがあるわけですから、それはもうちょっと慎重にやらなきゃいけない。

T:その市民活動っていうものにはどういった経緯で関心持たれたんですか?

M:やっぱりその頃ですね、色んな形で市民参加っていう事が言われていて、自分自身も色んな計画書を書く時に、まあ、「市民参加が望ましい」なんていう形で、報告書を書くわけですね。で、実際に自分でそういう活動を土日できるかって言うと、仕事が忙しいとかいう事もありましたし、あと、今となって見れば敷居は低いんですけども、それ(=市民活動の場所)がどこにあるのかもよく分からない状況で、えー、まぐれで、こう「ああ、面白そうだなあ」と思いつつも全然実感がないままコンサルにいた時は(何が?)あったんですね。それが、コンサルを辞めたあとに、是非そういう活動をやってみたいな、というところからボランティア活動を最初に始めて、で、えー、大学院の修士課程から入ったんですけども、それもそれまでの地理とは全然関係ない社会科学系の社会学始めたんですけど、で、その時に修論のテーマで、えー、ボランティア活動、市民活動している人達に、こう、そういう活動に参加して、団体に入って、その同じメンバーの人達に話を聞くっていう事をずうっとやってたんです。だから、きっかけっていうのは、、、まあ、コンサルにしても、行政職員にしても、大して能力がない、、能力がなくてもいいんですよ、、皆能力ないと思うんだけど、能力ないもの同士が一緒に考えてやればいいんですが、能力がないにも関わらず、あるような形で社会的には評価されて、ま、それが流通している、という事に非常に疑問を持ったので、「やっぱり今の時代はそうじゃないんじゃないのかなあ」っていうところから会社を辞めて、で、そういう市民活動に入った、という事と、んー、修論の段階では、えーと、動植物への関心よりも動植物を保全しているような人達に関心があったんで、その人達の活動に入っていって、話を聞くっていうのをやったていう事ですね。

T:その中でどういった事を学ばれましたか?

M:んー、まあ、会社って縦型社会じゃないですか、上司がいるとかっていう、階層構造がありますよね。で、市民活動に入ってみると、、まあ、結構老若男女いますが、まあ、あんまりそういう階層はないですよね。まあ、代表とかはいるにしても、わりと同じようなレベルで話をする、というところが、すごく新鮮でしたよね。あの、今となれば当たり前なんですけど、その頃はすごく新鮮で、えー、その前に会社を辞めて、平日の昼間とかも、こう、歩くようになりますよね。そうすると、その、平日の昼間の地域っていうのは、基本的に子供と女性しかいなくて、、まあ、おじさん達は皆働きに行ってるわけですよね。で、そういう社会がやっぱりすごくイビツだなあって、、イビツな社会が一方で見えた一方で、そういう活動団体ではある程度色んな人が関わっていると、、で、色んな意見を言い合って物事を決めていくっていうのはやっぱり面白いなあ、というのは感じましたね。

それと、こう、誰々がこうしよう、っていうのを強制しないんで、自分であれやりたい、これやりたいって言えば、それはひとつの、こう、プロジェクトを立ち上げて、皆で協力してやっていく、と。まあ、その代わり、手をあげた人は責任持たなきゃいけませんけど、、だから、若くてもこれやりたい、っていう事があれば、そういった活動が出来るわけです。「そういう風通しのいい活動っていうのはいいなあ」っていう風に思いましたね。

T:まあ、その一方で大学院の方に戻られて勉強されたっていう事ですけども、大学で学ばれた事っていうのはどういった事がありますか?

M:あの、修士はボランティア活動に入っていって、色んなインタビューしたんですけど、そのあと3年間、昨年度までは、ずうっと沖縄の研究をやってたんですね。で、そこは、特に自分が関心持ってやってたのは、西表島っていうところで、で、そこは天然記念物のイリオモテヤマネコがいるようなところで、事情に、その、原生的な自然が残っていて、自然豊かな場所なんですけども、戦後色んな沖縄の島々から開拓しに来た人達がいたんですね。当時の西表島はうっそうとした森があって、まだマラリヤが残っていて、非常に危険な場所だったんですけども、沖縄の他の島々の人達は、まあ、生まれた島では土地もなくて農業も出来ないっていうんで、マラリヤに罹るかもしれないっていう危険を冒しながらも開拓して、それで畑を拓いて、サトウキビを作ったりしているわけですけど、その彼らがもうちょっと合理的な農業経営をしたいっていうんで、土地改良事業っていうのを考えたんですね。で、それに対して、その、全国的な、、例えば(日本自然保護協会みたいなああいう)大きな環境NGOが、原生的な自然が残る西表島でそんな木を切ったらイカンっていうので、結局地元の農家の人達の開発構想は停止になったんですね。で、その問題などを中心にしてフィールドワークをやってたんですけど、それこそ、自分がコンサルやってた時に、やっぱりやらなきゃいけない事だと思ってた事だったんで、そういう研究者としてそういう所に関わったっていうのは非常に良かったと思ってます。

T:どうリンクしたんですか?

M:結局彼らは生活のレベルで話をするんですよね。単純に今の耕地面積だけでは食べていけない、と。で、親が苦労して、、その時は全く電気のない時代ですよね、、人力で大きな木を切って、切り開いた農地を、放っといて手放した、、例えば違う人に??ない状況にあった。で、もう少し耕地面積を広げて、合理的な経営をして、収入を上げたい、と切望してますね。まあ、他に土地を広げないでもいい方法がある、っていう、そういうような批判もあると思うんですけど、まあ、でも、農家の方々に内在化して言えば、そういう話なんですよ。で、それに対して、(地元の農民が)食えようが、食えまいが、ある意味どうでもいい、都市の住民の人達は、あそこは守るべきだ、と。それはコンサルの立場でもあるわけですね。コンサルであっても、そういう事は言うわけです。で、それはそれでひとつの、要するにいい悪いじゃなくて、そういう立場であれば、そういう事を言うと思うんですね。ただ実際の問題点っていうのは、そういう違う立場の人達が同じ土地を巡って、こうしたい、ああしたい、っていう事について決断をする事って正しいのかな、とかね。で、その、フィールドワークをしていけば、じゃあ、お前達の住んでる、、例えば東京はどれだけ緑が残ってるんだ?、と。西表の緑も一通りだけ無くなってギャーギャー騒ぐんだったら、もっと東京に同じだけの緑を増やせばいいじゃないか、っていう事を言うわけですね。で、それは「東京に原発を!」という発想と全く同じだと思うんですよね。で、要するにそういう問題を、私自身こうすればいい、ああすればいいっていう解決策があるわけじゃないけども、少なくとも環境の問題を考える時に、そういう人の気持ちの事もある程度考えて議論しないと、それは通り一遍の話にしかならない。その、知識階級の人達とかエリート層だとか、先進国に住んでいる人達が、自分たちは、あああって欲しい、こうあって欲しい、緑残したい、とかって言って、で、一方で、その、自分たちの家から全く遠いところで、ああいう破壊が起っている、嘆かわしい、っていう風に言ってるわけです。で、こういう風な構造自体をきちんと把握して、じゃあ、その中にもし不公正だとかっていうのがあるんだったら、それをどう正しく行くのが必要なのか、っていう事を議論しなくちゃいけないんだと思うんですよね。だから、私自身が沖縄のフィールドワークで学んだって言う事は、やはり、生活、、人々は皆生活をして毎日毎日、あの、お金を稼いでいかない事にはいけない、っていうすごい当たり前の事ですが、で、その事が環境の問題もやっぱり根本にあるわけで、その事を議論しないような環境問題の議論の仕方っていうのは、やっぱりナンセンスなのかなあ、っていうのを学びましたね。

T:そのボランティアワークと大学院での勉強の他で神奈川森林エネルギー工房を立ち上げるまでで、何か転機になった事ってありますか?

M:うーん、、、そうですねえ、、、まあ、それとですね、、まあ、別の活動になりますけども、、えーと、大学の修士の時に、(Aセンターっていう民間の、、)民設民営のサポートセンターが神奈川県にありますが、そちらで半年間インターンシップのような形で、えー、少し働いてた事があったんですね。で、そこでやってた作業っていうのは、神奈川県内で昼間市民活動をしている人とかグループとかこだわったお店を持っている人とかにインタビューして、それを1冊の本にまとめるっていうやつで、、それは(2000年に「もっともっと神奈川」っていう)本になったんですけど、それを通じて普段から市民活動をやってる、ある種自分の目からすれば市民活動の専業家みたいな人達ですね、専門的な人達とお会いする事があって、、まあ、編集委員の人達ですね。で、その中で、市民活動のいい所と後自分のついていけない面と両方あるなあ、っていう事をすごい思って。それでひとつはボランティアっていうベースでやってると、平日の昼間からあれこれ動いて何かやるっていうのは、結構ハードル高いですね。将来的にはそういった社会になればいいかなって思うんですけど、今だったら会社でボランティア休暇も取るのも中々難しいでしょうし、そういうバックグラウンドがない状況ですよね、そうすると全然活動家は活動家で、もういっちゃってる人、生活??がどっかいっしゃってる人になっていて、生活をしている人は、普通はあんまり活動ができなくて、出来ても土日に絞ってやる、っていうレベルだと思うんですね。で、先ほどから生活っていう話をしてますけども、その、生活のレベルで活動を考えた場合に何ができるのかっていう事で、その、市民活活動もやっていかないと中々共感されないだろうな、と。で、確かに将来的には、あの、その生活自体が変わらなきゃいけないんですけど、今の生活を基盤にして何か考えようとする場合には、現状で行われている市民活動っていうのは、やっぱりとてもじゃないけども生活とすごく合わないんですよね。だから、今までだったら多くは主婦だとか、自営業の人だとか、公務員だとか、今だったらリタイヤした人が中心になってやってますよね。で、社会を動かそうとしている人達っていうのは、全く別の舞台しか知らないわけですね。で、本当だったら、もうちょっと混じる形にならなきゃいけないんだけども、、だから本業は本業であって、ある種、その外側を埋めるような形で活動があるから、いつでもボランティア、要するに無償でやっている人があったりだとか、本業の副業みたいな形でプライオリティが2番目、3番目になっていく。で、やっぱりそれをすごい感じましたね、その、市民活動のトップの人とお会いして。で、「それでいいんだ」って居直るのではなくて、やっぱり大多数は生活をしていて、、生活っていうのは現状の生活ですね、をしている人が多いわけですから、その生活の中にある程度訴えるようなやり方だとか、参加の仕方なんかみたいなものを提案していかない限りは駄目なんじゃないか、と。で、かつての、その、んー、マルクス主義的な考え方だと、前衛部隊を作っていくっていうのがありますよね。その前衛が一般大衆を啓蒙していくっていうものがあると思うんだけど、今はもう、前衛部隊みたいな人達が全然おかしなものになっちゃうわけですよね。で、理解し得ない人達、ちょっと、こう、変わった人達になっていって「なんであそこまでして、あんな事をやるのか?」という風な事になってきていると思うんですよね。

T:具体的に言うと、市民団体で一生懸命やっている人達の中に多いと?

M:そうですね、ええ。で、確かに、その、最近になって、その辺の価値が低くなってきたと思いますけども、うーん、むしろ、その、前衛的な考えをもっている人達が、何でそういう考えが広がっていかないのか、全く共鳴性がないのかっていう事の方が実は問題であって、えー、その、例えば、彼等からすれば啓蒙すべき対象が何で自分たちのレベルにいかないのか、っていう風な断言する事自体がすごいおかしい話ですね。だから、今必要なのは参加しやすい、、参加論だと思うんですよね。

で、、、その、自分が代表をやっている団体(神奈川森林エネルギー工房)ではないですけど、もうひとつ自分が関わっている団体(よこはま里山研究所)ですけど、里山の保全活動をやってるんですよね。里山の保全活動、今すごく盛んになってます。10年前に比べたら、すごく盛んになってきているんですね。で、例えば、何の為に保全活動をやっているかって言うのは、実は、その当事者もよく分かってないんだと思うんです。まあ、木を切ったり、草を刈ったりするっていう活動は何か活動しているように見えるけど、じゃあ、その評価するような事ができるか?って言うと、出来ないわけですね。そういう風な評価をする様な調査の仕方を知らなかったりするし、その評価するような視点も持ってなかったりするわけですよ。だからどうやった時に自分たちの活動が成功しているか、失敗しているか、っていうような評価の軸も持ってないんですね。ただ、活動する、っていう事が多いんです。で、、何でそうなっちゃうかって言うと、そういう人達が活動の仕方は知っているんだけど、その、評価の仕方が分からない。分かっていても、例えば、動植物を全部覚えるのは大変なんです。「べき」論で言えば、動植物をなるたけ覚えて、で、こう、里山がどうなっているのか、っていう事を評価できればいいわけですよ。けども、それは実際問題として物凄いコストがかかるわけですよ。動植物を何百、何千と覚えていくっていうのは至難の業ですよね。ではなくて、本来ならば、そんなに覚えなくてもチェックできるような、そういう様な指標を活動のリーダー達が考えていかなくてはいけないんですも、そういう現状を憂えるだけで、何でそうならないのか?っていう事しか言わない。まあ、それはひとつの事例ですけど、そういう風な面を取ってみても、うーん、まあ、一般の土日中心のような活動であっても、もしくは平日の夜だとかっていう活動を中心にしても、何かキチンとインパクトのあるような活動ができる、っていう事が大事かなと。で、ちょっと前にウェッブでアメリカのサイトかなんかを探した時に、そういう忙しい人でも出来るような、、環境だったか何か市民活動だったか、それをまたサイトに集めたような、っていうのがあったりとかして、、やっぱり、そういう、、面白いと思ったんですね。要するに、「クリックひとつで何とか」っていうような、そういう運動もありますけども、、それが全てではないけれども、あまりに、なんか、そういう方向性が少なすぎるんじゃないかな、と。

T:先ほど言われた「参加論」っていうのは、どういった経緯で興味を持たれたんですか、何かきっかけみたいのがあったんですか?

M:うー、それは、先ほども言ったような市民活動家と呼んでも良い様な人達の議論の中で、すごくギャップがあったんですね。僕と同じ様な年代の人達は、一歩足を踏み入れるっていう事に躊躇する、と。要するに、もう、生活全般が活動一色になってしまって、で、生活自体も活動として見せなきゃいけない様な、、あと、僕の友達でも、、こう、田んぼで結婚式を挙げたりだとかですね、、まあ、それはパフォーマンスとしていいんですけども、まあ、別にそれはそれで個人を責めているわけではないんですが、要はそういうプライベートもそういう活動の中に、こう、どんどん入れ込んでいく、っていうのは、すごいしんどい話だと思うんですよ。それが、活動家として生きていく、っていう気構えがある人であればいいけども、むしろそんな風な形で、いきなりですね、世の中を変えるっていうのは難しいんで、、そういう風な方向で、それは面白い、面白い、って言って、議論していったんではいかんだろう、と。

ちょっと思い出したのは、何で違和感を感じたかっていうと、どういった活動が面白いか?っていう話をしたんですよ。その本を作る時に、行政が作るそういう活動団体を紹介する本っていうのは、まあ、横並びですよね。例えば、ある組織が県に登録してあれば、皆同じように紹介すると。じゃ、それじゃつまらないんで、じゃあ私たちが面白い、、神奈川県だったらこういった活動が広がったらいいのに、っていうのを紹介しよう、っていうんで始まったんですね。で、私自身が団体、グループだとか、人の選考が終わった後に入っていったんですけども、そういう周りにいる人達が、「その発想面白い、この人面白い」って言っている人達が、かなり、こう、ユニークな人達ばかりなんですね。ユニークっていうのは、傍から見ていても、物分りの良さそうな??人達ですね。で、私自身は、さっきから説明している通りに、そういう、その、あるスーパースターだとか、ユニークな人達だけが、その、活動をしていってるだとか、世の中を変えていく、っていう発想自体がおかしいって思うんですね。むしろ、生活者として、慎ましくい生きて行こうというっていう人達が、何で慎ましく生きていこうと思っても世の中こんな息苦しいんだ?っていうのが結構あると思うんです。そういうレベルの人達が、普段は仕事に行ってても、じゃあ、お金を寄付しましょう、だとか、このちょっとした時間を使って、活動に参加しましょうっていう風な議論をしないと駄目だなあ、と思っていて、、で、そういう活動、多分その人に焦点を当てても、多分面白くない。要するに、、そういった言い方があれかどうか別にしても、こう、敢えて、こう、波乱万丈じゃないわけですよ。そういう、波乱万丈じゃなくても、そういった人達が社会の事を考えて何かする時に活動が出来る、っていうツールを沢山を持っている事の方が、あるすごい力を持った人が強大なパワーをもって制度?を変えていくよりもよっぽどいいだろう、という風に思っているんですね。で、僕の上の世代の人達は、どちらかというと、そういう風な発想を持っている人達が多くて、、で、それがどうかな?と思ったんですね。で、その、議論の中で出てきた話じゃなかったかもしれませんが、僕よりも20才ぐらい上の運動論っていうのは、多くは行政に対して、なんか陳情したりしていくわけですね。で、そうすると、担当者が出てきますよね、その担当者が、「そうしましょう、こうしましょう」っていう風になっていく。そうすると、その担当者の裁量が凄く大きくなってきますよね。そうすると市民団体からすれば、「今度来たあいつは駄目だった」とか、「今度来たあいつは、あそこでこうだったからいい奴が来た」だとか、そういうレベルで話をしているわけですよ。そうすると、行政マンの人格によって世の中が幾らでも変わっちゃうわけですよね。そういう様な、行政マンのパーソナリティだとか、行政マンを説き伏せられる様な活動団体のパワーだとかっていうものによって、世の中を動かすっていう事に対して僕はすごく違和感を持っているんで、、そうではなくて、誰が来ても、真っ当な事を言えば、真っ当にきちんと政策が変わっていったりだとか、新しい政策が実現するだとかいう、そういう社会像を持ってなきゃいけないんじゃないかなあ、って。それはすごいギャップを感じましたね。

T:それはその団体の調査の中で学んだ事なんですか?

M:そうですね。で、彼等が「面白い」って謳っているような活動家はですね、私にとっては、ヒーローを仕立て上げるっていう事自体が、どうなのかな?って。

T:で、この、、今の市民団体を立ち上げるにあたって、何か出会いとか、きっかけがあって始められたんですか?

M:えーと、その修士の論文のテーマとして、さっき説明したように、ボランティア団体の活動に実際に入って、で、インタビューとかしたんですけど、その活動団体が「里山保全」をテーマにした活動団体に入っていたんですね。で、、、さっきは「風通しがいい」っていう話をしましたけど、で、一方で、うーん、遠慮もあるわけですよね。あの、自分たちが活動を始めてから10年だとかっていう歴史があって、で、代表の方も10年以上も前から、その、「里山をどうにかしよう」と思って会を作ったわけですから。そうすると、その人のパッションっていうのは、どうしても、その、無視し得ないし、それを尊重した形で活動しようと思うと、中々自分の思うようにやる事はできない、と。だから、自分自身は、フィールドではフィールドで集まる人達がいるので、その中には、もう、人とフィールドの関係があるわけですよね。長年そこにいて、そこの里山を守ろう、っていうような人達がいるんだったら、それはそれで自分はそれをサポートする立場でいいだろう、と。で、一方で、あちこちの里山を守ろう、っていうような事がありますけども、、じゃあ全体として、その、里山、、あちこちで色々な問題があるけども、その色んな問題を考えるような場を設定しなきゃいけない、だとか、、要は、ひとつのテーマとして色々な計分?を縦断的に考えるような、そういう組織も必要なんじゃないかあ、っていう風に思ってたんですよ。

で、丁度そんな時に、前の代表であったAっていうのがいるんですが、その彼から「バイオマスっていうテーマで今度新しい団体を作ろうと思ってるんだけども、一緒にやらないか?」っていう風に誘われて、そのまで私自身バイオマスっていう切り口、、自身よく知らなかったんで、少し勉強させてもらって、ああ、里山の色んなフィールドに共通するテーマをきちんと網羅できるし、また同時に里山だけでなく、多くの山の森林についても一緒に議論できるような非常に射程の長い切り口だと思って、これは良いだろう、と思って、、その前の代表と僕とそこの周辺の人達が集まって、会を立ち上げたんです。

T:その活動をするにあたって、ロールモデルになったような方っていらっしゃるんですか?

M:うーん、いやー、Aっていう彼自身はその前に舞岡公園っていう横浜市内に公園がありますけど、その舞岡公園っていう公園計画があったんですね。それは非常につまらない都市公園を作るっていう話だったんですけど、、その公園計画に対して、もっと田園の体験なんかを出来るようなそういう公園にして欲しい、っていう様な活動をやっていて、で、10年ぐらいそういった活動をやってきた、経験のある人だったんですね。で、私自身はその前は、実際には4年ぐらいしか活動してなかったわけですから、その彼がそこで培ってきた活動のノウハウみたいのを、まあ、一緒に学びながらやって来た、と。他にというよりは、前の代表が以前にやった経験だとかですね。

T:その方の影響力っていうのは、今の活動をするにあたって大きいんですか?

M:うーん、、、どうなんですかねえ。あの、彼が最初に、えー、立ち上げた時に培った人脈とかありますよね。で、それは今でも引き継がれてますし、、あと、タイミングとして、まだ神奈川県の中に、まだ全くバイオマスを考えている団体がない中で始めたので、多分ウチは、全国で見ても、市民団体がバイオマスについて活動団体を作ったのは初めてだと思うんですね。だから、非常に先駆的だったんですよ。で、そういう点で全国の同じような事をやっている団体ともネットはすぐに結ぶ事が出来ましたし、、今、そういう風なネットワークの元で活動を始めてますから、そういった点で功績は大きいと思うんですね。ただ今はもう、全く遠くに行ってしまったので、、

T:今までの、そういった長い経験を踏まえた中で、自分の何かが変わったような経験、体験っていうのはあったと思いますか?

M:、、、「変わった」っていうのはどういったレベルでですか?

I:自分の考え方とか、生き方とかが変わっただとか、、自分が変えられた、っていう様な体験は実感としてありますか?

M:うーん、、、それは市民活動を通じてっていう事ですか?

T:うーん、自分の人生を通じてでも結構です。

M:うーん、昔の事は上手く思い出せないんですけども、、、一番、その、、一番変わったと思うのは沖縄の体験ですね。

T:どう変わりましたか?

M:んー、、、結局都市の人間が環境を守れ!っていう事を言ってもですね、んー、自分自身も浅いなあ、って。っていうのは、全然普段自然と結びついてない生活をしてますよね。で、沖縄に行けば、お祭りが残ってますよね。で、そのお祭りっていうのは、五穀豊穣を祝う祭りで、この辺の盆踊りとは全くやっぱり違うわけですよね。で、彼等にはちゃんと神様がいて、神様が、えー、、、その、他の人が仮に見たとしたら、絶対口外してはいけない様な、そういう神様がやっぱりいるわけですよね。で、そういう神様を信じてる、、って言ってもレベルが色々あるにしても、、信じて、で、まあ、恐らく農業がきちんと来年も出来ますように、っていう形で頼む。で、それと同時に、農業に関しての歌があったり、踊りがあったりして、で、それが全ての自然との関係の中で、やっぱり、実りが欲しい、っていう事で、神様にお願いしたりするわけですよね。で、、、例えば、そこの島にいる人達は、皆昔は木を切ってきて、その木を製材して、家を作ったりだとか、えー、まあ、野菜も自分たちで作る。そういう意味では、自然のものを使って、自給自足できるわけです。まあ、今は貨幣経済が入ってますから、それでだけでは生活していけませんし、子供とかも学校に行かしたりしなくちゃいけないわけだから、現金収入が必要なわけですけども、基本的にそういう事ができるわけですよね。だから、一方で都市にいる人間っていうのは、えー、何か藍染をするだけでも「すごい!」とかって、木工品を作るだけでも「すごい!」って、家なんか建てるなんて、「わあ、すごい!」って感じですよね。非常にやっぱり貧弱ですよね。で、貧弱な自然との関わりしか持ってない人間が「自然を守れ!」って言っているその「自然」ってなんなのかな、っていうのはすごく思いますよね。だから、かといって、自然に非常に深く関わっている人達が自然を破壊していく事を黙って見ているっていう事もできないと思うんだけどね、、少なくとも、うーん、非常に自然とのかかわりで言うと「浅い」私たちの、ある種の「希望」、「思い」、、も、その、伝えたい、っていうものだと思うんですよね、環境を守りたい、っていう形で。で、そういう事が一番沖縄に行って、痛感したんだと思うんですね。

T:で、その「痛感」する事によって、自分がどう変わりましたか?

M:うーん、、、だから、沖縄に関して言うと、、けど、そこに住んでいる人達は、あまり情報を知らないわけですね。私が日常的に接してる環境に関する情報は知らない。で、がゆえにっていうのもあると思うんですけど、どんどん破壊していくわけですよ。お金儲けする為には破壊していくしか選択肢がない訳ですよね。で、だから私たちは、そうじゃないやり方もあると、ってどうしても言いたくなるわけですよね。それは彼等からしたらお節介なのかもしれませんが、でも、自分たちのそういう「思い」を届けたい、っていうのがあるんですね。で、、、そういう、基本的には、全然自然観が違う、価値観の違う同士が、相容れないものを、自分の勝手な思いを実現する為に、相手と共に学びながら、、オーバーラップできる部分で実現したい。だから、それは今やってる活動の中でもそうなんですけど、バイオマスのエネルギー化を進めたい、って言っても、じゃあ、実際山間地でバイオマスの沢山あるところに行って「エネルギー使用しましょうよ」って言っても、それは勝手な思いなんですよね。彼等からすると「今更もう面倒くさいよ、あとは死ぬだけだからいいよ」(笑い)っていうのもあると思うんですよ。だから、せっかくこれだけ資源があって、色んな自然との関わりを持っている。それは都市の人間からすれば、羨ましい限りなんですよ。その、それだけ資源があるんだから、できれば、もうちょっとそれを生かして、やりたいな、って思うわけですよ。それは、こちらから「やってくれ」って言うんじゃなくて、そういう資源を、その、例えば山間地に住んでいる人にも、自分たちの資源の事ももっとよく知って欲しいし、その資源の生かし方も知って欲しいし、で、それは一緒に学んで行って、自分たちも自然との関わりみたいなものを一緒に共感しながら積み上げていくと、っていうようなものが必要だと思うんですよね。それは、その、70年代的な活動のやり方とは全然違う、、リーダーがいて、その呼びかけ人ずらーっと学者たちがいて、で、それに署名活動するだとか、その、政治家呼んでだとかっていうのとは違う様なレベルでですね、活動がしていけたらいいな、って思ってますね。

T:今度は、森林エネルギー工房での話なんですけど、あの、団体を運営していくに当たって、代表として一番留意している事ってなんですか?

M:んー、、、やはり情報公開ですね。私たちの会員の中でも、多くは、あの、平日動けない人が殆どですから、平日動くってなると、私が中心になって動くってなりますよね。で、先ほどの、その、例えば政策提案、最初に申し上げた事にしても、えー、県庁の職員にしても、まあ、行政の職員とも大体平日に打ち合わせする事も多いんで、大体私が出て行く事になりますよね。そうしたら、「まあ、こういった事がありましたよ」っていう事を皆メーリング・リストで流して、共有化する、と。えー、私は自分自身はなるべく自分のやりたいようにやりたいから動いてるんですけど、けど、きちんとそれを、、勝手にやってる、っていうんじゃなくて、、あった事は全て報告する。まあ、それは当たり前の事なんですけども、けど、周りの活動を見ていると、意外とそうなってないところも多いように見受けられますから。

それと、、それも情報公開に近いかも知れませんが、、助成金を使ったりだとか、あと、自治体から委託されて調査研究なんかもしたりもしますので、それは元は税金、要するに公的なお金なわけですよね。そういうお金を使うわけですから、当たり前ですけど、透明性が確保されていなくちゃいけないわけですよね。けども、多くの、、それはちょっと私自身がこういう活動に入って驚いたんですけども、多くの市民活動団体はかなりちょろまかしているんですよね。裏帳簿を持っている。それは何故か、っていうと、まあ、適応って言っていいかもしれませんが、元々そういう活動に対して、えー、お金が出るっていうのはすごく稀だったわけですよね、かつては。皆ボランティア・ベースでやっていて。だけれども、実際に、あの、お金が必要な事が出てくる、何か行動を起こす時に必要になるっていうのが出てきたりするので、何かある時には、その、裏に回すっていう事が結構横行していると思うんです。で、そういう風に適応したらイカンと。

まあ、あの、適応の仕方として、お金の使い方ともう一個は、その、行政職員との癒着ですね。ある種、かつての市民活動の適応だったと思うんですよ。そうでもしないと、自分たちの運動が箸にも棒にもかからない、っていう中で編み出された行動だったと思うんですけども、そういうのは私の目から見ると、非常にいびつに見えるんですよね。で、もう、ずうっと、その、えー、行政が腐敗してるだとか、政治家が腐敗してるだとかっていうのは、もう言い尽くされてますよね。で、そういう事を言うのであれば、やっぱりせめて言う側はですね、きちんと、あの、正当な、透明性が高い事をやってないと、後ろ指指される、と。僕は、多分NPOの中にも、相当怪しい所とか多いと思いますし、で、そういう土壌がなくならない限りは、その市民活動っていうものが中々広がっていかないんじゃないかなあ、って思いますね。

T:運営上のスキル的なものっていうのは、どうやって学ばれているんですか?

M:、、、んー、、、

T:その知識的なものとは違ってきますよね?

M:はい、えー。それは、多分人とよく話をするっていう(笑い)事だと思うんですけどね。

T:それはどういった意味ですか?

M:じゃあ、なんでも自分で引き受けるんじゃなくて、何かあった時には相談して、コミュニケーション、、要するにコミュニケーション・スキルだと思うんですよ、私は、その、運営のスキルで最も大事な部分はですね。コミュニケーションを取れないと、何かあった時にトラブルが起りやすいと思うんですよね。皆が分かっていれば、えー、何かがトラブった時にも他の者が対応するっていう事ができると思うんで、、だからコミュニケーション、、まあ、情報公開っていう言い方はなんか大袈裟なんですけども、きちんと会員の中で、今何が行われていて、何が問題でとか、何をしなければいけない、だとかっていう事が分かっていれば、、で、例えば自分が困って、「出来ないよ」って言ったら、他の人が多分手をあげるでしょう。

T:あの、中心になって活動している人の他にも、いわゆるボランティア・ボランティアっていう方も参加されたりするんですか?

M:はい。

T:そういう方に対して留意されてる事ってどういった事がありますか?

M:えーと、普通そういうのは会員ファイルっていう形になると思うんですけど、私自身はあんまり会員ファイルっていうのは重視してないんですね。っていうのは、うーん、その私自身、この団体に関する考え方は、、会員のメリットっていうのは、会の名前を借りて自分でやりたい事が出来る、っていう、そういったようなものをメリットとして感じて欲しい、って思うんですけど、、で、その他、まあ、色んな、あの、まあ、少しはこういう風なバイオマスに関する情報があります、っていうのは適宜に流してますけども、わざわざ会員向けに何かサービス、イベントやったりとかですね、そういう事はやってないです。むしろ、このエネルギー工房っていう名前を借りて、で、社会に出て言って欲しい、っていう風に思ってますので、、で、って助成金とかにしても、例えば自分はこういう事業がやりたい、って言うんだったら、その人がプロジェクト・リーダーになって、エネルギー工房の名前を借りて、、まあ、ミッションを当然共有してなければいけませんけれども、、それであれば自由にやっていいと、っていう立場なんで、で、それがすごく大事だと思うんですよね。

T:あの団体を運営する上で大きな変化を与えるような出来事って具体的にあったりします?

M:ええ。やっぱり前代表がいなくなってですね、結局人に頼らざるを得なくなってきますよね。それまでの大きなマンパワーがなくなるわけですから、そうすると、私たちの団体独自で何かやるっていうのは、すごく難しくなってくるわけですよ。まあ、やるにしても、こじんまりになっちゃうんで、こじんまりとなるぐらいだったら、むしろ他の団体だとか、他の企業だとか、他の自治体の職員だとかに、自分たちの活動に重なる部分がある事がありますよね。で、そういう人達を招いて、共催だとか、、、協力っていう形で支援してもらうと。その最初のプラットホームは自分たちで作って、それに色んな人達に入ってもらう、っていう形を最近はしてますね。で、その方が、あの、手間でない。例えば、あるイベントに5人必要な場合に、自分の独自の団体でやろうと思うと5人出ないといけないわけでしょね。今、マンパワー的に5人出すのは難しいんですよ。そうなると、ここの部分は、違うところに、えー、来てもらって、けど同じテーマで出展してもらうとか、同じテーマでパネルを出してもらうとか、人も一緒に付けてもらうとか。で、その時にその人達にとってもメリットがあるような仕方の展示の仕方をこちらから提示してやるっていう事ですね。それを自覚的にやるようになったのは、その彼が遠くに引越しをして、代表の座を退いてからだと思います。

T:今まで団体の中で活動されていて、思い返していただいていただきたいんですけど、一番充実感があった、満足できた体験っていうのは、どういった事がありますか?

M:そうですねえ、、、。まあ、会としての成功っていう意味では、県の「新エネルギー・ビジョン」っていう、県のエネルギーに関する最も重要なビジョンですけども、そのビジョンの中でバイオマスを非常に高く位置づける事が出来て、で、今年度はその継続っていう形でまた事業が続く事になったんですよね。それは、まあ、私たちからすると、んー、そんなに通ると思ってなかったせいか、会としては同然言っておくべきだけど、んー、県の、その、自然エネルギーの量からするとそんなに多くないにも関わらず、ある政治的な決定を下したおかげで、まあ、プライオリティを非常に高く持つことができたんですね。

T:あの、「政治的」って言うと?

M:その、行政の中での政治的な結果だと思うんですね。もし合理的な判断で、、っていうと中々難しかったんだと思うんです。むしろ、「どうにかしたい」っていう意向が県の中にもあって、その部分が合致したから、自分たちが予想してなかった程にバイオマスっていうのが高く取り上げられたんですね。それは、まあ、充実と言うか、他にも色んな自然エネルギーとかありますから、その中で一番高く位置づけてもらったっていうのは、成功だと思いますね。その分逆に非常に責任感が芽生えてきましたけど。と、いうのは、県は今、そのビジョン作りを市民との協働で作った、っていうのを売りにしているわけですよね。その「協働」っていうのは、私たちのような団体を、その、一緒になってビジョンを作成に関わった、と。であるから、県と私たちは一応協働で作ったっていう風になっているんで、ビジョンを実現していく為には、私たちは、そのビジョンを実現為の事もやらなければならない。だから、今年度からですね、具体的に、じゃあ、どうやって実現していくかっていう事を、あるフィールドを使ってやっていくんですけども、そのフィールドに私たち自身が県と一緒になって「こうしましょう」っていう事を説明しに行くわけですよね。説明は、もう、行政と同じ立場になって政策を一緒に作った、っていう立場になっていくわけですから、非常に責任感が必要だなあ、って思いますけどね。今までだったら、こう、適当に言って適当に取ればいいや、っていう感じであったのかもしれませんけど、今は協働っていうのが言われている中で、実際に、その提案が実現していく場合には、それを実際に本当の社会に作って行く、その作業も一緒にやっていくっていう作業も伴う。だから、大変ですけども、まあ、やりがいもあるのかなあ、と。

T:その今言った「協働」っていう事に関してどう思われます?

M:んー、、、あの、、、まあ、すごくリーズナブルだと思いますけども、、、ただ「協働」が、今の「協働」がどの程度公平かと言うと、実際は公平でもないと思うんですよね。あの、まあ、先ほどから色んな人が、透明性が確保されてなければいけない、っていう話をしてましたけど、県のビジョン作りに、その、市民団体として関わったのは、決して公平に開かれていたわけではなくて、むしろバイオマスを県内でやっている人達がいなかったんで、えー、名指しで誘われたんですよね。で、そういう事自体は、あんまりよろしくないんですよね。本来であれば、もっときちんと開かれていて、それぞれの団体がきちんと提案するような事があって、で、「協働」っていうのが成り立つんだと思うんですけど、まだ、そういうような事が出来てないんだと思うんですね。

それと、「協働」って言った時に、何を「協働」するのか。どこと、どかが、誰の役割なのか、っていう事があまりはっきりしないまま、何か、ムニャムニャってやってるんですよね。で、その辺りがまだまだ形式的なのかな、って思いますね。で、今サポートセンターの中で色々な協働事業ってやってますけど、、で、あの中で色々な議論がありますけども、、あれは当然起って然るべき議論で、ただ、まだあの中でもきちんと議論し尽くされてないように、、まだまだ始まったばっかりなんで、、色んな問題があるんであろうなあ、と思いますよね。

T:どういった議論があるのか、ちょっと分からないんですけど、、

M:えーと、、、その「協働」と言っても、多くはですねえ、各団体が既にやっている事業を、「協働」という名前を使ってお金を出している、っていう事が多いんですね。だから各団体からすれば、それだけ補助金がきましたよ、っていうだけなんで、、昔だったら自分たちがボランティアでやってたところが、半額県からも出てくる、っていうレベルでしかないんですよね。だから、新しい政策を提案をしていって、一緒に作っていくだとか試行錯誤していくっていうのはあんまりなくて、もう、出来合いのものがあって、それを、その県の政策の中からははみ出ていた部分なんでそれを県の事業としてやりましょう、っていう部分があると思いますね。

T:あの、提案とか作っていく作業っていうのは、個人でされるんですか、それとも勉強会みたいのをもって皆でされるんですか?どういったプロセスでそういった提案書っていうのは自分たちで書いてって出すんですか?

M:えーと、たたき台は誰かが作りますね。で、いっぺん打ち合わせをして、それでまとめて出す、っていう形が多いですね。

T:そこでも専門的な知識とかが出てくると思うんですけど、、

M:はい。

T:そういったのはどういったものを利用して書かれてるんですか?

M:うーん、、、いや、、、例えば県民から広く意見を募集する様な大きなビジョン作りだとかですね、そういのだったら、そんなに、こう、えー、専門的な知識を動員して書くって言うよりも、普通に読んで、おかしな事だとかって事を、、書く事の方が大事だなあ、と思うんで、そういう事を提案しますけども、一方で調査研究みたいなものは、例えば専門的な知識とか必要ですよね。だから、それは活動を通じて色々情報が入ってきますし、自分たちでも調べたりもするので、そういうものを動員して提案する、と。そういう風になりますよね。

T:調べるっていうのは、どういうものを使って調べるんですか?

M:実際に現場に出かけて行って、そういう、、バイオマスだったらバイオマスのエネルギーの導入に取り組んでるような人達と話したりだとか、あとは、まあ、文献を集めて読んだりとかですね。まあ、一般的な研究の仕方だと思いますけど。

T:逆に活動をやっていて、やめてしまいたいなと思うような体験はありましたか?

M:うーん、、、いや、どこまでこれを続ければいいのかな?っていうのはありますよね。それは多分市民活動やってる人はかなり多いと思うんですけども、、、これをずうっと引きずって、10年、20年やっていくっていうのは想像しえないですよね。でも中には、「こんなに長くやると思わなかった」っていう思うままにどんどん年取っていく人って結構多いですよね。それは、中々世代交代しなかったりして、「結局やる人いないんで、俺がやってるんだ」みたいな事もあると思うんで、、、本来的には、うーん、なんか、大きな目標があって、それが実現したら、もう解散、とかっていうのが一番分かりやすくていいのかなあ、っていう気もするんですけどね。

T:Mさんご自身どういう風に考えていらっしゃるんですか?

M:うーん、、、そうですねえ。そういう、こう、中々プランが立てにくいですよね、こういう活動っていうのは。あの、今年エネルギー工房でも仕事が夏以降出てきているんですけど、結局来年以降どうなるかっていうのは全く分からないですよね。で、収入計算できるわけじゃないんで、何かとミックスしながら、、だから私の場合、、まあ8月以降だったら、エネルギー工房で食べていけるんですけども、それまで4月から食べていけるような算段がなかったんで、そのもうひとつの団体の事務局スタッフとして活動してったわけですよね。で、要するに、そうやって適当に組み合わせながらやっていかざるを得ないような状況ですよ。実際に市民活動、、特に環境系のは、まだまだそういうのがすごく多いと思うんですよね。今年は取り敢えず食べていけるけど、来年はどうなんだって。だから私は大学院にも籍を置いてたりして、なんかあちこちで転ぶ事も予想されるので、転んだ時にも、例えば研究者としても、少しやっていくような道もある程度残してますし、すごく不安定ですよね。で、仮に研究者としていくんだったら、あの、神奈川じゃない別の場所に行ってしまう事もですね、、まあ就職の事を考えたら出て来る可能性もありますし、、で、一方で、もう、自分は代表として、、先ほどのビジョンの話もあるように、自分たちで提案した事を実現して、で、それを社会にちゃんと、こう、作っていくっていう事を考えるとすると、それを言っといて逃げていくって事もなかなか出来ないのかなあ、とも思いますから、そういう点では全然計算立ってないですよね。

T:その不安定の中でもやり続ける理由っていうのは何なんですか?

M:うーん、、、まあやっぱり、道義的責任が一番大きいんですけども、あとは、まあ、続けて、、例えば来年の今になって違う地平にいるわけですよね。また違う仕事をして、そこで得られた経験も出てきて、そこで知り合った人とまた何か違う事業の芽が出て来る可能性もあるし。だから今は、その、先の事を考えられないので、先の事を考えられない時は今は考えないで、今できる事をやっておこうと。で、先になったら別な事が考えられるだろうし、その時はまた別の事を考えればいいだろうって(笑い)、そういう感じですね。

T:市民活動をずうっと続けていらっしゃいますが、Mさんを支えているものってなんだと思いますか?

M:うーん、ひとつには、コンサルにいましたので、コンサルと同じような事はNPOは出来ると思ってるんですよ。で、むしろコンサルよりもいい事もできると思ってるんですね。でそれは、コンサルの立場で色々調査に行きましたけれども、行って終わりなんですよね。事業切れたら、もうそれで行かないですよね。で、草の根的な地域にあるNPOであれば、そこにもずうっと関わり続ける事ができますよね。特別近く人脈があるんだったら、その人達とずっと関わる事ができますよね。で、そういう事がNPOは基本的にできる。その全国的なNPOじゃないんですよ。ある地域でやっているNPOだったらできるし、、で、さっきのビジョンの話でも、コンサルも入ってるわけです。で、コンサルはビジョンを作って、もう終わりですよね。で、私たちは「協働」っていう形で関わっているんで、それを実現する為にまた新しく、その、実現する為に、人を育てるっていうのをやっていくわけですよね。で、その事は、、まあ、コンサルもだんだんそういう方向に変わってきているのかもしれませんけれど、従来の単に委託事業だけやってきただけで稼げたコンサルよりは、よっぽど安く、よっぽどいい仕事ができる、っていうのがあります。それは、すごく税金の無駄にもなっている、っていう話だから、それをもう少し有効に使えば、もっといい使い道があるんじゃないかな、っていうのがありますね。だから、それは、ここでやり続けている理由ですし、、

それともうひとつ原動力となっているのは、うーん、やっぱり自分が表現する、っていう事ですね。社会、、自分がこうしたいっていう時には、結局自分でそれを表現していかないと人に伝わらないし、で、そういう事を表現するっていうのは、多分芝居やってた時からのテーマなんですけども、うーん、社会と個人、基本的には繋がっている筈ですよね。けども、すごくかけ離れているように見えますよね。で、それはやっぱり個人が社会の中で表現しないから、、まあ、それだけじゃないですけど、理由は。それがひとつあると思うんですよ。単に文句を言ってても何も始まらないんで、まず「私はこういう事をしたいんだ」って、社会の中で表現していけば、「あっ、お前はこうしたいのか」っいう、例えば人が集まってきますし、そういうアクティブな人が、自分たちがやりたい事をその社会で実現していく。ただ、そのやりたい人達だけで、その、取得権益を守るんじゃなくて、それはきちんと公開をしていって、仮にアクティブでない人にとっても、「あっ、あの人達はこうやってるんだ」っていう事がいつでも見えて、その人達になんか異議申し立てをしなければいけない時には、その人がまたアクティブに活動ができる、っていう土壌ですよね。そういうものをやっぱり作りたいなあ、と思います。

T:その市民活動をしているっていう立場で、日本の社会の現状をどう思われますか?

M:うーん。よく、その、「閉塞感」っていう言葉で表現されますが、例えば選挙っていう事を考えても、えー、まあ、基礎票がありますよね。で、最近、その、無党派層とか浮動票と言われるのが沢山あるわけですよね。で、かつてに比べたら、よっぽど社会が変わり易くなってる、筈なんですよね。けど、やっぱり閉塞感があるわけですよね。それは「結局、変わらないや」っていう事だと思うんですよね。で、多分それは大きなものを見てるから、あんまり変わらないと思うんですね。で、小さいところから見てれば、小さいところは結構変わっていく可能性があると思うんですね。だから、小さいところで少し変えていって、それをモデルにしながら、、結局民主主義っていうのは過半数取ればいい話なんで、非常にダイナミックに変わる制度ですよね。で、「あっ、こんなに、すごく自分たちがこう動けば変わるんだ」っていう事をもっと実感できれば、社会を作る為にまず小さいところからそれを実現していく、っていうのがありますね。

T:それは具体的に自分たちの活動で感じた事なんですか?

M:そうですね。

T:そういうのを感じた時っていうのは、どういう時がありますか?

M:うーん、だから、今の市民活動の中で、それがダイナミックに変わったかと言うと、私はそういう感触を得たっていう事はあんまりないです。その、行政の、、先ほどのそのビジョンの中で高く位置づけられたっていうのがありますけど、それは私の運動の運動論からすると、まあ、それほど面白くないっていうか(笑い)、

T:「面白くない」?

M:面白くないって言うか、うーん、それはアドボカシーに機能も大事なんですけども、むしろ、やっぱり土壌がですねえ、豊かになっていかないといけない、と思ってるんで、えー、結局私たちは、ある特別な委員会の中に入る事ができて、それで提案した事が実現していったわけですけど、もうちょっとそうではなくて、うーん、色んな人の意見を聞く様な場があって、まあ、下から積み上げていってできたら本当はよかったかなあ、と思うんですね。ただ、もう、それは今の中で一番効果的な戦略を取っているわけだから、自分でもそれは納得してやっているんですけど、そういう点で、うーん、良かったっていったら良かったんですけど、ダイナミックに変わっていってるとは思わないですね。で、ダイナミックに変わっていってるっていう事が実感できっていうのは、その、草の根的な運動が何か成功した時だと思うんですよね。だから、それは、あの、吉野川の河口堰のああいう住民とかが成功するだとか、ああいうのは、あの場にいたらすごくスリリングなのかなあ、って思いますけども、そういう経験は生憎、この活動を通じてはないですね。

T:そういう活動していく中で、あの、Mさんが自分が感じる矛盾点はどういう事がありますかね。

M:それは自分に対する矛盾ですか?

T:そうですね、活動と絡めて、何か。

M:うーん、えー、矛盾と言うか、ある種許してはいるんですけども、自分も結構だらしないですよね。家に帰れば、家がちゃんと掃除できてるかっていうと、そうでもないし、、あの、町内会で日曜に草取りがあるんですけど、それも何か他の用事があったりして、サボる事が多いし、、そういう意味では全然、その、地域にきちんと活動しているかっていうと、そうでもないですよね。で、私自身は、地域の共同体で活動しているのを善しとしているわけではないんで、むしろ個人個人がテーマを持って、やりたい事があるんだったら、それに飛び込んでいけばいい、と、どっちかというと思ってる方なんですね。それはただ、人から「それは矛盾じゃないか」って言われれば、矛盾しているように見えるかもしれないとは思いますけど。

T:ちょっと質問が前後してしまったんですけど、、

M:はい。

T:、、活動をしてきた中で、一番がっかりしてしまった体験っていうのは、もしあったら答えていただき端ですけど。

M:がっかり、ねえ、、、。ちょっと水準が違うのかもしれませんが、あの、最近大学生がボランティア研修っていう形で、なんかボランティア活動をやるような例がありますよね。その中で私たちもそういう学生を受け入れる事が時々あるんですけど、やっぱり駄目ですよね。駄目って一括りにしてはいけないんですけど、、、

IT:どう「駄目」なんですか?

M:やっぱり、こう、問題意識が全然違いますよね。で、先ほど会員向けのサービスをあまりやってないっていう話をしましたが、えー、、、私の基本的な運動に対する考えだと、別にやりたくない人にやってもらおう、っていう意識は全くないんですね。けど、なんか、やる気があるんだかなんだかよく分からなくて、そういう研修に参加して、で、待ち合わせをした時に来なくて、電話したら「忘れてました」っていう事があったりするんで、それだったら声掛けてもらたりしなくてもいい話なんで。ただ、あんまりそういう事、普段考えてませんけれども、まあ、学生はそういうものだと思っているし、自分も学部生の時はえらい事を言っていたわけでも、、まあ、今でもそうじゃないですけど、、あの、そういう意識である事が普通だと思うんで、だからそれぞれ、そういうステージがあるんだと思うんですね。そのステージにあった時に(ボランティアを)してくれればいいと思うんですけども、無理やりいつの時にこれをしなくちゃいけない、っていう事は思わないですね。いくらでも別にやり直してもいいと思うし、、、。だからステージが合わないのに、やらなきゃいけないのかなあ?と思って、来られても、別にそんな事はないんで、そういう時が一番困りますね。

T:Mさんが社会との関わりをやめてしまおう、っていうのは想像できますか?

M:それは全くないですね。

T:「全くない」っていうのは、続けて行きたいっていう意味ですか?

M:そうですね。あの、私が嫌なのは、、一番ある種軽蔑しているのは、、あの、環境主義者の中には、全く山里に引っ越してしまって、で、そこで自給自足の生活をしていく、っていう、まあ、ありえるパターンですよね。で、それはその人達にはいい話なんですよ。けど、ある種自己満足的に私には見えて、、「自己満足して何が悪い」って言われれば、それは悪くないんですけども、、あの、やっぱり社会の運動として始めたのであれば、それが最終的なゴールではないと思うんですね。むしろそういう風な人達がどんどん増えて、自分が都市に留まるのなら、まだありえるかもしれないですけど、、、あの、要は個人の問題じゃないんです。要するに、個人がどうなればいい、っていうような話だったら、自分の趣味でこなせばいい話ですし、それを何かある種社会的な運動として表現するていう事は凄くいやらしいと思うんですね。だから、個人の話で済むような問題じゃない事を扱ってるから、社会で表現する意味がある話だし、それは、勿論自分が率先してやるとかっていう事は意味あるかもしれませんが、けど問題は、社会がどう変わるかっていうので、運動の成功・失敗の指標としては、自分がどうなるか、っていうよりは、社会に何を実現していくか、っていう風な指標を持ってないと、結局そういうところに運動がいって、何か自己満足に終わってしまったらつまらないな、って思いますね。

T:その、社会を変えなければならない、っていうような危機感みたいのがMさんの中にあるわけですか?

M:うーん、、、危機感というよりは、その方が面白いっていう事でしょうね。

T:「面白い」っていうのは?

M:うーん、、、その、まあ、民主主義の社会なんで、自分たちがやりたい事は多数を占めればできる社会なんですよね。で、その事自体は本当は面白い話だと思うんですよ。歴史をさかのぼってみれば、全くそんな事が出来ない様な人達が大勢いたわけですよね。今だって世の中探せば、そんな人が沢山いるわけですよね。そういう意味では、「世の中ああしたい、こうしたい」っていう事が世の中で実現できるっていう自体が、歴史的に見て非常に奇跡的な話であって、それが現代を生きる人達にとって、最も大事なメリットだと思うんですね。その為に色んな人が死んできたわけだし、今でも色んな人が死んでったり、苦しんでたりするわけですよね。そういう歴史の上に立ってる、っていう意味ですよね。じゃなかったら、なんで歴史学んだのかってよく分からないと思うんですよ。で、私はそういう意味で、現代っていう時代に日本っていう社会に生きてる。で、その事の意味ですよね。っていうのをたえず思ってるし、それは確かに偶然だと思うんだけど、けど、そういう事を相対化して見れる位置にあるわけですよね。で、その事をきちんとメリットとして享受して、それを一歩先に進めて、やはり、死んだほうが、そのまま「やっぱり何も変わらなかった」っていうんで、こう、ドライブ感がないままに「生まれた時と同じようだったね」って死んじゃ、あまりにも寂しいかな、と。それは、その部分じゃ自己満足かもしれませんよ。けども、自己が満足しなかったら、生きている意味があんまりないと思うんで、そういう事をやっぱり思ってますよね。

T:最後の質問ですが、もし人生やり直せるとしたら(笑い)今やってる活動をされてると思いますか?

M:いや、してないでしょうね。それは、同じ生活に生まれついたら、多分やってしまうと思うんですけど、多分、生まれなおしたらっていうのは、前世がそうだったって知っててっていう事ですよね。うん。そういう意味ではやっぱり全然違う事をしてたいでしょうね。

T:どういった事をしたいですか?

M:うーん、私自身はすごくスポーツが好きなので、で、芝居もそうなんですけど、スポーツもある種の地域の文化ですよね。で、やっぱり、そういう文化がすごく貧弱だなって思うんですよ。で、かつての共同体には、さっきの沖縄じゃないですけど、その、踊りやら祭りやら何やら、っていう色んな文化があってで、皆歌えるし、踊れるし、楽器も演奏できるし、楽しげですよね、、楽しい風に僕には見えるわけですよ。けど、今の世の中だと、別にそんなもの普通生まれてきて、何もできる???じゃなくて。って、そういうのが、近くに劇場とかあったら、皆ちょっと芝居ができたりだとか、皆ちょっと野球ができたり、サッカーができたりとかっていう、そんな文化ができるんだと思うんですよ。で、今更なんか歌や踊りをやるとかっていう昔の共同体が持っていたようなものを再現するのは、僕にはすごく難しいと思うんで、違うような文化がやっぱりあって欲しいな、って思うんですよ。そこで生まれ育てば自然に身につく。で、それがちょっと人から見た時に、格好いい、っていうようななものがあったらいいって思うんですけども、、だから、生まれ変わったら、地域の中にスポーツを根付かせるっていう事をやりたいですね。

T:質問としては最後だったんですけど、何か言い残した事とか何か付け足す事ってありますか?

M:いや、何かまとまってなかったような気がするんで(笑い)、言い残しも、付け足しも、そういう意味では沢山あるんでしょうけど、、元となるものがないんで(笑い)、ここが欠けてるとかここが出っ張ってるとかってあんまりないような気がするんですよ(笑い)。

T:どうもありがとうございました

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