里地・里山つくりにおける市民参加の論点

1.里地里山保全における「市民参加」

 最初に、里地里山保全における「市民参加」とは何かを考えてみよう。そもそも伝統的に里地里山では、地域住民が生物資源を得るために管理していたが、この場合は市民参加と呼ばず、その必要性について議論されることはなかった。つまり、市民参加とは、単に市民が参加するという形態を意味しているのではなく、市民が私益を超えた公益のために計画策定のプロセスに関わったり、管理・運営をおこなったりすることを指している。同じことであるが、市民とは公共のために政治参加する主体であるといってもよい。したがって、里地里山保全における「市民参加」が成立する条件には、市民が関わることによって公共的な価値をもたらされるという社会認識がなければならない。このような条件が整ったのは、おそらく1980年代だと思われる。

 燃料革命以降、化石燃料から多くの代替資源が得られるようになり、里地里山は住宅やゴルフ場などに開発されたり、放棄されたりするようになり、量的な減少と質的な荒廃が進んでいった。原生的な自然は、植生自然度が高いために保護すべきであると認められたが、里地里山は守るべき領域あると一般に認識されていなかった。しかし、1980年代後半に、守山弘が「自然を守るとはどういうことか」と問い、おもに雑木林について生物多様性から再評価したことが契機となり、里地里山をどのように守っていくかという論点が現れた(守山, 1988)。そして、適度に攪乱された里地里山には豊かな生態系が見られるので、適当に手を入れて管理すべきであるという言説が広がっていった。さらに、実践的な観点から、経済的な価値を失った里地里山では、経済的な合理性を優先しない市民ボランティアが保全活動の担い手として期待されるようになった(重松, 1991; 中川, 1996; 倉本・内城編, 1997)。実際、社会的なニーズに応えるように、1980年代から現在にいたるまで、里地里山の保全活動をおこなう市民団体は急激に増加している。

2.「共同占有権」を獲得するための市民参加

 生態学的な観点から市民のボランタリーな保全活動が期待されるという言説とは別に、1980年代前半、里地里山保全における市民参加に注目すべき動きが見られた。のちに舞岡公園として整備された横浜市の谷戸における保全運動である。ホタルが飛び交う身近な自然を守りたいという1人の若者の思いから始まった市民団体「まいおか水と緑の会」は、1983年に横浜市から使用許可を得て、公園予定地の一部で休耕田を復活させ、実践的にその土地にかかわるようになった。そして、活動を通して得られた経験をもとに、横浜市に対して積極的に関与・提案した結果、かなり運動側の意見を取り入れるかたちで公園計画が立てられた。その後、1993年には、公園の「田園体験区域」を管理運営する「舞岡公園を育む会」が発足し、横浜市の委託を受けるようになった。

 この事例を環境社会学の生活環境主義から分析すると、「まいおか水と緑の会」の市民運動は谷戸の「共同占有権」を獲得する戦略・手法を備えていたと言えよう。もちろん、この文脈における「共同占有権」とは実定法の中の権利ではなく、鳥越皓之による用い方に従っている。すなわち、ある場所に市民が主体的にかかわりながら公益的な社会サービスを提供していると、次第に共同占有を強めていく傾向があることを、あたかも行政から「共同占有権」を与えられたかのように記述してみせた用法である(鳥越, 1997)。このような運動戦略・手法は、舞岡谷戸からほかの運動団体にも伝播し、鎌倉市の「山崎の谷戸を愛する会」はのちに鎌倉中央公園となる谷戸で運動を展開して、現在は「山崎・谷戸の会」として管理運営を担っている。

 このように里地里山における市民参加の原点では(運動側がどれだけ意識していたかどうかは別にして)、保全活動と計画立案への参画が裏表一体になっていた。つまり、保全対象地域の景観を守り、ローカルな智恵や技を受け継ぐことと、行政に異議申し立てしながら、その場所のあり方・いかし方に市民の意見を積極的に取り入れさせることがセットになっていたのである。

3.保守/リベラルを超えた里地里山保全

 さらに考察を深めるために、柿澤宏昭の「市民参加はなぜ必要なのか」という論文を取り上げよう。柿澤はこの中で、森林環境保全にかかわる市民参加の形態を、制度的参加と市民運動・ボランティアを通じての参加に大別した。そして、優先課題は制度的参加を保障することであり、両者が補完的な関係をうまく結ぶことで実質的な市民参加が可能になると主張した(柿澤, 1996)。

 こうした分析と提言には、当時の社会状況が反映しているように思われる。それは、保守派によって政権が握られており、市民参加は政治の周縁部にとどまっている。そして、市民運動・ボランティアは周縁から中心に向かって突き進もうとするが、制度的な壁があって一般市民の意見が政策に取り入れられない、というものである。

 こうした見方の代表として、社会運動論の中の政治的機会構造論がある。政治的機会構造論では、保守派が政権を握っているときは政治的機会構造が閉じており、逆にリベラル派が握っているときは開いていると分類し、この変数から市民運動・ボランティアが政策決定に参加しやすいかどうか、運動団体やクレーム申し立ての数などを分析する。

 たしかに、保守/リベラルの対立図式がわかりやすかった時代までは、こうした分析枠組みも有効であっただろう。しかし、冷戦崩壊が遠い過去の記憶となり、保守派もリベラル派も市民参加を推奨する近年にあっては、認識の枠組みを変える必要があるだろう。特に里地里山の保全は、保守派にとっては郷土・国土の伝統を守るために、リベラル派にとっては人間だけではなく生態系も守るために、両派ともに歩調を揃えられる目標である。実際、国は「SATOYAMAイニシアティブ」を掲げて、人が自然と共生する里山を世界に向けて発信しようとしているし、神奈川県は「神奈川県里地里山の保全、再生及び活用の促進に関する条例」を制定するなど、市民が参加しなくても、里地里山の保全は国家的な課題になっている。

4.里地里山保全時代の市民参加

 里地里山の保全が社会的に正当性を得られるようになると、行政は保全活動を担う市民ボランティアを育成するようになった。たとえば、都立桜ヶ丘公園の雑木林ボランティアや、横浜市の森づくりボランティアの育成事業などがよく知られている。こうした制度の創設は、里地里山の保全活動の担い手を増やし、先日したボランティアの増加に大きく貢献している。

 しかし、最近になって新設された市民団体には、「まいおか水と緑の会」が示したようなアドボカシー機能が弱いように思われる。それは、すでにお膳立てされた舞台があり、そこにプログラムに従って役割を担う市民がいるだけであり、政治的な争点が消失してしまっているからであろう。これを、市民参加が制度化されたことによる弊害であるとか、市民ボランティアの巧妙な動員であるなどと捉えることもできるだろう。しかし、そうした批判の矛先をどこへ向ければよいのかも不透明である。このような磁力の中心を失ったような社会状況は、大きな物語を失い、その喪失感も無くしたポストモダンのありさまを反映しているように思われる。

 近年、市民参加による里地里山保全の課題として、順応的管理、危機管理、資源活動が挙げられる。これらに共通しているキーワードはマネジメントであり、それぞれ、生態系、リスク、生物資源(バイオマス)をいかに効率よく管理し、コストを抑えて利得を得られるかが問われている。それでは、里地里山の保全が国家的に要請される時代に、それをいかにマネジメントするかが全域的に課題になっているとしたら、市民参加によって私たちは何を目指すのであろうか。おそらく、それは個人にとっての意味、アイデンティティである。市民参加によって抗うべき点は、鳥瞰的に社会工学的に管理される「今ここにいる私」が、自らの視点から、あらためて里地里山を保全する意味を捉え返すことではないだろうか。そのためには、保全活動に参加している市民が、自らの行為がもたらす結果をモニタリングしながら、活動の意味を反省的に捉えることが必要であろう(松村, 2007)。そこを手がかりとしてしか、私たちは市民参加できない。

[文献]

  • 倉本宣・内城道興編, 1997, 『雑木林をつくる─人の手と自然の対話・里山作業入門』百水社.
  • 柿澤宏昭, 1996, 「市民参加はなぜ必要なのか」木平勇吉編『森林環境保全マニュアル』朝倉書店.
  • 守山弘, 1988, 『自然を守るとはどういうことか』農山漁村文化協会.
  • 中川重年, 1996, 『再生の雑木林から』創森社.
  • 松村正治, 2007, 「里山ボランティアにかかわる生態学的ポリティクスへの抗い方―身近な環境調査による市民デザインの可能性」『環境社会学研究』13: 143-157.
  • 重松敏則, 1991, 『市民による里山の保全・管理』信山社.
  • 鳥越皓之, 1997,『環境社会学の理論と実践――生活環境主義の立場から』有斐閣.

2009/4/18 講演「市民参加の実践から考える里地・里山つくり」, 丹沢大山自然再生委員会・市民参加研究会公開シンポジウム「市民参加-理念と方法」(ワークピア横浜)


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