『構造災』

本書の最初の方に、構造災とは、簡単にいうと、科学と技術と社会のあいだの界面(インターフェイス)で起こる災害をさす」と定義がありますが、これだけを読んでもわかりにくいでしょう。
著者は、福島第一原子力発電所事故を念頭に置き、これが構造災の可能性が高いと指摘しています。
つまり、この事故を科学技術の問題あるいは社会の問題として捉えても本質を取り逃がしてしまうので、科学・技術の関係性を含めた社会の構造の問題として見るべきというわけです。

本書では、深刻な科学事故の原因を調べてみると、事故に加担した科学者も技術者も、また科学技術を生かす社会の側の人々も、それぞれの内部では「よい人」であることが多いと指摘しています。
「よくない人」によってもたらされるわけではないのに、甚大な事故が発生してしまうと言うのです。
福島第一原発事故は、(「天災」ではなく)「人災」とされますが、それでこの未曾有の大災害の真実をきちんと記述できるのか、という問題意識のもとに、本書は書かれています。

本書では、スリーマイル島の原発事故、スペースシャトル・チャレンジャー号の爆発、戦前の海軍艦艇事故などをひもときながら、構造災が繰り返されて生じていることが論じられています。
構造災という概念の適用範囲が広すぎるためか、私は著者の主張に全面的に納得したわけではありません。
しかし、「よい人」の集まりであっても、その関係者のあいだをつなぐ良い仕組みがないと、甚大な災害を招くことがあるという指摘は重要だと思います。

福島第一原発事故に関して、原発開発を推進してきた企業が悪い、政党が悪い、行政が悪いなど、誰かを悪者として名指して糾弾すればよいわけはありません。
これに対して私は、原発エネルギーの恩恵に浴してきた私も悪い、国民が悪いと批判の矛先を自分に向けるべき、と言いたいわけではありません。
それぞれは、与えられた立場(条件・環境)のもとでの「よい人」として、おおむね頑張っていたことでしょう。
しかし、結果として未曾有の災害が発生しました。
与えられた立場(条件・環境)に適応する「よい人」は、その構造それ自体が問題をはらんでいる場合、災害をもたらす蓋然性を高めてしまいます。
特に、一人の人間には扱いきれない科学・技術を手に入れた私たちにとって、科学・技術と社会とのあいだをうまく繋げないと、手に負えない災害を招いてしまうかもしれません。
こうした場合、もとから災害を防ぐためには、問題のある構造にメスを入れて、改革しなければならなくなります。

私たちは「構造災」という言葉を知らなくても、社会の構造のあちこちに問題があると感じています。
実際、近年では小泉政権がスローガンとして「聖域なき構造改革」を唱え、一時的にせよ熱狂的に受け入れられたように、さまざまな分野の構造を変革する必要性はかなり前から認識されていると言えるでしょう。
しかし、著者によれば、戦前から連綿と続く構造的な問題は、日本社会にしっかり根を下ろしています。
私もこの主張はおおむね妥当だろうと思っています。

私は、科学社会学者の著者のように、科学技術と社会のあいだにばかり注目しているわけではありません。
しかし、特定の関係者の問題とするのではなく、関係者のあいだの関係に焦点を当てるという点で、本書と共通の問題意識を抱えていると感じました。
私は、ある立場にいるときにふさわしい行為が、広く社会全体からみて不適当であるという問題に関心があります。もう少し一般化すると、部分最適を積み重ねていっても、その総和が全体最適とはならないような、そういう性質の問題です。
科学者とか技術者とかマスコミとか学者とか、そうした立場としては適当な行為であっても、公共的な観点から見て、おかしいことはよくあります。
そのおかしさが、特定の個人の問題に帰せられないということ。ここに、さまざまな現代社会の問題の根っこがあるように思っています。
さらに私は、そうした問題意識から、所与の立場性を超えて社会のために動けるには、どういう契機や経験、知恵や技が必要なのかをよく考えています。

一般的に言って、立場をわきまえずに行動するのは、個人にとってリスクが大きい一方で、リターンは個人ではなく社会全体に帰ってくるので、利己的に計算すると損をしやすいことになります。
しかし、そうした利己的な合理性を超えて動けるのも人間です。
これまでの社会の構造をうまく組み替えて、適当な仕組みをつくるためには、それまでの立場を超えて、全体を見渡しながら動ける人が必要です。

このようなことを考えている人たちの間では、しばしば、コーディネーター/インタープリター/コミュニケーター/つなぐ人が大事だと言われています。
たしかに、そのとおりだと思うのですが、本書では、そこから一歩踏み込んでおり、コーディネーターは立場性を明示すべきとの提言があります。
ここでは、科学・技術と社会の間に立つ人が想定されていますが、立場・条件が異なれば、つなぎ方も異なってくるはずです。
つなぎ方にも1つの正解があるとは限りません。
中立的な第三者がコーディネートすれば、正しい社会になるというわけではないはずです。

私たちは、与えられた条件の下で最適に行動することには長けているかもしれません。
しかし、その前提条件や当然とされる立場が疑わしい場合、どのような行動が適当であるのかは一般的に不明です。
条件次第、文脈によるとしか言えません。
私たちが生きる現代社会とは、このように正解が定まらない社会なのだと思います。
だからこそ、自分の置かれている立場を超えて、新しい社会に向けて自ら進んで道を切り拓いていくこと。
ここに価値を置く社会を私はつくりたいと思います。
そして、NPOとは、そういう人々の集まりであるべきだと考えています。

松本三和夫(2012)『構造災―科学技術社会に潜む危機』岩波書店.
よこはま里山研究所のコラム

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