2020年の抱負

新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

さて、年初に当たり、今年の抱負を記したいのだが、私の場合、2020年3月末に15年間勤めてきた大学を辞めるので、この際、なぜそう決めたのかも含めて書いてみたい。

1.50歳までは大学で

昨年の後半から、周囲に人に「辞めてからどうするの?」「4月からどうやって稼ぐの?」と尋ねられることが多くなった。
今のところ、複数の大学で非常勤講師として教えることになっているが、それ以外は何も決まっていないし、収入の目途があるわけではないので、歯切れの悪いことしか言えない。実際、今は目の前にある仕事をこなすだけで精一杯で、あまり先のことまで考えられないのである。

もっとも、すでに一昨年の3月には一度退職し、現在は3年間任期付きの特任教員という身分である。それ以前と比べれば大学の仕事量(特に入試関連業務)は減ったので、その間に「これから」を見据えて準備できれば良かったのだが、むしろ仕事が分散して非効率になり、目論見は外れた。

ただ、実は35歳で大学教員になったときに、すでに50歳で辞めようという考えを抱いていた。定年までの30年間を前半と後半に分けて、とりあえず、前半15年間は働こうと思えたけれど、その先まで続けるイメージを持てていなかった。定年まで働き続けるという感覚がなかったので、15年経つ頃に、その先を考えようという構えだった。
そして、約15年が経ち、「これから」を進むのに必要な目標が「これまで」の所属の先には見えなかったので、自分で仮決めしていた定年を迎え、自然と辞めようと思ったのである。

2.大学という制度

それでも、「これから」を考えるのに、辞める理由をもう少し丁寧に分析しておくことには意味があるだろう。

プッシュ要因は、大ざっぱに言えば、大学の制度になじめなかったのである。
近年の大学は、高等教育のサービス業としての側面が強調されている。そして、大学同士で競い合うことで教育の質が高まり、市場原理が働いて教育の質の低い大学が淘汰される、という仮定に基づいて各種制度が整備されてきた。
この制度設計は、文科省が頭ごなしで下ろしてくることもあるが、多くの人びとが抱いている競争原理への幻想を反映したものであろう。いわゆる新自由主義的な改革とは、広く公共部門一般で進められているものだが、少なくとも大学の諸制度に関して言えば、無駄な事務仕事を増やしたわりに、効果はきわめて限定的だったと思う。

たとえば、教育サービスの内容はシラバスに明瞭に書かれるべきとして、シラバスの書き方についても指導が入ったり、各学期の授業回数を必ず15回にすることが求められ、月曜日に偏りがちな祝祭日でも授業を実施することが普通になったり、学生の休暇が短くなったり、教職員が継続的に能力を高めるように研修が義務化されたり、計画を立てて実行し、ふりかえりを次に生かすPDCA(Plan-Do-Check-Action)のサイクルを適切に回すことが求められたりする。
これらは、部分的には正しいがゆえに、進められれば応じざるをえない仕事であるが、高等教育における問題構造の解決には結びつくように感じられず、ただ言われたとおりにおこなっているに過ぎない場合が多い。私は、こうした仕事を学内で推進する立場にあったが、心をそこに込めることはできなかった。

3.若者が育つ場づくり

教育機関に勤めるなかで、若者が育つ場を社会が大学に求めすぎていることに
最大の問題を感じるようになっていた。
社会教育がほとんど機能していない現代の都市社会では、その役割を大学が引き受けざるをえない位置にあるものの、ただ社会人になる直前の段階の学校教育機関というだけであるから、当然に社会が負わせようとする機能を果たすことはできない。
たしかに、大学は若者が育つための多くの資源を抱えているが、その資源を大学だけで有効に生かすことはできない。若者が力いっぱいに生きる場づくりという1点に、大学をはじめ多くの人びと・諸機関が結集することから、従来の大学の枠を超えて、制度をデザインする必要性を感じていた。

近年、学生の質が変わったという人は少なくないが、私は時代の変化とともに学生も当然変わるものとして受け止めていた。
たとえば、消費者(コスパ)意識が高く、主体性が乏しく受け身で、現状を肯定し、繊細で優しく、人に役立ちたいと願う学生たち。こういう一般論で、一人ひとりの生を推し量ることはできないが、ともあれ、このような傾向を認めたとしても、それは良し悪しを判断する道具ではなくて、そうした傾向が生じている社会的な背景を見る必要があると考えていた。そして、学生たちが生きている世界を、学生の視点から理解しようとするところから、大学の教育は再構築すべきと考えていた。

私は、このような教育観を持って、そのとき・その場の仕事には取り組んできたつもりだが、それぞれの経路依存的な慣性に引っ張られて、半ば周りのせいにして、中途半端に済ませてきたように思う。
しかし、このようなやり方を、定年までの残り15年間も継続することは耐えがたいと感じている。そこで、このあたりでいったんリスタートを切りたいと考えた。

なお、このような不満は、所属先の大学への不満と受け止められるおそれがあるので、そうではないことを強調しておきたい。
母校の東大や東工大には何も愛着がないけれど、恵泉がなくなったら寂しいと思う。かりに東大や東工大はなくなっても、それに取って代わる大学が現れると想像できるが、恵泉の不在は、社会の良心の1つがなくなるように感じる。この大学で出会った内海愛子さん、大橋正明さんや、亡くなった新妻昭夫さん、荒井英子さんなど、市民社会を豊かにするために動いてきた方々に出会えたのは幸せだった。平和をつくることに対して、照れることなく取り組もうと思えるようになったのは、恵泉で出会った素敵な教職員・学生のみなさんのお陰である。

4.まちの近くで里山をいかすシゴトづくり

2008年のリーマン・ショックを受けて、藻谷浩介氏は金融資本主義に対比する里山資本主義を提唱し、地元の里山資源を生かして地域経済を回している地方の事例を紹介した。
2011年、東日本大震災に伴う福島第一原発事故が発生、これを受けて、私は何か新しいことを始めるのではなく、取り組んできた活動を前に進めて応えたいと考えた。

その後、原発再稼働に反対する大規模なデモが起こったが、国のエネルギー政策では原子力が重要なベースロード電源のままで、「安全優先の再稼動や使用済燃料対策など」が着実に進められている。
起きている現象を表面的にみれば、原発事故の経験とその後の社会運動のうねりは、何も生みださなかったように見えるかもしれない。
しかし一方で、大きな政治状況を一時のブームで変えても、その基盤の危うさのために、すぐに反動を受けるおそれがあると冷静に理解し、急激に社会を変えようとするだけではなく、自分たちの暮らしを自分たちの手でつくろう、イニシアティブを握れる範囲で自分たちの住む地域を良くしようと考え、自主的に動き始める人たちが、私が住む多摩丘陵一帯に現れてきた。それは、社会的起業や新規就農という形をとるものに加え、ローカルマルシェへの出店のようなささやかな試みも含めると、意外に大きなムーブメントになっているように見える。

それぞれが個別的で、ほとんど個人的とも言えるこの動きは、目に見える表現形は異なるけれども、その原動力となっている時代感覚と価値観を共有しているように思われる。
かつての社会運動と違って、ここに政治性を認めることは難しいが、しかしこうした潜在的なネットワークこそが、今日の個人化社会における社会運動の形なのだろうと思う。
そこで私は、このムーブメントが孕む力を社会に生かしたいと思い、2016年から「まちの近くで里山をいかすシゴトづくり」という旗を掲げ、このテーマに関心を示す人たちを誘いながら、活動を進めてきた。このプロジェクトでは、シンポジウムやワークショップなどを開催し、興味関心のある人のネットワークをつくったり、「有志」たちの活動場所を紹介するウェブサイト「里山コネクト」をプロボノと連携して立ち上げたりしてきた。
さらに、2018年3月には、新団体「モリダス」を設立し、里山保全活動をコーディネートできる指導者の育成を図っている。この団体は、指導者として必要な知識や技能を明示して、
これを体系的に学ぶことで専門性が身につく仕組みづくりを図っている。

これまで、このプロジェクトを3年続けてきたが、大学教員としての仕事を抱えたまま、これ以上はできないと感じている。
そこには2つの意味があって、1つは単純に時間的に不足しているという点であるが、もう1つの意味の方が重要である。
すなわち、周りの人たちを巻き込みながら、シゴトづくりの気運をかもし出してきた責任上、私もまたシゴトづくりを、自分の飯の種をつくるというレベルで、
一緒に考える必要があるという感覚である。つまり、「まちの近くで里山をいかすシゴトづくり」を自分のためにも進めたくなったために、働き方を変えようと思ったのである。

5.人が人と自然とともに生きることを考える

私が仕事をつくるといっても、隠れた特技などを持ち合わせていないので、「これまで」の先にしか「これから」をつくり出すことはできないと思う。つまりそれは、教育であり、調査研究であろう。

<教育>

ここで教育とは、もう大学教育にこだわる必要がないので、子どもから大人まで、幅広い年齢の方とともに学び合いたい。
学生を相手に教える立場となって気づいたことは、誰もが成長したいと願っていることと、学びにはその人を解き放つ力があることである。だから、できるだけ多くの人に、学びの力を信じられる機会をつくりたいと思う。

私に教えられることはあまりないし、そもそも、知りたいことがあれば瞬時に調べられる時代なので、知識や情報を教えることの価値は下がっている。だから、ティーチングよりもコーチングを深めたいし、少人数で主体性を持って取り組むゼミ形式の学び場をつくりたい(ゼミという学び方は、大学が独占するだけでは、もったいない)。
さいわい、今年から、小中学生を対象にしたまちづくりの取り組みや、社会人を対象にした実践的な講座に関わるチャンスがありそうなので、そういう機会を生かして、学びの力が発揮される場づくりを試行錯誤したい。その際には、20代前半に芝居をやっていたので、演劇的ワークショップをうまく導入できればと考えている。

また、そうした場づくりには、多様な人びとの力が必要となるが、そこに私はこれまでに培ったネットワークを生かすつもりである。
私が仕事づくりの現場として想定している多摩丘陵一体には、大学を拠点に自治体・事業者・NPO・地縁団体等と顔の見える関係を作ってきた。そうした多様なアクターと連携を図りながら、人びとが力いっぱいに生きるために力を蓄える場をつくりたいと思っている。
この仕事は、既存の教育機関と競合関係になるように見えるかもしれないが、私はむしろ補完的な関係になることを目指している。これは、恵泉での仕事の「これまで」を生かした「これから」のビジョンである。

NORAの活動の「これまで」を生かした「これから」は、モリダスの活動の中で発展させていくつもりである。モリダスという名前に「森づくりのリーダーを出す」という意味を込めたように、この団体は人材育成を目的としている。それも、「安全に、楽しく、価値ある森づくり活動」を実践し、普及していくための仲間づくりである。
すでに、このビジョンについては発表済みであるが(→モリダス宣言)、安全管理、生態系管理、コミュニケーションそれぞれの森づくり・里山保全活動の「これまで」の粋を集めて、東京・大阪・福岡の団体との協力も得ながら、「これから」の活動を進めたい。

<調査研究>

大学を卒業して、4年間は環境コンサルタントとして働いたことがある。そのとき、クライアントからお金をもらって調査研究することの面白さとともに限界について考えた。
20代後半の私は、そのときに大学院への進学を選んだが、これからはまた、お金の取れる調査研究にも取り組みたいと思っている。ただし、資金の調達先としては、自治体、助成団体、民間企業など、幅広く想定している。

1つの方法としてすぐに思いつくのは、森づくり・里山保全に関連するデータを集めて、現状を明らかにし、課題を分析して、提言していくというオーソドックスなやり方である。この仕事には、地理情報システムの活動が不可欠と考えているので、扱えるスキルを身につけたいと思っている。

次に思いつくのは、里山を持続的に管理できる仕組みづくりに向けて、多摩丘陵をフィールドに社会実験をおこないながら、データを集めて、具体的な制度設計を提案していくというものである。
現在、管理して欲しいと言われている雑木林が複数あるので、今年から手入れを始めたいと考えている。その際には、活動に必要なスキルアップも欠かせない。

そのほか、純粋に学びたい、明らかにしたいという動機から、学術的に耐えられる水準で調査研究を継続させたい。たとえば、八重山をフィールドとして、南西諸島の軍事要塞化とオーバーツーリズムを追いたいし、カネミ油症の被害者の多い五島列島にも通い続けたい。多摩ニュータウンの初期の社会運動についても、少しずつでもまとめていきたい。これらは、「これから」のライフワークとなるだろう。

以上、急ぎ足で今の気持ちをストレートに書いてみた。
特別なことなんて、できないことはわかっている。「これまで」の先にしか「これから」はない。
そして、人から教えられた言葉だけれど、「これから」が「これまで」を決めるのだ。

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