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中ヶ谷戸オフィスから

先月のコラム「2020年の抱負」に対して、複数の方からご心配とご期待のメッセージをいただいた。
限られた時間で思いのまま書いている文章にもかかわらず、長文を最後まで読み通してくださった方々に対して、この場を借りて、感謝を申しあげたい。

さて、本題に入る前に、先日の卒業論文口述試験を聞いて考えたことから話を始めたい。
卒論の発表を聞いていると、指導教員と学生の間の関係性が見えてくる。
あるゼミの学生は、学術的なスタイルに合うようにきちんと指導され、整えられた論文の内容を発表するので、アカデミックな評価はしやすい。別のゼミの学生は、学生の存在を賭けた思考の紆余曲折がなるべく表れることをよしとして、論文の形式を超えた内容を表現するので、アカデミックには評価しにくい。
もちろん、個人の格闘を学術的な形式に中にうまく昇華することは、絶対に不可能なこととは言えない。私が一昨年書いた里山保全運動の当事者研究は、その両立を目指したものであるが、ここにいたるまで約20年かかっている。初めて論文を書く学部生には、非常に困難であろう。

学生の卒論発表を聞いていると、学術的にあるべき形式を超えて、個人の自由な発想を追求した論文の方が、私には好ましく感じられる。そうした考えは、大学教員として15年間働く中で変わらなかったが、それを支持する理由については、自分の中で変わっていることに気づいた。
ほとんどの学生は、この卒論を書き上げることで教育課程を終え、社会人として働き始める。だから、学術的なスタイルにこだわるよりも学生の自主性を重んじ、自分が決めたテーマについて考え、自分なりに表現することが、学生自身にとって残るものが大きいと、かつては考えていた。その考えは今でも変わらない。
しかし現在は、学生個人にとってだけではなく、社会にとっても、あるいは学問にとっても、既存の型にこだわらない方がよいと、確信していることに気づいたのである。

たとえば、先日の発表では、次のような研究に興味を惹かれた。
精神的な健康を害して休学した経験のある学生が、自然がもたらす癒しの効果について調べるために、ほかの学生とともに森林セラピーロードを歩いて実証しようとする研究。
生まれつき障害を抱え、成長とともに手術する経験をしてきた学生が、幼い頃から親しんできた音楽のもたらす力を調べるために、自分でピアノを弾いて聞かせた効果を実証しようとする研究。
『レ・ミゼラブル』のことが大好きな学生が、なぜ自分だけではなく若者にもこの古典が高く評価されるのかについて、文学としての魅力、メディアを通した伝搬、現在の若者の置かれている社会状況などから、一次資料を集めて実証しようとする研究。
どれも学術的な研究として十分な水準には達していなかったけれども、彼女たちが自分の生きづらさやリアリティを掴むために、いろいろと苦心した様子が滲み出ていて、好感を覚えた。同時に、森林療法や音楽療法については、既存の研究方法は医学的なアプローチが中心であるために、個人と森林、個人と音楽との特別な関係性をうまく扱えないようにも感じられた。つまり、こうした学生たちの切実な問いに対して本格的に迫るならば、既存の研究方法だけでは、どうにもならないという印象を抱いた。だから、こうした若者たちが問いたい問題を考えることは、学生個人にとって、その経験がプラスになるだけではなく、社会にとっても、学問にとっても、次の段階へと進む鍵を開くかもしれないと可能性を感じたのである。

導入のつもりで書き始めたら、長くなってしまったが、要するに、大学を離れても、こういうことを考え続けたいと思っている。それならば、大学で教えた方がいいという声が聞こえてきそうだが、そのメリット・デメリットについては考えた末の判断であり、すでに先月のコラムでも触れたので、ここでは繰り返さない。

現実に立ち返ると、今のところ決まっている4月からの仕事は、週に1回大学の非常勤講師として授業を担当するだけである。
ぼーっと生きているわけにはいかないので、すぐにでも営業活動を展開する必要がある。そこで、手始めに屋号を考えることにした。

3年前、よこはま里山研究所(NORA)が多摩地域に活動を展開する際、NORAの支部として、たま里山研究室(TAMA)を設けた。猫のファミリーができたので、共通のスローガンとして、CATS=Come All Together for Satoyama ! を掲げて、活動を拡げていくと宣言した。
ただし、たま里山研究室は、あくまでもNORAの支部なので、個人事業主としての屋号には使えない。また、私としては、多摩×里山を活動の中心軸にしつつも、それだけにこだわらないつもりなので、たとえば、環境社会ゼミ、共生共学フォーラム、トモニライフなど、思いつくままに挙げてみた。
ところが、やりたいことを中心に据えようとすると、つまらなくなる。それは、言葉に対して自分なりの意味を過剰に込めようとするからだろう。まだ、何も仕事が始まっていない段階で想像する中で、仕事内容が連想しやすい屋号や職種が分かり読みやすい屋号を考えても、どこか腑に落ちないのであった。

もっとシンプルに考えた方がいいと思った。
そこで、屋号の原点に立ち返り、屋号が家単位の呼び名であり、地名や職業を付けて名字の代わりにしたことを踏まえて、さしあたって、地名を付けることにした。
それが、「中ヶ谷戸オフィス」である。

私の家が建っている土地は、○○町字中ヶ谷戸にある。
しかし、現在の住所表記から、字名は消えている。こうした忘れられていくローカルの地名は大事にしたい。この地から、この地に足をつけて、仕事を始めようという気持ちも込められるように思うので、当面はこの屋号を使っていきたい。

しかし、売るものがなければ、仕事にならない。
それでは、何を売るのか。

「これまで」を踏まえると、里山、持続可能性、社会学、公民教育、コーチング、ワークショップ、体験学習、フィールドワーク、アーカイブズ、GISなどがキーワードになるだろう。
また、地域的に言えば、多摩丘陵と八重山諸島への愛着とこだわりがある。多摩丘陵は、人と自然の関係について考え、行動する本拠地であり、八重山諸島は、日本と外国との関係について考え、関係をつくる現場である。

とりあえず、里山×多摩丘陵がクロスするところでは、「まちの近くで里山をいかすシゴトづくり」プロジェクトを通して、私自身が何を売るのかについても、考えてきた。
ここで、このプロジェクトで展開してきた内容を整理すると、次のとおり4つに分解できる。

<実践編>
1.里モノ:里山の1次産業・2次産業→里山(農林)産物・加工品
2.里コト:里山の3次産業→里山サービス業
3.里モト:里山仕事のプラットフォーム
<理論編>
4.里(リ)ロン:人と自然とのあり方、仕事と稼ぎ/仕事と暮らし

このうち、私は3と4を押し進めつつ、1と2を支援することになるだろう。しかし、4の理論形成が仕事になるとは思えない。
3のプラットフォームづくりも仕事になりにくいだろうが、この部分が里山業界(?)のボトルネックになっていることは間違いないので、少しでも展望が開けるように、今年はここに集中したい。また、3の土台がしっかりすれば、1と2の(ソーシャル)マーケティングにも力を注ぎやすくなるように思う。

3に関して、これまでは、NPOや社会的起業家などの民間有志がゆるく繋がるネットワークをつくり、ウェブサイト「里山コネクト」を立ち上げたくらいであり、プラットフォームづくりと呼べるようなものではなかった。これからは、水平的なネットワークの中からコアグループをつくり、具体的な形が見えるようにするまで、つくりだしたいと思っている。

一方で、経営的な観点からすると、教育・福祉・観光・スポーツ等の分野との連携、行政との協働は必要となるだろう。これまで、顔と顔の見える関係にあっても、具体的に事業に取り組むことがなかった方々とともに、より踏み込んだ関係づくり、いい仕事づくりを進めたいと思う。

今のところは、ビジネスパートナーを求めながら、少しずつ外部に向けて働きかけてはいるが、具体的に取りかかる事業について紹介できるとすれば、数ヶ月後になるだろう。
中ヶ谷戸オフィスから、いったい何が生まれるのだろうか。
生みだそうという意志を自分の中に持ち続けるとともに、生まれる環境をつくるために、未知なる他者との出会いを楽しみたい。

よこはま里山研究所のコラム
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