コンテンツへスキップ

恵泉女学園大学から報せを受けて

恵泉女学園大学から、マスコミのニュースで報じられる前に、来年度以降の学生募集を停止すると連絡があった。予想していたことだが、実際に報せが届くと動揺した。

恵泉を辞めた2020年の正月に、この日を予期して、こんな文章を書いていた。

母校の東大や東工大には何も愛着がないけれど、恵泉がなくなったら寂しいと思う。かりに東大や東工大はなくなっても、それに取って代わる大学が現れると想像できるが、恵泉の不在は、社会の良心の1つがなくなるように感じる。この大学で出会った内海愛子さん、大橋正明さんや、亡くなった新妻昭夫さん、荒井英子さんなど、市民社会を豊かにするために動いてきた方々に出会えたのは幸せだった。平和をつくることに対して、照れることなく取り組もうと思えるようになったのは、恵泉で出会った素敵な教職員・学生のみなさんのお陰である。

恵泉では、高校までの「教育」に深く傷付けられてきた学生たちに多く出会った。そこから、何を教えるのかよりも、なぜ学ぶのかを一緒に考えたいと思うようになった。
私が当事者研究というかたちで論文「地域の自然とともに生きる社会づくりの当事者研究」を書いた背景には、自分がなぜ学んできたのかを学生にも伝えたかったことがある。

教員の立場から大学の良さを語るのは身びいきになりやすいが、私の場合、それを卒業生から教わったので、かつて礼拝で「卒業生から教えられる大学の価値」という感話を述べたことがある。
いま振り返ると、これもこの日を予期した歴史実践であった。

大学を辞めてからやってきたことの一つに、恵泉の教育理念やネットワークを社会に生かすことがあった。
実際、平和系は 新時代アジアピースアカデミー、園芸系はLife Lab Tamaを通して形になっている。

今日も、後者の活動の一環として、地域の方々3名と教員3名と一緒に大学近くの雑木林で除伐・草刈りのボランティア活動をおこなった。
大学の今後についても話題にのぼったが、すでに教員はこれからできることにフォーカスして考えておられ、頼もしかった。

大学の制度や序列の枠を超えて、恵泉を社会に生かせるようになると思えば、いろいろとできることはあるだろう。

タグ:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です